【完結】白いるかの眼は赤い   作:扇架

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三十話

「クリスマスに」

 菓子店や酒場に行く方はいても、ここに足をのばす方はそういませんので。

 オリバンダーはそう言って、卓の上に茶器を置いた。デルフィーニとセドリックは礼を述べ、手を伸ばした。ああ、あたたかいお茶がありがたい。身に染みる。なぜオリバンダーの杖店で即席のお茶会が開催されているのだろう……という疑問など吹き飛んでしまう。

「ても、休みを利用して杖の整備をお願いしたり……」

「ディゴリーさん、あなたのように几帳面ならば」

 普段から磨いて綺麗にしますし、ここに持ち込みますが……とオリバンダーは言う。デルフィーニは眼を泳がせた。東洋龍の角の杖、その白さに一点の曇りもなく、鈍器になりそうな頑丈さゆえにたまにさっと拭くくらいである。間違ってもセドリックのように磨きはしない。週に一度杖を磨いていそうな男は、和やかにオリバンダーと話していた。「ディゴリーさんではなくブラックさんのほうがよろしかったですかな」「いやあ、ディゴリーかブラックか……どうなるんでしょうねえ」等々。軽い口調でなかなか重要な話をするのはやめてほしいな。あくまでも婚約中である。話し合うにしても先のことだ。セドリック・ブラックは……響きが好みではないのでセドリック・ディゴリーのままでいてほしいけれど。

「杖の材によって耐久性に差異がありまして」

 オリバンダーによる講義が始まってしまった。杖つくりはおしゃべり好きなのだとデルフィーニは知っている。以前訪ねた時――入学前、初めての杖を買い求めた時も講義を受けたものである。

「芯が一角獣の毛であればなおのこと、注意が必要です」

 もっとも、三種の杖芯のうち、もっとも多いのが一角獣の毛なのですが。次がドラゴンの心臓の琴線、希なものが不死鳥の羽根です。

「数が多ければ故障率も当然増える、と」

 デルフィーニは返し、卓に置いた杖を見た。東洋龍の角ではなく――。

「鬼胡桃は粘りがありますから、さほど心配しなくてもよいでしょう」

 芯は不死鳥の羽根――尾羽根ですしね、とデルフィーニは頷く。

 冬期休暇に合わせホグワーツから帰還し、寝込み……伯母のレディ・アスランと彼女の友人であるレディ・シメーレに看病してもらい、なんとか回復した。病み上がりだというのに杖つくりを訪ねたのには理由がある。二本目の杖の入手が目的であった。オリバンダーは細かいことを訊かず、鬼胡桃の杖を何本も見せてくれた……正直、助かった。もしかして、手土産のお酒がお気に召しただけかもしれない。父曰く、上等な熟成蜂蜜酒らしい。

 お茶会から酒盛りに移行しそうな気配を察知し、デルフィーニは丁寧に礼を言って、よいクリスマスをと挨拶し、せっかくなのでと杖用の蝋を買い求め、オリバンダーの杖店を去った。

「熟成蜂蜜酒……」

「今夜出てくるんじゃない?」

 クリスマスディナーが予定されている。ブラック別邸こと不死鳥の騎士団本部で。ウィーズリー一家とポッターご一行、護衛の何人かは聖マンゴへお見舞いに行っているので、ウィンキーが頑張ってくれているだろう。伯父夫妻とレディ・シメーレもいるはずで、クリスマスディナーは任せろと言っていた。戦力となるはずのクリーチャーは畢竟「レギュラス坊ちゃま」のためにしか頑張らないので数には入らない。彼はブラック家の邸――本家の邸――で留守番である。

「アーサーの快気祝いにとっておくんじゃないかな」

 熟成蜂蜜酒への未練を漂わせながらセドリックが言った。デルフィーニは「我慢よ」と返した。アーサー・ウィーズリーが襲われた後、一度目のお見舞いにデルフィーニは行けていない。彼が襲われた翌日にはホグワーツを出ていたし、ブラック家の邸こと自宅に帰っていた。が、旅の疲れのせいか、寒さのせいか、アンブリッジと顔を合わせなくて済む喜びのせいか、寝込んでしまった。そして今日は父に言いつけられてダイアゴン横丁に出かけている……。アーサーがよりにもよって大蛇――ナギニに襲われたと聞いて、気が気ではなかった。助かってよかった。

 セドリックに身を寄せ、腕を絡める。「僕は焚き火かなにかか」と彼がぼやいた。「寒いんだもの」とだけデルフィーニは返した。着込んでいるし、お茶を飲んだばかりだというのに、身体が芯から冷えている。冬のとがった空気がデルフィーニの呼吸を乱す。どうにか咳をこらえた。

「……杖のことを気にしてる?」

「ただの道具よ」

 平気です、という風を装った。杖はただの道具だ。使い手次第である。だから、なにも思うまい。

「鬼胡桃に適性があったのは」

 たまたまよ。

 腹の立つことである。そもそも、順序が逆だ。デルフィーニは鬼胡桃の杖を求めに行った。そしたら合うものがあったのだ。

「……私が邪悪なわけじゃないんだから」

 まったく面白くない。どうせなら林檎の木がよかった。残念ながらデルフィーニには合わないようだけれど。そんなことは数年前から知っていた。オリバンダーが述べた適性のある杖材のなかに、林檎はなかったのだ。

「知っているよ」

 ため息混じりの声。セドリックの手がそっとデルフィーニの背をさする。

「鬼胡桃の杖を持つ者だから」

 惨い真似をしたわけじゃない。

「オリバンダーも言っていただろう」

 鬼胡桃の杖は、主のいかなる求めにも応じる、と。

 デルフィーニは低く笑った。咳をこらえ、震える声で言った。

「たとえそれが」

 誰かを壊すことでも。

 最低な気分だ。

 デルフィーニ・ブラックの二本目の杖は鬼胡桃と不死鳥の尾羽根を使ったもの。この杖には同族がいる。よく似た姿の、双子と見まがうものが。(たましい)こそ違えど、(にく)を同じくしたものが。

 同族――鬼胡桃とドラゴンの心臓の琴線の杖の使い手は、ベラトリックス・ブラック。

 デルフィーニの肉の母。

「スリザリンのデルフィーニ。ブラック家の娘。僕の婚約者。一万回だって言うが、君は悪の道へ踏み入らなかった。あの女は踏み入った」

 それだけのことだ。些細で、大事な違いだ。

 セドリックはゆっくりと歩きながら、いたわるようにデルフィーニの背をさすり続ける。冬になり、背の傷が痛むことに――呪いのような疼痛に悩まされていることに――彼はとっくに気づいていたらしい。かなわないな。

「あなたは悪の資質、髄なんてないでしょうね」

 強いて軽く言う。セドリックは口笛を吹いた。

「賢いデルフィーニ。君はときどき馬鹿になる」

 僕だって悪の道に踏み入る可能性がないとはいえないんだよ。笑い飛ばそうとした。だが彼の灰色の眼は真剣そのものだった。

「……ありえないでしょう」

「三校対抗試合で無様な負け方をしていたら……」

 ありえたかもしれない。

「それよりなにより、僕は第三の課題の日に死んでいた可能性が高かったのだけど」

 君がいたから助かったんだ。

 セドリックは囁く。

「君の狼――アルがいなければ、第一の課題の攻略法を思いつかなかっただろう。第二の課題だって、卵の謎をあんなに早く解けたかどうか。第三の課題だって」

 ハリーを優勝させたい誰かの存在を口にした。君はそんなつもりはなかったのだろうけど。

「背後からの攻撃が、と言った」

 たぶん、その言葉が頭に残っていて。

「僕は優勝杯を掴まなかったし、偽マッド・アイの死の呪文も回避できた」

 デルフィーニは眼を瞑る。セドリックは買いかぶりすぎている。生き残ったのは己の実力だろうに。

「偶然よ。神様の気まぐれでしょう」

「僕を善の、生の側に留めたのは君だ。神様なんかじゃなく」

 君と出会ったのはただの偶然、巡り合わせ。本当はすれ違うだけの運命だったかもしれない。

「デルフィーニ・ブラック」

 君こそが、僕の運命を変えたんだ。

 

 セドリック・ディゴリーは。

 時の一枝(虹彩の奥底)において。

 墓場に運ばれ、なにもわからないままに「よけいもの」として殺されるか。

 また腐り落ちた時の枝(ヤヌスの柩)において。

 筆舌に尽くし難い屈辱を受け、闇の陣営に身を投じ。ネビル・ロングボトムを殺害し……とある魔法騎士の養父をも殺したその果てに。

 魔法騎士と死の舞踏を演じる。

 一瞬で命を刈り取られるか、堕ちた末に戦って果てるか。

 どちらにせよ結末は死であった。

 彼はそうと自覚しないままわかっている。己が決して善ではなく、そうであろうと振る舞っていることを。善悪の秤など容易く傾き――堕ちてしまうことを。一線を踏み越える可能性は、誰にでもあることを。

 己は堕ちてしまったのだと。間違えてしまったのだと、魂の奥底でわかっている。忍耐強く好青年のセドリックを演じ、魔法騎士を裏切り……誰も彼もを裏切り、正道を踏みにじり、闇の陣営の勝利に貢献したのだとわかっている。

 けして、満たされなかったことを。

 魔法騎士に討たれ、どこかで安堵したことを。善き人間であれず、積み上げてきたものを壊し、腐らせ、果てたことを……。身体は覚えていなくとも、魂は覚えている。

 だからこそ。

 実の親に望まれず、名前すら付けられず、殺されかけて、傷つけられ……それでも堕ちず、正道を選び取る女を。

 愛しい、と思うのだ。

 セドリックの脳裏から、鏡の湖面、血飛沫、誰かと杖花(ひばな)を交えたその光景が消えていく。深い深い場所に封印される。

 刹那にも満たない空白に、女の声が割り入った。

「私が変えたんじゃないもの」

 あなたが自分で掴み取ったのよ。その道を。

 運命なんて大嫌い。女は――セドリックの白いるかは怒ったように言って、小さな手で彼の手を引っ張る。飼い主に連れられるゴールデンレトリーバーのごとく従った。

「素直に礼も受け取ってくれないんだから」

 やれやれ、と肩をすくめた。

 仕方がない。出会って数年。婚約者となって数ヶ月。彼女が出自に負い目らしきものを抱いているのは仕方がない。セドリックの家出に関しても後ろめたく思っているだろう。少しずつ、彼女の心に刺さっている棘を抜いていくしかない。

 地道に、忍耐強く距離を縮めるしかないのだ。諦めはしないし、苦でもない。

 尻尾を巻いて逃げ出すくらいなら、彼女の隣を望まなかった。

――星を射落とし、抱き留めることなどしなかった

 

 

 

「……六月に復活して」

 約半年。早かったというべきかしら。それとも遅かったというべきかしら?

 一月のとある日。冬期休暇が明けてしばらく経った頃。深夜の校長室に招かれたデルフィーニは、出してもらった座り心地の良いソファに身を預け、茶器――マグカップを手で包み込むようにする。口調はのんびりとしていたものの、赤い眼には鋭利な輝きが躍っていた。

「――神秘部にかかりきりで、下僕たちのことは後回しにしたのじゃろう」

「父の読み通りですね」

 デルフィーニは、ため息を吐く。父――レギュラスから、だいたいのあらましは聞いていた。だからこそ、デルフィーニはダイアゴン横丁に杖を買いに行ったのだ……。

 ポケットに手を入れ、鬼胡桃の杖を撫でる。ちら、と横へ眼をやった。隣に座るセドリックの向こう――ソファの端に。足下にはミザールが伏せ、手をアルに舐められているハリー・ポッターへと。

「あの、今更なんですが。神秘部と言ってしまっても……」

「ハリーはもう視てしもうた」

 夢で見る廊下が、神秘部へと至る道である、と。

 ダンブルドアは厳かに言う。わずかに、頭の痛そうな顔をしていた。隠していたお菓子を見つけられてしまった、というような、少しばつの悪そうな顔であった。

「呪いの繋がり……と、あれはポッターの血を取り込んだから……?」

 曖昧な問いに、ダンブルドアは肩をすくめる。

「順番に話そうかの。わざわざ、君とハリーとセドリックを呼び出したのはこのためじゃ」

「僕がいてもよろしいんでしょうか」

 セドリックが控えめに言う。大魔法使いは片眼を瞑った。

「君とデルフィーニは一蓮托生のようなものじゃろうて」

 ダンブルドアは恋人、婚約者などの余計な言葉を使わなかった。デルフィーニはちらりと婚約者を見てすっと眼を逸らした。

――どの道

 セドリックは当事者のようなものだろう。偽マッド・アイことバーテミウス・クラウチ・ジュニアを捕縛した一人だ。怪しげだったから捕縛しましたは通用しない。セドリック・ディゴリーは闇の陣営に敵対したとみなされる。クラムは英国を出たし、フラーは一旦帰国して戻ってきたが……三人の代表選手の中で、最も的になりやすいのがセドリックだろう。エルドリッチ・ディゴリーの子孫、ホグワーツの代表選手。デルフィーニの「婚約者」なのだから。血祭りに上げるもよし、デルフィーニに言うことを聞かせるための餌にしてもよし、である。もはやセドリックの人生に平穏や安穏という語は無くなってしまった。半分くらいはデルフィーニのせいであろう。本人は「自分で選んだことだ」と断言するだろうが。そういう男なのである。変人で、物好きだ。

 餌になるほど柔ではないだろう、と気を取り直す。真の代表選手であった。あのバーテミウス・クラウチ・ジュニアが本気で排除しようと――脅威であり、障害であると判断しただけの実力はあるのだ。

 仮に闇の陣営がセドリックを血祭りに上げようものなら、デルフィーニは彼らを全員始末する。肉の父も母も、誰も彼も。亡骸を七つに裂いて、首は腐るまで放置し、残りの部位は獣に食わせるだろう。死喰い人のみならず、その子どもたちも全員片づける。二十八族がどれほど減るか楽しみだ。

「まず」

 ダンブルドアの声が、デルフィーニを物騒な想像の世界から引き戻した。デルフィーニは真面目な優等生の仮面を着け、居住まいを正した。問題はない。閉心術は完璧だ。

「ハリー、君はヴォルデモートに取り憑かれているわけではない」

「ジニーがそう保証してくれました」

 ポッターがおずおずと言う。ダンブルドアは眼を細めた。どうやら笑っているらしかった。

「賢い子じゃの。そうじゃ。君の場合はミス・ウィーズリーの時とは異なる。蛇の中からアーサーが襲われた場面を見たものの……そして、ヴォルデモートの考えを垣間見るものの……」

 憑依ではない。

「本質的に異なる二つの魂じゃ」

 魂、と聞いてデルフィーニは眼を眇めた。『分霊箱』。ポッターとヴォルデモートの奇妙な繋がり。蛇語の能力。蛇の……おそらく『分霊箱』の内側から見聞きした。つまり――父は推測したのだろうし、結論も出ていたのだろう。デルフィーニにわざわざ言わなかっただけで。彼がデルフィーニに告げたのは、ヴォルデモートは神秘部にご執心だから、そこを墓場にしてあげよう。君、ちょっとダイアゴン横丁まで行って、オリバンダーの杖を買ってきなさい。これこれこういう杖に似たもので。狂った女は鬼胡桃に杖を使っていたはずで……見た目はこんな感じだったね。よろしくというものだった。

 実に、実に軽く言った挙げ句。爆弾を落としたのだ。

 残る『分霊箱』のうち、一つはナギニだろう。ハリー・ポッターがあれの内側から事を見たのだからほぼ確定だ。親愛なるなんとか卿は蛇がお好きだもの。

 残る一つがハッフルパフのカップでね。レストレンジ家の金庫にあるらしい……。

 頭痛がしてきた。天気の話をするような調子で言うことか。

「そういう不死の術って、おとぎ話では」

「……僕にヴォルデモートの魂の欠片が付いているってなんの冗談ですか」

 呆然としたような声がふたつ。デルフィーニは眼を瞑った。当然の反応である。セドリックには「ちょっとベラトリックスの杖に似たものが必要になった」としか言っていなかったし。『分霊箱』がどうこうは伏せていた。まさしくおとぎ話であり、説明したところで嘘臭くなりそうだ、と考えたからであった。ポッターにとっては不意打ち、嫌がらせであろう。誰があれの欠片と同居したいと思う?

「付いてるものは仕方がない。事実として、ヴォルデモートは……呆れたことに……魂を何度も裂いたのだ」

 ダンブルドアはさっさと話を進めた。ひとまず頭に詰め込んでしまえ、ということだろう。

「幸い、魂の欠片は――『分霊箱』は残り二つ……いや、ハリーに付いている分を含めると三つ、と本人じゃの」

「魔法数字の七なんて言いませんよね。つまり、元々は計七個。ハリーのを足して八個」

「セドリック、正解じゃ。ハッフルパフに十点をあげよう」

「こんなに嬉しくない加点は初めてです」

 セドリックの愚痴めいた言に、ダンブルドアは小さく口笛を吹いた。そうして話の舵をとった。

「リドルの日記を始めとした『分霊箱』はデルフィーニが破壊したのじゃが」

「おかしいと思ってたんだよ! やっぱり君があの日記を壊したんじゃないか。しかもバジリスクの首まで切って! 僕……僕、特別功労賞を返上しなきゃ!」

「私は目立ちたくないから、特別功労賞は君が持っておいて。ダンブルドアから別のものをもらっているから」

 デルフィーニはさっと手を振った。ただでさえ嘘吐きポッターだの言われているのだ。特別功労賞の返上、あるいは剥奪なんてことになったらますます立場を失うだろう。それに、ポッターはバジリスクを倒したのだ。デルフィーニは止めを刺しただけなのだ。日記の破壊はデルフィーニの手柄だけれども。

「問題はの」

 ダンブルドアが少し声を張る。

「ヴォルデモートは死なないということじゃ。まがい物の不死、延命じゃの。だからこそ跳ね返った死の呪文を受けても、あれは肉体を失っただけで済んだ」

 残機、とポッターが呟く。デルフィーニもセドリックもダンブルドアもきょとんとした。ポッターははっとしたように瞬き「続けてください」と言った。

「じゃあ、『分霊箱』を地道に破壊するしか? いや……神秘部……魔法省か」

 セドリックが呟き、首を傾げる。そうして、小さく歌った。

深い深い地の底に、嘆きの声が響いています

 古い古いおとぎ話。言うことを聞かないと吸魂鬼がやってくるよ、言うことを聞かないと『名前を言ってはいけない例のあの人』がやってくるよ。と親たちが言って聞かせる類のものだ。デルフィーニも聞かされた。夜更かしばかりしてはいけないよ、と。

よい子も悪い子もいらっしゃい……

 デルフィーニも節をつけて歌った。

 ここは寂しいばかりだから。みんなみんないらっしゃい。

 ただのおとぎ話。だが、おとぎ話には一片の真実が含まれているものだ。

寂しくてひとりぼっち。誰か来ないかしらと囁くのです

 ひっそりと、囁く。

 セドリックが続けた。

七聖賢がやってきました。彼らは銀と金と鉛、ナナカマドとトネリコとオーク……そして骨で

 それを祀りましたとさ。

 寂しい怪物は、時たま歌うだけになりましたとさ

 でもでも、ときどき、寂しくなってお腹を減らす怪物に。仲間がほしい怪物に。

 七聖賢は――。

「おとぎ話にはおとぎ話を」

 そういうことですね? セドリックが神秘部について説明している傍らで、デルフィーニは確認する。

「あれは魔法族らしさ、神秘を好むからのお」

 ふさわしいのじゃないかの。

 実にさらりとダンブルドアは言った。

 デルフィーニは肩をすくめた。ただの与太話かと思ったら、本当にあるのか……いやでも、地下に処刑場があると聞いたことがあるし……ありえないことではなかったわけか。

「私は綺麗さっぱりあれが消えてくれれば万々歳ですので」

 かまいませんよ。

 デルフィーニは素っ気なく返した。そして、付け加える。

「……で、どうやって餌を撒きます?」

「大人に任せておきなさい」

 影働きの者がおるからの、とダンブルドアは言った。

 

 

 影働きの者ことセブルス・スネイプは顔をしかめた。

 教師と「影働き」の両立は疲れる、と思いながら。

 どいつもこいつも人使いが荒いと腹を立てながら。

 仕方があるまいを百度唱え、内心を隠し――くそ、閉心術をポッターめになぜ我が輩が教えるはめに? あいつは心の扉と閉じるどころかがばがばに開いているが? クソ野郎ことジェームス・ポッターは腐っても闇祓いであったし、つまり閉心術だって使えたろうに。なぜにその才能が遺伝していないのか。いらんところばかり似て。リリーだって優秀だったのだから……ポッター・ジュニアの平々凡々さはなにがどうなってそうなったのだ――を心の奥底に封印し、セブルスは膝を突いた。

「ポッターは孤児です」

 穢れた血に育てられ、親というものを知りません。

「思えば、あの小僧も哀れなものよな」

 声が言う。「小僧」の両親を殺しておきながら、平然と口にする。セブルスは深く深く頭を垂れた。その男の顔を見なくて済むように。

――こいつのせいだ

 どこかでずっと思っている。こいつのせいでリリーは死んだ。彼とずっと一緒にいた……■■■■も殺されて……青い青いあの眼、あの輝きは失われ……。

 そうだ、実の娘を二人も殺したのだ……とかつての、嘆きと怒りが過ぎって消えていく。かすかな違和感にひっかかりを覚え、しかしそれすら忘れ、セブルスの舌は滑らかに動く。闇の帝王を最期まで欺き、あるいは欺き、生き残り、闇の帝王が討たれるのを見届け。黒の大君とオーグリーの鼻先から馬鹿どもを匿った……。

 セブルス・スネイプは大嘘吐きであった。闇の帝王を騙し通せるほどの。

 そのことを、彼は知っている。確信している。だからこそ堂々と言の葉を紡ぐ。

「その哀れな小僧にとって」

 名付け親の存在は極めて大きい。

 真実を述べる。そこに一片の嘘もない。闇の帝王は喉を鳴らす。しゅっと音が漏れた。

 何事かを考えながら、セブルスに語りかける。

「幸い、ボードは始末できた。魔法省の横槍は入るまい」

 挙げ句にポッターのことを虚言癖だと断じる始末。愚かなファッジよ。都合がよい……。ミリセント・バグノールドが大臣だったなら、こうは巧くいかなかったろう。

 ええ、と頷く。そう思いたいなら思えばよい、と考えながら。神秘部のブロデリック・ボード死亡の記事が出た。ならば悪魔の罠は仕事をやり遂げたと信じているのはおめでたい。ボードは間一髪で救われた。どうやら、ロングボトム――孫のほうだ――が見舞いの品こと鉢植えが、悪魔の罠だと気づいたらしい。ロングボトムの大奥様ことオーガスタ・ロングボトムが癒者を説得し、話が上へ、上へと行き……あのロングボトムの大奥様が言うならば、と院長の号令が出たようだ。曰く、ブロデリック・ボードを暗殺しようとしている何者かがいる。彼の死を偽装し、その身を支部に移し、念のため見舞いの鉢植えを運んだ癒者も降格扱いで支部に異動させよ、と。

 ボードを納めているはずの柩は空である。そのことを、闇の陣営は知らない。

「魔法省はただの事故死よ思いたいことでしょう」

 セブルスはゆっくりと言う。実はアーサー・ウィーズリーの見舞いに赴いていた連中の中にマッド・アイががいた。彼が誰を護衛していたかというと忌々しき予言の子、ポッターである。そしてポッターとお仲間は「たまたま」ロングボトムと遭遇した。見舞いの鉢植えこと悪魔の罠に関する騒ぎに居合わせたのだ。ロングボトム夫妻と同じ病室にボードがいて、その日ロングボトムの大奥様と孫が見舞いに行き、ポッターどもも居合わせ、おまけにマッド・アイまでついてくるという強運よ。マッド・アイは「偽装」に協力し――ボードがもがき苦しんだように見せかけ――旧知であるルーファス・スクリムジョール、闇祓いの長に一報を入れた。ボードは社会的に始末しておくから、しかるべきときに社会復帰できるようにしてやれ、と……。

「二人送り込んで失敗した。ルックウッドの言もある……やはり、釣るしかあるまいか」

 闇の帝王は囁く。いささか、面倒そうに。たかが硝子玉一つ手に入れられないとは、と苛立ちを滲ませた。

 重厚な椅子に腰掛け、片手でナギニを撫でながら、ふうと息を吐く。その場にセブルスなどいないかのように。

「小僧が俺様のことを覗き見ていると仮定しよう……。神秘部への道はわかるはず。予言の間へ導けばよい。ダンブルドアが警告したとして、我慢ができるかどうか」

「実際に聞きたいと思うはず……」

 禁忌を犯したがるものだ。人間というものは。

 ふ、ふと笑う闇の帝王。セブルスは眼を瞑った。湧き上がる強烈な嫌悪を封じ込める。セブルスは知っている。忘れてしまったけれども、知っている。この男がどれほど浅ましいか。血族に執着し……おそらく己の孫……を……たのだ。

 己が娘をも、三人目の娘を毒牙にかけようとして……。

 あの男が、庇い、守り育てた。文字通りなんだってして。泥水を飲んで、闇の帝王に……されても。

 ずきり、とどこかが痛む。ないはずのない記憶が訴える。あまりにも哀れだったと。

 泥にまみれ、堕とされて、守り育てた娘にからめ取られ。禁忌を犯し。

 死んでしまった……。

 ふっと過ぎった記憶は闇の帝王の笑声によってかき消される。刹那に満たない空白から、セブルスははっと意識を戻した。腐り落ちたその時から、現在へと。

「事を仕掛けるにしても、徐々にすべきか」

「夢を見て……導きのままに動けばそれでよし」

「それでもなお動かなければ」

 餌を撒く。あれは英雄気取りの大馬鹿だ、とジュニアも言っていた。

「そうさな……」

 お前が言うとおり、哀れな孤児は名付け親の危機に動くであろう。

「幸い、駒は取り戻した。傷つききっているが、幸いなことに正気だ」

「ポッターが単独で動くとは思いません」

 セブルスはそっと告げる。突き刺さるような視線を感じながら、続ける。

「一人ではなにもできない軟弱者ゆえ」

 では、誰に助けを求めると?

「セドリック・ディゴリー。あれは愚直ですので、ポッターの妄言も真剣に受け止め、助けようとするでしょう」

「……その愚直な男の婚約者、我が娘はどうか」

 闇の帝王の声が、刃の鋭さを帯びた。愚直なハッフルパフな男なんぞに娘が、と機嫌を損ねているようだ。

 セブルスは、今の今まで放っておいて父親面か。本当に親というのは都合の良い頭をしているな……という本音を押し隠し、さらりと返した。

「ご息女はおびえきっておられます」

 傷が堪え、貴方様を畏怖し、きっと後悔なさっておいでです。

「おかわいそうに」

 震え上がり、臥せっておられます。

 いささか、芝居かかった風に告げる。「ヴォルデモートの娘」ことデルフィーニ・ブラックが「おかわいそう」なのは本当だ。純血の交わりのせいで身体が弱く、実の父親によって殺されかけたのだから。ホグワーツに戻ったら、痛み止めを作ってやらねば……と思考を遊ばせつつ、セブルスはすらすらと紡いだ。親の都合のよい妄想を補強するような話を。

 闇の帝王がにぃっと笑う気配がした。

「ああそうとも」

 やはりあれはか弱い娘。俺様の偉大さを、そしてベラの強さをわかっているか。

 たいそう機嫌が良くなった闇の帝王は、セブルスを誉める。退出を促され、セブルスはその室を後にした。

 闇色のローブを翻し、邸を後にし、闇の魔術と魔法薬学に長けた大嘘吐きは鼻を鳴らした。腹の中をひっかきまわされているかのように、無性に腹が立った。

「どいつもこいつも」

 養育を放棄し、暴力を振るったくせに……子が親を愛するとでも?

「ろくでもない親めが」

 闇の帝王とその「妻」に――いいや、過去の亡霊、己の父親に向かって吐き捨てた。

 魔法を嫌悪し、母と自分に暴力を振るった男。忌まわしい肉の父に。

 不摂生ばかりしていたろくでなし。殺すのは簡単だった。ためらいもなかった。眠るように静かに逝けたのだからよいだろうとすら思っていた。

 銃殺よりも、毒殺のほうが慈悲深い。

 脆弱な心臓は、あっけなく鼓動を止めたのだ。




※金銀鉛、トネリコオークナナカマド
古王国記シリーズはいいぞ。
なお、トネリコオークナナカマドはサークル・オブ・マジックシリーズにも出てくる。
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