神秘部の予言の間、九十七番目の棚の付近。
とある時の枝――「ハリー・ポッターがヴォルデモート卿によっておびき出される」可能性において、基点となる場所である。腐り落ちた時の枝から分かたれたこの時代、一九■■年においてもハリー・ポッターは神秘部に赴いた。
廊下を抜け、接続路に。回転する扉をするりと抜ける。あまりにも、迷いのない足取りで。捕らわれ人を救わんと逸る――そんな風に見えただろう。
実態はまるで違うのだけど、とハリーは苦笑する。
ヴォルデモートに何度も見せられていた? それは真実。そのうちに覚えてしまった? 一部は合っている。だが、あいにくとハリーは夢で見ただけですべてを正確に把握できる頭脳の持ち主ではなかった。いかに「見せられた夢」であろうと夢は夢だ。儚く消えるものだ。細部まで覚えているのは難しい。危ないからと言って置いていこうとしたのについてきた、親友たちの一人……ハーマイオニーならば可能かもしれないけれど。
あれこれと説明したいのは山々なのだけど「シリウス・ブラック拉致事件」を疑いつつも、信じてもらわなければ困るのだ。ロンもハーマイオニーの嘘が下手であるし、とハリーは額を揉んだ。
いくつか室を抜ける。中には夢で見ていなかった場所もあったが問題はない。
『ブロデリック・ボートの証言によると』
脳裏にダンブルドアの声が蘇る。数ヶ月前の校長室。デルフィーニ・ブラックとセドリック・ディゴリーとともに計画を聞かされた。ネビルの活躍によって救出された、神秘部のボードは快く協力してくれたらしい。たとえば、回転扉の回転数と接続される室の関係性とか、どんな室があるか、とか。神秘部は不可思議な場所であるから、時折遭難者が出るとか……悪ければ干からびた
つまり、ヴォルデモートが予言に焦がれてやまなかったせいで見た夢、ハリーをおびき出そうとしてせっせと「送信」していた夢と、ボードの証言のお陰で迅速に動けているのである。それがなければいちいち出ては入りするはめになっていたかもしれないし、なにかハーマイオニーが考えてくれたかもしれない。
「杖はあるね?」
ハリーは再度確認する。こうなれば乗りかかった船である。ロンとハーマイオニーはついてきてしまったし、計画を知らせようが知らせまいが、こうなっていたのだろう。仕方がない。みんな一緒。一人はみんなのために、みんなは一人のために、である……と半ば自棄で思った。幸いセドリックがいることだし、危なくなりそうなら、彼らを逃がしてもらおう。
いくつもの棚が並ぶ室にたどり着く。薄青い闇の中、松明の火が描く数字を数えながら、棚の――硝子玉の森を行く。
シリウス、と声を張ることも忘れない。いかにも名付け親が心配でならず、不安だ……という風に叫ぶ。
「九十七……」
くるり、とあたりを見回す。なぜシリウスはいないのか、と訝るように。そうして、ふっと「それ」に眼をやる。
埃っぽい硝子玉――その実「ハリー・ポッター」が「印されし者」になった元凶を。
棚に貼られているラベルにはこう書かれている。
S・P・TからA・P・W・B・Dへ
闇の帝王
そして(仮定)ハリー・ジェームズ・ポッター
日付は十六年前。
ヴォルデモートが「ハリー・ポッターの殺し方」が予言されていると信じてやまない、ちっぽけな硝子玉に「印された者」が手を伸ばした。
「よくやった、ポッター」
こっちを向きたまえ、それを私に渡すのだ。
ハリーは素直に振り向いた。ぎゅっと予言を握りしめたままで。あたりは包囲されている。誰もが「ハリー・ポッター」と「ハリー・ポッターの殺し方」が予言された硝子玉に注目している……。
ハリーは小さく笑った。なんとくだらないことだろう? 誰も彼もが予言に夢中。闇の帝王だとかいうあの男も夢中。すべての命運が予言にかかっていると思いこんでいる。ハリーがもつ硝子玉は、さながら爆弾である。信じるものにとっての毒である。
「ルシウス・マルフォイ」
そんなにほしければ持って行くといい。ハリーは滑らかに言い、ひょいと予言の玉を投げた。シーカーというのはすばしっこいもので、掴むのが得意であるが、投げるのも得意である。別に遠くに投げるわけでもなし。単に床に落としただけだ。正確に言えば、叩きつけたのだけど。
「こんな欠片でよければね」
儚い音とともに闇の陣営の「予言の奪取」計画は崩壊した。なんとまあ実にあっけない。
そもそも、最初から破綻していたのだが。
今夜実行されるのは。ヴォルデモート破滅計画なのだから。
「ポッター!」
ルシウス・マルフォイが叫ぼうがもう遅いのである。
魔法史――ここでは英国魔法史を指す――において、古代の各家の小競り合い、小鬼の反乱や、数代前にあったホグワーツ、その地下で繰り広げられた小規模な戦いを除き「戦」と呼ばれるものは二度あった。
一度目は約六百年前に勃発し、英国全土を荒廃せしめたとされる「名前のない戦」あるいは「封じられた戦」と呼ばれるもの。二度目がヴォルデモートの台頭。未だ正式な名もないそれ。十数年前、闇の帝王――ヴォルデモートと名乗る、出自不明の男が消息を絶った。そうして「戦」は棚上げとなり、仮初めの平和が訪れた。英国における二度目の戦は終わりを告げたのだ。
ヴォルデモートが復活を果たし、三度目の戦が起こる――はずであった。いくつかの時の枝において、ヴォルデモートは冬眠から目覚めた獸さながらに野に出でて、魔法省、不死鳥の騎士団と杖を交えたのである。
――だが
デルフィーニ・ブラックが十数年早く生まれ、レギュラス・ブラックが湖底に沈まなかった時の枝……気まぐれな神が、腐り落ちた時の枝、呪われし世界の
三度目の戦は起こらない。一九■■年五月――本来より少し早いこの日、神秘部にて歴史の一頁が書かれるのである。
「……慢心が過ぎるのよ」
魔法省最深部。円形の室――広間と呼ぶほうがふさわしい場所、門が据えられた舞台の上で、デルフィーニはせせら笑った。背後では戦いの音が響いているが、振り返りはしない。闇の陣営は総崩れになった。ハリー・ポッターをおびき寄せたと思い込み、油断しきった結果だ。
ポッターと親友二人、それにセドリックが闇の陣営を引きずり回し、この広間にたどり着くまでに、相当「削った」。召集された不死鳥の騎士団、それに「善意の通報」を受けた闇祓いたちが片づけたのである。逃走防止措置を受け、あっちこっちに転がっていることであろう。
しぶとく残っているのは数人。ルシウスとか、ロドルファス・レストレンジとかその弟のラバスタン・レストレンジなど。
「小娘三人でなにができると」
ヴォルデモートはかすれた声を漏らす。ぽた、ぽた、と湿った音がする。彼の足下に転がっているのは杖を握りしめたままの片腕だ。ほぼ無力化されていてもなお、ヴォルデモートは堂々としていた。
「その小娘にしてやられたのは誰かしらね」
冴え冴えと輝く剣を大悪の喉元に突きつけ、至高の青を燃え上がらせたレディ・アスランが唸る。北米の闇祓い、そして「善意の通報者」としてルーファス・スクリムジョールを動かした獅子の騎士は、切っ先を寸毫も揺らがせない。鮮やかに、流れるように大悪の腕を斬ってのけた。
「……摂理は正しくあらねばならぬ」
お前こそ、歪んだ存在。
甘く、静かに……どこか哀れむように囁いたのはレディ・シメーレ。その眼は赤く燃え、常とは口調が違っていた。遠く遠く、いずこかより「誰か」を降ろしているのである。
黄金の杖を、大悪の心臓のある場所に突きつけている。柔らかく、そっと。されど的確に。
「終わりの時がきたのだ」
禁を犯した
はっ、とヴォルデモートは――愛を知らず、知ろうともせず、才に恵まれていながら、自ら正道に背を向け、時の一枝では娘たちを殺し、腐り落ちた時の枝においても同じく振る舞い、あげくに幼い娘――後にオーグリーと呼ばれる子――の
ついぞ子に愛されなかった男は笑う。
「禁ならば」
この娘も犯しているだろう。なあデルフィーニ? 俺様とお前は同類だとも。
親殺しなのだから。
名指しされ、デルフィーニは蔑みの眼を男に向けた。
「狂人がなにかをおっしゃっているようで」
『星屑の剣』をレディ・アスランと同じく男の喉に突きつけ、デルフィーニは気だるげに言った。背後では最後の足掻きをしている死喰い人どもと、不死鳥の騎士団、闇祓いたちの闘争が繰り広げられている。それに、ダンブルドアが気を利かせて盗聴防止などを施してくれている。聞かれる心配はないだろう。
「ベラトリックス・レストレンジは他人ですが」
かわいそうに乱戦の最中に死の呪文で……。廃人になるよりはいいでしょうよ。
デルフィーニは嘘八百を言う。ベラトリックスは数時間前に死んでいる。殺したのはデルフィーニである。闇の陣営の罠が仕掛けられたとポッターから知らせを受け、さっさと神秘部に行ったのである。そして親愛なる肉の母を呼び出して、涙ながらに赦しを請い、ああお母様と抱きついて、杖を突きつけて、無言死の呪文。戦星の名を冠する者はあっさりと死んだ。そうしてデルフィーニは肉の母になりすましたのである。疑われる要素などない。七変化であるし、彼女のものとそっくりな鬼胡桃の杖を持っていたから。親殺しまでしてのけるとは、さすが忠実な杖である。
物言わぬベラトリックスは室の一つに放置していたのだけれど、セドリックが「追いかけっこ」の際に持ち運びしやすいように変身させ、この室で乱戦勃発とともに元に戻し、放り出したようである。どこまでも気の利く男である。善良な、忍耐強い男を汚してしまったような気がして、いささか申し訳ない。
ヴォルデモートは怪物を見るような眼をデルフィーニに向けた。血は争えないのだろうか。デルフィーニにもやはり怪物の血が流れているようだ。無力なマグル一家――リドル家を皆殺しにし、伯父のモーフィンとやらに冤罪を着せた男よりもマシである、と主張したい。ベラトリックスは戦う力を持っていた。杖持つ者であった。デルフィーニを侮り、見下し、勝手に死んだようなものだ。
――彼女が
たとえば適切な誰かにデルフィーニの養育を頼むだとか、親らしいことをしていてくれればよかっただけの話だ。娘を愛さずに、己は愛されようなどと虫が良すぎるではないか。おっと、ベラトリックスはただの他人。遠縁の女である……いままでも、これからも、永遠に。
「これはなんだ! なんと『例のあの人』!」と悲鳴が聞こえる。ようやくおいでになったようだ。ばっちり目撃させたことだし……。また一つ、悲鳴が上がる。
「ナギニ!」
ポッターめ! とヴォルデモートが叫ぶ。
大蛇も片づけた、と。
ならばよいだろう。
楽しいおしゃべりはもうおしまい。ヴォルデモートは、なんとかこの場から逃れようと小娘たちとのおしゃべりにつきあっていたようだが。
楽しい時間とは早く過ぎるものだ。
「さようなら」
囁く。レディ・アスラン、レディ・シメーレ、レディ・ブラック――三人の娘が腕を前へ突き出した。
剣が喉を貫く。少し横を同じく剣が貫く。心臓を、杖が貫く。
鮮やかな血をこぼれさせ、ヴォルデモートがにぃっと笑った。
「終わらぬぞ」
俺様は不死だ……。
よろり、と背後に――銀と金と鉛、ナナカマドとトネリコとオーク、そして骨で作られた門へと姿を消した。
馬鹿ねえ、と、デルフィーニは肩をすくめる。背後で「ハリー!」と誰かが叫ぶ。よしよし寄生虫は退治できたか……。
「ここは神秘部」
最奥、最深部。
かつて処刑場であったところ。
おとぎ話は歌う。
七聖賢は、怪物の口にいらない魂をあげましたとさ、と。
怪物の口こと、門を睨む。さやさやとなにやら声が聞こえるばかり。なにより、ヴォルデモートは自ら魂を裂いた。完全で強靱な魂とはとても言い難く、門の向こうへ行ったが最後、還ってはこられないはずだ……というのが父の見立てであった。
一秒経ち、二秒経ち、五秒経ち、十秒経った。デルフィーニは鬼胡桃の杖を握りしめたまま、背後を――舞台の下を振り返った。もはや危険は去った。後始末が残っているだけだろう。
ルシウスもレストレンジ兄弟も拘束された。ポッターが意識を失っていて、シリウスが面倒をみている。「憑依」が解けたレディ・シメーレが舞台から飛び下り、レディ・アスランも続く。デルフィーニも続こうとして。
どん、と衝撃が身体を貫いた。
は、と息が漏れる。肩に手が掛かっている。曖昧模糊とした霧が……靄が。門のほうを振り向く。長い長い手が、デルフィーニを掴んでいる。異常なほど長い鉤爪が……何本もの腕が……赤い眼がいくつもあって。
逃がさぬぞ、と言っていた。
鉤爪が食い込む。わき腹をひっかかれ、恐ろしいほどの冷気がしみこんでくる。
どこまでも、どこまでも、どこまでも。生きることに執着し、そのためなら娘に憑依しようとする。怪物の口に抗ってまで。その歌に屈することなく。
闇が世界を覆う。デルフィーニを食らおうとする。黄昏が忍び寄る。彼女の手から、誰かが『星屑の剣』を抜き取った。
蒼い蒼い輝きが閃く。
「君も気の毒なものだ」
こんな自称父を持って。
不協和音が響く。靄を斬ってのけた誰かの、力強い手がデルフィーニを引き寄せる。セドリック、と囁こうとして果たせない。掠れた音を、冷たく燃える声が圧倒する。
「哀れな我が君」
あなたは永遠に星を掴めぬ。その生は呪われたものである。
歌うように、哀悼の意すらこめて、獅子の心臓の名を冠した男は告げる。
「この世には絶対の
死者は蘇らない。いいや、浮かれゆく魂の一欠片くらい、こちらに迷い出てくるかもしれない。蘇りの石を以てすれば、できるかもしれない……。
ひぃ、と声がする。ひぃ、ひぃ、。それは、と。自称父の成れの果てが叫ぶ。
レギュラス、お前が持つのは、それは我が『分霊箱』。
ぼやけた視界に、怯える浮かれゆく魂、終わりを認められぬ霊が見える。そうして、なにでもないなにかに向かって指輪を掲げる父の背も。
「今は違う」
これは『分霊箱』にあらず。蘇りの石にあらず。
石の色は黒ではなく白。
「反転させた――」
指輪が輝く。清冽な光で最奥の間が満たされる。
揺れる世界の中、デルフィーニは父のくすっという笑声を聞いた。
これは、さまよう魂を送り返す。
いやはての石だ。
耳をつんざく絶叫が、デルフィーニの身を打ち据える。どこもかしこも冷たくて、けれど、もう終わったのだと確信し。
デルフィーニは穏やかな闇に滑り落ちた。
デルフィーニはふっと眼を開け、黄昏の空を映した。どこか懐かしい、どこか切ない気持ちにさせる空であった。
ぼうっとしているうちに、鳥が横切る。黒い影。烏であろうか……と瞬いて、あちこち痛む身体を起こす。
薔薇の香が宿った風が頬を撫でる。ざああ、と潮騒のような音がした。
とくり、と心臓が脈打つ。デルフィーニは夕暮れの野原にいた。
あんまりにも虚弱すぎて、ついに死んだのか。か弱い白いるかは納得しようとした。赤ん坊のときに死んでいてもおかしくなかったし、肉の母を殺そうとして返り討ちもありえたのだ。
殺す必要まではなかったのだが……生け捕りは難易度が高すぎたし……。彼女の鬼胡桃の杖を奪取して、適当に失神させればよかったのかもしれない。所詮理想論である。用事があったのは「ベラトリックスがグリンゴッツ銀行に登録していた杖」であり、ベラトリックス本人ではなかった。生け捕りにできたとしても杖さえ手に入れれば用済みであった……。
七変化で、あれの娘で、近づきやすいデルフィーニの役割だったのだ。親子の情に訴えかければ意外や意外、抱擁を受け入れてくれたが。
『ザ・クィブラー』やスネイプの仕込みが幸を奏したのだろう。可愛い私の娘と言う割には、眼が笑っていなかったが。仮に闇の陣営に身を投じたとしても、母娘で殺し合っていただろう。
今更の話である。ベラトリックスは死んだ。そして彼女の杖はデルフィーニと同じく神秘部に先行して到着していたトンクスに渡った……。
「主の死とともにカップが破壊されていなくても」
取り返しはつくもの。デルフィーニは独りごちながら、あてどなく歩く。考えを整理するには散歩が一番である。きっと古来からの知恵である。
門にあれを放り込んだし、父が蘇りの石を「反転」させたいやはての石――本当に用心深い人だ。いつの間につくっていたのだ――でだめ押しをしたから大丈夫なはず。
「……最悪、バジリスクの牙で」
トンクスが破壊してくれているはず。
問題は、デルフィーニが死んだらしいことなのだが。
どうしよう、と視線をさまよわせる。病でころりと死ぬ想定はしていたのだけど、こんな形で死ぬなんて。
頭を抱えそうになる。どこかに門があるはずだな……となぜか思う。前に、一度来たことがあるみたいに。
どちらだったかと迷っていると、誰かが走ってきた。
「デルフィー!」
ポッターであった。元気そうでよかった。たぶん、ポッターも死んでいるのだけど。
「こっちだよ」
彼はデルフィーニの腕をそっと掴む。緑の眼で、生き生きと鮮やかな双眸で、彼方を見据えて歩き出す。
「どこに」
帰り道、とポッターが言う。なんでわかるの、と訊けば彼は小さな声で言った。
女の人に教えてもらったんだ。
「暗く、寂しい場所にいて。怪物の歌を聞きながら待っていたみたいで……」
君みたいな銀色の髪と赤い眼でね。真っ黒い赤ん坊を抱いて行ってしまったよ。
ああ、とデルフィーニはため息を吐く。なるほど、なるほど。メローピー・ゴーントは息子を待っていたのか……そうして連れて行ったのか……。
「ごめんなさいって言ってたよ」
はじまりの女。元凶の女。マグルの男を貶め、子を成し……その血統はデルフィーニにたどり着いた……。
「いいんじゃないの」
投げやりに言った。今更である。どうしようもないことである。不出来な息子、怪物を責任をもって引き取ってくれたならばそれでよし。
二人はぽつぽつと言葉を交わしながら、黄昏の野を散歩する。さくさくさく、と柔らかな草を踏んで。「ああ、ベラトリックスかな。彼女も後を追って怪物の口に飛び込んだよ」「勝手にすれば。二度と出てくるな」なんておしゃべりをしながら。
やがて、緑門の前でポッターが足を止める。淡く、小さな光がふわふわと漂っていた。
淡雪を思わせるそれは、デルフィーニのもとへやってくる。そうっと指先で触れて、眼を瞑った。
ああ、このせいか。ベラトリックスならば杖先を背につけられた瞬間に、突き飛ばすなり身をよじるなりしただろうに。抵抗もせずに――いいや、できずに死んだ。反応しようにも遅滞した。
それは、胎の中に命があったからだ。
デルフィーニはこの子を殺したのである。
償いのしようもないな、と唇を引き結ぶ。知っていようがいまいが、デルフィーニはベラトリックスを殺しただろうから。あれの存在を赦せなかったから……。
だから、デルフィーニは小さな、幼い……生まれ出ることが叶わなかった魂に、そうっと息を吹きかけた。祝福を込めて。
「お行き」
次はよいところに宿り、生まれるのよ。
手を振って、さようならを言う。ちかり、と瞬いて小さな小さな魂は緑門に招かれた。
「で?」
「ここでいいって言われたよ」
「生まれ直すんじゃないの、この門だと」
不安しかなかった。しかし、ポッターは……理不尽に親を奪われ、額に印を刻まれた者は、剛胆であった。
「入ってみるまでわからないし――」
ここはどこでもないどこかなんだから。僕なんか、キングズ・クロスのホームが重なって見えているんだけど。
「それに」
緑門がまばゆく輝く。輪郭が解けて消える。そこには光だけがあった。
「みんなが呼んでいる」
だから僕らは帰るんだよ。稲妻を刻まれし英雄が言う。白いるかは小さく笑った。
「私も帰らなきゃ」
待っている人たちがいるものね。
ぽかり、と眼を開けた。
長い、長い夢を見ていた気がした。黄昏の空が遠ざかる……薔薇の香が失せていく……。
「僕は何度、死ぬ思いをしなければならないのだろう」
低い低い声がする。夢が遠ざかる。瞬けば、灰色の眼がデルフィーニをのぞき込んでいた。
「倒せたの?」
「未来の義父の読み通り。ああ、トンクスの腕の中でカップは息絶えたよ。君も死にかけたんだよ」
ごめんなさい、と反射的に謝った。君が悪いわけじゃないけど、とセドリックはぶつぶつ言った。ハッフルパフのセドリックはどこかに行ってしまったようだ。ここにいるのは恨みがましい眼をした、いささかスリザリン風なセドリックである。
「無事でよかった……今後、あれが出てくることはないし、完膚なきまでに死んだから安心していい」
それはよかった。ぼうっとしながらデルフィーニは返す。寝台から――どうやら聖マンゴにいるらしい――重い身体をなんとか起こそう……として失敗した。セドリックに抱き起こされる。柔らかく、壊れ物を扱うかのように抱きしめられた。ほうっと息を吐く。生の喜びに満たされる。ふっと心に影が兆す。私はきょうだいを殺したのだと。弟か、妹かわからないけれど。デルフィーニは確かに罪を犯したのだ。もう少し、心の整理がついたらセドリックに話すとしよう。幸い、時間ならたっぷりある。
ゆっくりと眼を瞑ったとき、柱時計が鳴った。真夜中を告げる音。新しい時の声。
「五月二日になった」
誕生日おめでとう、デルフィーニ。
ありがとう、と返そうとして、ぎゅっと抱きしめられた。強く、強く。離したくないとでもいうように。
「……婚約指輪を頼みにいかないか?」
あの、ほら、君も成人したし、と早口で言う婚約者に、デルフィーニは優しく返した。
「喜んで」
私も、あなたとの約束の証がほしい。
夜明けがやってきたのだもの。
いやはてのそのときまで。
死が二人を分かつまで。
共に歩んでいきましょうね、と。
次で最終話です。