九月一日。レギュラスは無事に娘を送り出し、ほっと息を吐いた。そろそろ一人でキングズ・クロスまで行けるものと反発されるのではないかと危惧していたが、ただの杞憂であった。デルフィーニは、まだ反抗期ではないようだ。レギュラスの操る馬車に乗り込み、穏和しくしていた。ブラック家には馬車も、マグルの車――自動車もある。ちなみに馬車はマグルの眼には自動車に見えるように偽装してある。機密保持などどうでもいいが、破れば魔法省がうるさいのである。
何事もなければよいが、と考えを巡らせつつ歩を進める。キングズ・クロス、『裏』のホームで立ち話をしていたら遅くなってしまった。どいつもこいつもブラック家の当主に取り入りたいらしい。
顔をしかめつつ、駐車場――ブラック家の家紋入りの馬車のもとへ向かう。特に申し合わせたわけではないが、何人かの手によってマグル除けが施された結果、駐車場には馬車や車がずらりである。レギュラスは二頭の天馬を撫でてやる。闇毛の、うつくしい馬であった。ブラック家の駒である。馬はブラック家の収入源の一つであった。主にイーソナン――栗毛が主であるが、鹿毛や月毛など毛色に幅がある――や、グレニアン― ―俊足。灰色が主であるが、黒変種や白変種が現れることがある――を飼育している。
ブラック家の誇る闇毛は、グレニアンの黒変種どうしを掛け合わせ、固定化したものである。
「デルフィーニがいなくなって」
寂しくなるな。二頭の馬に囁いて、彼らの眼を順番にのぞき込む。金色の眼と銀色の眼。夜と星々を彼らは纏っているのだ。
ふ、と馬たちが吐息をこぼす。それを合図に御者台に乗り込んだ。長居しても仕方がない。隣にはマルフォイ家の馬車がある。純白の馬が四頭。ブラック家の産駒である。一頭か二頭で十分だろうルシウス。息子の送迎だぞ。社交に赴くわけでもないのに。
呆れのこもった眼をついつい隣に向けてしまう。なんでブラック家とマルフォイ家が仲良く隣同士になっているのか。遅く来ればよかった……。いや、マグルの車にすればよかった。そしたら、ルシウスはレギュラスと張り合って、車を引っ張り出してくるのだろうか。うんざりである。
「……早く帰ろう」
無駄な張り合いなどごめんである。ルシウスに捕まったら、また身の程知らずにもデルフィーニとドラコはどうかと言ってきそうである。娘はあげませんし、ものじゃありません。ほぼ確実に子ども目当てなのだろうが……一回テムズ川に沈めてやりたいな。寝言は寝て言え。デルフィーニを放り出したくせに。ふざけるな。純血主義を掲げながら、都合が悪くなれば「我が君」の娘であろうと厄介者扱いしたくせに。ルシウスもシシーも、両親も、まったく情けないことだ。
帰って、軽く昼寝しよう。そう決めたとき、つんざくような叫びが聞こえた。杖を抜き、下方――疾走する赤い火を見やる。二つの火、いいや赤毛。駐車場入口から、まっしぐらにレギュラスのもとへやってくる。
「なんてこと!」
「私のフォードが……」
燃えるような赤毛の魔法使いと魔女は、ブラック家の馬車ではなくその隣、ぽっかりと空いた場所へやってきた。モリー・ウィーズリー、旧姓プルウェットと、アーサー・ウィーズリーは、呆然と立ち尽くした。娘の友人らしい双子のウィーズリーの両親とはいえ、レギュラスは保護者同士で懇親会などするつもりはなかった。さっさと馬車を駆ろうとした。しかし、そうは巧くいかなかった。
「お尋ねしますが」
レギュラスは無視しようとした。が、縋るような視線が突き刺さり、渋々御者台から彼らを見下ろした。
「我が家の車をご存じありませんか」
ブラック殿。丁寧に問われ、レギュラスは首を振った。
「僕がこちらに戻った時には、なにもありませんでしたよ」
ウィーズリー殿。
礼儀には礼儀でもって返すべきだ。血を裏切る者であろうと、それは変わらない。純血主義のブラック家、その当主に声をかけてくるとは意外であったが……アーサー・ウィーズリーは変わり者だという話だ。ならば、それほど驚くことでもないのかもしれない。
「……なにも?」
「ええ」
なんにも、と優しく言う。アーサーはなにやらぶつぶつ言っていた。いや、まさか……そんな……と。モリーのほうは青ざめていた。レギュラスは顔をしかめた。よほどの緊急事態が起こったらしい。が、たかが車がなくなったくらいで大げさな。
「子どもたちを送ったのでしょう? 車はおいおい探せば」
いいのでは、と言おうとし、アーサーの呻きによって遮られた。
「あの子たちが最後だった……。私たちはあの子たちが特急に乗るのを見ていない!」
あれでホグワーツへ出発したのか! なんてこった!
「アーサー・ウィーズリー」
細切れの断片だけ聞かされても、どうにも消化不良であった。そっと声をかける。なんだかよくわからないから情報を渡せ、と。そして後悔した。
空飛ぶ車だって? それでウィーズリー家の子と、ハリー・ポッターが飛んでいってしまったのだろうって? 無茶苦茶である。
「そんな馬鹿な」
レギュラスは鼻で笑った。仮に特急に乗り遅れそうになったら、保護者と合流すればいいだけの話だ。煙突飛行を駆使して、ホグズミードまで行ってもいいし、夜の騎士バスを使ってもいい。ひとまず学校に遅れる旨を連絡しておけば、一日二日遅れても致命的な問題にはならない。
しかし、ウィーズリー夫妻は真顔で首を振った。
「いいかね、子どもというものは、想像を超えたことをしでかすものなんだ」
「私たちはよーく知ってます」
レギュラスはたじろいだ。七人もの子を育てた者たちにだけ醸し出せる、重みがあった。そう、ウィーズリー家は子沢山。つまり子育ての熟練者。
「そう思われるなら、箒にでも乗って、追いつかれるとよろしい」
ご子息のチャーリー・ウィーズリーがいなければかなり厳しいでしょうが、と付け加える。そして、腕時計を見た。ホグワーツ特急発車から約一時間が経過している。仮に新型のニンバスと最高の飛び手を用意し、ホグワーツ特急の線路沿いを文字通りかっ飛ばしたところで……追いつけるかどうか。
ルシウスのやつがニンバス2001を自分の息子どころか、スリザリンクィディッチチームに贈ったと言っていたな、と思い出した。ガリオンの無駄遣いである。
久々にかっ飛ばしたいな、と誘惑に駆られる。レギュラスは銀の矢という箒が気に入っていたものだ。あの系統が出れば買い求めたいが……現在持っているのはニンバス1979。少し古い型の箒であった。一九七九年製のものだ。なんにせよ、レギュラスがわざわざなにかをしてやる必要などあるまい。
「健闘を祈ります」
では失礼、と言って馬を促そうとしたとき、はらはらと何かが降ってきた。日刊予言者号外であった。
空飛ぶフォード・アングリアについての記事であった。
◆
寒くなればなるほど、つまり季節が冬へ向かうほど、デルフィーニ・ブラックの機嫌は悪くなる。九月の最初の週末――土曜日、まだ風は柔らかく、天気もよかったというのに、デルフィーニの機嫌はよろしくなかった。
「あのねえ」
湖のほとりで、デルフィーニは双子と遭遇した。いや、あちらから寄ってきた。
よく食べて、運動して、睡眠をちゃんととるべし、とレギュラスから言われていた。寒くなるまでは湖の周りをぐるり一周でもしておきなさい、と。一年生の時からおやすみの日はなるべく散歩をするようにしているのだ。常と変わらない散歩になるはずだったのだけど。
「状況がよくわからないのだけど」
座らない? とひとまず言ってみる。それもそうだな、と双子は素直に座った。デルフィーニはハンカチを敷いて座った。お嬢様だ……と言われたが知らぬふりをした。なんで仲良く三人で横並びになっているのか。思いつつ、問いを投げた。
「朝食より前に出て行ったらしいあなたがたが、なぜここにいるのか?」
双子がけっと言った。面倒だな、セドリックかチョウかロジャーに相手をさせたいな。
恒例行事になりつつあるホグワーツ特急での集まりに、ロジャー・デイビースが参戦してきたのは記憶に新しい。レイブンクローの……ポジジョンはなんだったか……。とにかく、クィディッチ同好会の集まりで、女の子がいて、それならとチョウにくっついてやってきたのだ。チョウは今年こそハリー・ポッターと対戦したいと気合を入れていて、ロジャーはにこにこしながら「君とお近づきになれてよかった」とデルフィーニに接近し、その頭をぶっ叩きつつも「僕は一回ハリーに負けているからリベンジしたいな」と今年の抱負を述べたのはセドリックだ。試合開始後、五分足らずでハリー・ポッターにスニッチをとられたハッフルパフのシーカーであった。
双子――彼らの友達のリーは、今回から不参加であった――と、チョウ、ロジャーは「あれは仕方ない」と断言した。デルフィーニはなにも言わなかった。勝手にクィディッチで盛り上がっていればいい。
――そして
なぜホグワーツに来てからも、クィディッチに巻き込まれているのか。
「君の弟のドラコだよ」
「又いとこだから」
「あいつがなんて言ったと思う?」
「あれの乏しい語彙に、あなたがたをそんなに怒らせるものがあったの?」
「語彙だけじゃなく常識も乏しいね」
「否定しないけれど……で?」
穢れたなんとか、と双子が声を揃えていった。デルフィーニは沈黙した。
あらましはこうだ。グリフィンドールチームがクィディッチ競技場を予約していたのに横取りされた。スリザリンチームが「シーカーの教育のために」、セブルス・スネイプに泣きついて予約を奪ったと言ったほうが正確か。挙げ句に新型のニンバスを見せびらかし、ドラコが余計なことを言って……。
「あなたたちの妹のグレンジャーに暴言、と」
妹じゃないよ、弟の友達だよと双子が言っても無視した。
「私が謝ることじゃない。ルシウスおじさまがニンバスを贈ったのは……」
規定上は問題がない、と言う。不公平じゃないかと言う双子に返した。
「昨年、ポッターにニンバスが贈られた件だって、規定上は問題がない」
おそらくマクゴナガルの、ポッターへの個人的な贈り物だ。もしかして学校の予算から出ているのかもしれないけれど。デルフィーニは詳細を知らない。
「一年生でシーカーに抜擢するのも強引なのに、よりにもよって贈った箒が当時の最新型じゃない」
ポッターがシーカーにふさわしい実力をそなえていたからこその抜擢だし、箒を持っていなければどうにかしなければならない。だから、なにかの違反というわけではないが、心証は悪い。
「新型のニンバスだって――」
デルフィーニは言葉を切った。並んだ双子を見やる。
「つまり、スリザリンチームの振る舞いの問題であって……仮にセドリックたちが新型を手に入れたとして、見せびらかすかという……」
歯切れが悪くなる。
「しないよな」
「何事もなかったような顔をして、黙々と練習し、ベストを尽くすよな」
「でしょう?」
「チョウとロジャーは……」
「もらった次の日には競技場に行って、性能テストをしそう」
「でしょう?」
デルフィーニの予想では、セドリック丁寧な礼状を書いて贈り主にふくろうを飛ばすだろうし、試合が終わったあとにさらに礼状もとい、報告を飛ばしそうである。相手のブラッジャーをかわせたのはあなたがくださった箒のおかげです。これからもがんばります、のような。
「で、あなたたちというかグリフィンドールは」
「大広間でお祭り騒ぎ」
「うれしくって隠していられない」
「贈り主もそんなに喜んでもらえたら嬉しいでしょうよ」
言って、顔をしかめる。要は、スリザリンの「振る舞い」がよくないという話だ。ルシウスがスリザリンチームに箒を贈るのは問題ない。ただ、財力を誇示している、品がないと言われても仕方がないだろう。たとえば普段から学校の備品の箒を贈っているなどの実績があればよかったのにと思う。デルフィーニならそうしただろう。ひとつのチームに恩恵をもたらすより、学校全体の利益を考える。古びた箒で飛行術の授業をさせるのはどうなのか。
「ドラコの教育なんて一回で済むはずだから、ここは我慢してくれない?」
「穢れたなんとかって言うやつなのに?」
「なんであいつがシーカーなんだ」
「家庭での躾と能力に相関はありません」
ぴしゃりと言い、まじまじと双子を見る。この二人、デルフィーニがブラック家の者だという認識が頭から抜けているのではないか?
「私も穢れたなんとか同好会かもしれないじゃない。いいわけ?」
こんな風におしゃべりして、と暗に言う。双子は肩をすくめた。
「いいか、普通のスリザリン生は、俺たちが穢れたウィーズリーだと知った後で」
「蛙チョコをいっぱい押しつけたりなんてしない」
「礼儀には礼儀で返すの」
普通のスリザリン生の定義については触れなかった。双子は「俺たちは穢れたウィーズリー」と節をつけて言うのを、苦い気持ちで眺めていた。ドラコは、マグル生まれのハーマイオニー・グレンジャーに「生まれ損ないの穢れた血」と言い放ったらしい。そして双子の弟が仕返しになめくじの呪いをかけた。馬鹿なことに、折れた杖を使って。
「お騒がせウィーズリーなのは間違いないわね」
空飛ぶフォード・アングリアと言えば、双子はけらけらと笑った。
「ロニーもまさしくウィーズリー」
「俺たちだって飛ばしたかった!」
「最後まで完璧だ」
「暴れ柳にドーン!」
双子が気を取り直したようなので、立ち上がる。あなたたち、暴れ柳を損壊させた賠償をウィーズリー家が被るはめになっていたかもしれないのよ、とは言わないほうがいいだろう。
じゃあね、と手を振って歩き出す。ああ、湖のほとり、樹の下で手紙を書こうと思っていたのに。寮に戻って書けばいいか。それとも図書館で書こうか。
ゆっくりと歩き、城に戻る。肩にかけた鞄がぽんぽんと弾む。穢れたなんとかと言ったドラコのことを考える。簡単に暴言を吐く子犬は、デルフィーニの正体を知ればどういう反応をするだろう。闇の帝王の娘を崇めるか、それとも恐ろしい、穢らわしい存在とみるか。どちらでもいいが。時と場を選ばず、思うままに暴言を口にするなんて、どういう教育を受けているのだろうとは思うが。
親だからといって、最良の教師になれるわけではない。そこまで考え、デルフィーニは鞄をちらりと見る。黒の地にブラック家の紋が刺繍されているそれを。中には教科書が少々と筆記具、レターセットなどが入っている。
「見た目と中身も」
相関するとは限らないのよね。
ギルデロイ・ロックハートのせいで、デルフィーニは例年にも増して機嫌が悪い。教科書を「忘れた」ことは咎められなかった。差し上げようと言ってサイン本を押しつけられた。そして朗読させられた。声がいいと誉められ……デルフィーニは、闇の魔術に対する防衛術の授業を蹴ることにした。くだらない小説を読むだけの授業なら、出るだけ無駄だ。レポートを出せと言われたら出してやろう。やっていられない。
早く図書館に行こう。そして、手紙を書くのだ。レギュラスに、ホグワーツの理事になって、ダンブルドアをつっついてロックハートを追い出すようにはからってほしいと。駄目で元々だ。言うだけならいいだろう。
階段を上り、上り、何階かで少し息を整えている時、声が聞こえた。
風の音のような、かすかなそれはこう言っていた。
殺してやる、と。
「疲れているのかしら」
そうに違いないと頷いた。心理的負荷による幻聴だ。いや、デルフィーニの深層心理が囁いているのだ。やたらと片眼を瞑ってくるロックハートを始末したいとか。お前よりもレギュラスのほうが何倍もカッコいいだから身の程知らずめ始末してやるとか、片親なんだってね大変だねと薄っぺらい同情を寄せてくるロックハートを片づけたいとか。そういう心理だ。
デルフィーニは気づかない。
それが蛇の声だなんてことは。だって彼女にとって、蛇の声も人の声も同じように聞こえるのだから。
蛇語使い――蛇舌のことは秘密にしなさいと言われ、強いて考えないようにしているのだから。
ふくろうが運んできた手紙を、レギュラスはそっと開いた。そうして眼を瞑った。
「無茶を言うな」
ホグワーツの理事なんて。
「なればよかろう」
高祖父の肖像画が軽い調子で言う。レギュラスは壁にかかる彼を睨みつけた。
「あなたが校長になって以来、ブラック家から理事を出せていないのですがね」
「私とは関係なかろう」
「それを信じる者は、豚が空を飛ぶと言っても頷くでしょうよ」
レギュラスは高祖父がぶつぶつと言うのを聞き流し、手紙を指で叩く。身体の調子や、問題なくやっているかを聞きたかったというのに。デル フィーニがたまりかねて手紙をよこすくらいには、ロックハートは駄目なのだろう。駄目駄目か。
――理事の枠があけば
レギュラスが滑り込むこともできそうだが……これは書かないでおこう。つまり、書くべきは。
「なにかされたのか、この世から消せばいいか」
いや、間違えた。
「粗大ゴミの処理なら任せなさい」
これも違う。
言うことを聞かない手をなだめ、レギュラスは連なる文字を消した。親として無難な対応をしなければ。
「君の判断は正しい。授業に出なくてよろしい」
その後「ありがとう。安心して授業をやすめます」と返ってきた。
しばらく空いて、十一月一日の朝、またふくろうが飛んできた。
秘密の部屋ってなに? スリザリンの継承者を名乗っている、頭のおかしい人間が出てきましたと。
レギュラスとの手紙のやりとりが増えた。なぜならば、報告すべき問題が多いからであった。『秘密の部屋』とやらが開かれ――あくまでも『継承者』の主張によると、だが――管理人の猫が石化した。知らせを送れば『ホグワーツの歴史』の最初の数巻とともに返事が返ってきた。要約すると「穏和しくしていること。下手に首を突っ込まないこと。冬期休暇に帰ってきなさい」と書かれていた。
ハロウィンもとい、猫が石化して数日のうちに図書館から『ホグワーツの歴史』全巻が消え失せた。ホグワーツ創設期の巻だけではなく、全てがだ。借りられればなんでもいいというところか。レギュラスに感謝しつつ『ホグワーツの歴史』を読んだ。結果、たいした情報は得られなかった。グリフィンドールとスリザリンが決闘し、スリザリンが敗れてホグワーツを去っていった。置き土産に怪物を隠していった。こっそりつくっていた秘密の部屋に。
なお、著者はこの記述について断りを入れている。あくまでも伝説である。興味深い言い伝えに過ぎない。スリザリンがホグワーツを去ったことが事実として……そこから話が膨らんでしまった可能性がある、と。
デルフィーニが出した結論はこうだ。継承者を名乗った愉快犯の可能性が高い。
「私がわざわざ猫なんかを石化させると思うの?」
デルフィーニはスリザリンの談話室、ソファに身を沈めながら言った。暖炉の近くの居心地のよい場所であった。マグカップを手で包みながら、隣のソファに座る又従弟――本当は従弟――に視線を投げた。
「純血でブラックじゃないか」
愚かしい又いとこは言った。デルフィーニは黙って茶を飲んだ。冬の足音が近づいている。よって、デルフィーニの口調は尖る。
「私じゃない」
それだけを返す。第一にデルフィーニは暇ではない。第二に猫を石化させて喜ぶような、せせこましい真似はしない。第三に、デルフィーニはドラコのように穢れた血とは口にしない。そんな反論はするだけ無駄だ。スリザリンの何人かは、デルフィーニが「スリザリンの継承者」ではないかと思っているようだ。そして何人かは「か弱いレディ・ブラックには無理じゃないか」と考えている。虚弱なのは本当のことであり、デルフィーニ犯人説を否定してくれるのはありがたいが、かなり傷ついた。好きでこんな身体に生まれたのじゃない。
「じゃあ誰なんだ?」
「さあ……君じゃあないの」
問いを投げる。ドラコは顔をしかめた。それが分かればなと呟いて、続けた。
「僕が継承者なら……グレンジャーを血祭りに上げるのに」
いとも簡単に危ない発言をした又いとこに、デルフィーニは嘆息をこらえた。ハーマイオニー・グレンジャー。ドラコ曰く穢れた血、事実だけを述べればマグル生まれの才媛。栗色の髪の女の子だ。図書館でよく見かける。デルフィーニにとってはそれだけだ。ドラコにとっては違うようだけど。
「成績で勝ちなさい」
「父上みたいに穢れた血に負けるなんてとは言わないのか、デルフィー?」
ルシウスは言ったわけね。デルフィーニはドラコの横顔をまじまじと見る。意地悪そうな顔をしなければ、整った顔立ちで、悪くはないのに。
「言ってどうするのよ。君はそんなに勉強が好きじゃあないでしょ」
よその子と比べてどうこう言うのは悪趣味だ、と口にしかけてやめた。グレンジャーは好きでマグルの親のもとに生まれてきたわけじゃないし、ドラコだって好きで「穢れた血」と比べるような発言をする親のもとに生まれてきたわけではないだろう。気の毒なことだ。一つ上――つまりデルフィーニと同じ年に生まれてきたなら、父親にうるさく言われなかったろうに。デルフィーニが一位だから。じゃあ仕方ない。以上、終わり。
「僕は将来魔法省に入って高官になるんだ」
「……と君の父上は言っている、と」
「父上は正しい」
「その正しい父上は、今回の一件についてどう言っている?」
ついつい、声に皮肉な色が混じってしまう。ドラコは父親に従っていれば安泰だ……と考えているらしい。が、信じ切れていないのが丸わかりだ。ドラコは優しい両親のもとで、大切に育てられてきた。真綿でくるむように、掌中の珠のごとく。よって、感情を表に出さず、仮面を付け替える必要はない。心を閉ざし、警戒する必要もない。秘密なんて抱えず、自由に振る舞えるのだ。デルフィーニと違って。
無邪気に他人の不幸を願えてしまう子犬は唇を尖らせた。
「目立たないようにしろ、関わるな、継承者の好きなようにさせろと言っている」
つまらない、と言わんばかりだった。ドラコはきらきらした眼でデルフィーニを見た。
「なあ、本当にデルフィーが継承者じゃないのか?」
「ブラック家が『秘密の部屋』を開けるとしましょう」
お前は馬鹿かという蔑みを乗せてデルフィーは言った。
「学ぶにふさわしくない者を、とっくの昔に片づけていると思わないの?」
老いた屋敷しもべの首を刎ねるような家よ、と畳みかければドラコは沈黙した。いささか青ざめている。グレンジャーの首が刎ねられる想像をしたのかどうか。いいや、そんな想像力はないだろう。あったとしたら無邪気な発言などできないはずだから。
「おっかないなブラック家」
じゃあ継承者は誰なんだ、とドラコは首を傾げる。デルフィーニはげんなりした。
ブラック家のことをどうこう言える立場かドラコ。マルフォイ家も相当なのだけど。確かなのはデルフィーニもドラコも「『秘密の部屋』を開けたと言っている愉快犯」ではないということだ。
マグル生まれ粛正を嬉々としてやりそうなのは闇の帝王だけれども、彼は人間と幽霊の間のような存在になっているし、そうすぐには戻ってこないはずだ。万が一、闇の帝王の双子とか兄弟がいれば……それか、デルフィーニの腹違いのきょうだいがいれば、継承者に当てはまるだろうけれど……ないと思いたい。継承者を名乗る愚か者が、猫一匹で満足してくれればそれでいい。
――と、思っていた
「……私は継承者じゃないから」
学期最終日、デルフィーニは馬車に乗り、座席に身を預けながら言った。首にはきれいなエメラルドグリーンのマフラーを巻き、黒い毛糸の帽子を身につけ、手にはドラゴン革の手袋をはめていた。
「分かっているよ」
ごめんね、うちの寮生がぴりぴりして……とマフラーをくれたセドリックが言った。デルフィーニは隣に座る彼に向かって首を振った。
「あなたが謝ることじゃないでしょう」
「でも、アーニーたちの態度は失礼だったし」
「双子を見習いなさいよ。グリフィンドールのなんとかっていうマグル生まれが石化しても、私に疑いなんて向けなかったわ」
貴族というのは余裕があり、つまり懐が深い。寛大である。が、デルフィーニはそこまで善人ではなかった。謝ることじゃないと言いつつ、セドリックに八つ当たりするくらいには凡人であった。
「そもそも、ハリーとデルフィーで継承者の容疑者が二分されているのがおかしいのよ」
賭までやってるのよ、と毛糸の帽子をくれたチョウが言った。デルフィーニは遠い眼をした。
「私は全然目立ってないし、グリフィンドールのなんとか君も、ハッフルパフの誰かさんも知らないのに」
嘆きたくもなる。継承者を名乗る頭のおかしい誰かは、猫一匹じゃ満足しなかったようだ。グリフィンドール対スリザリン戦の後にグリフィンドールの生徒が石化し、つい先日にハッフルパフの生徒とグリフィンドールの寮つきゴーストがやられた。
たかが猫さ、と高みの見物を決め込んでいた層が、雪崩を打つようにして冬期休暇の帰省を決めた。おかげで馬車の順番を待つはめになったし、その間に冷えてしまった。セドリックとチョウ、そしてロジャーが「クリスマスの届けるつもりだったんだけど」と早めの贈り物をくれたのである。ブラック家のデルフィーニに文句をつけるスリザリン生などいるはずもなく、他寮の面々と旅をともにしている。
「ポッターに疑いがかかるのもおかしな話だ」
デルフィーニの向かいに腰掛け、足を組みロジャーが言った。手袋をくれたのは彼である。君の美しい手にぴったりだと歯の浮くような台詞を吐いていた割に、頭までロマンス菌、あるいはナルシスト菌に侵されているわけではないようだ。
「僕は決闘クラブで少し離れた場所にいたから、ちゃんとは見ていない。端から見たら、みんなパニックを起こしているようにしか見えなかった」
蛇がいて、偶然ハッフルパフ生に襲いかかろうとして、ポッターがなにかを叫んだ。確かなのはそれだけだ。
「……偶然、蛇が言うことを聞いたように見えた」
チョウがロジャーの言わんとするところを引き継いだ。ロジャーは隣のチョウに向かってにっこりした。
「それがなにか不思議な音に聞こえた。ポッターが蛇に話しかけているように見えた」
蛇舌じゃないのか、と誰かが言った。
「そうに違いないと思いこんだ?」
セドリックが静かに返す。彼の灰色の眼が濃くなっていた。しばらく唸った後、彼は首を振った。
「ハリーが蛇舌だろうがなんだろうが、ああいう風に……犯人扱いはよくない」
「優等生だね」
「普通のことだろう」
セドリックとロジャーは軽くじゃれ合う。デルフィーニはセドリックから眼を逸らした。ロジャーの言うとおり、実に優等生で鼻につく回答ではある。が、それのなにが悪いのだろう。彼は極めて公平だ。
――デルフィーニが蛇舌で
闇の帝王の娘だということを知れば、さすがの優等生もどんな反応をするものやら。
決闘クラブ、ポッター、蛇……蛇舌。デルフィーニと同じ蛇舌、とまで考えて息を詰めた。
デルフィーニは、スリザリンの血筋は蛇の言葉がわかるし、話せる。隠された『秘密の部屋』、サラザール・スリザリンの置き土産はもしかして、蛇の系統に属するのだろうか。飛躍しすぎか。でも、と記憶を手繰る。デルフィーニは殺してやるという声を聞いた。姿のない声。人の声だと思っていた。今の今までは。
思案しているデルフィーニのことをどう思ったのか、ロジャーが
「デルフィーがポッターよりも目立たないなんてありえないから。僕が石化させられるんならポッターじゃなくて君にされたい」
と妙な発言をした。チョウが「なにを食べたらそんなにぺらぺらしゃべれるのよ」と返しているのにも、デルフィーニはほとんど気づかなかった。
無事に帰宅し、レギュラスに出迎えられ、デルフィーニは開口一番に言った。
「ねえ『秘密の部屋』の怪物って、バジリスクじゃないの」
ブラック家の食堂に沈黙が落ちた。お茶の支度をしていたレギュラスは、数秒固まった。ちなみに「娘とのお茶の時間」の支度から、クリーチャーは締め出されていた。彼は老いているし、働きすぎはよくないし、とのことだ。よって、デルフィーニとレギュラスのお茶の時間は、デルフィーニが支度をしたり、レギュラスが支度をしたりであった。もっともデルフィーニがお茶を出せと言ったところで、クリーチャーは不味いお茶をいれるか無視するのだが。後で自分を罰してでも、不義の子にはお茶をいれたくないとのことだ。馬鹿らしいのでデルフィーニは自分のお茶は自分でいれるようになった。レギュラスは知らないけれど。
茶器がふわりと浮き、滑るように卓へ降りる。レギュラスはデルフィーニの向かいに腰を下ろし、にこりともせずに言った。
「その結論に至った理由は?」
デルフィーニは素直に話した。自分がなぜか継承者の疑いをかけられていることは言わなかった。その疑いの七割か八割をポッターが被ってくれているお陰で楽ができるとも言わなかった。
姿のない声を聞いたこと、その後に猫が石にされたこと、決闘クラブの件、蛇舌だったと思い出したこと。順番に話し、レギュラスの様子を窺った。
「ありえることだ」
千年も生きながらえるか怪しいが。いわゆる冬眠状態であれば……そして継承者が、眠りを覚ますことができるのなら、この問題は解決だ。
茶をひとくち飲み、レギュラスは問いかけてきた。
「五十年前『秘密の部屋』が開かれたことは?」
知らない、と首を振った。レギュラスはそうか、とだけ答えた。
「誰も強いて口にしないか。僕も親から聞いたことはない。スリザリンの継承者から聞いた。が、詳細は不明だった」
いつでも怪物を解き放つことができるのだぞ、と。
「トム・マールヴォロ・リドルは秘密主義だった……」
囁くようにレギュラスは言う。デルフィーニは戦慄した。
「あの人の血縁がいたの? 私の伯父とか、そういう……」
そんな名前を聞いたことがない。レギュラスは肩をすくめた。
「君、答えをわかっていて眼を逸らしているだろう」
考えてごらん。名前が鍵だ。レギュラスが杖を一振りする。宙に黄金の文字が躍った。
TOM MARVOLO RIDDLE
デルフィーニはじっと考え……二秒で答えを出した。顔をしかめながら杖を振った。
I AM LORD VOLDEMORT
「よくできました」
レギュラスは拍手する。デルフィーニはちっとも愉快ではなかった。
「ねえ、見知らぬスリザリンの継承者が暴れていたほうがまだよかったのだけど」
「残念ながら、卿と名乗っている男は彼くらいのものだ」
「そんな男に印を刻まれて喜んでたのよね、レギュラス」
「言わないでくれるかな」
口げんかをしながら二人同時に杖を振る。黄金の文字はたちまちのうちに砕け、金の粒子となって散っていった。