【完結】白いるかの眼は赤い   作:扇架

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七話

「快癒されることを願っております」

 ブラック邸応接間。恭しく言った魔女にレギュラスは返した。

「仕立てさせておいて、陽の目をみせてやれなくてすまないね」

 いいえ、と客――仕立て屋は首を振り、室の隅に置かれたトルソーを――夜闇と星のドレスを見つめる。レギュラスは彼女の双眸に一滴のかなしみが刷かれているのを見て取った。

「君はよい仕事をしてくれる。今年は冬の社交に出られるかと思って……」

 娘のドレスを仕立てさせただけのことだ。

「お美しいでしょうに」

 仕立て屋はため息をこぼす。無駄な仕事をした、というような怒りの念はないらしい。レギュラス……とシリウスのいわば幼馴染のようなもので、年齢は彼らよりいくつか上であった。代々仕えてくれているブラック家お抱えの一族の者である。彼女の一族はブラック家の黒を――染料を守り引き継いできた。デルフィーニが冬期休暇に帰省するのならば、とドレスの仕立てを依頼すれば眼を輝かせて何枚かのスケッチとともにやってきたのは記憶に新しい。

「今年は無理だったが来年という手もあるし……」

 はたまた、再来年の三校対抗試合のパーティで、と言い掛けてやめた。まだ準備段階で、頓挫する可能性もあり、復活が周知されているわけでもない。話すのは好ましくないだろう。

「君の仕立てたドレスを着た娘は、きっと美しいのだろうが」

「よいことばかりではないでしょうね」

 仕立て屋はさらりと返した。話が早くて助かる。

「光に集う虫が増えても困るから」

「ご心配なく。お嬢様に半端な下心を持つ輩なぞ、近づけもしないでしょう」

 己が見劣りすることを嫌って、避けるはずです。

「そうだな。ドレスは戦装束だから……」

「心優しい方が現れればよいですね」

 あたたかい言葉であった。仕立て屋はデルフィーニのことを好いている。デルフィーニが素直に礼を言うからであった。レギュラスは仕立て屋が仕事をするのは当たり前だと思っていて「よくやった」や「次も頼む」と言うばかりで礼を言ったことがなかったな、といつだったかに思い至った。できあがった品を誉めたこともなかった。両親も似たようなものだった。兄――シリウスは、ああだこうだと仕立て屋に要求していた。当代の仕立て屋ではなく、先代の仕立て屋の時代のことだ。

 動きにくいから伸縮性を持たせてほしいだとか、木登りしても破れないようにしてほしいだとか、わがまま放題であった。先代の仕立て屋は笑ってシリウスのわがままに答えた。シリウスは大変満足そうにしていたものだ。先代もレギュラスの気のせいでなければ楽しそうにしていた。

 ふと思い立って、レギュラスは先代の娘、つまり当代仕立て屋に礼を言い、いつもよくやってくれていると言い、君の父上の仕立ても好きだったと言ってみた。仕立て屋はレギュラスの予想以上に喜んで、たくさんのスケッチを持参するようになった……。

「そうだといいな」

「お変わりになられましたね」

 仕立て屋が静かに言う。レギュラスは肩をすくめた。

「年をとったね。君も、僕も」

「あなたは非情とは言いませんが、近寄りがたかった」

 悪いとは言いませんよ。そういうものですからね、貴族というのは。好き勝手に言う仕立て屋――幼馴染に呆れた。仕立て屋も遡ればブラック家の出である。あまり勉学が得手でなかったブラック家の某が得意な仕立てで身を立てた……だったか。いわゆるブラック家の分家である。そうはいっても血の繋がりは薄い。ブラック本家と分家、貴族と貴族の端くれの間柄。幼馴染とはいえよくもまあずけずけと言う。

「シリウス様のほうが気易かったですね」

「たいていの者はそう言うのさ」

 自由に振る舞う兄のことを、皆が愛した。手を焼きながらも父母は兄に期待した。そしてレギュラスは兄の影であった。ただの品行方正な優等生であった。

「角がとれましたね、レギュラス様は」

 どうだろうね、と呟く。自らが優しい人間だと思うのは傲慢か、自己分析ができていないか、優しい自分に酔っているだけだろう。他者がレギュラスのことを優しいというのならば、そうなのだろうが……。

「子どもから学ぶことも多い」

 万物に対して優しい人間などいないけれど、とレギュラスは締めくくった。

 ◆

 仕立て屋を帰し「よろしければ」と渡された小箱を手に、上階へ行った。軽く扉を叩き、返事も聞かずに踏み込む。

「彼女が君にと」

 リボンをくれたよ。呼びかけても応えはない。室の主は眠りに沈んでいる。ぜ、と苦しげな息を吐いている。レギュラスは窓際の机に小箱を置き、踵を返す。寝台の側に置いたままの椅子に腰掛けた。娘の額に触れてみればじっとりと湿る。そして熱い。ホグワーツに居残らせればよかったか、とかすかな後悔が胸を刺す。体調を崩しても、マダム・ポンフリーの監督下のほうがよかっただろう。もっとも、元気爆発薬はデルフィーニには合わず、食べさせて、睡眠をとらせて、咳止めの薬や痰切りの薬を飲ませ……とマダム・ポンフリーに手間をかけさせることになるのだけど。入学前に手紙を送ってよろしくお願いしますと伝えておいたので、彼女はデルフィーニが虚弱なことは承知しているが。

――ここまで

 よく育ったことだ。生まれた時に産声を上げず、レギュラスが引き取ってからはよく熱を出したものだし、呼吸が止まりかけたこともある。魔法族とて溺れれば死ぬ、息ができなくて死ぬ。そしてデルフィーニはかろうじて死神の魔の手を逃れてきたくちだ。レギュラスは「ひとまずデルフィーニを生き延びさせる」ことを目標にして子育てをした。七歳くらいまではいつ何時死んでもおかしくはないという覚悟をしていた。魔法力 ――魔力の高さだとか、容姿だとか、頭のよさとかはどうでもよかった。死に傾きかけた秤を都度戻すことに全力を尽くした……。

 若いのに遠縁の子を引き取って、と囁かれた。大半が賞賛の意を込めたものだ。特に婦女子はレギュラスのことを好意的に見た。交際、ひいては結婚の申し込みが殺到したのには辟易したが。しかし、レギュラスとてすべての人間に好かれるわけではない。なにせ傲慢なブラック家の男である。やっかむ者も多く、実質的なスリザリン系の頂点の座を目指す輩にとっては目障りな存在であった。星に手を伸ばし、されど掴み取れず……悔し紛れに彼らはこう言った。

 物好きにも遠縁の子を引き取って。美しく育ててあわよくば……。自分がものにするにしろ、それとも売り飛ばすにしろ。

 あまりにか弱く、今にも息絶えそうな、役にも立たない娘であろうに。

 なに、ブラック家のご当主殿は善い人のふりがしたいのだ。兄がアズカバンに押し込められたものだから……必死なのだ。

 ひそひそと囁く彼らに向かって、レギュラスは微笑んだ。口だけの臆病者、品性の欠片もない者たちは沈黙した。

「……閉じこめてしまったほうが」

 君の安全は確保できるだろう。ホグワーツに行かせずに、よその学校にもやらずに。箱庭の中で大事に育てることもできたかもしれない。

「だが、」

 それが幸福と言えるのだろうか。いるか座のデルフィーニ。ブラック家の、星の名を持つもの。ブラック家は天翔るもの。輝けるものだ。狭い箱の中に押し込め、朽ちさせるべきではないと思った。ましてやデルフィーニは海原をゆく白いるかだ。レギュラスがそう名付けた子であった。

「……僕はたぶん」

 兄――シリウスのことが羨ましかったし、その背を追いたかったのだろう。主義主張の違いはあった。シリウスは純血主義などくだらない、腐っていると言った。レギュラスは彼がなぜそこまで純血主義を毛嫌いするのか理解できなかった。息苦しさを……優等生であることを求められる苦しさを封じ込めていた。なに不自由ない暮らしの不自由さを感じないようにしていた。

 奔放に振る舞うシリウス、家系図から己を消して、出て行った彼。激しいその生き様はレギュラスには真似のできないものであった。だからこそ闇の帝王――ヴォルデモートにひかれてしまったのだろう、と己を省みる。革新者だと思っていた。両親が嫌う「穢れた血」を排除する指導者だと思っていた。なにか偉大なことをするのだと思っていた……。

「君は戻りたいと言うのだろうな」

 ホグワーツから入学許可証が届いて喜んでいたし。身体に不安を抱えながら、それでも勉学に励んでいるし。レギュラスには止められない。それは「ブラック家にふさわしい子」としてレギュラスを育てた両親と同じ振る舞いである。デルフィーニは血を繋ぐための人形ではない。生きた人間だ。

 レギュラスは眼を瞑る。開かれた『秘密の部屋』。解き放たれたバジリスク。城を闊歩し、混乱をまき散らす影、操り人は誰か。

 ヴォルデモートではあるまい。アルバニアの森に潜んでいるはずだから。左腕に刻まれた「闇の印」は淡い色をしている。英国に戻れるはずもない。よしんば戻っていたとして、ホグワーツに乗り込みわざわざ『秘密の部屋』を開かないだろう。約五十年前にバジリスクを操り、遊んだのだ。マグル生まれを一人殺して、そこで打ち止めにした。ちょうどよい生け贄――罪を被せられる者を見つけ、疑いをかわす目処が立っていた。レギュラスの推測に過ぎないが、当時のヴォルデモート、トム・マールヴォロ・リドルの目的はほぼ達成されたのだろう。取り巻きに「スリザリンの末裔」の力を見せつける、畏怖させるという目的は。

 取り巻きたちとの秘密の共有。『秘密の部屋』事件の真犯人が、孤児にもかかわらず優秀な魔法使いだと。それがスリザリンの末裔だと。秘密は繋がりを強くする。そして、取り巻きたちを陶酔させただろう。偉大なる純血、隠されし血筋を自分たちが盛り立てるのだと。一級の品を贈り、身につけさせ、磨き上げ……その才を余すところなく発揮させようと。孤児、自称スリザリンの末裔に利用されているとも思わず。

 ヴォルデモートが再びバジリスクを操るとしたら、魔法省を手中におさめ、ホグワーツをも手に入れて、粛正する時であろう。バジリスクの一睨みは、あらゆる生命の息の根を止める。

 レギュラスの頭脳はめまぐるしく思考している。そのかたわらでデルフィーニの汗を拭いてやる。後で着替えさせよう。

 人間は同時に二つのことができるけれど、何カ所もの場所に、同時に存在はできない。存在を分けない限りは。

――魂を

 裂かない限りは。

 手を止める。娘に背を向け、杖を振る。見えざる手が娘の寝間着を替える音を聞きながら、眉間に皺を立てた。

「親愛なる卿が仕込んだか?」

 ちょうど五十年目の節目に『分霊箱』が……無理がある。スリザリンのロケットを奪い取り、少し落ち着いてからブラック家の書庫をひっくり返す勢いで捜索した。見つけた本には『分霊箱』のつくりかた、壊しかたは載っていなかったが――いくらブラック家といえど、魂を裂くのは推奨しないということだろう――その働きがこれでもかという警告とともに載っていた。著者はブラック家の誰かで、要約すると「おぞましいし碌なことにならない」と書いていたし「それ単体ではたいしたことはできないが、周りに影響を及ぼす。物理的距離、あるいは心理的距離が近づくと乗っ取りをもくろむ」旨が書かれていた。

 つまり、五十年目に『分霊箱』に誰かが接触しなければならない。ヴォルデモートがそこまで手の込んだことをするか疑問である。大事な魂の欠片を、お遊びに使うだろうか? さらに、ヴォルデモートはやたらと迷信深かった。魔法数字の七にこだわりを見せていた。闇祓いを殺し、七つに分断して晒すなんてこともしていたのだ。よって、ヴォルデモートが気まぐれを起こし『秘密の部屋』を再び開こうとしたとして……七十年目を狙うのではないかと思う。

 音が止む。娘の着替えが済んでいた。レギュラスは脱がされた寝間着をあまりみないようにして、杖を振る。寝間着は姿を消した。洗濯室に転移したであろう。

「誰かが持ち込んだな」

 『分霊箱』の秘密を明かされたのがレギュラス一人などと思い上がってはいない。ベラトリックスあたりは知っているであろう。『分霊箱』を預けられているかもしれない。ヴォルデモートが魂を二つに分けて――つまり『分霊箱』を一つ作って満足するとは、レギュラスには思えなかった。そして彼は秘密主義者だ。何個かの『分霊箱』の一つをそうとは知らせずに誰かに預けている可能性は大いにある。知っていて「お遊び」に『分霊箱』を使ったとしても、知らずに使ったとしても愚か。ヴォルデモートが復活しないと高をくくっているのかもしれない。おめでたいやつである。

 まあいい、とレギュラスは息を吐く。そっと囁いた。

「マグル生まれが死のうがどうでもいい」

 僕は君が無事ならばそれでいい。

 悪い父親なのさ。

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