クリスマスの記憶も朧なまま、デルフィーニはホグワーツへ戻った。
「……本当に、申し訳ない」
玄関ホールに響く声。デルフィーニは頭を抱えたくなった。目の前には真摯に謝罪しているセドリック・ディゴリー。その後ろには沈黙呪文をかけられて、拘束されて転がっているハッフルパフ生が数人。
「別にいいのよ」
「僕の気持ちがおさまらない」
どこからか黄色い声が聞こえた。ただの謝罪のはずなのに、しかもセドリックには直接関係ない話なのに。第三者が聞いたら確かに……かなり……と考え、デルフィーニは意識を飛ばしたくなった。どうしてこんなことに。原因ははっきりしている。ハーマイオニー・グレンジャーがなぜか医務室にいるらしかった。あくまでも噂である。だが、噂というのは絶大な拡散力を持っているものだし『秘密の部屋』が開かれ、マグル生まれ二人とゴースト一人が石化している現状では、光より速く駆けるものだろう。有名な「穢れた血の友」「スリザリンの継承者疑惑付き」のハリー・ポッターの友人、しかも穢れた血――が詳細不明で入院しているとなれば、噂は真実の意味合いを帯びる。すなわち、ハーマイオニー・グレンジャーはスリザリンの継承者にやられた、と。
そしてデルフィーニはスリザリンの継承者の疑いがかかっている。自称スリザリンの末裔の娘であるし、蛇舌でもあるが、継承者になった覚えはない。デルフィーニはただ静かに生活したいだけなのに、どうして疑われるはめになったのか。そういう星の下に生まれてきたのか。最悪である。
「転がっている誰かさんたちが愚かなのはあなたのせいじゃない」
抗議の呻きが聞こえた。デルフィーニは黙殺した。正直に言うとバジリスクを引っ張り出して石化させたいと思った。
デルフィーニは周りを見回し――まあ、観衆がいっぱいだ――セドリックのローブの袖を引っ張った。
「ここじゃ落ち着いて話せないから」
それもそうだね、とセドリックは素直に頷いた。誰が思うだろうか。ついさっき、愚かなハッフルパフ生たちを縛り上げて沈黙呪文をかけて転がした男が彼だと。セドリックは強者であった。
「あたたかいところのほうがいいだろう」
気づけば、セドリックのローブを引っ張っていたはずが、逆にセドリックに手を引かれていた。背後で「デルフィーニ様ぁあ!」とか、きゃあきゃあ言う声がした。デルフィーニはなにも考えないようにした。ただの先導役とそれに従う者である。そしてセドリックはなにも考えていない。
――セドリックは
ごく自然に他人に優しくするのである。当たり前の顔をして。相当な数の女生徒に好意を向けられているはずだが……気づいているのかいないのか。
そのうちセドリックのファンに刺されるかもしれない。暗澹たる予感を胸の内に封じ込め、デルフィーニはセドリックに導かれるままに玄関ホールから地下へと向かう。
「……どこに?」
「すぐに分かるよ」
セドリックは壁にかかった絵画の前で立ち止まった。銀の皿に果物が盛られた絵だ。セドリックの指が、果物の一つ、梨をくすぐった。梨はくすくすと笑い、ドアノブに変じる。セドリックがぐいっと絵画――扉を押した。
「厨房さ」
熱気がデルフィーニを包む。大きな室であった。立ち働いていた妖精たちが、セドリックとデルフィーニを見て口々に歓迎の言葉をかけた。
セドリックは笑顔で妖精たちに応え、デルフィーニに囁いた。
「君も笑顔で」
なぜかロックハートの笑顔の安売りポスターを思い出してしまった。しかし、デルフィーニは貴族である。涙を出したり引っ込めたりはお手の物、笑顔もとい愛嬌だって振りまきましょう。
結果、妖精たちのスイッチを押してしまったらしい。暖炉の側の卓に、お茶や菓子が現れて、おまけに綺麗なキャンドルまでついてきた。セドリックは呑気に「よかったね。キャンドルなんてはじめてだ」と宣っていた。ああ神よ、セドリックにロジャーの五分の一でもいいのでロマンス菌を与えたまえ。ナルシスト菌はけっこうですので。妖精に「そういう仲」だと誤解されているなどと、セドリックが思い至るわけがない。セドリックだから。
「アーニーたちの件は本当に悪かった。きつく叱っておくから」
「私が本当に継承者だったらどうするのよ」
目障りなハッフルパフ生を片づけるって可能性を考えないの? 一息に言って、紅茶をひとくち飲む。咳き込みかけてこらえた。あたたかい厨房で助かった。校庭で話すとか、仮に今日がホグズミード行きの日で、村で話そうなんてことになっていたら、咳のせいで話にならなかっただろう。デルフィーニにとって、寒さは大敵なのだ。
「アーニーたちは混乱しているからね」
「九代前まで遡れる、誰よりも純血の血筋だとか言うくらいには冷静だったわね」
デルフィーニは嘲笑した。アーニーなんとかに言いたいことはあるが、自分は純血だと言って難を逃れようとする神経が気に食わない。今ここでお前を倒してやるくらい言えないのか腰抜けめ。手袋を投げる度胸もない根性なしが。友人のジャスティンなんとかを助けるために! と高らかに言って決闘を申し込んでくるのなら、少しは見直しただろう。疑うべき相手を間違えているとはいえ、筋は通っている。
「あの子豚とそのお友達の何人かは、ポッターと私の悪口を言うばかりだもの」
女の子二人がアーニーなんとかと数人を必死に止めようとしていたというのに。彼女たちがデルフィーニを見る目ときたら……。
「ごめん」
「私があなたを虐めているみたいじゃないの」
「君やハリーが継承者だとは思っていないよ」
「彼は生き残った男の子」
「そして君はレディ・ブラックだ。たかがトランクを下ろしただけの男に、丁寧に礼を言うお嬢様だ」
「当たり前のことでしょう。あと、レディ・ブラックはやめて」
「その当たり前ができなくて、僕がディゴリーと知るや否や「無様に死んだ大臣の子孫」だなんて馬鹿にするやつもいるんだよ」
「……スリザリンの誰かでしょうきっと。ごめんなさい」
まさか古い話――ざっと二百年前の大臣だ――を持ち出して嘲る輩がいるとは。古い純血名門ブラック家のデルフィーニといえど、驚きを禁じ得ない。
エルドリッチ・ディゴリー。闇祓い局を創設した魔法使い。名大臣とされている。アズカバンの運用に反対し、在任中に病死……と歴史書に記されている。が、暗殺されたのではと根強く囁かれている人物でもあった。時勢も読めず、アズカバンなんて放っておけばいいのに反対したばかりに殺されたのだ、と。ディゴリー家にとってエルドリッチ・ディゴリーは誇りであろう。そして祖を侮辱することは宣戦布告に等しい。仮にブラック家の某かが侮辱されたとしたら、即座に地面と接吻させてやる。そういうものなのだ。悪評まみれのフィニアス・ナイジェラス・ブラックが侮辱されても、そうですね無能でしたねとは返さない。侮辱には相応の報復があるのだということを、示さなければならない。無能だったのだろうな、とデルフィーニも思いはするが、それとこれとは別である。校長、ひいては教師に向いていなかったのだろうが……娘の身体を乗っ取ろうとするような男よりはマシであろう。
「君が謝ることじゃないよ」
セドリックは本当に、なんてことないように言った。侮辱には報復をという常識は、一般的には非常識なのかとデルフィーニは訝った。が、続く言葉に納得した。
「僕のほうが成績はいいし」
頭の悪い侮辱をした誰かよりも圧倒的に上です、という笑顔であった。なるほど、セドリックはなにも感じていないわけではないし、彼なりの報復をしたのだろう。
「花形のシーカーだし?」
デルフィーニは水を向ける。とたんに彼は眼をぎらぎらさせた。チョウといいロジャーといい双子といい、セドリックといい、どいつもこいつもクィディッチの話になるとどこかがおかしくなるらしい。
「今年こそ」
ハリーに勝ちたいね。
爽やかに言った彼に「応援してる」と言えば、にっこりされた。ロジャーならば「レデイ・ブラック、貴女に勝利を捧げます」と気障な台詞を吐きそうなものだが、セドリックはそういう浮ついたことをしないのがよいのだ。ロジャーのロマンス脳も、あそこまで突き抜けていれば愉快なのだけど。
しばらく話し込み、厨房を出た。別れ際「デルフィー、その眼鏡とても似合っているよ」とぼそぼそ言われた。デルフィーニは柔らかく笑って礼を言った。
内心で冷や汗をたっぷり流しているなどと、悟られるわけにはいかなかった。
レギュラス曰く「念のためのバジリスク対策」なのだから。伊達眼鏡である。レギュラスのお洒落アイテム。いいや、元々はレギュラスの叔父のアルファードの眼鏡コレクションだったようだ。彼はブラック本家の兄弟を可愛がっていたようで、兄のシリウスにも弟のレギュラスにもそれぞれ財産と邸を分け与えた。グリンゴッツの金庫をいくつも持っていたし、邸もいくつか持っていたので、気前よく分けたらしかった。レギュラス曰く「華の放蕩者」だったようだ。君のことも可愛い可愛いと言って抱っこしていたよ、とレギュラスから聞いたことがある。
「だってコンタクトは怖かったんだもの」
眼鏡が――洒落たものがあればそちらを選ぶに決まっている。ずらりと並べられた眼鏡が魅力的に見えたせいもある。
一旦玄関ホールに戻る。どこからか、幽かな声が聞こえてきた。
獲物はどこだ、と。
デルフィーニは立ち止まる。眼を瞑る。
哀れなバジリスク。遊び道具に使われているなんて。長い長い間放って置かれて、都合よく使われているのだ。ただバジリスクに――蛇の王に生まれたばっかりに。
このまま狩りが終わればいいのにな、と思った。そうすれば奇妙な事件は忘れられ、バジリスクは静かに暮らせるだろう。
なにも言うな、知らないふりをしろとレギュラスには言われている。ダンブルドアに『秘密の部屋』のことを明かしたところでどうしようもないと。
『色々探られるのは目に見えている』
キングズ・クロス駅のホームでレギュラスは囁いた。
『一連の事件は、君のせいではないのだし』
――確かに
デルフィーニのせいではない。では誰のせいなのかと言うと、はっきりしない。レギュラスは教えてくれなかった。その代わり、デルフィーニから丁寧に状況を聞き取って、デルフィーニを導いた。
僕らは怪物すなわちバジリスクだという前提条件を知っている。壁の中から声が聞こえたと言ったね? じゃあ、壁の中を移動しているのだろう。デルフィーニはレギュラスの頭の回転のはやさについていけなかった。まるで、この世のすべてをレギュラスは知っているかのようだった。考えてごらんと言われ、欠片をつなぎ合わせた。蛇、壁の中から聞こえる声……長い体躯……。
配管? と答えを言えばレギュラスはにやりとした。その昔、ホグワーツには手洗いがなかったのだという。『ホグワーツの歴史』曰く、排泄物は消失呪文で処理していたようだ。やがてマグルの配管設備が導入された……。
すべてを識る者、レギュラスによってデルフィーニはパズルを解いていった。バジリスクに睨まれれば死の運命が待っている。だというのに誰も死んでいない。石化するだけだ。
猫の時は現場は水浸しだったと聞いていた。猫は水面に写った眼を見た。グリフィンドールの生徒は「ポッターの写真なんて撮っていた」とドラコが言っていた。ならば彼はカメラ――レンズを通して眼を見た。ハッフルパフ生はゴーストと一緒に発見された。ゴーストは一度死んでいる。ハッフルパフ生はゴーストを通して眼を見たのだろう。
「遊びで石化させられたら、たまったものじゃないでしょう」
本気であれば、石化した生徒を再び襲っているはずだ。五十年前の事件の時だって、生徒は石化した……スリザリンの継承者もといトム・マールヴォロ・リドルはわかっていたのだろう。バジリスクの眼を「直接見なければ」石化で済むのだと。結局、トム・マールヴォロ・リドルはマグル生まれを一人殺してお遊びの幕を下ろしたのである。
運が悪かったのだね、でレギュラスは流していたけれど。冷たいと言うべきか、割り切っていると言うべきか。
「場所もわからない、わかって、乗り込んでもやられるだけだもの」
わずかな後ろめたさを押し込める。安全地帯にいて、重要な情報を知っているのに隠している。闇の帝王の娘だなんて露見したくないのだから仕方がない。
アルバニアにいるはずの男がどうやって事件を起こしているのかという疑問も考えないようにした。
もしかして身体を持たない影が、誰かを操っているのではないかと推測していても、誰が宿主かわからないのだから意味がないではないか。手詰まりである。
デルフィーニは名探偵でもなければ、英雄でもない。ただのスリザリンの末裔だ。
レギュラスが惜しみ、育ててくれた命だから、無茶をして彼を悲しませるわけにもいかない。それに、きっと誕生を望まれなかっただろう命だから、大事にしたいのだ。生きるということを。
なにを踏みつけにしても。
しかし、そんな言い訳は通用しなくなった。
悪夢のようなバレンタインが終わり、春の足音が聞こえ……ハーマイオニー・グレンジャーとレイブンクローのマグル生まれが石化した。ダンブルドアが停職処分を受け、森番のハグリッドが投獄された。
「私に疑いの矢が向きまくっているじゃない」
手洗いで、デルフィーニは唸った。ハーマイオニー・グレンジャーが石化したことで、ハリー・ポッターの疑いは晴れたのである。結果、デルフィーニが疑われることになった。根拠は「ブラック家ならばスリザリンの血が入っていてもおかしくない」である。根拠になっていない。約千年前の人物の血なんて、どこの誰に入っていてもおかしくない。困ったことにデルフィーニはスリザリンの末裔なのだが、それは内緒である。
お陰でうかつにセドリックやロジャーやチョウ、双子とおしゃべりするわけにもいかず、デルフィーニはひとりぼっちであった。スリザリン寮に仲間がいる? デルフィーニ様、レディ・ブラックと言って持ち上げる連中は仲間ではない。血筋と容姿だけ見て持ち上げるなんて馬鹿の極みであろう。下僕希望者なんて邪魔なだけだ。
次は誰を狩るんですか、と訊いてきた愚か者に全身金縛りをかけて「そんなに私の毒牙にかかりたいの」と言ってやった。スリザリンの談話室は凍り付いた。それから、デルフィーニがスリザリンの継承者だという者はいなくなった。スリザリン寮限定で、だが。
ひそひそこそこそされるのはうんざりであった。よって、デルフィーニは行動を起こすことにした。『秘密の部屋』探索プロジェクトである。トム・マールヴォロ・リドルが見つけられたのだから、デルフィーニにだって見つけられるはずである。
配管、つまりは水を使う場所と当たりをつけ、大変地道な調査を行った。監督生用の風呂に忍び込み、七変化を使って男の子になって異性の手洗いも調査した。そして女子の手洗いも調査した。時折寝込みながら続けた調査も、この手洗いで最後である。通称「嘆きのマートルのトイレ」。年中故障していて、使用されていない。第一の事件、猫が石化した現場の近くである。調査を後回しにしたのは理由がある。マートルに邪魔をされたくなかったから。スリザリン生の間では殊に有名であった。陰気なマートルは純血を毛嫌いしている。特にスリザリン生をやっかむ。たぶんあいつは穢れた血に違いない……。
「マグル生まれ……ゴースト」
嘆きのマートル。こんなところで死んだ……。呟きながら、あちこちを調べる。主の不在を狙って、家捜ししている盗人の気分が味わえる。
「配管……水……現場の近く……」
五十年前、マグル生まれが死んだ……。囁いて、手洗い台に手を突いた。ひび割れた鏡、裂かれた像がデルフィーニを見返した。レギュラスは 「ただ一人死んだマグル生まれ」の名を覚えていなかった。どうでもよかったのだろう。デルフィーニも強いて調べなかった。必要がないと思ったのだ。あの時点では『秘密の部屋』を見つけて、匿名の手紙であらましを伝え、教師陣に対処を任せるなんてことは考えていなかった。けれど状況が変わった、もとい我慢の限界だった。ダンブルドアが停職になったけれども、優秀な教師が残っている。ロックハートは除く。ほら吹きと噂のトレローニーも除外。教師陣で策を練ってバジリスクを倒すなり、闇祓いを呼んでどうにかしてもらえればいい。
マグル生まれの名前を調べていればよかったな、と思いつつデルフィーニの眼は手洗いを調べた。ここで見つからなければ諦めようと考えながら。
だが、幸運の女神がスリザリンの末裔に微笑んだ。彼女は白いるかが求めるものをしろしめし、その御手で白いるかを導いた。紫眼を、蛇口に ――壊れたそれ、刻まれた蛇に向けさせたのである。
白いるかはありとあらゆる神に感謝を捧げ、意気揚々と蛇語を口にした。重々しい音を立て『秘密の部屋』の入口が現れた。
――勝った
虚弱な身体に鞭打っての調査、成果のない日々への鬱屈。めげそうになる己の心に打ち勝ったのである。あとはスリザリン寮付きゴースト、血みどろ男爵を使って伝令でも飛ばせばいいだろう。解決さえすれば、誰がなにをして見つけた、などという問題は些末なこととなる。血みどろ男爵は口が堅い。デルフィーニが告発者だとは死んだって言わない。
デルフィーニは失念していた。幸運の女神というものは気まぐれだということを。
手洗い台、鏡に映る赤毛を見つけ――振り向いた時には遅かった。
「お転婆なお嬢様だ」
レディ・ブラック。
囁きとともに、デルフィーニの意識は失神光線に刈り取られた。
気づけば、天井から水滴がしたたり落ちる『秘密の部屋』にいた。
「なぜ君が」
ブラック家ごときがスリザリンの継承者と呼ばれるのか。
魔力をすすられ……最悪なことにいわゆる経口摂取というもので……デルフィーニは床に転がり、燃えるような赤い眼を見上げていた。黒髪に赤い眼の男、トム・マールヴォロ・リドルと高らかに名乗った彼は、デルフィーニに唾を吐きかけ、罵倒した。
「僕のことを避けていたブラック家が!」
お高く止まっていて気に食わないこと甚だしい。器――ジニー・ウィーズリーを放り出し、哀れな孤児はデルフィーニを虐めた。何回か磔刑の呪文を受け、デルフィーニは耐えきれずに失神した。
次に瞼を上げれば、怒り狂っていた暴君が赤い眼を見開いていた。彼の眼は、痙攣するバジリスクに向けられていた。
「馬鹿な……」
こんなはずじゃなかった。ぶつぶつとつぶやく様は病者のようである。デルフィーニは息を整え、そっと立ち上がった。身体も心も傷ついていた。それでもやらなければならないことがあった。なぜかハリー・ポッターが倒れ伏しているが考えるのは後だ。状況の整理をしている場合ではない。
デルフィーニの思考は、ただ一点に向かって研ぎ澄まされていた。
「愚か者は」
お前よ。
直感が命じるままに、怒りと憎悪で以てデルフィーニは――星の名を持つ娘は、剣を振るった。ブラック家の宝剣『星屑の剣』はほとんど実体化した亡霊を切り裂いた。蒼い炎が邪悪な愉快犯、デルフィーニの肉の父を包み込む。高い高い悲鳴が響く。
「お前のようなどこの馬の骨ともしれない孤児が」
ブラック家のデルフィーニに手を出した。王族を自称できるだけの時を重ね、血を繋げてきた純血名家の娘を傷つけた。
穢らわしい男め。吐き捨てれば、孤児は悔しげな声を上げた。別名を負け犬の遠吠えと言う。
それきりみっともない男を一顧だにせず、デルフィーニは歩を進めた。燃え立つような感情がデルフィーニに力を与えていた。
実体を持たないなにかが存在するには、器が必要なはずだ。ジニー・ウィーズリーにいきなり憑依した? 無理がある。なにか「繋ぎ」が必要だろう。
たとえば、呪われた闇の品。
なぜか『秘密の部屋』に似つかわしくない日記が転がっていた。
「やめろ……」
未来の父の哀れっぽい声を聞いて、デルフィーニは笑みを浮かべた。ブラック家の酷薄で、残忍な笑みであった。
「人が嫌がることをしろって」
誰かが言っていたのよね。
迷いなく『星屑の剣』を日記に突き立て、渾身の力で裂いた。蒼い――燐の色に包まれて、日記は焼け焦げた。腐ったなにかのにおいを漂わせ、それきり沈黙した。振り向けばトム・マールヴォロ・リドルはいなくなっていた。
片手で日記を拾い上げ、倒れているハリー・ポッターへと投げる。そばに控えていた不死鳥が抗議するようにはばたいた。組分け帽子は転がっているし、剣も転がっているし、わけがわからない。
考えるのは後、と言い聞かせ、デルフィーニはひくひくと痙攣しているバジリスクへ歩み寄った。両の眼は潰されて、なんとも哀れであった。
「さようならよ」
もっといい主に出会えればよかったのにね。
囁いて『星屑の剣』を振り上げる。業物は過たずバジリスクの首を両断した。
レギュラス・ブラックは怒り心頭に発していた。灰――時折きらめく、星にたとえられるそれが青い色を帯びていることがなによりの証であった。
「悪ふざけが過ぎますよ」
ホグワーツの廊下。レギュラスは愚かなるマルフォイ家の当主の腕を掴み、杖を叩き落とした。ハリー・ポッターを見やり「大人の話し合いがあるから行きなさい」と言い、彼を庇うように前へ出ていた妖精に「次の雇用先に困ったらうちにおいで」と言った。妖精ことドビーはブラック家当主の顔をもちろん知っていた。恐れおののきながら、深々と礼をした。そしてともだちのハリー・ポッターを引っ張って、その場を去った。
「乱暴狼藉が過ぎるのではないかね」
脂汗を流しながら――折れるのではないかと思うような力で腕を掴まれているのだから当然だ――ルシウスは言った。
「闇の品を持ち込んでおいて?」
レギュラスは汚らしい、裂かれた日記を見やった。甘い腐臭を放つ、闇の品――『分霊箱』の末路を。
ホグワーツは閉鎖される、ジニー・ウィーズリーが『秘密の部屋』に攫われた、とミネルバ・マクゴナガルから通達が飛んできた時、レギュラスは事の次第を理解した。『分霊箱』を預かっていた一人はルシウスであったのだと。『秘密の部屋』事件の受益者は彼であると。
「証拠はあるのか」
「ないね」
離せともがくルシウスに、虫けらを見るような眼を向けながらレギュラスは返した。このまま腕をへし折るか否か迷ってもいた。
「君なら」
ゆっくりと、柔らかく言った。あなたではなく君、と。マルフォイ家はブラック家の下だと。ルシウスの顔が歪む。レギュラスはくつくつと笑った。
「……可能だろう」
粛清をくぐり抜けた狡猾な男だもの。キングズ・クロスで接触して仕込むなり、なんなりできるだろう。それかダイアゴン横丁で偶然出くわしたか? 半分当てずっぽうで言ったものの、ダイアゴン横丁の下りでルシウスの眼がわずかに泳いだ。
ウィーズリー一家もお気の毒に。たまたま買い物の日がマルフォイ家と重なったばかりに……。どの道、あの一家は狙われていただろうが。ルシウスはヴォルデモートから預かった闇の品を持ち歩いていた。マグル保護法なんて悪法を葬り去るためになんらかの手を打つつもりだったのだろう。どこでもいい、一家に出会った時に仕込む腹積もりだったに違いない。
欲が出てダンブルドアまで追い落とそうとしたのが余計であった。二兎を追う者は一兎をも得ず。計画は失敗し、ダンブルドアは帰還した。
「私に対してこんな……従兄弟の間柄だろうに」
「義理のね」
レギュラスは戯言を斬って捨てた。あくまでもシシーの夫である。シシーのおまけといってもいい。ブラック家の娘を娶ることができた幸運に感謝して、頭を低くして生きればよいものを。
「義理の従兄殿、あなたは間違えた」
くだらないお遊びで僕の娘を傷つけた。
「事故だ!」
知るか。レギュラスはルシウスを蹴った。倒れ、杖を拾おうとした彼の手を踏みつけた。聞き苦しい悲鳴が響く。レギュラスは娘そっくりな笑みを浮かべた。ブラック家の、傲慢で酷薄、背筋が凍るような美しい笑みを。
「見苦しい男だ」
鼻で笑い、ルシウスの顔面を蹴った。呻く彼を振り返りもせず、悠々と歩を進め、最後に贈り物をおくった。
「理事を解任されたとのことで残念でしたね」
ご安心を。僕があなたの空席を埋めますので。
「お前――!」
怒声が追いかけてくる。レギュラスは高笑いした。ホグワーツの閉鎖、ジニー・ウィーズリーの誘拐の通達からしばらくして、娘が行方不明になったと報告を受けた。そのときには根回しは完了していた。もしやダンブルドアの停職に賛成するように、ルシウス・マルフォイから脅しを受けませんでしたかと理事たちに質問状を送った。そしたら答えはイエスであった。呪いをかけてやると言われました等々。さらに手紙を送った。ダンブルドアに戻ってくるように嘆願してください。なに、ブラック家の当主たるレギュラス・ブラックがルシウスを抑えてみせましょう。
彼を解任して、私を理事に推薦してくださったらいいだけの話です、と。
満足していたら、ホグワーツに行くはめになったが。到着したときには娘は医務室に運び込まれていて、束の間意識を取り戻し「あいつを八つ裂きにしてやった」と誇らしげに言った。ひそひそと「バジリスクの牙を持ち帰ったの」と内緒話をして、力尽きて昏倒した。
さっさと連れ帰って療養させよう。ダンブルドアに一言、二言文句を言ってからだけれども。
そうして『分霊箱』を破壊するのだ。
裂け、焼け焦げていてもその切り口は絶大な破壊力を誇る「バジリスクの毒牙」のものではないだろう。鋭利な刃物によるものだ。
すなわち『
彼の大悪、ゲラート・グリンデルバルドが好んで使っていた
悪なる魂の欠片を滅ぼしたのだ。