親睦会から翌日。
ティーパーティから正式に、ナギサは休息のため表舞台から一旦姿を消したことを知らせた。
補習授業部の失態を巻き返すように、エデン条約調印式から今まで走り続けてきた彼女に対し不満が噴出することは無かった。
代わりに、耳を疑うような話が飛び出てきたが。
「――だからナギサ様は平時の仕事を早めに処理していたのですね」
「……そうなのかい? いや、すまない。後任だというのに碌に情報共有が行われていなくてね」
「お気になさらないでください。元々はセイア様がサンクトゥス分派の方々をナギサ様のお力添えに成る様にお手伝いして頂けたからこそ、生まれた休息なのですから」
「そうかい……」
零れ落ちそうになる溜息を必死に拾い上げ、疑われないように取り繕う。
まさかここまで考えて……?
十分、あり得そうな話なのが辛かった。
凡そ一週間ほどはティーパーティが暇になる程度に雑務は片付けられていて、その間にナギサの代わりと成る為のマニュアルらしきものが数冊執務室で見つけてしまった。
笑顔で出ていくナギサの同輩を見送りながら、一人そっと、溜息を吐いた。
(全く……病み上がりにティーパーティのホストだって重労働だというのにETOやアリウス関連についても投げつけるつもりかい……? 聡明な君らしくもない判断ミスだよ。二人で手を取り合い支え合って……何て、夢物語を描きながらこれだって書いたのだろう? 君も知っての通り、私とミカの相性は余り良くは無いんだ。誰かが間を取り纏めなければただ只管衝突を繰り返すだけなんだ……君の、せいだぞ)
覇気無く恨み節をぶつけながら、虚ろな瞳でナギサが書いたであろうマニュアルをパラパラと捲っていく。
別に憎んでいるわけではない。ただ、彼女は何処か責任感が強い。
決して言葉に出すことは無いけれど、こうして思えば何処からともなく申し訳なさそうな顔をしながらナギサが現れてくれそうで。
そんな夢想をしながら、宛ても無くマニュアルを捲り続けていた。
「――やっぱり、困っているみたいですね?」
何処からともなく声が聞こえ、マニュアルを捲っていた手が止まる。
一体全体どこから入ってきたのやら。
声のした方に視線を向けるとハナコが窓辺を背に立っていた。
「……何処から入ってきたのかは、聞かないでおくよ。それよりも、やっぱりとはどういうことなのかい?」
「ナギサさんが病み上がりのセイアちゃんや、まだパテルトップに戻っていないミカさんにホストの座を渡して迄休むとは到底思えませんからね♡ 昨日一目お会いした時もどこか顔色が優れていませんでしたし……恐らく先生かミネさんが無理矢理休養を取らせたのではないですか?」
「ふむ……なるほど。君の目から見てもやはりナギサは働き過ぎだった訳か」
「ええ……到底真似したくはありませんが、必要な事なんでしょうね……それで、病み上がりの人間を少し補佐する為に来たんです。案の定セイアちゃんはどうしたら良いのか迷っていたみたいですし♡ ……それに、ナギサさんには少しばかり悪い事をしてしまいましたから」
特に意図は無かったのだが、マニュアルを捲っているのがハナコの目にはそう見えたらしい。
パタリとマニュアルを閉じ、まどろっこしい友人の為に紅茶の用意をする。
ティーパーティのホストとして、お茶の準備はするものだ。
だが、他の同輩を使う訳でもなく、自らの手で注ぐのはこれから密談を行いたいというサインだ。
私の体調を気遣い、そう言った慣例を無視する輩はそれなりに多いが、致し方ない事だろう。
それは優しさの表れでもあり、自身の愚かさを露呈させる選民的なマナー。
こういった慣例の説明を一々しなくても良い所にも、私がハナコと気の置けない仲に成った一端を含んでいる。
……まあ、彼女も中々に厄介な性格をしているからね。私と同じように。
「そう言えば、ナギサさんは一体何処のセーフハウスで休養を? ヒフミちゃんがぜひ遊びに行きたいと言っていたんです」
「何バカな事を言っているんだ。ナギサは昨夜亡くなっただろう?」
「……えっ?」
――その失言に気づいたのは、ハナコが狐に摘ままれたような顔をしているのを見てからだった。
やらかした。失敗した。
今朝身嗜みを整えている最中に漏れ出た呪詛が今になってぶり返してきた。
相手を思わず、幸福な未来を吐き出す自分自身だと、一瞬でも錯覚してしまった。
「セイアちゃん……その、話は……」
到底、誤魔化せそうも無い。
きっと彼女の脳内では様々な陰謀が錯綜し、陰湿なトリニティの体質を更に嫌悪しているのだろう。
……それにそれは、間違いではない。
夢で見てきた中に、心に欲望を抱えている者たちは確かに居たのだから。
「――ハナコ、早速で悪いがナギサのしていた仕事の概要を教えて貰えないだろうか?」
「えっ……」
だから、笑った。
これ以上彼女をトリニティの政争に巻き込まない為にも、今、明確な線引きをした。
賢い彼女のことだ。分かっている筈だ、これが分水嶺だということは。
この先を知ること、その意味が。
「……わかり、ました」
「うん、ありがとう」
――やっぱり、彼女は賢しかった。
トリニティに突如現れた火中の栗、どころか導火線ギリギリのダイナマイト。
そんな物に近づけば、どうなるか。分からない訳では無かった。
失いたく無い者が出来た。
大切にしたい繋がりが生まれた。
傷つきたくない関係が生じた。
だから、彼女は私の提案を頷くしか無かった。
仮に昔のハナコで有ったのならば、自暴自棄に陥りかけていた彼女だったのならば。
多分ここで、喰らい付いてきた。
別に友情を疑う訳では無い。
ただ私との関係改善を諦める程度には、守りたいものがあった。
ただ、それだけの話なのだ。
(――だが、寂しいものだな)
自分から突き放して置いて何をと思う。
己が失態を棚に上げて何をと思う。
ハナコとの関係よりもナギサの死に引きずられている癖に何をと、思う。
ハナコの簡潔な説明によって、数冊に及ぶマニュアルはほんの数枚の紙切れにまで圧縮された。
けれども長居することも無く、彼女はさっさと部屋を後にしたのだった。
用意した紅茶はまだ暖かく、底には溶け切らない角砂糖が融解しながら漂っていた。
消えない甘さを、傍らのティースプーンで掻き混ぜ、掻き混ぜ、掻き混ぜた。
見えていた角砂糖は消え去り、僅かに濁った琥珀色だけが私の瞳を温めた。
「――うん、不味いな」
一口飲んで、そう思った。
ナギサの味に、慣れ過ぎてしまったのだろう。
また、少ししょっぱく感じた。
♢ ♦ ♢ ♦ ♢
仕事の確認をした翌朝。
トリニティがやけに静かに感じた。
……否、別に登校する生徒たちが極端に減っただとか、別の学校に遊びに行って組織単位でトリニティを留守にしているだとか、そう言う事は起きていない。
ただ、ぽっかりと開いてしまった私の心が何時もの学園の姿を受け入れることが出来ていないだけなのだ。
「……全く、病人よりも先に奮起する場面じゃないのかい?」
溜息を吐き、独りごちる。
ティーパーティのテラスに広げられた書類は本日中に終わらせなければならない仕事だ。
ミカにも仕事がある事は伝えてはいるが、まだ部屋から出てこれないようだった。
とは言っても、ナギサが殆ど片付けてしまっている。
私一人でも問題なく終わらせられると言えば終わらせられるのだが……。
「……駄目だな。全く、他人事のように言うのは容易いが認めるのがこうも難しい物とはね……」
処理の終わった書類を纏め、脳裏にハナコの姿が描かれる。
彼女もこんな気持ちで私を手伝いに来ていたのだろう。
ナギサが倒れるまで仕事をしたように、私も同じように倒れるまで仕事をすることを心配して手助けに来てくれていた。
ああそうさ。私もミカが心配だ。
高々数年での関わり合いでベットから起き上がることすら考えたく無い程の傷を負った。
なら、もっと前から。幼馴染であったナギサを失ったミカの悲しみとやらは、どれ程のものだろうか?
突発的な衝動に駆られないと、誰が言えるのだろうか?
将又腑抜けに成ってしまい動けなくならない等と、誰が保証してくれるだろうか?
(――とはいえ、どうしたものか)
それぞれの分派の執務室へと書類を届けるため、トリニティに足音を響かせる。
BDで勉強する生徒も多い中、余り悪目立ちはしたくないがナギサが正式に休んでいることを広めるためにも必要なことだ。
「あ、セイア…………様」
「やあ、アズサ。そう畏まらなくてもいいよ。私と君の――いや、いいか。君はアリウスとトリニティとの懸け橋の一つに近い。それなのに此方がぞんざいな態度を取っていると受け取られてしまえば無用な謗りを受けかねないからね」
「……えっと、つまり」
「要するに、呼び捨てで構わないよ」
「分かった」
校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下で、アズサに声をかけられた。
些か表情が分かりにくいが、怒った様子は無かった。
……昨日の、ハナコの件では無さそうだった。
では何事かと、考えている内にアズサが唐突に頭を下げた。
……私の話、聞いていたのだろうか?
「頼む、セイア。ナギサの居場所を教えて欲しい」
「ほんとに唐突だね……用件なら伝えてあげられるが、居場所については駄目だ。休養にかこつけて何かしらの仕事の話をする横紙破りをする輩が現れる可能性があるからね。君がそうだとは思っていないけれど、何処に耳や目があるか分からないからね」
「……分かった、ナギサの負担に成るかもしれないなら諦める。でも、代わりに伝えて欲しいんだ」
「ナギサのおかげで、私の家族は許された。助けられた……――ありがとうって」
思わず、呼吸が止まった。
苦境と困難に苛まれ続けた彼女たちからの、真摯な感謝。
この言葉を誰に届けることも無く、ただただ虚空に溶かしてしまっていいのだろうか――そんな罪悪感から。
「――ああ、確かに伝えておくよ」
けれども、不自然なく笑えた。
きっと昨日の中に涙を溢していなければ、涙腺が決壊していたのは間違いないだろう。
だが、繕うことが出来た。
私の返答に僅かにはにかむ彼女に、また胸が痛む。
いっそ全てを曝け出せたのならばどれ程楽なのだろうか……。
そんな他愛ない思考でもしなければ、受け流すことすら難しかった。
「あっ、そうだ」
用件は終わったかと思いきや、持っていた鞄を漁り二つの物を取り出して渡してきた。
「これ、サオリからの贈り物だ。別に爆弾とか仕込まれてないから安心してほしい」
「いやそんなことは思いもしないが……これは木彫りの人形?」
狐と、鳥だろうか?
ベテランの作品、そう言うにはまだまだ粗削りな部分が多いだろう。
だが、丁寧に磨き上げられ創意工夫されたこの二作は、確かな温かみが存在していた。
「ミサキが私たちが会える訳無いから先に渡した方がいいって言ったんだ。残念だけどその通りだったみたい」
「別に君たちだから会える会えないが決まっている訳では無いと訂正して貰えるとありがたいが……結局今回会えないのだから間違いとは言えないだろうね……」
「分かってるから……あ、それならもう一つだけ」
「ナギサの体調が良くなったら、アツコが管理している花畑を見て欲しいんだ。そんなに立派な物じゃ無いけど……来てくれたら、嬉しいって」
表面上は穏やかで、けれども内心は焼け焦げそうな程にヒリついた会話は終わった。
フィリウス派の執務室に勝手に物を置くことも出来ず、ナギサの分の木彫りの人形もサンクトゥス派の執務室へと持ってきてしまった。
「どうしたものか……」
天を仰ぎ空を見上げようとしても天井が陽光を遮るばかりで、届かない空を映してはくれない。
言わば彼女たちは一端だ。
ナギサの帰りを待つ者たちの、その一端。
どれだけの時を重ねなければ、ナギサの記憶は薄れてくれるのだろう。
どれだけの時を重ねることを、待つ者たちの堪忍袋は持ってくれるのだろうか。
「……なあ、教えてくれよ」
机に並べられた鳥の人形を人差し指で突く。
くらくらと揺られるだけで、人形が答えるはず等なかった。
もし仮に、死亡を教えるのだとしても今はまだ無理だろう。
それを耐えられるほどの状態にティーパーティが成っていないし、各組織との連携も取れていない。
それにまだ、二日しか経っていない。
答えを出すのは早計と言えた。
時は心の傷を癒してくれるとは言うが、それは一体何時完治するのだろうか。
少なくとも、私たちが万全の状態になるまでトリニティは待ってくれないのは、確かだった。
安価で決まった人選なので特定のキャラに対して隔意等々は無いです。
……やっぱりミカさんとの語らいは有るべきだったなあとは思いますけど。