鳥の囀りのみがやけに響く、早朝。
ティーパーティのテラスで目が覚めた。
『……ナギサは何処に』
夢だとすぐに分かった。
流石の私も突っ立ったまま眠ることなど出来ないのだから。
そんなふざけた思考を置き去りに、フィリウス派の執務室へと足を運ぶ。
私の決意によって未来が変えられたのであれば、ナギサが居る痕跡が見当たるはずだ。
……トリニティを覆う静寂を無視したまま、縋る様に執務室へと駆け出して行った。
夢だから、特に息切れすることも無く問題なく執務室へと到着する。
どうか何かが見つかりますようにと、祈って。
『……なんだい、この部屋は』
部屋を開けると、まず目に入ったのはスライドした本棚だった。
裏には既に開け放たれた押戸式の扉があり、その先には日光すら届かない地下へと延びる階段が続いていた。
明らかに異質。
だが、ナギサが普段使いする部屋から伸びる新たな通路は、新たな可能性が現れたように感じた。
足元すら覚束ない闇の中に一歩進み出ることに少しばかりの躊躇が有ったが、それでも必要な事だと思って一歩一歩足を踏み入れていった。
「……ゃん、どうして」
『! この声は……』
壁に手を当て転ばないように進んでいると、道の奥からすすり泣く声が響いてきた。
ミカの声だった。
「ナギちゃん……なんで……なんで死んじゃったのかなあ……」
『……ミカ』
階段の奥底にあった部屋は、行き止まりだった。
四方が知識の書で埋め尽くされ、品の良いイスとテーブルが一組だけ置かれている簡素な部屋と言えた。
……そんな部屋の中央で、ミカは椅子にも座らずに膝を抱えて幼子のように泣きじゃくっていた。
ここの階段を下りるためであろう持ってきたキャンドルは傍らに置かれ、その半分を既に溶かし尽くしていた。
正直、今の彼女と寄り添えるほど私の性格は優しくないだろう。
何よりも取り返しのつかない世界に居る彼女と、まだ終ってはいない私では、そもそも精神的余裕にも天と地ほどの差が存在する。
『……ミカ」
「……セイアちゃん?」
だが、ここで彼女からの証言を見逃すわけにはいかなかった。
そんな使命感のみ駆られて、私は勢い任せに声をかけてしまった。
「ナギサの件は……残念だったね」
「ッ――」
「だが、こんな所で蹲っていることをナギサが望むと思っているのかい?」
「……てよ」
「私たちには……まだ、やるべき事が残っているんじゃないか?」
「セイアちゃんは黙ってなよ、何も救えないぼんくらなんだからさあ」
ミカはまだ膝に顔を埋めたまま、そんなことを言った。
……間違いではないだろう。この世界のナギサは、死んでしまったのだから。
「……あはは、言い返すこともできないんだったら無駄に煽るの、止めてくれない? ハッキリ言って鬱陶しいよ?」
「それは君がこんなにも辛気臭い場所で根を張っているのが原因だろう? 自身の怠惰を此方の責任にすり替えようとする事こそ止めて欲しいものだね」
「……あのさあ、そんなに私虐めて楽しいの? それとも何? ずっとナギちゃんに似たようなことしてたから代わりでも欲しいの?」
「そんな的外れな発言を聞きたいが為に声をかけた訳ではないのだが……それに、君と違ってナギサに似たようなことを言う機会は訪れなかったからね」
「……」
「……ミカ、せめて誰がナギサを攻撃したのかだけでも判別しなければ――」
「――うるっさいなあ!!! 黙っててよ!!!」
止めどなく溢れる涙を拭うことすらせずに、ミカは私の胸倉を掴んで叫んだ。
戸惑いながらミカを見上げると、彼女の瞳は何処も映すことは無く深淵を露わにしていた。
ミカの荒い吐息だけが顔にかかり、酷く追い詰めてしまったことを今更になって気が付いた。
「――分かってるよ」
「えっ……」
五分か、十分か。もしかすると一分も経っていないのかもしれない。
呼吸が落ち着いて行ったミカは、左手を震わせながらゆっくりと溢していった。
「セイアちゃんに言われなくても、こんなことしてる意味なんて無いって。ナギちゃんが求めてるわけ無いって、分かってる」
「でもさ、しょうがないでしょ……? 私はセイアちゃんみたいにすぐに前を向けない。他の皆みたいに、ナギちゃんの想いだけを背負って、前に進みだすなんて、出来ない」
「だって、だってさ――」
「私が、ナギちゃんを殺したような物でしょ……?」
そう言って笑う彼女の笑みは何処までも空虚で、私すら見ていなかった。
「っ――どうして、そう思うんだい?」
何をふざけたことを抜かすんだ。あの時から君は不器用ながらも変わろうと努力を続けていたじゃないか。
口を突いて出そうになった言葉を飲み込み、冷静にミカからの発言を引き出す。
今の彼女と真面に取り合うより、そんな発言に至った経緯の方が大切だ。
自身の絶叫によって、心が真っ黒に塗り潰されていく彼女を知覚しながらも、友の心を踏み躙る自覚をしながらも、私は先に進む他ないのだ。
「……ナギちゃんの遺書、見たでしょ?」
「――……あ、ああ」
頭が真っ白になり、間抜けにも開いた口が塞がらなくなりそうになった。
遺書? 自らの死の可能性を予見していて、私たちに何の相談もせずにそんな馬鹿げた物を書いていた事実に狼狽えた。
私たちはそんなにも頼りないのかと、所詮立場上での仲間でしかなかったのかと絶望しそうになったが――違った。
「なら……分かるでしょ? ナギちゃんが自殺するまで自分を攻め続けた、補習授業部の件。私がさ、私があんな浅はかなことしなかったらきっとナギちゃんは今も笑ってた……! 自殺なんて考えなくて、迷惑かける人たちに頭を抱えながらトリニティを守れてた!!」
自殺。
ミカは、そう言った。
じゃあ、なんだ。
私の必死の抵抗は無意味なものだったのかと、決死の判断は結論を変えるには至らないと。
命を賭してまでトリニティを護ったナギサの耳には、所詮その時寝ていただけの私の言葉など耳には入らないと。
いや待て、冷静になれ。
(落ち着け、大切なのはそんなことではないだろう。必要なことはナギサを止めるための情報……つまり、遺書の内容だ)
「――ミカ、すまないが君がナギサから受け取った遺書を見せてくれないかい? 私が受け取った物と書かれている内容に大きな齟齬がありそうなんだ」
悔しくて、情けなくて、溢れんばかりの負の感情に蓋をして、必死に前を向こうとした。
それが冷静になることなのだと思い込んで。
「……他の子だったら嫌だけど、セイアちゃんなら、いいよ。特別に見せてあげる」
「すまない、恩に着るよ」
ミカが大事そうに隠した、ナギサからの最後の手紙を取り出す。
震える手で渡される紙に手を伸ばした途端。
――景色が、一変した。
『……えっ?』
視界一杯に広がる、パンジーの花畑。
その中央に位置する場所に設営されたテーブルに座るミカ、ミネ、サクラコの三人。
「――ねえ、二人とも遅くな~い?」
用意したケーキを突きながら文句を吐き出すミカからは、先程のような悲壮感は見られない。
……まさか、これは。
「まあ、お二人で積もる話もあるのでしょう」
「……ですが、やはり遅すぎるような」
二人の反応からも、既にナギサが亡くなっているとは到底思えなかった。
嫌な確信と共に、何故こんなことが起きているのか理解が出来なかった。
⦅予知夢中での時間移動……だが、どうして。こんなこと、今まで起こったことは無いぞ……?⦆
だが、文字通り見方を変えればもっと的確にナギサを止めることが出来るかも知れない。
いざと成ればふん縛ってでも止めることが出来るようになる。
何処までも前を向く努力をしていた私だったが、何処までも無駄であるという事実を突き付けられるまで、そう遠くは無かった。
悪夢が、始まった。
皆のスマホが一斉に鳴り響き、ミカのスマホに先生からの着信が届く。
先生は、何故かナギサの危機を知っていた。
その事に疑問を持つ者はこの場に居ない私だけで、誰もが神妙に語る先生の言葉に耳を傾けていた。
対策を論じる三人を他所に、黙り込んだミカが深呼吸をして――地面を踏み鳴らした。
まるで地震でも起きたかのように揺れる周囲に、三人は黙らざるを得なかった。
「――ふーっ……パテル派を主導にしてティーパーティ主体でナギちゃんは探すよ。二人はこの親睦会の撤収作業を恙無く終わらせてほしい。わかった?」
「……分かりました」
「サクラコ様!? ナギサ様の危機だというのにそれは」
“いや、ミカの言う通りだ……親睦会場内にまだ居るのであれば君たちに話が入るだろうし、それに……”
「私の我儘だよ、先生。ナギちゃん、ずっとこの親睦会楽しみにしてたの。それをナギちゃん自身のせいで台無しなったら可哀想じゃんね☆ だから、お願い」
きっと、サクラコと先生はトリニティ内での衝突を危惧したのだろう。
それをミカが飲み込んで、なんとか自体は進展させた。
三十分もしない内に、パテル派の半数以上のメンバーが集結し森の中を探しに走った。
二次遭難を防ぐためにも二人組が徹底され、それぞれの情報を集約する仮の通信基地局が花畑に設営された。
パテルから話を通されたフィリウス、サンクトゥスの面々も集まり、大規模な捜索が開始されてから一時間ほどが経った頃だろうか。
【――こちらGペア! ナギサ様を発見致しました!!】
その時は来た。
「ッ!! 場所は!!」
【ここは……どこだろう。そちらから方向は分かりませんか?】
「Gペアの移動ルートは!?」
「ただいま算出しています」
「それでは近場の者たちはその場に――」
【――ちょっと! ねえ待って嘘でしょ!?】
僅かに弛緩した空気が流れた途端、絶叫が通信の先から轟いた。
誰もが言葉を忘れたように静まり返り、悲鳴の続きを待っていた。
【――な、ナギサ様を救出するために飛び込んだ相方も同じように湖に浮かんでる!! ど、どういうことなの!?】
「……待って、浮かんでるって何?」
だが、ミカの言葉も届かないのか、錯乱した叫びだけが帰ってくるだけだ。
拳を強く握りしめながら、先程命令したパテル派の方を睨む。
彼女はおずおずと、ナギサを発見したペアが通ったルートをメモ書きされた紙を差し出した。
直後、ミカは跳ね飛んでそのルートへと向かって行った。
木々を薙ぎ倒しながら。
『……』
……なるほど、そう言う事かと得心がいく。
ここでもたついたせいでナギサを助けることが出来なかったのかと。
もっと早く、動かなければならないのかと。
時刻は午後七時を回っており、当たりは既に日の光が消え去り夜の帳が下り始めていた。
ミカが切り開く道を悠々と追いかけ、ナギサの下へと向かう。
その間に頭の中にあった疑問は複数あった。
何処でナギサは自殺できるような場所を見つけたのだろうか。
そもそもどうしてこんな変則的な予知夢が発生しているのか。
過去の私は、何故止められなかったのか。
《恐らくあの地下へと続く扉……あそこに湖のことが書かれていたんだろうな……目的は幾らでも想像できる》
《予知夢に関して言えば、分からないことが多いが……あの遺書。遺書に触れようとして視界が飛んだことを考えると原因は明らかなんだが……理由が皆目見当もつかない》
《過去の私も、似たような光景を見れたはずだ。それなのに一体何故ミカは泣いている? 助けられていない? ――いや、そもそも》
未来が、分岐している?
体の芯が凍る考えが過った。
ナギサを助けられない場合、今見ているような景色が広がり、私はナギサを助けることが出来るようになる。
ナギサを助けられた場合、過去の私は無事なナギサを見て安堵してしまい、ナギサを助けることが出来なくなってしまう。
《有り得るのか……!? だが、これならば合点がいく。未来は変える事が出来ると知っているからこそ想定できる事態だ。未来の私から過去の私へと情報を流す真似は出来たものではないからな》
溜息を溢しながら、再びミカについて行く。
過去がどうなるのか、未来がどうなってしまうのか、今は考えなくていい。
ただ情報を持ち帰ることが、今の私に出来る最大の行いだった。
そうして、ついた。
地獄絵図に。
「……えっ?」
『これは一体……』
銃声と怒号が飛び交う中、幾人もの生徒が倒れていた。
「――結んだ服が溺れた人に引っ掛かったら銃弾で剥がれないように当てて!」
「……これ、結局弾の威力で動かしてるんじゃ」
「間違っても水に入るな! 腰まで浸かった奴ら全員土座衛門に成ってる!!」
「ゴッホゴホ……おえええっ……」
「クソッ救援はまだか!!」
誰もが引きたく無い引き金を引いていた。
上半身下着姿のまま現場の指揮をする彼女も、跳ねる水滴に怯えていた。
次々と掬い上げられる生徒たちは、意識の無い者は酷く弱り切ったまま、意識の有る者は嘔吐に苦しみながら湖の周りに転がされていた。
これほどまでに即効性のある毒の湖なのだろうか?
飲むどころか触れるだけでここまでの被害を生み出すとは、相当なものだ。
「――ナギちゃん」
私は周囲に目を奪われていたが、ミカはすぐに救助されたナギサを見つけていた。
声のした方に目を向けると、寝苦しそうな表情のまま目を開けないナギサをミカが見下ろしていた。
「……残念ですが、ミカ様」
「……嘘、うそだよね」
『……ミカ』
ミカの慟哭が始まるのは、そう遅くはなかった。
計り知れない喪失感に溺れる彼女から、思わず目を逸らし、湖に目を向けると
――視界一面に、パンジー畑が広がっていた。
『…………はっ?』
「――ねえ、二人とも遅くな~い?」
やけに気の抜けた、ミカの声。
いや、まだミカの慟哭も頭の中を揺らしている。
すぐさま視線を元に戻したが。
そこには、誰も、何もなかった。
悪夢は、まだ始まったばかりだった。
繰り返される三人の会話。
同じタイミングで鳴るスマートフォンたち。
ただ、既に差異は現れていた。
「ここは、私たちシスターフッドにお任せください。ナギサさんにはアリウスと言う恩義の繋がりが存在します。それに、この会場内でアリウス生徒が行方不明になったから捜索として散っていると、容易にカバーストーリーも立てられます」
“それだと、シスターフッドの立場は……”
「安心してください。私たちの黒い噂は、これだけではありませんから」
「……っミカ様!」
「――ふーっ、分かった。私たちは先に会場の撤収を優先させる。先んじて捜索に入って貰うね」
ミカの鶴の一声で、その場の決定は下った。
何か言いたげなミネ団長も黙って会場へと戻り、ミカも同様に会場へと駆けて行った。
……だが、結果は変わらなかった。
「――ナギサ様、嘘ですよね?」
『……悪趣味な夢だ』
恨むように、ナギサを囲むそのグループを睨んでしまう。
嘗てアリウス生徒だった白洲アズサを通じ、補習授業部の面々にも情報が渡ってしまい捜索に参加。
結果、御覧の有様と言うわけだ。
当惑するコハルに、苦し気な表情のアズサ。頭を抱えたまま蹲るヒフミに、少しばかり表情の悪いハナコ。
三者三葉の悲しみがありありと伝わり、思わず俯いてしまう。
――足元には、場違いに綺麗なパンジーが咲き乱れていた。
『――ッ!!』
「――ねえ、二人とも遅くな~い?」
間抜けな声。ミカだ。
また、また戻ってきた。
目覚めるわけでもなく、未来が見れなくなるわけでもなく、再び同じ地点に視点が戻る。
同じ言葉を交わし、同じ事象が起こり、同じ展開は――迎えない。
「――先ほどのナギサ様の状態、決して見過ごせるはずがありません!! これは我々、救護騎士団の使命です! ミカ様!」
「ですから、横暴を押し通すのは――」
「いや、いいよ。サクラコ」
「会場の撤去は私たちで行う、救護騎士団には架空の地域の救援要請を出したことにする。後々面倒かも知れないけど会場を恙無く終えるために人員が必要なのも事実だからね……」
どこかに振るい挙げてしまいそうな拳をゆっくりと解き、冷静にそんな判断を下すミカ。
心配そうにミネを見つめるサクラコが、やけに印象に残った。
……だが、結果は変わらなかった。
「――周辺探索をお願いします! これが人口の毒で無いのであれば元となる物があるはずです!」
『やはり、ダメなのか……』
ミネの号令の下、救護騎士団員が調査をしたところ、滝壺の裏に洞窟が繋がっているのが確認され、その奥に鬱蒼と生い茂るトリカブトのバイオームが形成されていた。
そこから不自然に湧き出ている地下水が湖へと流れ出ているようだった。
たかが花が咲いているだけで悲鳴が水音を超えて外にまで漏れ出ている辺り、相当量のトリカブトがあるのだろう。
しかし、それが分かった所で何だと言うんだ。
横たわるナギサに視線を戻し
――再び花畑へと、姿を変えた。
『…………勘弁してくれないか』
「――ねえ、二人とも遅くな~い?」
思わず、泣き言が漏れ出る。
一体、これ以上私に何を見せつけるというんだ。
何時ものやり取りだと聞き流していると、風圧と共に何かが目の前を横切った。
慌てて飛んだものの方向に目を向けると、ミネが頬を抑えながら此方――背後に居るミカを睨んでいた。
「ねえ、ナギちゃんのピンチに内輪揉めとかバカみたいなことしないでくれる? 良いから全員で森の捜索に入るよ」
“ミカ! 今のは――”
「黙ってて。ちょっと冷静になれそうにないからさ、黙ってて」
「今のは私が問題でしたね……ミネさん迅速な判断を申し訳ございません」
「……気にしないでください。まずは、救護者の発見が大切ですから」
殴られたというのに、ミネはミカを心配そうに見つめていた。
対するミカはそんな視線にも気づけていないようだったが。
――そして煉獄が幕を開けた。
「あんた達アリウスがナギサ様を殺したんでしょう!?」
「私たちがっ! 助けてくれたナギサ様を殺すはずがない!! 影で暴力を振るってるお前らがやったんだろ!!」
「くそっ! やめろこんな所で暴れるんじゃない!!」
「要救助者が……! でもこんな場所じゃ治療も……」
「皆さん落ち着いてください! こんな所で争う必要なんて――」
「そういうアンタたちはどうしてナギサ様を守れていないのよ!!」
「誰か撃ち合いを止めてください! さっきからこの子の体調がおかしくて……」
「出来たら……そうしてますよ……組織単位での暴走……同じ規模の組織で無いと、アレを止めるのは……」
『……どうして、どうしてこうなるんだ』
ナギサの死体を見つけたトリニティ生徒たちは、誰かしらの陰謀だと騒ぎ立て、気が付けば銃を向け合い互いに互いを憎み合っていた。
ツルギもミネもミカも、ナギサの遺体を搬送するためにこの場を離れ。
ハスミやサクラコが必死に場の混乱を収めようとしているが、戦線が拡大し続ける速度の方が上で。
決して消えることの無い、大きな禍根を将来に残すだろうと言う嫌な確信だけは有った。
『……っ!!』
もう、いやだ。
もう嫌なんだ。見ていたくもない。
必死に覆った視界に、響き渡る怒号と銃声だけを耳にしながら、凄惨な結末だけが待つ未来に、私は再び目を閉じた。
どれくらい経った頃か、もう音すら聞こえない程の時間は経っただろうか。
恐る恐る、瞼を開き目に光が差し込む。
――そこには、パンジー畑が広がっていた。
『ッ!!』
走った。
もう十分すぎるほど地獄は体験したのだ。
ならば、せめてナギサがどのタイミングで湖に入ったのかだけ確認しなければならかった。
『はっ! はっ! はっ!』
普段なら軽い筈の体が重い。
酷く重苦しい泥の中を駆けずり回るような息苦しさを感じる。
幾重もの予知夢で見た湖は容易く見つかり、思い知った。
『はーっ! はーっ! はーっ!』
血の気が引くのを感じる。
頭がやけに重い。
呼吸が、整えられない。
それは何度も見た姿だった。
それは何度も見た光景だった。
それが動くことは、ただの一度も無かった。
『……そんな』
ナギサが、死んでいた。
既に、ナギサは死んでいたのだ。
グルグルと回る思考に頭が追いつかず、やがて私の意識は遠のいて行った。
――気が付くと、パンジー畑の前で目覚めているのだが。
悪夢はまだ、終わらなかった。
♢ ♦ ♢ ♦ ♢
目が覚める。
見慣れた、しかしどうして久方ぶりに見るような気がする自室の天井だった。
力無く枕元にあるスマホに手を伸ばし、今日の時刻を確認する。
「……ははっ」
渇いた笑いが漏れ出た。
今日は親睦会当日、時刻は既に午後四時を回っていた。
体が動く気がしなかった。
頭が思考を止めていた。
既に全てが、手遅れだった。
「……」
だが、それでも。
私の意地が、必死にミネへの番号をコールした。
最悪の道を避けるために。
今目指せる最善の道を通るために。
私はただ、電話した。
「――その必要は無いよ。先生」