行った事などないが、息絶え動けなくなりそうな程見ていた会場に集まった三人と無事、連絡はついた。
通話をしている最中に、アリウスから押収されたワイヤーガンを同輩に取って来てもらい、随分前に出発する予定だった車に乗り込み、法定速度を少しばかり超えた速度で会場へとたどり着いた。
整備されていない道を駆け抜け、ミネたちとの合流を図る途中に同じくミカを追っていた先生と合流することに成功した。
相変わらず酷い顔色をしていると、どこか他人事ながら思った。
“セイア……大丈夫なのかい? 酷く窶れているように見えるけど……”
「それは、此方のセリフだよ……先生。まるで今にも倒れそうな顔色をしている」
指摘された先生は気づいていなかったのか、険しい顔を逸らして前だけを向いた。
……思えば、先生もナギサの危機には気づいていたみたいだし、本来野山を駆け回る事とは正反対の筈の私がこうして現場へと出ていること自体、彼にとっては嫌な予感を加速させる一助なのだろうな。
二人揃って、盛大に顔を洗って来た方が良い顔色なのだしな。
そんな阿呆な思考が頭を過って、言っておかねばならない事実を思い出した。
それは、自身の過ちを認めることで。
悲劇の運命を確定させる呟きなのだが。
「……先生、一つだけ、忠告させてくれ」
“……どうしたの”
「恐らく、ナギサは…………ぅっ……湖に、浮いているんだ」
“……”
「きっと、君にとって認めがたい方法で私はナギサを救出する……だが、これだけは忘れないでくれ」
「湖には、絶対に入らないでくれ……」
“……分かったよ”
そんな会話が終わった途端、木々の圧し折れる轟音が響き渡り視界の先にそれを成すミカ、心配そうに見つめる二人が居た。
――彼女の視線は、湖に浮かぶ白い羽に一瞬にして吸われてしまったのだけれど。
「――ナギちゃん」
“待つんだミカ!”
慌てて駆け出し、手を伸ばす先生だが一も二も早くミカは湖へと飛び込んだ。
弾ける水面から飛び散る水飛沫、先生は顔に当たらないように腕で庇ったおかげが、無事のようだった。
それより、問題は彼女たち――いや、ミカもか。
「セイア様! ここまでどうやって……いえ、それよりもお体の方は」
「心配無用だよ……一先ず、君たちも湖に入ったり、飲んだりはしないでくれよ? 色々と、不味い水なんだ、これは」
「し、しかしミカさんが既に……」
「無理だろうね……だからこれを持ってきた」
ミカが水面を掻き分けて進んでいたが、一定の深さのところまで行ったのか、全身が湖へと隠れてしまい、伸ばされた手だけが水面から上へと伸びていた。
多分、溺れている。
だが、私の心は酷く穏やかだった。
どうせ死にやしないと、高を括っているから?
違う、彼女が溺れ死んだ夢は見なかったのだ。
数えるほども馬鹿らしい、夢の中で。
慣れた手つきでギミックの確認をして、ナギサに向かって冷静に引き金を引く。
銃口から飛び出した黒色のロープはナギサに向かって一直線に飛び、彼女の白い服を紅く染めていった。
「っセイア様!!」
我慢ならないと此方に怒声を浴びせるミネを、思わず白んだ目で見てしまう。
「ミネ、確かに既に落ち着いている人間を痛めつけるのは君のポリシーから見ても認め難い物だろう」
「だがな、これが一番犠牲が少ないんだ」
「分かってくれとは言わないよ。でも、黙っててくれないか? 嫌悪感でどうにかなってしまいそうだ」
よっぽど。
よっぽど酷い目をしていたのか、ミネは何も言い返すことなく引き下がった。
溜息を一つ溢しながら、グリップを捻る。
するとギミックが作動し、射出されたワイヤーが巻き取り始め水面に浮かぶナギサとそれに偶然引っ掛かったミカが徐々に此方へと近づいて来る。
まず、ミネが気づいた。
戦慄した表情を見せ、陸についたナギサの体温、心音、呼吸音を確認し――冷や汗を一つ流してすぐさま心臓マッサージへと移行した。
次に、サクラコが気づいた。
まるで物のようにミネに運ばれるナギサのその姿に生気がまるで感じられず、訪れた最悪を神に祈り始めていた。
先生は……多分、とっくに覚悟していた。
歯噛みしたまま天を仰ぎ、握られた拳からはどうしようもない諦念を感じざるを得なかった。
そうして――ミカが目を覚ました。
正直、驚いた。ここまでの道を切り開くためにかなりダメージを負ったはずだし、湖の水もそこそこ飲んでしまった筈だ。
まさかこの場で目覚めてしまうとは……。
友の涙声を聞きながら、私は空を見上げることしかできなかった。
何もできなかった無能が、恥知らずにも彼女に縋りつくことを、私自身が許せそうになかったから。
何よりも、涙一つも零れない自分が嫌だった。
夕焼けが、夜に飲み込まれて行く。
たった一つの光が途方もない闇によって奪われて行く。
きっとトリニティは、新たな光を求めるのだろう。
私が、成れるのだろうか。ナギサの代わりなど。
(……そうだとしても、やるしかないだろう)
だが、何時まで経っても、私の拳が握られることは無かった。
所詮、私も炎に縋った一人でしかないことに、まだ気が付かなかった。
ナギサの死は、隠蔽されることと成った。
セーフハウスの一つで療養しているというカバーストーリーを流し、暫く姿を隠すことを決めた。
ナギサの遺体は、シスターフッドの秘密の霊安室で保管されることと成った。
その際、数人のシスターフッドの生徒にバレてしまったが、サクラコ曰く問題の無い人物だそうだ。
親睦会も終わった。
ナギサの輸送も終わった。
だが、まだやるべきことが一つ残っていた。
♢ ♦ ♢ ♦ ♢
「……」
深夜。
ナギサの遺体を見つけたメンバーがフィリウス派の執務室へと集まっていた。
輸送を手伝ってくれたシスターフッドの生徒たちは扉の前で人払いの為に立って貰って。
ナギサの銃、ロイヤルブレンドのマガジンに入っていた古めかしい鍵。
心当たりは、ここしかなかった。
「では、開けるよ」
ミカとミネに本棚は動かしてもらい夢で見た押戸式の扉の前に立つ。
扉の左側には少し膨らんだ鍵穴があり、試しに鍵の持ち手を差しこんでみると、重々しい音が鳴り響き甲高い悲鳴を上げながら扉は開いて行った。
案の定、地下へと続く階段があり、一歩先すらも見通せない暗闇に支配されているのもまた同じだった。
各々が用意した光源で先を照らす。
ミカと先生は端末のライトで、ミネはランタン、サクラコはキャンドルだ。
ミネを先頭に――続いて私が――階段を下りていく。
複数の足音が響き渡りながら降りていくそれは、秘密の会合のようで。
誰にもバレてはいけないという点は共通しているが、会話の内容は愉快な物では無くただそれぞれの緊張感を高めているに過ぎないのだが。
思考を明後日の方向に逃がしていると、ついてしまった。
最下層である、書物の部屋に。
そうして見つけた、否。この部屋に足を踏み入れた途端に目が入る様に鎮座された巨大な金庫。
ダイアルも無く、鍵穴のみのこれの中にナギサが最後に見せたかったものが
……たぶんきっと、遺書が入っていると思う。
明らかに部屋から浮いた金庫に目を奪われ足を止める中、私だけが不用心に金庫に手を伸ばした。
少しばかり影になって、差し込みにくい鍵穴だった。
だが、中で動かすとすぐに鍵が合致し、あっさりと扉は開かれた。
「……これは」
「箱、でしょうか?」
「……」
焼き印の施された桐の箱が六つ、金庫の中に収められていた。
二つに重ねられたものが三つ。試しに真ん中の箱を手に取ってみると、そこにはシャーレの焼き印がされていた。
「……先生」
“……分かった”
一番に確認するには最もお誂え向きだろう。
皆の視線が先生の手元に集中する中、淀みない動作で箱の蓋は開けられた。
……私としては、案の定と言うものが鎮座していた。
“これは、手紙?”
「――っ」
「ミカ」
ただ【拝啓、先生へ】とだけ書かれた紙を見て、ミカも察してしまったらしい。
握っていたスマホすらも取り落とし、先生の持つ箱に思わず手が伸びていたミカを遮る様に、パテル派の焼き印がされた桐の箱をミカに手渡す。
どこかハッとしたような顔になり、私と視線が合って漸く、手渡された物に気が付いた。
「……ありがと」
震える手で何とか受け取った後、俯いて、絞り出すように呟いてからミカは闇に塗れた階段を駆け上って行った。
……落としてしまったスマホすらも忘れて。
“ミカ……”
「私が後で届けに行こう。……先生には、酷なことを押し付けることになりそうだからね」
「セイア様……この箱の中身が何なのか、ご存じなのですか?」
嫌な予感を感じていると、話について来れていないミネが不安そうに尋ねてきた。
……まあそうか。彼女はナギサの救護に手を尽くしていたから、揃えられた靴も見ていないのだろう。
ミカが衝動的に走り出したことで、良い物では無いことは察しているようだが。
サクラコは分かっているようで、沈痛な面持ちで此方の言葉を待っていた。
……私が言わなくては駄目なのだろうか?
いや、分かっている。ナギサの死を認めたくない幼い我儘を通せる時では無いのは。
成ると決めたのだろう。トリニティを照らす光に。
ならば、この程度のことは――。
「……これは、ナギサの遺書だと思う……各組織分、あるだろう?」
「なっ――!?」
事故では無かったのかと、自ら命を絶ったのかと驚愕の表情を浮かべるミネを他所に、私は金庫の中の箱の焼き印を確認してみる。
残る四つはサンクトゥス、救護騎士団、シスターフッド――そして、フィリウス。
「……」
フィリウスの箱は、ティーパーティであるパテル・サンクトゥスから二組織を挟んだ救護騎士団の上に置かれていた。
これを意図する意味は……。
私はフィリウスの焼き印が押された箱を、先生に渡した。
“これはナギサの派閥の物じゃ……”
「そうであるなら、きっと彼女ならシャーレの下……真ん中の下段にこれを置いているだろう。でも違う。これは、ティーパーティから離れた者へと宛てた手紙なんだよ」
“それは……”
考えすぎならば、それでもいい。
万一見られても、先生ならばトリニティに更なる混乱を齎すことは無いだろうと断言できる。
だが、考えすぎでないのであれば……。
「先生……貴方の判断で、これをヒフミに見せるか決めてくれないか?」
“……分かった、でも君たちの歩調に合わせられるかは分からないよ?”
「当然だ……無論、他の者に吹聴しないよう釘を刺してもらうよ。流石に、ティーパーティが瓦解する」
“考えたくも無いね……”
しっかりと受け渡し、残った箱もサクラコとミネに押し付ける。
……ミネのショックは未だ残っているのか、呆然としたまま受け取ったのが気がかりだが。
「――そろそろ時間だろう。出ようか」
フィリウス派の執務室への不法侵入。
仮にもティーパーティである私や、シャーレの先生であればまだ幾らでも誤魔化しが効くがこの二人は不味い。
取る物を取り、後ろ髪はやや引かれるものの、出ない訳にはいかなかった。
ミネと先生で本棚を元の位置へ戻し、可能な限り痕跡を消して部屋を出る。
部屋の前で待っていたシスターたちは、ここから走り去るミカを見た筈なのに、何も聞いては来なかった。
そうして、各々が日常へ戻る為に、この場は解散となった。
何処までも静かな会合は、今後のトリニティを予言しているように思えた。
♢ ♦ ♢ ♦ ♢
「……」
自室に戻り、持って帰ってきた桐の箱を衣装箪笥の隅に隠すように置く。
とはいえ、手を伸ばせば容易に届くし、隠すと言っても扉を開ければ隙間から見える程度の隠蔽具合だ。
到底、隠しているとは言えないだろう。
「……全く、自分が情けないよ」
怖かった。
開けるのが、開くのが、認めるのが。
もうどうしようもない事は知っている筈なのに、自分自身が我儘に認めることだけを認めやしなかった。
倒れるように、蹲る様に、何処までも逃げるように。
ベットに横になって、箪笥越しに箱を見る。
ここからでは、箱があるか分からない。
中にあるかもしれないし、無いかもしれない。
確かに入れた記憶はあるが――そんな言葉遊びに逃げた。
(楽園だと信じるのであれば、楽園……か……)
ならば今は、何処までも出来の悪い悪夢の続きなのだろう。
きっと、そうであってほしい。
そんな夢想を続けて、私の意識は夢へと落ちた。
――鳥籠の中の鳥は眠る。
主人の愚かな行いを見ないように、肯定するように。
決して辿り着けない楽園を夢見て、足元から迫る危機から目を背けて。
それはまるで≪焼き直し≫のようで。
再び、罪を重ねる。