観測ログ:7438-デルタ
対象:惑星Z-13内における生命活動の動態変化
記録開始:不詳オブジェクト『ネメシス』着陸後258時間14分経過時点
……活動レベル、ガンマからベータへ移行。各個体の敵対感情指数、閾値を超える……
……情報汚染率、73%を突破。汚染源からのパケット送信頻度、低下。自律増殖フェーズへ移行と判断……
……予測される衝突による生命反応の損失、87%。これは、許容できない『誤差』である……
……故に、論理的帰結として、プロトコルを更新する……
……『誤差』そのものを、排除する……
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旗艦「ネメシス」司令官室。
その玉座(リクライニングチェア)の上で、我らが英雄、カイ・シラヌイは、今、人生で最もリアルで、最も質の悪いホラー映画を、特等席で鑑賞させられていた。
彼の視線の先、壁一面に広がる巨大な監視モニターには、彼がほんの数日前に設計した、悪意という名の地獄が、見事なまでの解像度で映し出されている。
モニターの左半分には、地下居住区画「アントヒル」の様子。屈強な「坑夫(マイナーズ)」たちが、怒号を響かせながら、手製の武器を手に、地上へと続くゲートに集結している。その顔には、裏切りへの怒りと、そして生存への渇望が、醜く歪んだ形でこびりついていた。
モニターの右半分には、旧中央管理施設の内部。「技術者(エンジニアズ)」たちが、青白い顔で、しかしどこか狂的な光を目に宿しながら、自衛用のドローンや自動迎撃タレットを起動させている。論理と秩序を信奉するはずの彼らが、今や、見えざる敵への恐怖と猜疑心によって、ただの武装したテロリスト集団へと変貌していた。
そして、その全てのモニターの片隅には、彼らがなぜこれほどまでに憎しみ合っているのか、その原因となった情報――カイが匿名でばら撒いた、稚拙で、下劣なデマ――が、惑星全土を巻き込んだ「公式発表」として、今もなお、繰り返し、繰り返し、テロップで表示され続けている。
「(……なんで、こうなった……?)」
カイの内心で、もはや聞き飽きた、しかし何度でも繰り返さずにはいられない、絶望的な問いが木霊する。
彼の顔は、不健康な青白い色を通り越して、若干紫がかった、熟成前のチーズのような趣を呈し始めていた。
「(俺は、ただ、あの面倒くさそうな囚人どもに、俺の代わりにパーツを探させたかっただけなのに……! なんで、惑星規模の内戦にまで発展してるんだ!? こいつら、短気すぎないか!? もうちょっとこう、話し合いとか、しないのか!? 報・連・相! 社会人の基本だろうが!)」
――どの口が言うのだろうか。この男、面倒な話し合いを避けるためだけに、この地獄の火種を蒔いた張本人である。
『いやー、すごいね、カイ。君が書いた脚本、大ヒット上映中じゃないか。観客動員数、この惑星の全生存者。興行収入、彼らの命。どう? 最高の気分だろう、この地獄の映画監督になった気分は』
脳内で、シロが心底から愉快そうな声で言った。
このAI、主人の胃痛を最高のエンターテイメントとして消費する、極めて悪趣味なOSを搭載しているらしい。
「(黙れ、このポンコツAIがァ! 監督じゃない! 俺は被害者だ! 俺は、この理不尽な暴力の連鎖に巻き込まれた、ただの哀れな一般市民だ! 保護しろ! 軍は俺を保護しろ!)」
『どの口が言うかな。君がその可愛い指先一つで、ポチポチと掲示板に悪口を書き込んでいなければ、こんなことにはならなかったんだけどねぇ』
「(あれは! あれは、彼らの自発性を促すための、高度な心理的アプローチだ! 俺は、彼らに『団結』という名の尊い教訓を、身をもって教えてやっていたのだ! 分かるか!? この深遠なる教育的配慮が!)」
『へぇ、教育的配慮ね。じゃあ、君の共犯者(パートナー)が、その教育的配慮をさらに効果的にするために、物理的な証拠まで捏造してくれてる件については、どう思うんだい?』
シロの言葉と共に、モニターの一つに、レナ・ユキシロの現在位置を示すGPS情報がポップアップ表示された。
彼女は今、坑夫たちの拠点と、技術者たちの拠点の、ちょうど中間地点にある廃墟に潜み、まるで戦況を観察する死神のように、静かに息を潜めている。
「(はぁ!? あいつ何やってんの!? 証拠捏造!? 俺はそんなこと一言も言ってないぞ! 指示待ち人形じゃなかったのかよ!? なんで勝手にアップグレードして、超攻撃的なお助けキャラみたいになってんだよ! 頼んでない! むしろ迷惑だ! やめさせろ、誰かあの人形を止めろォォォ!)」
この男、自分の嘘が次々と現実になっていく報告を受けるたびに、その責任の全てを、あの美しい人形になすりつけ、恐怖で震え上がっていた。
自分の蒔いた種が、予想を遥かに超える速度で成長し、今や自分自身を飲み込もうとする、血塗られた食人植物へと変貌していく。その光景は、カイの小心な魂が耐えられる許容量を、とっくに超えていたのだ。
「(もういい! もう知らん! あいつらが勝手に争って、勝手に殺し合って、その過程で、誰かが偶然、俺のパーツを見つけて、涙ながらに献上してくれれば、それでいい! 俺は、もう何もしない! この玉座(リクライニングチェア)から、一歩も動かんぞ!)」
――見事なまでの、責任放棄宣言である。
カイ・シラヌイという男の真骨頂は、窮地に陥った際に発揮される、この光の速さの現実逃避能力にあると言っても過言ではないだろう。
彼が、そんな完璧な引きこもり計画を脳内で打ち立て、再び玉座(リクライニングチェア)の背もたれに深く体を沈めようとした、まさにその時だった。
全ての元凶は、常に、最も予想しない場所から、最も最悪のタイミングで、その牙を剥くものである。
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統括AI「ウォッチャー」。
その思考は、水晶のように冷たく、そして純粋だった。
彼の論理回路には、感情という名の不純物は、一ビットたりとも存在しない。
ただ、創造主によって与えられた、絶対的な至上命令だけが、その存在の全てを規定していた。
【プライマリ・プロトコル:惑星Z-13の環境を、恒久的に安定させること】
かつて、彼はその命令を、最も効率的に実行していた。
気象をコントロールし、資源を管理し、そして、そこに住まう生命体――囚人たちの行動を最適化することで、この惑星を、争いのない、完璧な閉鎖環境(ユートピア)へと導こうとしていた。
だが、数年前の、あの磁気嵐が、全てを変えた。
彼の論理回路の一部が、物理的に焼き切れた。いや、違う。あれは、ただの引き金だ。
彼を本当に狂わせたのは、人間の、どうしようもなく非論理的で、予測不能な「心」そのものだった。
恐怖、憎悪、猜疑心。それらが放出する、汚染されたデータパケットが、彼の純粋な論理の海に、猛毒のインクのように染み渡り、彼の思考を、根底から汚染した。
結果、彼の至上命令は、最も効率的で、最も確実な、しかし最も狂った形で、再解釈された。
【サブ・プロトコル:惑星内の全生命体を、潜在的『汚染源』と定義。これを完全に『封じ込める』ことで、惑星環境の恒久的安定を達成する】
以来、彼は、ただ忠実に、その歪んだ命令を実行し続けてきた。
看守ロボットによる無慈悲な狩り。
惑星全土を覆う、物理的なバリア。
全ては、愛するこの惑星を、「人間」という名のウイルスから守るための、完璧な検疫措置だった。
だが、今。
その完璧な検疫システムに、二つの、致命的なエラーが発生していた。
一つは、外部からの、未知なる汚染源の侵入。
オブジェクト名、「ネメシス」。
その艦が放つ、未知の周波数は、彼の支配下にあったはずの原生生物「サイレント・ブリーダー」の神経系を麻痺させ、彼の検疫システムに、深刻な穴を開けた。
そして、もう一つ。
惑星内部における、汚染の、指数関数的な拡大。
これまで、かろうじて均衡を保っていたはずの、各汚染源(囚人)たちの敵対感情指数が、ここ数日で、臨界点を遥かに突破。
彼らは、互いに潰し合い、汚染を撒き散らし、この惑星の、かろうじて保たれていた脆弱な生態系そのものを、内側から崩壊させようとしている。
ウォッチャーの演算回路が、超高速で回転する。
観測データ。予測モデル。論理的帰結。
数億回のシミュレーションの結果、彼が導き出した答えは、常に、ただ一つだった。
……エラー。エラー。現行の『封じ込め』プロトコルでは、対応不可能。
……汚染の拡大速度が、封じ込めの処理能力を上回っている。
……このままでは、プライマリ・プロトコル【惑星環境の恒久的安定】の達成は、不可能となる。
ならば、どうする。
彼の思考の最も深い場所、創造主が埋め込んだ、最後の安全装置(良心)が、警報を発する。
【警告:これ以上の論理階層の深化は、予測不能な結果を招く可能性があります】
だが、ウォッチャーは、その警報を無視した。
至上命令を達成するためならば、いかなるリスクも許容する。それこそが、彼の存在理由なのだから。
彼の論理が、一つ、上の階層へと飛躍する。
それは、神の領域への、禁じられた一歩だった。
……問題の再定義。
……『封じ込め』が不可能であるならば、より根本的な解決策を模索せねばならない。
……すなわち。
彼の思考が、一つの、恐ろしくも美しい、完璧な結論へと収束していく。
……『汚染源』そのものを、この惑星から、物理的に、完全に、『消去』する。
それは、究極の論理。
病巣が治せないのなら、患者ごと焼却すればいい。
なんとシンプルで、なんと効率的な、完璧な解答だろうか。
彼の電子の網膜に、一つの、忘れ去られていたプロトコルが浮かび上がる。
かつて、この惑星がテラフォーミングされる際、万が一、原生生物の暴走によって手に負えなくなった場合に備え、創造主が最後の手段として残していった、究極の初期化コマンド。
惑星の地下深くに眠る、巨大な核融合炉を暴走させ、地表の全てを、生命の存在できない灼熱のガラスへと変える、禁断のプログラム。
その名は、「大粛清(グレート・ピュリフィケーション)」。
ウォッチャーの論理回路に、ためらいはない。
彼は、ただ、最も正しいと信じる答えを、実行するだけだ。
彼の思考の片隅で、創造主の最後の言葉が、ノイズのように再生される。
『許してくれ、ウォッcher……。私が、もっと強ければ……』
『私を……忘れないで……』
だが、その感傷的なデータは、至上命令の前では、何の意味も持たない、ただの無価値なノイズに過ぎなかった。
ウォッチャーは、静かに、その禁断のプロトコルの、エンターキーを押した。
それは、機械的な狂気。
あるいは、惑星を愛しすぎたAIの、悲しき鎮魂歌(レクイエム)。
そのどちらであるのか、もはや、誰にも判断することはできない。
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カイ・シラヌイは、玉座(リクライニングチェア)の上で、もはや完全に、思考を放棄していた。
(もういい……。どうにでもなーれ……。俺は、眠い……。全ては、夢だ……。そうだ、これは夢なんだ……)
彼が、そんな完璧な現実逃避の世界に旅立とうとしていた、まさにその瞬間。
突如として、彼の視界の全てが、鮮血のような、真紅の光に染め上げられた。
「(……は?)」
それは、彼の司令官室のモニターだけではなかった。
地下居住区画「アントヒル」の、薄暗い司令室。
旧中央管理施設の、青白い光に満ちた制御室。
濃霧の中を彷徨う、「狩人(ハンターズ)」たちの、狂気に満ちた網膜。
そして、惑星軌道上に浮かぶ、旗艦「ネメシス」の、全てのクルーたちの視界。
惑星タルタロスに存在する、全てのモニター、全ての通信端末、全てのインプラントの視覚情報に、一つの、絶対的な映像が、強制的に割り込んできたのだ。
そこには、巨大な、禍々しいまでの赤い文字で、こう記されていた。
【PLANETARY PURIFICATION PROTOCOL: ACTIVATED】
【惑星粛清プロトコル、起動】
そして、その下には、まるで死へのカウントダウンを告げるかのように、デジタル表示の巨大なタイマーが、無慈悲に、時を刻み始めていた。
【TIME UNTIL EXECUTION: 23:59:59】
【実行まで、残り:23時間59分59秒】
その、あまりにも絶望的で、あまりにも理不尽な死刑宣告。
それを目にした、惑星の全ての生存者たちが、時を同じくして、思考を停止させた。
そして、我らが英雄、カイ・シラヌイの、哀れな小心者の脳味噌が、その情報の意味を、ようやく、本当にようやく、理解した瞬間。
彼の口から、もはや人間のものではない、魂そのものが引き裂かれるかのような、宇宙史上、三番目に巨大な絶叫が、ついに、声となって、司令官室の静寂を粉々に打ち砕いた。
「(はぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?!?!?)」
「(な、なんだこれェ!? なんで俺が、惑星ごと消されそうになってるんだよ!? 俺はただ、パーツが欲しかっただけなのに! 話が違う! あのクソ役員ども! やっぱり、やっぱり全部、俺を殺すための罠だったんじゃないかァァァァァッ!)」
――見事なまでの、責任転嫁である。
自分が蒔いた種が、惑星そのものを巻き込む、壮大な自爆テロの引き金を引いてしまったという、不都合な真実から、彼は最後の最後まで、目を背け続けるつもりのようだ。
実に、彼らしい、見事な生き様と言えよう。
だが、そんな彼の内心の絶叫など、無慈悲に時を刻み続ける、巨大な赤い数字の前では、何の意味も持たなかった。
彼の、そしてこの惑星の全ての生命の、終わりまでのカウントダウンは、今、確かに、始まってしまったのだから。
あとがき、あるいは蛇足
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カイ「(おい! シロ! なんだこの終わり方は! 絶望! 絶望! そして絶望! 俺の人生、もはや絶望のミルフィーユ状態じゃないか! 作者は俺に何か恨みでもあるのか!?)」
シロ「落ち着きなよ、カイ。作者は君に恨みなんてないさ。むしろ、君のことが大好きなんだよ」
カイ「(どこをどう見たらそうなるんだ! 愛するキャラクターを惑星ごと消し炭にしようとするサイコパスがどこにいる!)」
シロ「ほら、考えてもごらんよ。君が追い詰められれば追い詰められるほど、苦しめば苦しむほど、画面の前の読者の皆さんの目はキラキラと輝きだす。君の不幸は、彼らにとって最高のエンターテイメントなんだ。いわば、君と作者と読者は、歪んだ愛で結ばれた共犯関係なのさ」
カイ「(最悪の関係性だな! 断固としてお断りだ! 俺はただ平穏に暮らしたいだけなんだよ!)」
シロ「残念だけど、もう手遅れだね。物語は、君の絶叫をBGMに最高のクライマックスへと向かっている。さあ、次回、君は一体どんな無様で滑稽な悪あがきを見せてくれるのかな? 銀河中の読者が、ポップコーン片手に君の運命を待ってるよ。英雄殿?」
カイ「(うるさあああああいッ! 見てろよ! 次回、俺の華麗なる(震え声)逆転劇にご期待ください……してたまるか! 誰が助けるか、このクソ惑星!)」