【取扱注意】その英雄、勘違いにつき。   作:化け猫 いろは

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第二話 限界突破の厄介払い

神の慈悲とは、時に無差別爆撃と何ら変わりがない。

本人がそのつもりがなくとも、その御業(と勘違いされたもの)は、信者の心を潤し、魂を救済し、そして時にはその正気を跡形もなく焼き払うのだ。

今、我らが神、カイ・シラヌイが、その無自覚な慈悲(という名の恐怖からの逃避行)によって、新たな信者の精神を、取り返しのつかない臨界点へと導こうとしていた。

もちろん、彼自身は、ただ目の前の恐怖から逃れたいだけなのだが。

──悲しいかな。神の個人的な事情など、信者にとっては知ったことではないのである。

 

────────────────────────────────────────────

 

恐怖の回廊。

カイ・シラヌイは、そのあまりにも的確なネーミングを、今、心の底から呪っていた。

彼の前後左右、視界に入る全ての通路の角から、次から次へと、まるで地獄の蓋が開いたかのように、屈強で、いかつく、見るからに前科三十犯は下らないであろう風体の男たちが、湧いて出てくるのだ。

彼らは、カイの神々しい(と勘違いされている)姿を認めるや否や、その場で直立不動となり、床に額を叩きつけんばかりの勢いで最敬礼し、腹の底から絞り出すような大音声で、神への忠誠と感謝の言葉を絶叫する。

 

「「「神よ! 我らに、生きる意味を与えてくださり、誠にありがとうございます!!」」」

 

その、あまりにも熱狂的で、あまりにも大音量な挨拶の嵐。

それが、カイの小心な魂を、ヤスリのように少しずつ、しかし確実に削り取っていく。

すれ違う者、一人残らずこれである。右を見ればスキンヘッドの巨漢が額から血を流して感謝を叫び、左を向けば顔中傷だらけの男が感涙にむせびながら忠誠を誓う。

 

「神よ! あなた様の尊いお姿を拝したおかげで、ここ十年悩まされていた不眠症が、昨夜ようやく完治いたしました! このご恩、我が命に代えても!」

「おお、神よ! 俺の失われたはずの左腕が、今、あなたの聖なる光で満たされるのを感じます! 見てください、この幻の腕が、確かに、動いているのです!」

「我が神! あなたの存在を感じるだけで、俺の持病のシャックリが、今、確かに止まりましたぞ!」

 

(やめてくれ……! 頼むから、もうやめてくれェェェェッ! お前らの健康事情なんて知ったことか! 幻の腕が見えるなら今すぐ医務室へ行け! シャックリが止まったのはただの偶然だ! 俺は神でも医者でもない、ただのしがない中間管理職(予定)なんだよ!)

 

彼の内心は、もはや風前の灯火であった。

外面だけは、完璧な「慈悲深き神」の表情を維持し、穏やかに頷きながら彼らの横を通り過ぎる。だが、その仮面の下では、生まれたての小鹿のように全身をガタガタと震わせ、今にも失禁しそうなのを必死に堪えている。

神としての威厳と、人間としての尊厳。その二つを守るための、血の滲むような、そして誰にも理解されない戦いが、彼の心の中で繰り広げられていた。

 

(そうだ、娯楽室だ! あそこへ行けば、少しはマシなはずだ! あそこは、俺が与えてやった聖域! きっと、ガラの悪い連中も、静かにゲームでも楽しんでいるに違いない!)

 

彼は、最後の希望を、自らが作り上げた(ということにしている)娯楽施設に託した。

カップ麺という名の聖杯が眠る、約束の地。

そこへたどり着くことだけを目標に、彼は恐怖の回廊を、まるで地雷原を駆け抜ける兵士のような心境で、突き進んでいく。

 

そして、幾度となく寿命を縮ませるエンカウントを繰り返した末、彼はついに、その目的地の扉の前にたどり着いた。

扉の向こうから漏れ聞こえてくるのは、最新のVRゲームの電子音と、兵士たちの楽しげな歓声。

その、あまりにも平和な響きに、カイは心の底から安堵のため息をついた。

 

(……助かった。どうやら、ここだけは、まだ地獄に汚染されていないらしい。さあ、俺の聖杯よ、待っていてくれ……! 今、お前を啜り尽くしてやるからな……!)

 

彼が、その安息の地へと、最後の一歩を踏み出そうとした、まさにその時だった。

彼の背後から、ぬっ、と一つの巨大な影が、音もなく現れた。

まるで、空気そのものが凝固して人の形をとったかのような、濃密な気配。カイの背筋を、氷のように冷たい汗が、一筋、流れ落ちた。

 

「──お待ちしておりました、我が神よ」

 

その声は、低く、そしてどこか湿り気を帯びていた。まるで、光の届かない洞窟の底から響いてくるような、不気味な声。

カイの全身の毛が、一斉に逆立った。

心臓が、まるで鷲掴みにされたかのように、激しく、そして痛いほどに跳ね上がる。全身の血が、一瞬で凍りつくような感覚。

 

……ひぃっ!

 

声にならない悲鳴が、喉の奥でつかえる。

恐る恐る、本当に恐る恐る、まるで錆びついたブリキの人形のように、ぎこちなく振り返る。

そこに立っていたのは、男だった。

いや、もはや男という記号では表現しきれない、何か別のカテゴリーに属する、人型の「何か」だった。

 

身長は、カイよりも頭二つ分は高い。痩せぎすな体躯だが、その全身からは、まるで蛇のような、ねっとりとした威圧感が放たれている。顔色は不健康なまでに青白く、深く落ち窪んだ両の眼窩の奥で、二つの瞳だけが、狂的なまでの光を宿して、爛々と輝いていた。その顔には、無数の古傷が、まるで冒涜的な経文のように刻まれている。

カイは、その顔に見覚えがあった。

いや、忘れたくても、忘れられるはずがなかった。

あれは、かつてタルタロスで、カイが内乱を扇動した際に、最後まで彼に敵対し、最も危険で、最も執拗に彼の命を狙ってきた派閥の、ナンバーツーだった男。

 

彼の脳内に深く刻み込まれた、あの悪夢のリスト──『俺を怖がらせた囚人ランキング』

その、数多の凶悪犯たちが鎬を削る激戦区において、並み居る強豪たちを抑え、堂々の第一位に君臨し続けていた、絶対王者。

通称”骸骨”のザギ。その人であった。

 

終わった……! 俺の人生、完全に、ここで、ゲームオーバーだ……! なんで、ラスボスが、こんな序盤の街の入り口で、当たり前のようにエンカウントするんだよ! バグだ! これは、絶対にゲームバランスがおかしい! 開発者は誰だ、出てこい! 俺が説教してやる!

 

──どの口が言うのだろうか。この男、つい先ほどまで、自分以外の全員をNPCか何かと勘違いしていたはずなのだが。

 

カイの思考が、完璧なパニックの坩堝の中で、ぐるぐると同じ場所を回り始める。

目の前の男、ザギは、そんなカイの内心の葛藤などお構いなしに、ゆっくりと、そしてどこか恍惚とした表情で、その場に、ひれ伏した。

その動作は、先ほどのボルグのような、暴力的で性急なものではない。まるで、長年焦がれた恋人に会えたかのように、どこまでも優雅で、そしてねっとりとした、見る者のSAN値を的確に削り取る、極めて芸術性の高い土下座だった。

 

そして、男は、感涙にむせびながら、語り始めた。

その声は、震えていた。喜びと、感謝と、そして狂信によって。

 

「神よ……! 我らが、唯一神……! この、罪深き私めに、直接お目にかかる栄誉を与えてくださるとは……! このザギ、もはや、思い残すことはございません……!」

 

その、あまりにも荘厳で、あまりにも場違いな第一声。

カイは、もはや何も考えられなかった。ただ、目の前で繰り広げられる、このシュールで、悪夢のような光景を、呆然と見つめることしかできない。

 

「ああ、神よ……!」

ザギは、ひれ伏したまま、その骸骨のように痩せこけた顔を上げた。その顔は、涙と、そしておそらくは鼻水であろう液体で、ぐしょぐしょに濡れていた。その、あまりにも汚い光景が、カイの僅かに残っていた理性の城壁に、最後の一撃を加える。

 

「あの、タルタロスでの御業……! 今にして思えば、あの時の私は、あまりにも愚かで、あまりにも盲目でありました……!」

 

(御業……? 悪事の間違いじゃないか……?)

 

「貴方様が、我々を互いに争わせた、あの深遠なる神算鬼謀……! あれは、我々の中に溜まった、憎悪という名の膿を、全て出し切らせるための、大いなる試練だったのでございますな……!」

 

(違う! 俺はただ、お前らが怖かったから、勝手に潰し合ってくれればラッキー、くらいにしか考えてなかっただけだ!)

 

「食糧庫を爆破なされたのも、我々に飢えの苦しみと、分け合うことの尊さを教えるための、愛の鞭! 水の供給を止められたのも、我々が互いに協力せねば生きられぬことを悟らせるための、深遠なる導きだったのでございますな!」

 

(ただの腹いせと、操作ミスだ! それ以上、俺のしょうもない悪事を、勝手に高尚なものに変換するな!)

 

「そして、あの『セイレーンの歌』……! あれは、我々の魂を蝕む、怪物という名の『恐怖』そのものを、根源から浄化するための、聖なる鎮魂歌(レクイエム)だったのでございますな……!」

 

(あれは、ただのゲームの隠しコマンドだ! しかも、周波数を間違えかけた、ただのヤケクソの産物だ!)

 

「そして、最後の、あのAIへの神託……! あれは、我々が、自らの罪を認め、過去を乗り越え、一つの民として再生するに値するかどうかを試す、最後の審判だったのでございますな……!」

 

(だから、あれもただのゲームのパスワードなんだってば! しかも、声に出すつもりもなかった、ただのうわごとだ!)

 

ザギの口から紡がれる言葉は、カイがタルタロスで行った、全ての自己中心的で、怠惰で、そして下劣な悪事の数々を、ことごとく、最も崇高で、最も慈悲深く、そして最も神々しい「聖なる御業」へと、完璧に誤訳し、再構築していく。

それは、もはや解釈の域を超えていた。

完璧なまでの、歴史の捏造。

そして、その捏造された歴史を、この男は、心の底から、微塵の疑いもなく、信じきっているのだ。

 

カイは、戦慄した。

自分の悪事が、ここまで完璧に美談へと変換され、当事者本人から、涙ながらに、感謝と共に語られる。

その光景は、もはや恐怖を通り越して、何か冒涜的な、宇宙の真理に触れてしまったかのような、神聖な戦慄すら感じさせた。

 

(……こいつ、俺より、よっぽど俺のことをすごいって思ってないか……? 俺のやったこと、俺自身ですら、ここまでポジティブに解釈できたことは一度もないぞ……)

 

──この男、ついに、自分の信者の才能に、嫉妒し始めたらしい。

実に、器の小さい神である。

 

ザギの、涙ながらの独白は、まだ終わらない。

彼の狂信は、ここからさらに、トップギアへと入っていく。

 

「ああ、神よ……! あの時の、私の不明を、どうか、どうかお許しください……! 貴方様に刃を向けた、この罪深き私を、どうか罰してください……! 貴方様の手で、この汚れた魂を浄化していただけるのであれば、このザギ、喜んで、この場で腹を掻っ捌き、その臓腑を貴方様の御前に晒しましょうぞッ!」

 

その、あまりにも具体的で、あまりにもグロテスクな、忠誠の誓い。

それを聞いた瞬間、カイの脳内で、何かが、ぷつり、と音を立てて切れた。

彼の精神的許容量は、もはやとっくに限界を突破し、計測不能の領域へと突入していた。

目の前の男の、顔の圧。声の圧。涙と鼻水の圧。そして、狂信という名の、魂の圧。

その、あまりにも濃厚で、あまりにも致死量の高い情報の奔流が、彼の小心な魂を、完全に押し潰したのだ。

 

視界が、ぐにゃり、と歪む。

耳鳴りが、まるで地獄の釜が開いたかのように、頭蓋の内側で鳴り響く。

意識が、遠のいていく。

 

(……ああ、もう、だめだ……。俺は、ここで、死ぬんだ……。直接手を下されるまでもなく、この男の存在そのものに、魂を殺されるんだ……。ああ、誰か……誰か、この気持ち悪い狂信者を、俺の視界から排除してくれ……)

 

彼が、失神寸前になりながらも、かろうじてその場に立っていられたのは、ひとえに、彼の完璧な外面(ポーカーフェイス)だけが、主を失った後も、自動操縦で機能し続けていたからに他ならない。

彼の口から、まるで他人事のように、穏やかで、慈悲深い声が漏れた。

 

「……よい。全ては、過ぎたことだ」

 

その、神からの、あまりにも寛大で、あまりにも慈悲深い、赦しの言葉。

それを聞いたザギは、ついに感涙のダムを決壊させた。

 

「おお……! おおおおおおおおおっ……! か、神よ……! ありがとうございます……! ありがとうございます……! このご恩、このザギの、骨の髄まで染み渡りましたぞ……!」

 

その、あまりにも汚い号泣をBGMに、カイの意識は、完全に、ブラックアウトした。

彼の最後の思考は、(ああ、娯楽室のカップ麺、食いっぱぐれたな……)という、極めて俗な、そして彼らしいものであったという。

 

────────────────────────────────────────────

 

気がつくと、カイは、見慣れた天井を、ぼんやりと見上げていた。

場所は、旗艦「ネメシス」司令官室。

彼は、いつの間にか、玉座(リクライニングチェア)の上で、横になっていた。

額には、ひんやりとした、濡れたタオルが乗せられている。

 

「……ここは……?」

「お気づきになられましたか、司令」

 

声の主は、レナだった。

彼女は、いつものように、音もなく、カイの傍らに佇んでいた。

 

「先ほど、娯楽室の前で、貧血を起こされ倒れられました。幸い、お怪我はございません。ですが、念のため、医務官のエミリアを呼んでおきました。すぐに到着するはずです」

 

(貧血……? 違う、あれは、ただの恐怖とドン引きのキャパオーバーだ……! 精神的アレルギー反応とでも言うべき、高尚なやつだ! 断じて貧血などではない!)

 

カイは、内心で絶叫したが、もはや声には出せない。

全身の力が、抜けきってしまっている。

まるで、数日間、飲まず食わずで走り続けたかのような、極度の疲労感。

あの、ザギという名の狂信者との、わずか数分間のエンカウントが、彼の魂を、根こそぎ削り取ってしまったのだ。

 

「……そうか。……すまない、迷惑をかけたな」

「いえ。主の御身を案じるは、私の務めですので」

 

レナは、人形のように薄い笑みを浮かべたまま、淡々と答える。

その、あまりにも完璧な奉仕が、今のカイには、ありがたいやら、気味が悪いやら、複雑な心境にさせた。

 

カイは、重い体を、ゆっくりと起こした。

そして、彼は、見てしまった。

玉座(リクライニングチェア)の足元。

そこに、一人の男が、まるで忠犬のように、しかしその姿は骸骨のように、静かに、ひれ伏しているのを。

ザギだった。

 

な、なんで、こいつが、ここにいるんだァァァァァッ!?

 

カイの脳内で、再び、けたたましい警報が鳴り響く。

心臓が、再び、あの悪夢のビートを刻み始めた。

 

ザギは、カイが目を覚ましたことに気づくと、ゆっくりと、その骸骨のような顔を上げた。

その顔は、先ほどまでの涙と鼻水は綺麗に拭き取られていたが、代わりに、どこまでも深く、そして昏い、狂信の炎が、その瞳の奥で、静かに、しかし激しく燃え盛っていた。

 

「神よ……。このザギ、貴方様が倒れられたと聞き、居ても立ってもいられず、馳せ参じました。この不敬、万死に値すると承知しております。ですが、どうか、どうかこのまま、貴方様の御足元にて、その御身をお守りする栄誉を、お許しください……! このザギ、貴方様を守る盾となり、剣となり、そして時には、貴方様がお座りになるための、血塗られた椅子にでもなりましょうぞ!」

 

(嫌だ! 断固として拒否する! お前のような、歩くトラウマ製造機が、俺の視界に一秒でも入ることなど、俺の精神衛生が許さん! 血塗られた椅子とか、物騒な比喩を使うな! 俺はフカフカのソファ以外に座るつもりはないんだ!)

 

だが、彼の魂の絶叫は、もちろん、声にはならない。

それどころか、彼の完璧な外面は、この状況ですら、完璧に、そして最悪の形で、機能し続けていた。

 

「……よかろう。その忠義、見事だ」

 

カイの口から、無意識に、そして自動的に、そんな言葉が漏れ出た。

それを聞いたザギの顔が、ぱあっと、まるで後光が差したかのように輝いた。

その、あまりにも不気味な笑顔を見て、カイは、今度こそ、本当に、魂が口から抜けそうになるのを感じた。

 

『──おやおや、どうしたんだい英雄殿? 顔色が、まるで死後三日目の魚みたいになってるけど』

 

脳内に響く相棒、シロの声は、どこまでも楽しそうだ。

この銀髪の悪魔は、主人の人生最大級のピンチを、最高のエンターテイメントとして消費することに、いささかの躊躇もない。

 

「(黙れ、この回路脳の悪魔め! 俺の魂がストレスで液状化して耳から漏れ出そうになっているのが分からんのか! 今、俺の脳内では走馬灯が秒速三十六周で回転しているんだぞ! しかも、映っているのは前世でゴロゴロしながらポテチを食ってる映像ばっかりだ! なんて無価値な人生だったんだ……!)」

 

『あらあら、クライマックスにはまだ早いよ。だって、君が主役を務める壮大な悲喜劇は、まだ序章が終わったばかりなんだから。観客は、これから始まる本当の地獄を心待ちにしているよ』

 

「(悲喜劇だと!? これは一方的な精神的拷問だ! 銀河人権憲章で禁止されている、最も非人道的な心理攻撃だろうが! おい、労働監督署はどこだ! こんな劣悪な労働環境、断固として告発してやる!)」

 

──まったく、どの口が人権を語るのだろうか。この男、自らの安寧のためであれば、他者の人権など、塵芥のごとく踏みにじることを、我々は忘れてはいない。

 

だが、その責任転嫁と逆ギレが、皮肉にも、彼の凍りついていた思考回路を再起動させた。

自己保身。

その、カイ・シラヌイという人間の根源を司る絶対的な本能が、絶望という名の分厚い氷を、内側から打ち破ったのだ。

 

(死ぬ! このままじゃ、絶対に死ぬ! だが、俺は死なん! 断じて死んでたまるか! 俺の穏やかな後方勤務ライフの夢が、こんな便所のネズミも逃げ出すようなクソ惑星で潰えてたまるか!)

 

カイの脳が、前世の記憶を含めた、あらゆるデータベースを、超高速でスキャンし始める。

この絶望的な状況を覆す、起死回生の、一発逆転の、都合のいい隠しコマンドを求めて。

 

『すごい人気じゃないか。サイン会でも開いたらどう? 握手券付きのCDでも売ってみる? 君の神託(うわごと)を収録してさ』とシロが追い打ちをかける。

 

カイはついに絶叫した。

「(うるさい! このままではアリズンに着く前に俺はストレスで死ぬ! 心臓が! 俺の小心な心臓が持たんのだ!)」

 

そうだ。このままでは、駄目だ。

この、息の詰まるような、狂信者だらけの密閉空間。

この、俺の精神を、じわじわと、しかし確実に殺しに来る、歩く恐怖の発生源たち。

こいつらと、同じ艦で、旅を続けることなど、到底不可能だ。

 

ならば、どうする。

彼の思考が、不屈の自己保身の本能によって、一つの、極めてシンプルで、そして彼らしい下劣な結論へと、一直線に突き進んでいく。

 

「(……そうだ。あいつらを、この艦から追い出せばいいんだ……!)」

 

その、悪魔的な閃きが、彼の絶望の闇に、一筋の光を灯した。

 

『ほう? 厄介払いかい? いいじゃないか、実に君らしい下劣な発想だ。で、具体的にはどうするんだい? まさかとは思うけど、一人ずつエアロックから宇宙にポイ、なんて原始的な方法は考えちゃいないだろうね?』

 

「(できるなら、とっくにやっている! だが、そんなことをすれば、俺がただの虐殺者になってしまうだろうが! 俺のブランドイメージに傷がつく!)」

 

『ブランドイメージねえ。君という商品のメッキが剥がれるのが怖い、と。正直でよろしい』

 

「(違う! 俺は、彼らを思って言っているんだ! 彼らの、あまりにも純粋すぎる信仰心は、このままでは、彼ら自身を滅ぼしかねん! だからこそ、俺は、彼らに試練を与え、彼らが自らの足で立つことを促さねばならんのだ!)」

 

──この男、絶体絶命のピンチに陥ると、自分の下劣な本心を、壮大な自己正当化によってコーティングする癖があるらしい。実に、迷惑な話である。

 

『へえ。で、その壮大な試練とやらは、どうやって与えるんだい?』

 

「(……それは、今、考えている! まず、選択肢1。俺が『神の力を失った』と宣言する。これなら、あいつらも幻滅して離れていくはずだ……いや、駄目だ。あいつらなら、『我々の信仰心が足りぬせいだ!』とか言って、さらに面倒な儀式を始めかねん。切腹とか、生贄とか、そういう物騒なやつを)」

 

『却下だね。君の信者は、君が思っているより遥かに、頭のネジがぶっ飛んでるよ』

 

「(選択肢2。俺が、病に倒れたふりをする。そして、『我が身を癒す伝説の薬草を探してこい』と、彼らを艦の外へ追い出す。これはどうだ? 古典的だが、効果はあるはずだ!)」

 

『目的地のアリズン星系に、そんな都合のいい薬草が生えているとでも? 設定がガバガバすぎるね。それに、彼らが任務を達成して帰ってきたら、どうするつもりなんだい? 君は、永遠に病人のふりを続けるのかい?』

 

「(……うっ。……では、選択肢3。彼らに、とてつもなく困難な任務を与える! そうだ、例えば……『あの小惑星帯の中から、ハートの形をした小惑星を見つけてこい』とか! これなら、見つかるはずがない!)」

 

『……本気で言ってるのかい? 君は、自分の信者のスペックを、あまりにも見くびりすぎている。彼らなら、三日もあれば、小惑星帯の全ての石ころをスキャンし終えるだろうし、もし見つからなかったら、自分たちで、他の小惑星を削って、完璧なハート型に彫り上げて持ってくるに決まってるじゃないか』

 

「(……ぐぬぬぬぬぬ……!)」

 

シロに、ことごとく、その浅はかな作戦を論破され、カイは歯ぎしりする。

だが、この脳内の問答は、無駄ではなかった。

彼の思考から、不純物(実現不可能なアホな作戦)が、少しずつ取り除かれていく。

 

そして、ついに。

彼の、自己保身のためだけに最適化された、天才的な(と本人が固く信じている)頭脳が、一つの、完璧な、そして最も悪魔的な結論に、たどり着いた。

 

「(……そうだ。追い出すんじゃない。彼らが、自らの意志で、この艦から出ていきたくなるように、仕向ければいいんだ……!)」

 

「(合法的に! 穏便に! そして、俺の神としての威光を、一切傷つけずに!)」

 

カイの目に、いつもの、あの下劣で、しかし天才的な悪知恵の光が、再び宿った。

もはや、彼を止めるものは何もない。

彼は、自らの安眠と平穏のためならば、いかなる悪魔にだって、魂を売る覚悟ができていた。

いや、むしろ、彼自身が悪魔そのものなのかもしれないが。

 

どうやって?

それは、これから考えるんだ。

彼の、自己保身のためだけに最適化された、天才的な(と本人が固く信じている)頭脳が、今、再び、フル回転を始めたのだから。

次なる、壮大なる勘違いの舞台の幕は、今、確かに、上がったのである。





あとがき、あるいは蛇足


────────────────────────────────────────────


カイ「ふふん。見たか、シロ。俺のこの、逆境から生まれる悪魔的閃きを。これで、あの鬱陶しい狂信者どもともおさらばだ」

シロ「……本気で言っているのかい? 君の立てる作戦が、まともに機能したことなんて一度でもあったかい? 大抵は、君の想像を超えたトラブルを呼び寄せる、壮大なブーメランになっているじゃないか」

カイ「今回は違う! 『追い出す』のではなく、『自らの意志で出ていってもらう』。この発想の転換こそが、俺の天才たる所以よ! 彼らはきっと、涙ながらに俺に感謝しつつ、この艦から去っていくことになるだろう。完璧だ! まさにパーフェクトプラン!」

シロ「そのパーフェクトプランとやらで、今度は誰を嫁にもらうことになるのかな?」

カイ「……は? なんでそこで『嫁』が出てくるんだ?」

シロ「だって、この第三章のタイトル、覚えているかい? 『星屑の玉座、あるいは仁義なき嫁入り』。君が何か大きな勘違いをやらかすたびに、物語はタイトルの伏線を回収しにくる。そろそろ、君の意図しないところで、誰かとの祝言の準備が始まる頃じゃないかな、と思ってね」

カイ「なっ……!? ま、待て、そんなバカなことがあるか! 俺はただ、平穏な生活を取り戻したいだけで……!」

シロ「その純粋な願いが、最悪の形で裏切られるのが、この物語のお約束だろう? さて、次なる花嫁候補は一体誰なのか。アリズンの宇宙海賊か、それとも……。楽しみにしているよ、英雄殿」
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