【取扱注意】その英雄、勘違いにつき。   作:化け猫 いろは

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第五話 これはプロレス!? と新たなる火種

茶番。

それは、本来厳粛であるべき儀式が、その本質を失い、ただ滑稽なだけの見世物へと堕した際に用いられる、極めて侮蔑的な言葉である。

だが、歴史を紐解けば、偉大なる文化や伝統の萌芽は、いつだって、その時代の人間が眉をひそめるような、理解不能で滑稽な「茶番」から始まっているものだ。

 

そして今、この神々に見捨てられた奈落の底で、銀河史上最も壮大で、最も真剣で、そして最も心の底から馬鹿馬鹿しい、完璧なる茶番劇の幕が、厳かに、しかし熱狂的に、切って落とされようとしていた。

もちろん、その茶番劇の主役であり、唯一の観客であり、そして最大の被害者であるはずの男は、これから始まるのが喜劇なのか悲劇なのか、あるいはただの公開処刑なのかすら、全く理解できていないのだが。

 

──神が望むと望まざるとにかかわらず、信者たちの物語は、常に信者たちの手によって紡がれる。そこに、神の意思が介在する余地など、一ミリたりとも存在しないのだ。

 

────────────────────────────────────────────

 

旗艦「ネメシス」の、だだっ広い巨大格納庫。

そこは、もはや格納庫としての原型を留めていなかった。

無骨な鉄の床と壁は、どこからか持ち出された無数の投光器によってギラギラと照らし出され、中央には土を盛り固めて作られた、やけに本格的な円形の土俵(リング)が鎮座している。その周囲には、ありあわせのコンテナや資材を組み上げて作られた、粗末だが熱気だけは特盛りの観客席が、リングを囲むようにして何重にも築かれていた。

男たちの汗と、鉄の匂いと、そして、制御不能なレベルにまで高められた、むせ返るような狂信の熱気。

その全てが、この異様な空間に渦巻いていた。

 

そして、その熱狂の渦を、最も高い場所から、最も冷え切った心で見下ろすための、一つの玉座が設置されていた。

リングを真正面に見下ろす、観客席の最上段。そこに、わざわざ司令官室から運び込まれた、あの悪魔的な座り心地を誇る最高級リクライニングチェアが、まるで古代遺跡から発掘された王の玉座のように、場違いな威厳を放って鎮座している。

 

その、あまりにも不本意な玉座の上で。

我らが神、カイ・シラヌイは、無理やり着せられた、悪趣味なほどに豪奢な紫色のマントをその身に纏い、完全に、そして完璧に、死んでいた。

 

(……帰りたい。もう、家に帰りたい……。なんで、なんで俺が、こんな血と汗と涙と、あと多分ものすごく臭い何かが飛び散るであろう、野蛮なイベントの、主賓席に座わされなきゃならんのだ……)

 

彼の内心は、もはや半泣き状態を通り越して、絶対的な虚無に支配されていた。

これから始まるのは、血で血を洗う、リアルバトルロワイヤル。

ガチムチの、顔面凶器の、元凶悪犯たちが、己の強さを証明するためだけに、互いの骨を砕き、肉を裂き、内臓をぶちまける、地獄の殺し合い。

そして、その全ての責任は、最終的に、この大会の主催者(ということにされている)である、この俺に押し付けられるのだ。

胃が、痛い。

物理的に、キリキリと音を立てて、捻じ切れるような感覚がする。

 

『いやー、すごい熱気だね、教祖様。君のために、これだけの舞台が用意されるなんて。感無量だろう? まるで、古代ローマのコロッセウムで、剣闘士の戦いを観覧する皇帝の気分じゃないか』

 

脳内で、シロが心底から愉快そうな声で言った。このAI、主人の精神的苦痛を最高のスパイスとして嗜む、極めて悪趣味な美食家である。

 

「(皇帝だと!? どちらかと言えば、これからライオンの餌にされるキリスト教徒の気分だわ! ああ、もう! 始まる前からこれか! 頼むから、誰も死ぬなよ! 怪我するのもやめてくれ! 書類仕事が増えるだろうが!)」

 

──この男、部下の命よりも、自分の事務作業が増えることの方を、どうやら本気で心配しているらしい。

実に、器の小さい神である。

 

カイが、そんな完璧な自己中心主義に満ちた祈りを捧げている間に、眼下のリングサイドでは、荘厳な、しかしその内容は勘違いだらけの儀式が、粛々と進行していた。

リングの中央に立ったのは、ギデオンだった。その岩のような巨躯は、この日のためにあつらえたのか、やけに神々しい法衣のようなものを纏っている。彼は、天を仰ぎ、その腹の底から、格納庫全体を揺るがすかのような、雷鳴のごとき大声を張り上げた。

 

「聞けぇ! 我らが同胞たちよ! そして、天上の玉座より我らを見守りたまう、唯一神カイ・シラヌイ様に、最大の感謝と、祈りを捧げよ!」

 

その言葉を皮切りに、数千の観衆から、地鳴りのような、あるいは星そのものが割れるかのような、凄まじい歓声が爆発した。

 

「「「カイ様、万歳! 神に、我らの魂を!」」」

 

その、あまりにも熱狂的すぎるシュプレヒコールに、カイはビクリと肩を震わせ、リクライニングチェアの上でさらに小さくなった。

ギデオンの、荘厳な(そして勘違いに満ちた)開会宣言は、まだ続く。

 

「我々は、かつて、光なき奈落の底で、ただ死を待つだけの存在であった! だが、神は我らを見捨てなかった! 天より『歌』を降らせ、我らを蝕む怪物を鎮め! 悪しきAIの支配を、ただ一言の神託で打ち破られた!」

「おおおおおっ!」と、観衆が呼応する。

 

「そして、神は我らに、新たなる試練と、栄光の道を示された! このアリズン星系に巣食う、仁義なき悪を討ち、虐げられたる民を救うという、聖なる使命を! 神は、既に我らの中から、その栄光ある先遣隊四百の魂を選ばれたのだ!」

 

ギデオンがそう叫ぶと、観衆の中からどよめきと、選ばれなかった者たちからの嫉妬の声が上がる。それを、ギデオンは片手を上げて制した。

 

「だが、聞け! この闘技会は、選ばれし者がその栄誉に相応しいことを神に示す場であり! 選ばれなかった者が、その悔しさと、次こそはという魂の叫びを、神にぶつけるための儀式なのだ! 我こそは神の剣なりと信じるならば、その力を、今こそ神に示せ!」

 

その言葉に、闘技会に参加する者も、そうでない者も、等しく「うおおお!」と、それぞれの立場からの熱狂的な雄叫びを上げる。

カイは、その熱狂の中心で、(いや、だから勝手に選ばれてただけだって……俺、サインしただけだって……なんでこんな大事に……)と、もはや反論する気力すら失いかけていた。

 

「そして今! 我らは、ここに集った! 我らが神に、この有り余る忠誠と、この鋼鉄の肉体に宿る、揺るぎなき魂を示すために! この闘いは、ただの力比べではない! 神へ捧げる、我らの祈りの形なのだ!」

 

ギデオンは、そこで一度言葉を切ると、玉座に座るカイに向かって、深々と、そして完璧に、頭を下げた。

 

「──カイ・シラヌイ様! どうか、我らが魂の雄叫びを、その御目(おんめ)に、その御心(みこころ)に、お納めください! これより、第一回! 神聖タルタロス帝国、神前奉納闘技会の、開会を、宣言いたしますッ!!」

 

その宣言と共に、再び、格納庫を揺るがす、爆発的な歓声が巻き起こった。

その、狂乱の渦の中で、カイは、震える手で、傍らに控えるレナから、マイクを受け取った。

開会の挨拶。

この地獄のイベントの、最後の引き金を引く、公開処刑の時間である。

 

カイは、ゆっくりと立ち上がった。

その表情は、完璧な神の仮面によって、辛うじて平静を保っている。

 

「(……何を言えばいいんだ……。そうだ、『決して、無理は、するなよ』だ。これしかない。そうだ、これなら、慈悲深い神を演じつつ、俺の本音も伝えられる! 完璧だ!)」

 

彼は、大きく息を吸い込むと、震える声で、しかし外面だけは荘厳に、こう告げた。

 

「……う、うむ。諸君の、その……忠義、しかと、見届けさせてもらう……」

声が、上ずる。

だが、彼は続けた。最後の、そして唯一の本音を、絞り出すように。

 

「……決して、無理は、するなよ……? 分かったな……?(死ぬなよ! 怪我もするなよ! 絶対に! フリじゃないからな!?)」

 

その、あまりにも切実で、あまりにも本心ダダ漏れの言葉。

それを聞いた、数千の観衆は。

水を打ったように静まり返り、そして、次の瞬間。

感涙に、むせんだ。

 

「おお……! 神は、我らの身を……!」

「なんという、なんという慈悲深さ……!」

「我らが神は、我々の、ちっぽけな命一つ一つを、これほどまでに、案じてくださっているのだ……!」

 

カイの、小心者丸出しの命乞いは、彼らの狂信的なフィルターを通すことで、「民の身を案じる、神の、この上なく慈悲深いお言葉」へと、完璧に誤訳された。

その、あまりにも温かい(カイにとっては地獄のような)誤解に包まれながら、彼は、ゆっくりと、そして力なく、玉座へと再びその身を沈めるのだった。

 

────────────────────────────────────────────

 

ついに、第一試合のゴングが、カーン、と甲高く鳴り響いた。

リングの上に立つのは、二人の、あまりにも屈強で、あまりにも顔の怖い、元囚人。

観客席から、「先遣隊に落ちた鬱憤を晴らせー!」「俺たちの悔しさを見せてやれー!」などという、実に分かりやすい野次が飛んでいる。どうやら彼らは、今回の選抜から漏れた者たちの中でも、特に血の気の多い連中らしい。

 

一人は、その名の通り、岩のような両腕を持つ、山のような大男。通称”岩腕(ロックアーム)”のダグ。

もう一人は、小柄ながらも、その全身が鋼鉄の槌のように引き締まった、凶暴な目つきの男。通称”鉄槌(ハンマー)”のゾッド。

カイの『怖がらせた囚人ランキング』には入っていないが、関わり合いたくない人種であることに、何ら変わりはなかった。

 

カイは、思わず目を覆いそうになった。

(来る……! 来るぞ……! 血と肉片が飛び散る、スプラッターショーが……! ああ、もうやだ、お母さん……!)

彼は、リクライニングチェアの肘掛けを、爪が食い込むほどの強さで握りしめ、これから始まるであろう惨劇に、必死に耐えようとしていた。

 

だが。

ゴングの音と共に始まったのは、彼の想像を、遥かに、そして斜め上に、裏切る光景だった。

 

リング中央で対峙した二人の巨漢は、殴りかかるのかと思いきや、まず、互いに距離を取ると、天を仰いで、何やら大きく息を吸い込んだ。

そして、次の瞬間。

 

「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」

 

腹の底から、地鳴りのような雄叫びを上げ、自らの胸筋を、これでもかとピクピクと動かし始めたのだ。

いわゆる、筋肉アピールである。

 

「(………………は?)」

 

カイの思考が、一瞬停止した。

何だ、これは。

何が、起きているんだ。

 

観客席からは、「ダグー!」「ゾッド、殺せー!」という、野太い声援が飛んでいる。

二人は、その声援に応えるかのように、さらに激しく、互いを威嚇し合う。

やがて、痺れを切らしたかのように、ダグが動いた。

彼は、巨体を揺らしながら、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、ゾッドへと歩み寄る。

 

(来る……! 今度こそ、来るぞ!)

 

カイが、再び身構えた、その瞬間。

二人は、がっちりと、互いの右手を組み合った。

そして、そのまま、ピタリと動きを止めた。

 

「(………………)」

 

相撲か?

いや、違う。これは、腕相撲だ。

リングのど真ん中で、二人の巨漢が、ただひたすらに、腕相撲を始めたのだ。

 

「ぬうううううううううううっ!」

「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎっ!」

 

顔を真っ赤にし、全身の血管を浮き上がらせ、互いの力を誇示するように、唸り声を上げる二人。

その、あまりにも地味で、あまりにも絵面(えずら)の悪い光景。

カイは、もはや恐怖を通り越して、純粋な困惑に包まれていた。

 

『……すごいね、カイ。この、膠着状態。まるで、君がヴァルハラで見せた「沈黙」の戦術を、肉弾戦で再現しているかのようだ。彼らなりに、君へのリスペクトを表現しているんじゃないかな』

 

シロの、的確すぎる(そして火に油を注ぐ)実況が、カイの脳内に響く。

 

「(リスペクト!? どこにそんな要素がある! これはただの、地味な我慢比べだろうが! もっとこう、あるだろ! 殴り合いとか! 蹴り合いとか!)」

 

この男、ついさっきまで殺し合いを恐れていたはずなのに、いざ始まってみれば、その地味さに文句をつけ始める始末である。

実に、身勝手な観客だ。

 

やがて、十分にも及ぶ腕相撲の末、ついに均衡が破れた。

ダグの腕が、僅かに、しかし確実に、ゾッドの腕を押し返したのだ。

 

「おおおおおっ!」と、観客席が沸く。

ゾッドは、悔しげに顔を歪めると、一度、大きく後ろに飛び退いた。

そして、彼は、カイの前世の記憶に、鮮明に刻み込まれた、ある「動き」を開始した。

リングの端から端まで、何度も往復するように走り始めたのだ。

いわゆる、ロープワークである。

 

「(……なんで!? なんで、宇宙世紀のこの時代に、ロープワークが存在してるんだよ!? 誰が教えたんだ、この文化を!)」

 

カイの脳内で、ツッコミの嵐が吹き荒れる。

ロープの反動を利用して、加速したゾッドが、ダグに向かって、弾丸のように突っ込んでいく。

そして、繰り出されたのは。

 

で、出たァー! ゾッド選手の、必殺、鉄槌ラリアットォォォッ!!

 

誰が言ったか、観客席から、やけに流暢な実況が響き渡った。

ゾッドの、丸太のような腕が、ダグの首筋に、完璧に叩き込まれる。

 

「ぐはぁっ!」

 

ダグの、山のような巨体が、派手な音を立てて、リングに沈んだ。

カイは、その光景を見て、ようやく、全てを理解した。

 

「(……これ、プロレスだ……!)」

 

そうだ。

これは、殺し合いではない。

ましてや、ただの力比べでもない。

観客を沸かせ、神(カイ)を楽しませるための、完璧に計算され尽くした、エンターテイメント。

すなわち、「プロレス」そのものだったのだ。

 

一度、そう認識してしまえば、もはや、この茶番劇の全てが、愛おしくすら見えてくる。

ダグは、リングに倒れ込みながらも、レフェリー(なぜか、ギデオンが務めている)の見ていない隙に、観客席に向かって、こっそりとウィンクを送っている。

ゾッドは、勝利を確信したかのように、コーナーポストに駆け上がると、天に向かって、派手なガッツポーズを決めている。

 

「(ツッコミどころが……! ツッコミどころが、多すぎる!)」

 

カイの、小心な魂は、恐怖を忘れ、いつしか、純粋な一人の観客として、この滑稽な茶番劇に、完全に魅了されていた。

彼は、腹を抱えて、笑いを堪えるのに、必死だった。

 

『おっと、ここでダグ選手、ダウン! カウントが入る! ワン、ツー……スリー! あーっと、しかし、ギリギリで肩を上げたァー! なんという不屈の闘志! 神は、彼を見捨ててはいなかったァー!』

 

カイは、いつの間にか、自分でも気づかないうちに、拳を握りしめ、身を乗り出していた。

 

「(そうだ! そこで諦めるな、ダグ! お前の筋肉は、そんなものじゃないはずだ!)」

 

もはや、どちらが神で、どちらが観客なのか、分かったものではない。

この時、カイ・シラヌイの知らないところで、後のタルタロス神聖国家を、軍事的、そして文化的に支えることになる、二つの巨大な礎が、産声を上げていた。

一つは、神への奉納という名目で行われる、独自の格闘技文化、『神闘術(ゴッド・アーツ)』。

そして、もう一つは、全ての国民が、神のために戦う兵士であるという、恐るべき『国民皆兵』思想。

 

もちろん、その全ての元凶である男は、そんな大層なことなど微塵も考えていない。

彼はただ、腹を抱えて笑い転げながら、(ああ、ポップコーンが食いたい……)と、極めて俗なことを考えていただけなのである。

 

────────────────────────────────────────────

 

その、熱狂と笑いの渦。

それが支配する、巨大格納庫の、最も高い、そして最も暗い片隅で。

その光景を、冷え切った、そしてどこか侮蔑的な瞳で見つめる、一団の影があった。

 

ビット。

そして、彼が率いる、元囚人の技術者(エンジニアズ)たち。

彼らは、肉弾戦が本分ではない。故に、この「筋肉の祭典」に、彼らの居場所はなかった。

 

「……ちっ。脳筋どもが、騒いでやがる」

 

ビットの隣に立つ、若い技術者の一人が、忌々しげに吐き捨てた。

彼の言葉には、この祭典から疎外されたことへの、どうしようもない焦燥感と、坑夫たちへの、剥き出しの嫉妬が滲んでいた。

 

「見てみろよ、ビットの兄貴。あいつら、ただの筋肉自慢で、神の歓心を買おうって魂胆だ。俺たちの技術の方が、よっぽど神の役に立つってのによ」

「このままじゃ、俺たちの居場所は、完全になくなるぞ。あの筋肉ダルマどもに、この国の主導権を、全て握られちまう」

 

彼らの不満は、もっともだった。

タルタロスからの脱出計画、ネメシスの修理、そして、あのコロニーの改造。

その全てを、最前線で支えてきたのは、間違いなく、彼らの技術力だった。

だが、今、脚光を浴びているのは、ただ腕力が強いだけの、あの坑夫ども。

その理不尽な現実に、彼らのプライドは、静かに、しかし確実に、傷つけられていた。

 

ビットは、何も答えなかった。

ただ、その鋭い瞳で、玉座で不覚にも大爆笑しているカイの姿と、その下で繰り広げられる、滑稽なプロレスごっこを、じっと見つめている。

彼の、論理至上主義の思考回路は、この、あまりにも非論理的で、感情的な熱狂を、理解することができなかった。

(……無駄だ。全てが、無駄なエネルギーの浪費だ)

 

だが、それと同時に、彼は、この状況に、ある種の「危機感」を覚えていた。

カイ・シラヌイ。

自分が、唯一「理解不能な上位存在」として認めた、あの悪魔的知性。

その彼が、なぜ、この茶番劇を、止めようとしないのか。それどころか、なぜ、楽しんでいるようにすら見えるのか。

 

(……まさか。あのカイ・シラヌイが、本当に、あんな筋肉自慢を、評価しているとでも言うのか……?)

 

その、ありえないはずの可能性が、ビットの心に、冷たい疑念の影を落とした。

いや、違う。

そうではないはずだ。

神は、我々が試されているのだ。

この、非論理的な熱狂の中で、我々技術者が、いかにして、論理的で、そして価値ある「貢献」を示すことができるのかを。

 

ビットの、神経質そうな指が、きつく、握りしめられた。

彼の心の中で、坑夫たちへの静かな対抗心と、神(カイ)に認められたいという焦燥感が、一つの、危険な結論へと、収束していく。

 

「……筋肉だけが、神への貢献じゃねえ」

 

ビットは、苦々しげに、そして自分自身に言い聞かせるかのように、呟いた。

 

「俺たちには、俺たちのやり方があるはずだ。……あの脳筋どもには、決して真似のできない、俺たちだけの、神への忠誠の示し方が」

 

その言葉に、彼の周りにいた技術者たちの目が、カッと輝いた。

ビットは、振り返ると、彼らと、そして、この計画に密かに引き込んでいた、ネメシスの正規クルーの数人に向かって、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで、告げた。

 

「……おい。ちょっと面白いモンがあるんだが、手伝わねえか?」

 

彼の口元には、いつもの冷笑とは違う、どこか狂的な光を帯びた、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

神様を、もっとスゲェ方法で、驚かせてやろうぜ

 

水面下で、技術者たちの、傷つけられたプライドと、暴走する対抗心を燃料とした、一つの、巨大な計画が、静かに、そして確実に、始動した。

それは、来るべきアリズンでの戦局を、カイ・シラヌイの意図しない、そして最も面倒な方向へと、さらに大きくこじらせることになる、新たな「勘違いの火種」。

その、小さな、しかし確実に燃い上がった炎の存在に。

この時、まだ誰も、気づいてはいなかった。

もちろん、その炎が、いずれ自分の眉毛を派手に焼き焦がすことになる、当の神様自身も、である。





あとがき、あるいは蛇足


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カイ:「(……はぁ……疲れた……。精神的に、ものすごく疲れた……。殺し合いよりは百万倍マシだったが、なぜ俺が、汗と筋肉が乱舞する、あの、ええと……なんだ、あの……)」

シロ:『プロレス、だね。君の旧時代の記憶に深く刻まれた、エンターテイメントの王様さ』

カイ:「(そう、それだ! なんで、あんなものがこの時代に……! いや、それよりもだ! なぜ俺は、いつの間にか本気で応援など……! 断じて! 断じて楽しんでなどいないからな! 勘違いするなよ!)」

シロ:『ふふん。ダグ選手がラリアットを食らった瞬間、「そこで諦めるな!」って、リクライニングチェアから身を乗り出してた君の姿は、格納庫の全モニターに記録させてもらったよ。後で"神の御姿集"として、民に有料配信するつもりだから』

カイ:「(この悪魔AIがァァァッ! 今すぐ消去しろ! 俺の神としての尊厳がマッハで消し飛ぶだろうが!)」

シロ:『大丈夫だよ、カイ。民はきっとこう解釈する。「神は、名もなき一兵卒の、その魂の輝きすら、決して見捨てはしないのだ」ってね。……ああ、それと。次回はポップコーンとコーラを用意しておこうか? 神の玉座のサイドテーブルに』

カイ:「(……塩キャラメル味で頼む……じゃなくて! 誰が頼むか、このポンコツが!)」
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