茶番が終わり、祭りの後の静けさが艦を包む頃、現実という名の無慈悲な進行係は、決して歩みを止めない。
神が望むと望まざるとにかかわらず、物語の舞台は次の幕へと移り変わる。
目指すは、アリズン星系。無法者たちが牙を剥き、仁義なき跡目争いが繰り広げられるという、星々の奈落。
我らが神、カイ・シラヌイは、その新たな地獄を前にして、果たしてどのような神算鬼謀を巡らせるのか。
銀河中の誰もが、固唾を飲んでその一挙手一投足に注目していることだろう。
もちろん、当の本人が考えているのは、ただ一つ。
──いかにして、安全に、快適に、そして効率的に、全ての面倒事を他人に押し付け、自分だけは優雅に高みの見物を決め込むか。
それだけである。
実に、神々しいまでの、下衆の極みであった。
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旗艦「ネメシス」の第一艦橋。その中央に鎮座する司令官席から、カイ・シラヌイは静かに眼下の光景を見下ろしていた。
メインスクリーンに映し出されているのは、これまでの整然とした星々の輝きとは明らかに質の異なる、混沌とした宙域。巨大なガス惑星が不気味な渦を巻き、砕け散った小惑星の残骸が無数に漂う、通称「デブリの墓場」。その濃密な塵の向こうに、今回の目的地であるアリズン星系が、まるで巨大な獣の顎のように、不気味な口を開けて待ち構えている。
見るからに治安が悪く、見るからに面倒事の匂いしかしない、完璧なまでの無法地帯。
常人であれば、その光景を前にして、武者震いの一つでもするか、あるいは恐怖に身を竦ませるかのどちらかだろう。
だが、カイの表情は、不思議なほどに穏やかだった。その瞳は、嵐の前の静けさのように、どこまでも澄み渡っている。
もちろん、それは外面だけの話である。
(来た……! ついに来てしまった、リアル世紀末ヒャッハーワールド! なんだ、あのデブリの量は! あんな場所にうっかり突っ込んだら、艦体に穴が開いて、俺の貴重な備蓄カップ麺が宇宙の塵になるじゃないか! 冗談じゃない!)
彼の内心は、すでに最大級のパニックに陥っていた。
だが、彼の恐怖の源は、これから相対するであろう宇宙海賊でも、仁義なき跡目争いでもない。
ただひたすらに、自分が物理的に危険な目に遭うこと、そして、何よりも面倒事に巻き込まれること。その一点にのみ、彼の小心な魂は、全力で警報を鳴らし続けていたのだ。
そして今、彼の目の前では、その面倒事の元凶たちが、最後の旅立ちの準備を整えていた。
ネメシスの巨大な発進ゲートが、重い音を立てて開かれていく。その向こうには、醜いアヒルの子の群れとでも言うべき、急造の小型船団が鎮座していた。この日のために、ネメシスに搭載されていた資材と、タルタロスで回収したジャンクパーツを組み合わせて作られた、まさに「ならず者」専用の船。継ぎ接ぎだらけの装甲、不釣り合いなほど巨大なエンジン、そして各々の自己主張が激しすぎる、悪趣味なマーキング。まるで、鎖から放たれるのを今か今かと待ちわびる、狂犬の群れだ。
その船に乗るのは、カイが己の恐怖心という名の独断と偏見のみで選び抜いた、四百名の「密偵」たち。すなわち、『俺を怖がらせた元囚人ランキング』の輝かしきトップランカーたちである。
カイは、ゆっくりと立ち上がると、艦内通信のマイクを手に取った。
その表情は、これから最も危険な任務へと赴く、愛する部下たちを憂い、そしてその武運を祈る、完璧な慈悲深き神のそれであった。
「──聞け、我が忠勇なる兵たちよ」
彼の声は、静かだったが、艦内の隅々にまで、そしてこれから旅立つ四百の魂にまで、染み渡るかのように響き渡った。
「お前たちは、我が尖兵。混沌の深淵に突き立てる、最初の楔となる者たちだ。お前たちは、これから暗闇の中へと進む。光なき混沌の地で、我らが理想郷の礎を築くという、最も困難で、最も栄誉ある任務に就くのだ」
その、あまりにも荘厳で、あまりにも芝居がかった神託。
小型船の一隻、ギデオンが座乗する旗艦のブリッジでは、神の言葉に感極まった何人かの男たちが、滂沱の涙を流していた。だが、その中心に立つギデオンは、微動だにしない。彼の岩のような顔に、感情の色はなかった。その鋭く厳しい眼光は、スクリーンに映し出された混沌の星系図、その一点だけを、ただじっと射抜いている。
(御言葉、確かに。我らが神は、結果を求められている。ならば、我らが為すべきことは一つ。この混沌に、神が歩むための道を、ただ、切り拓くことだ)
彼の内なる決意は、涙ではなく、鋼の意志としてその身に宿っていた。他の狂信者たちとは、明らかに質の違う、現実主義者としての、絶対的な忠誠。もちろん、神託を垂れる神の内心は、そんな忠誠とは一切無縁である。
(そうだ! もっと感動しろ! もっと打ち震えろ! そして、俺という名の神のために、喜んで地獄の釜の底へと飛び込んでいくがいい! お前たちのその無駄に有り余るエネルギーは、俺の安眠を妨害するためではなく、あの海賊どもを引っ掻き回すために使われるべきなのだ! あの継ぎ接ぎの船が、ちゃんと目的地までもってくれるといいがな! ボルグがくしゃみをしただけで、空中分解したりしないだろうな……? もしそうなったら、あいつら、泳いででもネメシスに帰ってきそうだ! 悪夢だ!)
カイの演説は、さらに熱を帯び、クライマックスへと向かう。
「これは、罰ではない。試練だ。お前たちの、私への揺りぎない忠誠心と、その内に秘めた力を、私が誰よりも信じるが故に与える、大いなる試練なのだ。お前たち一人一人が、私の目であり、耳であり、そして、この暗きアリズンを切り拓く、我が刃なのだと知れ!」
(だから、せいぜい頑張って、できることならそのまま現地で骨を埋めて、二度と俺の目の前にその怖い顔を現さないでくれたまえ! 頼むから! マジで!)
「行け、我が同胞たちよ! お前たちの魂の輝きが、この暗きアリズンを照らす、最初の暁光となることを、私は信じている!」
その、あまりにも感動的な、そしてカイの本心とは百八十度異なる、完璧な激励の言葉。
それを合図に、ギデオンが、感極まった声で、力強い応答を返した。
『──神の御心、その大いなる信頼、確かに拝聴いたしました! このギデオン、そして四百の魂! 神の期待に応えるべく、この身、この命、全てを懸けて、任務を完遂することを、ここに誓います! 神に栄光あれ!』
『『『神に栄光あれ!』』』
ギデオンの言葉に続き、他の船からも、絶叫にも似た忠誠の誓いが、通信回線を通じて、ネメシスの艦橋に殺到した。
艦橋でその様子を見守っていた、ビット子飼いの若い技術者たちは、その異様な熱気に、完全に気圧されている。
「す、すごいな……あの人たち……」
「ああ……司令の言葉一つで、あの地獄に喜んで飛び込んでいくとはな……これが、カリスマか……」
彼らの囁きを背中で聞きながら、カイは、満足げに、しかしあくまでも慈愛に満ちた表情で、頷いてみせた。
やがて、ギデオンが率いる改造船団が、一斉にエンジンを点火する。
轟音と共に、無骨な船体が次々とネメシスから離れ、アリズン星系の混沌の闇へと、吸い込まれるように消えていった。
その光景を、カイは、艦橋の玉座から、どこまでも穏やかな、慈父のような笑みを浮かべて、見送っていた。
その瞳には、ほんのりと、光るものさえ浮かんでいるように見えた。
部下との別れを惜しむ、美しい涙。
もちろん、そんなわけがない。
(あぁ……やっと行った……! やっと、あの歩く恐怖発生源どもが、俺の視界から消えてくれた……! さらば、俺のトラウマ! さらば、俺の悪夢! 二度と帰ってくるなよ! 絶対にだ!)
彼の瞳に浮かんでいたのは、心の底からの、純度百パーセントの、歓喜の涙だったのである。
この男、自分の安寧のためならば、部下を地獄へ送り出すことすら、最高のエンターテイメントとして消費できるらしい。
実に、神にふさわしい、傲慢さであった。
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厄介者たちを、首尾よく、そして完璧に追い払った後。
カイ・シラヌイは、彼の神殿(司令官室)の、玉座(リクライニングチェア)の上で、数週間ぶりに、心の底からの安らぎを、満喫していた。
艦内が静かだ。物理的な音量ではない。これまで艦内の空気に常に漂っていた、あの、まとわりつくような、濃密な「圧」が、嘘のように消え失せている。
あの、顔が怖くて声がでかい連中がいなくなっただけで、こうも空気は澄み渡るものなのか。
彼は、上機嫌に鼻歌を歌いながら、サイドテーブルに置かれた、あの幻の「虹色藻」のジュースを、まるで安物の炭酸飲料でも飲むかのように、ごくごくと喉に流し込んでいた。
『ご機嫌だね、カイ。何かいいことでもあった? まるで、目の上のたんこぶが、物理的に取れたみたいな顔してるけど』
脳内で、シロがいつものように軽薄な声で茶々を入れてくる。
「(フン、当たり前だろうが)」
カイは、内心で不敵に笑うと、シロに対して、これから自分が仕掛ける、練りに練り上げた完璧なる計画の全貌を、これ見よがしに語り始めた。
「(いいか、シロ。俺の本当の戦いは、ここからだ。あの顔面凶器どもを追い出したのは、壮大なる計画の、ほんの序章に過ぎん。これから始まるのは、第二幕。その名も──)」
彼は、そこで一度、芝居がかったタメを作ると、高らかに、そしてどこまでも下劣に、宣言した。
「(『虎の威を借る狐(あるいは宇宙の寄生虫)』作戦だッ!)」
『……毎回思うけど、君の作戦名、本当にダサい上に、品性が欠片も感じられないよね』
「(うるさい! 分かりやすさが一番だろうが!)」
カイは、シロの的確すぎるツッコミを、いつものように脳内で一蹴すると、得意満面に、その作戦の詳細を語り始めた。
「(まず、作戦第一段階。このアリズン星系で、最も強く、最も巨大で、そして、比較的、理性的な会話が通じそうな海賊団を、一つだけ見つけ出す)」
『いきなり前提からして、ずいぶんと虫のいい話だね。「法の墓場」なんて呼ばれてる、無法者の巣窟に、そんな都合のいい組織があるとは思えないけど。君のその楽観主義は、そろそろバグとして修正した方がいいんじゃないかな?』
「(これは楽観主義ではない、統計学だ! いいか、シロ。どんなゴミの山にも、一つくらいは、ほんの少しだけマシなゴミが混じっているものだ。俺たちが狙うのは、その『ちょいマシ』なゴミだ!)」
カイは、我ながら完璧な例えに、一人悦に入った。
「(そして、その『虎』、もとい『ちょいマシゴミ』を見つけ出した後が、この作戦の真骨頂だ!)」
カイの内心のテンションが、プレゼン資料をめくる、有能なビジネスマンのようにヒートアップしていく。
「(作戦第二段階! その最強の海賊団に対し、こちらの武力を、ほんの少しだけ『チラ見せ』してやる! 『ヴァルハラの英雄』として、そして『タルタロスの神』としての、俺の神がかりの指揮・統率能力で、相手を壊滅させない、絶妙な手加減で攻撃し、恐怖と、そしてそれ以上の敬意を、同時に植え付けてやるのだ!)」
『絶妙な手加減、ねぇ……。ヴァルハラ宙域で、君の「手加減」した結果、敵の司令官が精神崩壊を起こして、艦隊ごと降伏してきたのを、もう忘れたわけじゃないよね? 君の言う「手加減」って、だいたい相手が再起不能になるレベルのことだと思うんだけど』
「(あれは、計算ずくの心理攻撃だ! 断じて事故ではない! 今回も同じだ。完璧に計算された、力のデモンストレーションだ!)」
もちろん、ただの偶然の産物である。
「(そして、作戦第三段階! 停戦交渉の場で、俺はこう言うのだ! 『我々の力を、みすみす敵に回すか、あるいは味方につけるか。選ぶがいい。我らを客分として迎え入れ、この宙域の案内役を務めるというのであれば、我々も、貴様らの度胸と力を認め、その盃を受けてやってもいい』と! 超上から目線で、仲間に入れてもらう! どうだ、完璧だろう!?)」
シロは、心底から呆れたように、しかしどこか楽しそうに、溜息をついた。
『……それって、要するに、カツアゲした相手に、自分のみかじめ料を払わせるってことじゃない? ヤクザよりタチが悪いよ』
「(人聞きの悪いことを言うな! これは、無用な争いを避け、互いの利益を最大化するための、極めて平和的かつ合理的な、外交戦略だ! 俺は、この星系の平和を誰よりも願っている! 俺自身の平和のためにな!)」
カイは、自らの下劣な計画を、完璧に正当化すると、最後の、そして最も重要な目的を、恍惚とした表情で語った。
「(そして、最終目的は、こうだ! その最大海賊団の威光を『虎の威』として利用し、他の、ハイエナのように群がってくるであろう、雑多な雑魚海賊どもからの攻撃を、未然に防ぐ! 俺は、その安全が確保された拠点でのんびりと過ごし、ギデオンやレナに、海賊どもとの面倒な交渉や、この宙域の平定作業を丸投げする! そして、俺自身は、玉座にふんぞり返って、優雅に紅茶でも飲んで過ごす! どうだ!? これぞ、究極の、完璧なる寄生計画じゃないか!)」
彼の脳裏には、輝かしい未来の光景が、4K解像度で鮮明に映し出されていた。
専用回線で取り寄せた、極上のスイーツ。読み放題の、古典文学全集。そして、絶対に誰も邪魔に入らない、完璧な防音設備が施された、プライベートシアター。
ああ、なんと素晴らしい、リモート総督ライフ!
その、あまりにも虫が良く、あまりにも傲岸不遜で、そしてあまりにも怠惰に満ちた完璧な計画。
カイは、自らの天才的な悪知恵に、一人、悦に入っていた。
彼の口元から、誰にも聞こえない、下品で、そして心底から愉快そうな笑い声が、くつくつと漏れ出す。
(フヒヒ……ククク……完璧だ……! 我ながら、完璧な作戦だ……! これで、俺の穏やかなリモート総督ライフは、完全に保証されたも同然……!)
彼が、そんな輝かしい未来予想図に浸り、だらしなく弛緩しきった顔で、リクライニングチェアの上で身悶えていた、まさにその時だった。
司令官室のドアが、控えめに、しかし有無を言わせぬ響きで、ノックされた。
その音は、カイの甘美な妄想を、まるでガラスを叩き割るかのように、粉々に打ち砕いた。
カイは、チッと内心で舌打ちすると、咳払い一つで、完璧な神の表情に戻った。
「入れ」
音もなく入ってきたのは、レナ・ユキシロだった。
彼女の足音は、常に無音だ。まるで、床との間に存在する物理法則を無視しているかのように、滑らかに、そして静かに、彼女はカイの前へと進み出た。その人形のように整った顔は、完璧な無表情。だが、その瞳の奥には、主への絶対的な忠誠と、それ以外の全てに対する、絶対零度の無関心が、同居していた。
彼女は、カイの前に進み出ると、いつものように、一分の隙もない完璧な礼を捧げた。
「主。お喜びください。ビットより、第一回宙域海賊勢力サーチの、初期スキャン結果が、届きました。主の神託通り、この混沌の宙域にも、確かに、力の序列は存在するようです」
その報告は、カイの計画が、まさに第一段階をクリアしたことを意味していた。
内心の歓喜を、完璧な外面(ポーカーフェイス)の下に押し隠すと、あくまでも尊大に、そして威厳たっぷりに、頷いてみせた。
彼は、足を組み、まるで世界の全てを支配する王のように、傲然と、そして神々しく、告げた。
「うむ。それで、我が新たなる神苑(しんえん)にて、最初にその首を垂れるべきは、いずれの者か。報告せよ」
彼の、壮大なる勘違いの、次なる舞台の幕が。
今、まさに、上がろうとしていた。
もちろん、その舞台が、彼の描いた完璧な脚本通りに進むことなど、天地がひっくり返ってもありえないのだが。
あとがき、あるいは蛇足
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カイ:「ふぅ、完璧な船出だったな、シロ。俺の荘厳な演説、どうだった? 感動で打ち震えただろう?」
シロ:「うん、君が内心で『二度と帰ってくるな、絶対にだ!』って絶叫してたところは、なかなかの迫力だったよ。神の慈悲深さがにじみ出てたね」
カイ:「……貴様、いちいち思考をリークするな! それはそれ、これはこれだ! 結果として、あの顔面凶器どもは士気MAXで地獄に飛び込んでいった。俺のカリスマの勝利だ!」
シロ:「作戦名『虎の威を借る狐(あるいは宇宙の寄生虫)』だっけ? 自分の下劣さをサブタイトルで補足していくスタイル、もはや芸術の域だよね」
カイ:「褒めるな! いや、褒めてないな!? 分かりやすさが一番だろうが! これから始まる俺の優雅な寄生ライフ……いや、リモート総督ライフの完璧な序曲だ!」
シロ:「まあ、その完璧な計画が、開始5分で頓挫する未来に、私は全財産を賭けるけどね」
カイ:「やかましいわ、このポンコツAIが! 次はもっと度肝を抜く作戦名を用意してやるから覚悟しておけ!」