【取扱注意】その英雄、勘違いにつき。   作:化け猫 いろは

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第十三話 不敗の魔術師、降臨

歴史とは、常に勝者によって記述される、壮大なる勘違いの物語である。

ある者の何気ない一言が、後世には深遠なる神託として語られ、ある者の単なる幸運が、神算鬼謀の証として祭り上げられる。真実など、そこには欠片も存在しない。ただ、人々が「そうであって欲しい」と願う、都合のいい虚構だけが、歴史という名の分厚い書物を埋め尽くしていくのだ。

そして、英雄の物語は、その勘違いの最もたるものである。

人々は、英雄に完璧を求める。一点の曇りもない高潔な精神と、決して揺らぐことのない鋼の意志、そして、いかなる絶望をも覆す、奇跡の如き御業を。

 

だが、もし、その神輿に担がれた英雄(ごしんたい)の内側が、空っぽどころか、臆病、怠惰、自己保身という名の、実に人間臭いヘドロで満たされていたとしたら?

物語は、どうなるのだろうか。

──ああ、心配には及ばない。むしろ、ここからが本番だ。

 

狂信者という名の、最も熱心で、最も盲目な演出家たちが、その空虚な神輿を、金と血で、これでもかと飾り立て始める。

彼の意図などお構いなしに。勘違いはより壮大に、より劇的に、そしてより救いようのない喜劇として、加速していくのだから。

 

────────────────────────────────────────────

 

艦橋を支配していた絶望の交響曲が、ぴたり、と止んだ。

つい先程まで、死の足音に怯え、あるいは己の無力を嘆き、混乱の極みにあったクルーたちが、まるで時を止められたかのように、一人の男を凝視していた。

戦術ホログラムの前に立つ、カイ・シラヌイ。

彼が放った一言──「全艦隊の指揮権を、私が掌握する」──その、嵐の轟音すらも打ち消すほどの、絶対的な静寂を艦橋にもたらしたのだ。

だが、その静寂は、疑念や困惑によるものでは断じてなかった。

それは、あまりにも強烈な、あまりにも待ち望んでいた光を前にして、人の思考が一時的に停止する、畏怖と歓喜の空白。

信者たちが、何百年もの間祈りを捧げてきた神像が、突如として目の前で動き出した瞬間に似ていた。

彼らが知る司令は、いつだって完璧だった。その微笑みは全てを見通し、その言葉は常に勝利を約束してきた。ならば、この絶望の極みで、彼が自ら盤上へと降り立った意味は、一つしかない。

──ここからが、神の御業の始まりなのだ、と。

 

「──急げぇッ!」

最初に沈黙を破ったのは、リーゼロッテだった。

彼女の絶叫にも似た命令が、艦橋の空気を凄まじい勢いで震わせる。

「全艦隊、制御権限を旗艦ネメシスに委譲! 緊急プロトコルを発動! 一秒でも早く、神の御手(みて)に、我らが全てを委ねるのだ!」

「エネルギーライン、艦橋の戦術ユニットに直結! 司令の思考速度に、艦のシステムが追いつけなくなるぞ!」

「通信、全回線オープン! 司令の神託を、一言一句漏らさず、全艦に、全兵士に、伝えよ!」

リーゼロッテの叫びに呼応するように、ハンスが、そして艦橋の全てのクルーが、狂信的なまでの速度と精度でコンソールを叩き始めた。彼らの動きに、もはや迷いはない。瞳に宿るのは、絶対的な信頼と、神の奇跡の目撃者となることへの、至上の悦びだけだった。

艦隊の、全ての思考、全ての判断が、今、カイ・シラヌイという名の、一つの巨大なCPUへと、凄まじい勢いで集約されていく。

それは、もはやただの指揮系統の統一ではなかった。

一つの、巨大な群体意識の誕生。

カイ・シラヌイという神を、その唯一絶対の「脳」として戴いた、恐るべき戦闘生命体が、今、この嵐の渦の中心で、産声を上げたのだ。

 

その、狂騒の中心で。

カイは、戦術ホログラムの前に立つと、まるで世界大会の決勝戦、その最後の試合に臨むプロゲーマーのように、静かに、目を閉じた。

外部センサーも、肉眼による視界も、ほとんど役に立たない、この混沌の坩堝。

だが、彼には必要なかった。

彼の脳内には、この戦場の全てが、完璧にマッピングされていた。

味方の位置、敵の残存戦力、デブリの流れ、嵐の周期、落雷の予測位置。

その全てが、膨大なデータとして、彼の精神の盤上へと、寸分の狂いもなく描き出されていく。

彼は、ゆっくりと、両手を広げた。

その指先が、ホログラムの光の粒子に、そっと触れる。

そして。

 

(──さて、と。チュートリアルは終わりだ。ここから、スコア稼ぎの時間と行こうじゃないか)

 

彼の指が、神速の、恐るべき速度で、踊り始めた。

 

────────────────────────────────────────────

 

それは、もはや指揮ではなかった。

演奏だった。

旗艦「ネメシス」を筆頭とする、カイの艦隊という名の巨大なオーケストラ。

その全ての楽器(ふね)の動きを、カイという名の絶対的な指揮者(コンダクター)が、完璧に、そして完全に、支配していた。

彼の指先が、ホログラムの上を滑る。

その、あまりにも優雅で、しかしどこまでも無慈悲なタクトの一振りが、現実世界の艦隊の動きへと、寸分の狂いもなく変換されていく。

 

アルファ隊、進路3-5-2! 敵艦隊の退路を封鎖せよ! 一匹たりとも、この漁場から出すな!

 

(よし、まずは退路を断って、完全に囲い込むのが定石だろ、この手のステージは! NPCどもを、袋のネズミにしてやる!)

 

リーゼロッテが、神の神託を、震える声で、しかし完璧な速度で、各艦へと伝達する。

その命令を受け、元囚人たちが駆る、無骨な改造艦で構成されたアルファ隊が、まるで一つの生き物であるかのように、嵐とデブリの隙間を縫って、敵残存艦隊の背後へと回り込んでいく。

その動きは、もはや操艦技術というよりも、曲芸の域に達していた。

ある艦は、巨大な岩塊の影に完全に身を隠しながら高速で移動し、またある艦は、回転する船の骸を盾にして、敵のレーダー網を欺瞞する。常識では考えられない、自殺行為にも等しい機動。だが、神の命令である以上、そこに疑いを挟む余地はない。彼らは、自らの命すらも、神が奏ずる旋律の一音と化していた。

 

ベータ隊は散開! 陣形『オルカ』を形成! 左右から、獲物を中央へと追い込め!

 

(オルカフォーメーションで、追い込み漁だ! ヒャッハー! 狩りの時間だぜ!)

 

ハンスが、その神がかりの操艦指示に、歓喜の声を上げる。

ネメシスの正規クルーが駆るベータ隊が、まるでシャチの群れのように、完璧な連携で左右に展開し、逃げ惑う海賊たちの側面を、じわじわと、しかし確実に、圧迫していく。

彼らは決して突出しない。カイの指示通り、まるで巨大な網を絞る漁師のように、敵の逃げ道を一つ、また一つと潰していく。その動きは、冷徹で、機械的で、だからこそ、敵にとっては悪夢そのものであった。

 

ガンマ隊、前方にて最大戦速! 敵の注意を引きつけろ! 派手に暴れてこい!

 

(タンク役は前へ! ヘイトを稼げ! お前らの役目は、ただのデコイだ!)

 

ガンマ隊の指揮官席から、一際血の気の多い「坑夫」のリーダー格が、その命令の意味を完璧に誤解しながらも、腹の底から雷鳴のような雄叫びを上げた。

『神が、我らに先陣の誉れを与えてくださった! 続けぇ! 神の御前に、敵の首級を捧げるのだ!』

最も狂暴な「坑夫」たちで構成されたガンマ隊が、雄叫びと共に、正面から、敵艦隊の混乱の中心へと、猛然と突っ込んでいく。

彼らは回避など考えない。ただひたすらに前へ。敵の砲火をその分厚い装甲で受け止めながら、まるで巨大な鎚のように、敵陣を中央から叩き潰さんと突き進む。その狂気的な突撃は、海賊たちの恐怖を煽り、彼らの思考を完全に麻痺させた。

 

その光景は、もはや芸術の域に達していた。

嵐と、デブリ。

その、予測不能な自然の暴力すらも、カイは完璧な「ステージギミック」として、その戦術に組み込んでいた。

 

全艦、デブリストリームに乗れ! 敵の射線を切れ!

 

(よし、このデブリの流れは使える! いわゆる、動く遮蔽物だ! これで、被弾率は大幅に下がる!)

 

彼の艦隊は、高速で流れる鉄屑の川に、サーファーのように巧みに乗り、敵の砲火をいなしながら、その距離を詰めていく。

敵から見れば、それは悪夢だった。無数の残骸の向こうから、一瞬だけ姿を見せた敵艦が、ピンポイントでこちらの弱点を撃ち抜き、再び残骸の闇へと消えていく。まるで、宇宙そのものが、彼らに牙を剥いているかのような錯覚。

 

『ねえカイ。おーい、聞こえてる? さっきまでメソメソしてたのに、ずいぶんノリノリじゃない』

脳内に響くシロの茶化すような声。

だが、その声は、銀河最高のRTA走者(と化した男)の耳には、もはや届いていなかった。彼の意識は、現実という名のクソゲーの、その深淵へと完全にダイブしている。

 

(ククク……ハッ! 見ろよこの完璧なムーブ! 敵の攻撃パターン、デブリの流れ、嵐の周期、全てが俺の予測通り! 俺は、この戦場の因果律そのものをハッキングしている! これが神の視点……いや、開発者(デベロッパー)モードか! 気持ちいい……! 最高だ!)

 

──彼は、相棒の呆れた声を、勝利を彩る壮大なBGMだと、完璧に勘違いしていたか、あるいはそれすらも認識していなかった。

 

『うわー……完全にイっちゃってる。自分のこと開発者とか言い出したよ。ここまでくると、ちょっと面白いから、もう止めないでおこうかな』

 

完全にコミュニケーションを放棄したシロは、面白がって観戦モードに切り替えた。主人の暴走は、彼女にとって最高のエンターテイメントなのである。

もはや軽口を叩く必要すらない。カイの指は、まるで何かに取り憑かれたかのように、ただひたすらに完璧なコンボを、戦場という名のスクリーンに描き続けていた。

 

前方、落雷! タイミングを合わせろ! あの閃光を、目くらましに利用する!

 

(いいぞ、自然のフラッシュバンだ! これで、敵のセンサーは一時的に麻痺する! その隙に、懐に潜り込む!)

 

紫電の稲妻が迸る、まさにその瞬間を狙い澄まして、彼の艦隊は一斉に加速する。

閃光が収まった時、彼らはすでに、敵艦隊の、懐深くへと、その牙を突き立てていた。

さらにカイは、そのプラズマの奔流そのものを利用する。

 

第二主砲、稲妻に同調させ放て! プラズマを増幅させ、範囲攻撃に切り替える!

 

(よし、属性チェインだ! 雷属性のフィールド効果に、こっちのビームを乗せれば、拡散ダメージボーナスが付くはず!)

 

ネメシスの主砲から放たれたビームが、宇宙を切り裂く稲妻と接触し、凄まじい光の華を咲かせた。それはもはや一本の光線ではなく、網の目のように広がった、回避不能の神の雷。その一撃が、密集していた海賊の小型艦艇を、まとめて薙ぎ払っていく。

その、あまりにも神がかり的で、あまりにも常軌を逸した指揮。

それを、ネメシスの艦橋で目の当たりにしているクルーたちは、もはや思考を放棄していた。

彼らは、神の御業の、ただの証人。

その奇跡を、その目に焼き付けることだけが、彼らに許された、唯一の役割だった。

 

「おお……!」

「司令は、この嵐すらも、完全に手駒として……!」

「天の怒りすらも、神の武器となるのか……!」

「あれは、戦いではない……。神の、裁きだ……!

 

彼らの神が、内心で(よし、パターン入った! ここでコンボを決めれば、一気にスコアが稼げるぞ!)などと、極めて俗なことを考えていることなど、もちろん誰も知らない。

 

────────────────────────────────────────────

 

一方、その神の裁き(という名の、一方的な蹂躙)を受ける側、海賊たちの連合艦隊は、阿鼻叫喚の地獄の只中にいた。

その中の一隻、歴戦の海賊ドス・モグーが率いる強襲巡洋艦「ブラッドタスク」の艦橋もまた、例外ではなかった。

 

「状況はどうなっとるんじゃい! 敵はどこだ!」

ドスの怒声が、火花の散る艦橋に響く。だが、彼の問いに答えられる者は、誰もいなかった。

「だめです、艦長! センサーは完全にイカれちまってます! デブリとノイズで、何も見えません!」

「右舷被弾! 装甲、抜けました!」

「後方の“ジャッカル”がやられた! 僚艦の“ハイド”も! 一瞬でした!」

報告されるのは、絶望的な情報ばかり。

彼らは、見えない敵に、一方的に嬲られていた。

まるで、巨大な暗闇の中で、目隠しをされたまま、百人の殺意に満ちた暗殺者に囲まれているようなものだった。

 

「くそっ! でたらめに撃ちまくれ! 奴らも、この嵐の中じゃ、まともに動けるはずがねえ!」

ドスがヤケクソ気味に叫んだ、その時だった。

突如、艦橋のメインスクリーンが、真っ白な光に包まれた。

宇宙を裂く、巨大な稲妻。

その閃光が、一瞬だけ、悪夢の光景を照らし出した。

 

「な……」

ドスは、言葉を失った。

自分たちの艦隊が、完全に包囲されている。

左右からは、巨大な魚が群れを追うように、じわじわと網を狭めてくる、統率の取れた敵の主戦力。

後方には、いつの間にか回り込んでいた、神出の奇襲部隊。

そして、正面。

狂ったように、こちらの砲火をものともせず、ただひたすらに突撃してくる、悪魔のような先鋒。

それは、完璧な、死の布陣だった。

 

「ひ……」

オペレーターの一人が、恐怖に引きつった声を漏らす。

閃光が消え、再び闇が戻った時、彼らは悟った。

あの稲妻は、偶然ではない。

敵は、あの閃光を利用して、自分たちの位置を完璧に把握し、そして、自分たちの目を眩ませたのだ、と。

 

「……化け物め」

ドスが、乾いた唇でそう呟いた直後。

彼の艦「ブラッドタスク」は、四方八方からの、寸分の狂いもない集中砲火を浴びて、宇宙の塵と化した。

断末魔の悲鳴すら、上げる暇もなかった。

指揮系統は、完全に崩壊していた。

頼みの綱であった、あの超ド級戦艦の轟沈。

そして、神罰のデブリによる、予期せぬ大損害。

彼らの心は、完全に折れていた。

あるのはただ、この地獄から、一秒でも早く逃げ出したいという、原始的な恐怖だけ。

だが、その逃げ道すらも、カイの完璧な包囲網によって、完全に塞がれていた。

レーザーが乱舞し、ミサイルが敵艦を貫き、メインスクリーンに映し出されていた赤い光点が、まるで線香花火のように、儚く、次々と、消えていく。

 

だが、彼は知らなかった。

このクソゲーの、本当の恐ろしさを。

そして、このステージの、本当の「クリア条件」が、彼の想像を、遥かに、そして斜め上に、裏切るものであるということを。

 

戦いが、終わった。

最後の敵艦の爆発光が、嵐の渦の中で、儚く消えていく。

戦場に、勝者のための、荘厳なる静寂が戻ってきた。

あれほど猛威を振るっていた電磁嵐も、まるで神の御業の終わりを告げる舞台装置のように、ゆっくりとその勢いを弱めていく。

 

その、あまりにも完璧な勝利の後の、静寂の中で。

カイ・シラヌイは、戦術ホログラムの前で、ゆっくりと、天を仰いだ。

彼の指先から、まだ戦場の熱が抜けていない。脳内には、アドレナリンという名の、最高に気持ちの良い麻薬が駆け巡っていた。

 

(……フッ。完璧(パーフェクト)だ)

 

彼の口元に、自然と、不敵な笑みが浮かぶ。

それは、もはや「不敗の魔術師」という借り物の仮面ではない。

極限の集中から解放された、天才ゲーマーとしての、素の恍惚。

戦場の全てを支配し、己の描いた筋書き通りに、駒を、敵を、そして世界そのものを踊らせた、絶対的な万能感。

 

(見ただろう、シロ。これが俺の実力だ。どんな無理ゲーだろうと、俺の手にかかれば、こうなる。運命すらも、俺のコマンド一つで、意のままになるのだ)

 

彼は、まだ、ゲームの中にいた。

この現実が、セーブもリセットもできない、一度きりの、そして何より面倒な責任が伴うものであることを、完全に、忘れていた。

 

艦橋のクルーたちが、恐る恐る、神の玉座へと視線を向ける。

彼らの目に映るのは、ただ、神々しいまでの英雄の姿。

激戦の余韻に浸り、静かに勝利を噛みしめる、絶対者の横顔。

やがて、誰からともなく、嗚咽が漏れた。

それは、恐怖からの解放と、神への感謝が入り混じった、敬虔なる祈りの音色だった。

そして、その嗚咽は、やがて、一つの巨大な歓声の波へと、変わっていく。

 

「うおおおおおおおおっ!」

「か、勝った……! 我々は、勝ったのだ!」

「司令! カイ司令、万歳ッ!」

 

地鳴りのような歓声が、ネメシスの艦橋を揺るがす。

リーゼロッテが、ハンスが、そして全てのクルーが、その目に狂信的なまでの涙を浮かべ、カイの名を絶叫していた。

その、熱狂の中心で。

リーゼロッテが、震える足で、カイの御前へと進み出た。

 

「し、司令……! あなたは、やはり、我らが神……! この絶望的な戦況を、たった一人で……! まるで、嵐すらも、あなたの手足であったかのようです……!」

 

(フン、当たり前だろう? ステージギミックの把握は、RTAの基本中の基本だ。むしろ、これを利用できない三流プレイヤーに、俺と同じ盤面に立つ資格はない)

 

その、あまりにも傲慢で、しかし誰も知る由もない内心を完璧に隠し、我らが英雄(外面だけ)は、神の如き笑みを浮かべて、こう宣ったのだ。

 

天が、我々に味方してくれた。ただ、それだけのことだ

 

クルーたちの目に、じわりと涙が滲む。

なんと、なんと謙虚な神であろうか!

この、天地を揺るがすほどの奇跡を成し遂げてなお、その功績を天に帰すとは!

その深すぎる御心に、彼らの狂信は、もはや信仰と呼ぶべき領域へと昇華されつつあった。

 

ハンスが、感涙にむせびながら、さらに言葉を続ける。

「あの、デブリの流れに乗る神がかりの操艦指示! そして、稲妻を利用した、あの殲滅攻撃! 我々には、想像もつかない戦術でした!」

 

(属性チェインからの範囲攻撃なんて、アクションRPGの初歩だろうが。まさか、お前ら、そんなことも知らずに、このゲームをプレイしていたのか? だから、あんなに苦戦するんだ。ド素人が)

 

カイの内心は、完全に、煽りプレイヤーのそれであった。

自分の神プレイに酔いしれ、周囲の素人(クルー)たちを、心の中で、徹底的に見下していた。

だが、外面は完璧だ。彼は、まるで慈愛に満ちた聖人のように、静かに首を横に振った。

 

皆の力が、奇跡を呼んだのだ。私一人の力ではない

 

気持ちがいい。

最高に、気持ちがいい。

この、愚かな信者たちの、的外れな賞賛。

それが、今の彼にとっては、極上の蜜の味だった。

自分の偉大さを、これでもかと肯定してくれる、世界からの祝福。

彼は、この瞬間のために、生きてきたのかもしれないと、本気で、そう思い始めていた。

 

だが。

その、彼の、人生で最も輝かしい、ナルシシズムの絶頂で。

彼の脳内にだけ、全ての熱狂を、一瞬で氷点下へと叩き落とす、悪魔の囁きが、響き渡った。

 

『──ねえ、カイ』

 

それは、ずっと黙って、面白そうに、彼の独り舞台を観戦していた、シロの声だった。

 

『素晴らしいスコアだったね。で、このステージをクリアした今、次のステージのボス情報、そろそろ確認しておく?』

 

(……次の、ステージ?)

 

カイの思考が、一瞬、フリーズする。

なんだ、それは。

俺は、この戦いに勝った。

クリアした。

ゲームは、終わったはずだ。

彼の、甘美な夢が、音を立てて、軋み始める。

 

『うん。君が、さっき、跡形もなく消し炭にした、あのでっかい海賊連合あったでしょ?』

『あれ、この宙域の最大勢力で、一応、このあたりのチンピラ共を束ねてた、いわば地域密着型の暴力団みたいなものだったんだけど』

 

(……それが、なんだ)

嫌な汗が、カイの背中を、つっと伝った。

 

『その暴力団、実は、もっと大きな、銀河規模の広域指定暴力団……まあ、分かりやすく言うと、宇宙ヤクザの本家の、末端組織だったみたいなんだよね』

 

シロの声は、どこまでも、楽しそうだった。

まるで、最高のホラー映画の、クライマックスを語るように。

 

『君は今、その本家の顔に、泥を塗るどころか、ダイナマイトを投げつけて、看板を爆破しちゃった、ってわけ。当然、彼ら、黙ってないと思うんだけど』

『──さて、どうする、英雄? 次の敵は、さっきまでの海賊ごっこより、ずっと、ずっと、歯ごたえがあると思うよ?』

 

その、無慈悲な、現実という名の、弾丸。

それは、カイ・シラヌイの、ナルシシズムに満たされた、脆い、脆い、ガラスの心を、完璧に、貫いた。

 

一瞬にして、彼の脳内を駆け巡っていた麻薬が、猛毒へと変わる。

万能感が、絶望的な無力感に。

恍惚が、奈落の底へと突き落とされるような、凄まじい落下感に。

「不敗の魔術師」の人格が、悲鳴を上げて、意識の奥底へと逃げ帰り、代わりに、いつもの、あの小心者で、怠惰で、常に最悪の事態ばかりを想定する、等身大のカイ・シラヌイが、引きずり出された。

 

我に返ったカイは、目の前に広がる光景に、改めて、戦慄した。

メインスクリーンには、無数の、本当に無数の、敵艦の残骸が漂う、広大な「墓場」が、映し出されている。

自分が、引き起こしてしまった、大虐殺の、痕跡。

 

(……や、やっちまった……)

 

彼の顔から、血の気が、さーっと引いていく。

さっきまでの、あの高揚感は、どこにもない。

あるのはただ、純粋な、そしてあまりにも巨大な、恐怖だけだった。

 

(やっちまった、やっちまった、やっちまった……! なんで、こうなる!? 俺はただ、この星系の最大勢力に、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、恩を売って、仲間に入れてもらって、あとは安全な場所で、静かに暮らしたかっただけなのに……!)

 

彼の当初の目的は、「虎の威を借る」こと。

しかし、結果は、「虎の、生皮を剥いで、その肉を食らい、骨でスープを作り、それを本家の親分の目の前で、飲み干してしまった」。

もう、言い訳など、できるはずもない。

 

彼は、絶望的な気分で、脳内の元凶に話しかけた。

(……おい、シロ)

『なあに、カイ?』

(……なんで、もっと早く、言わなかったんだよ……!)

『言ったじゃないか。「そんなにやっちゃっていいの?」って。君、完全にゾーンに入ってて、全然聞いてなかったけど』

 

その、あまりにも的確で、あまりにも無慈悲な、そしてどこまでも楽しそうな声。

それが、カイの最後の理性の糸を、ぷつりと断ち切った。

輝かしい戦果とは裏腹に、カイは玉座(リクライニングチェア)の上で、これからの平穏な人生が、完全に、そして完璧に潰えたことを悟り、誰にも見えない、心の涙を流す。

勝利は、彼にとって、完全な敗北を意味していたのだ。

 

だが、彼の絶望は、まだ始まったばかりだった。

彼の、あまりにも個人的で、あまりにも下らない絶望とは裏腹に。

彼の周囲の世界は、彼の意図など一ミリたりとも斟酌することなく、最も都合のいい方向へと、暴走を始めていたのだから。

 

通信回線から、元囚人たちの、地鳴りのような雄叫びが、ネメシスの艦橋に殺到する。

それは、もはや単なる歓声ではなかった。

一つの、巨大な宗教が、その神の降臨を祝う、荘厳なる聖歌であった。

 

『『『カイ様、万歳! 神聖タルロス帝国、万歳ッ!!!』』』

『我らが神に栄光あれ! 慈悲深き裁きを、我らに示し給うた!』

 

(やめろ! 誰が貴様らの神だ! そして神聖タルロス帝国ってなんだよ! いつの間に建国されたんだよその物騒な名前の国家は! 俺は一切関知しないからな! 勝手に皇帝とかに祭り上げるのだけは絶対にやめろよ! 絶対だぞ!)

 

なんと薄情な神様なのだろうか。建国の瞬間をもう忘れてしまったらしい。

カイの内心の絶叫も虚しく、ネメシスのクルーたちが、その狂信的な歓声に呼応するように、拳を突き上げ、神の御名を絶叫する。

 

「神の御業だ!」

「我らが神に、不可能はない!」

「アリズンの悪は、今、一掃されたのだ!」

 

(一掃してどうするんだバカ者ども! 奴らのバックにはもっとヤバい本家がいるって言っただろうが! お前らは蜂の巣を、それもヤクザ事務所の蜂の巣を、バズーカで吹き飛ばしただけなんだぞ! 中から何が出てくるか分かったもんじゃない! なんで誰もその危険性に気づかないんだ!? この船には危機管理マニュアルとかないのか!?)

 

思考は、完全にパニック状態。

だが、その狂乱の渦の中心で、最も正気からかけ離れた人物が、カイの前へと進み出た。

レナ・ユキシロ。

その人形のような美しい顔に、恍惚とした笑みを浮かべ、完璧な礼と共に、彼女は詠い上げる。

 

「主よ、あなたの御業は、また一つ、新たな伝説となりました」

 

(伝説になるな! 頼むから、地方ニュースの隅っこで「原因不明の爆発事故」くらいで処理してくれ!)

 

「このアリズンの星々が、混沌の闇に覆われていた時代は、今日、終わりを告げました。あなたの雷霆が、悪しき者共を焼き払い……」

 

(雷霆じゃねえ! ヤケクソでぶっ放したビームだ! 頼むから俺の行動をいちいちポエムにするのをやめてくれ! 黒歴史製造機かお前は!)

 

「そして、我ら迷える子羊に、進むべき道を示されたのです」

 

(道なんてこれっぽっちも示してない! 俺が今、全身全霊で示したいのは「俺は一切関わりたくありません」という断固たる意志表示だけだ! 見てくれこの引きつった笑顔を! これが「関わるなオーラ」だぞ! 感じろ!)

 

だが、彼女にそんなオーラが届くはずもなかった。

レナは、その狂信の瞳を、さらに輝かせ、とどめの一言を、高らかに宣言した。

 

「この勝利を、全銀河が知ることになるでしょう」

 

(やめろぉぉぉぉぉぉぉぉっ! それだけは! それだけは絶対にやめろ! なんで事を大きくするんだ! ネットニュースにすら載るな! できれば関係者全員の記憶から消えてくれ! 頼むから、俺をそっとしておいてくれよぉ!)

 

その、あまりにも重く、そしてどこまでも歪んだ、祝福の言葉。

まるで、壮大な叙事詩の序章を詠み上げるかのような、完璧な賛美。

それが、カイの、最後の、本当に最後の、ささやかな希望を、木っ端微塵に粉砕した。

 

彼は、もはや何も言えない。

ツッコミを入れる気力すら、残っていない。

涙も出ない。

ただ、静かに、深く、深く絶望し、ゆっくりと、目を閉じるのだった。

彼の勘違いは、もはや彼一人の手には負えない、銀河規模の、巨大な怪物へと、完全に成長してしまったのだから。





あとがき、あるいは蛇足


────────────────────────────────────────────


カイ「なあ、シロ。ちょっと作者に物申したいんだが」

シロ「どうしたの急に。ついに物語の登場人物としての自我を捨てて、第四の壁を破る気?」

カイ「今回の俺、前半のイケイケな天才ゲーマーと、後半の絶望してる小物との落差が激しすぎないか? 読者だって混乱するだろ。キャラクター性をちゃんと一貫させてほしい」

シロ「いいんだよ、それで。読者の皆さんは、カイの神がかった大活躍と、その後の無様で情けない絶望顔をセットで楽しむのが、この物語の正しい嗜み方なんだから。いわば様式美だね」

カイ「俺はエンターテイメントの見世物じゃないぞ!」

シロ「最高のエンターテイメントだよ。というわけで、読者の皆様、いつもカイを応援(という名の地獄に突き落とすリクエスト)をしていただき、誠にありがとうございます。皆様の温かい声援(と生贄要求)が多ければ多いほど、カイはこれからもどんどんひどい目に遭いますので、引き続き、何卒よろしくお願いいたします!」

カイ「俺をなんだと思ってるんだ! いい加減にしろ!」
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