戦場に静寂が戻った時、それは新たな物語の始まりを告げる合図である。
もっとも、その物語が英雄譚になるか、あるいはただの阿鼻叫喚の地獄絵図になるかは、脚本家である運命の女神の、その日の気分次第なのだが。
今、神聖タルタロス帝国(仮)の旗艦「ネメシス」の艦橋は、まさしくその「物語の始まり」にふふさわしい、熱狂と喧騒の渦の中心にあった。
つい先ほどまで、絶対的な戦力差という絶望に打ちひしがれていたはずの男たちが、今はまるで建国記念祭の夜のように、酒を酌み交わし、肩を組み、腹の底から勝利の凱歌を歌い上げている。
「聞いたかよ! 司令の、あの神がかりの指揮を!」
「聞いたどころか、見た! 俺たちの艦が、まるで神の手足になったみたいだった!」
「嵐すらも兵器に変えるとは……! あれは、もはや戦術などという生易しいものではない! 神の御業そのものだ!」
元囚人たちの、その日に焼いたパンよりも熱い賞賛の声。正規クルーたちの、もはや崇拝を通り越して狂信の域に達した瞳。
彼らは、自分たちが体験した奇跡を、興奮冷めやらぬ様子で、一人一人が歴史の証人になったかのように語り合っていた。
「あの電磁嵐の制御……! 敵艦隊のシールドが過負荷で機能不全に陥る、ほんの一瞬のタイミングを完璧に見抜き、味方の全火力を集中させた!」
「いや、それだけじゃない。嵐の最もエネルギー密度が高い宙域へ、敵艦隊を寸分の狂いもなく誘導したんだ。まるで、神が羊の群れを屠殺場へと追い立てるように……!」
「我らが神に、不可能はない! 全ては、遥かな高みから我らを見守る、司令の御心のままよ!」
艦橋の片隅では、カイの表向きの作戦──『コロニーを囮とし、住民は事前に艦隊に避難させる』──に従い、戦闘前にネメシスへと移乗していた旧コロニーの住民たちが、安堵と、そして目の前で繰り広げられる奇跡への畏怖に、ただ呆然と立ち尽くしている。住処を失った絶望よりも、自分たちを襲った絶対的な死を、さらに巨大な死で塗り潰した存在への畏敬が、彼らの心を支配していた。幼い子供が、母親の服の裾を引きながら、恐る恐る艦長席を指差す。
「ママ、あの人が、王様……?」
母親は、涙を浮かべたまま、そっと首を横に振った。
「いいえ、坊や。あの方こそが、私たちを救ってくださった、神様よ」
なんと都合のいい解釈だろうか。彼らの家を吹き飛ばした嵐を操った張本人なのだが、結果として命が助かれば、それは全て神の慈悲深い御業となるのだ。
無理もない。彼らは、勝ったのだ。それも、ただ勝ったのではない。かつてヴァルハラで対峙した正規軍を遥かに凌駕する大艦隊を、自軍の損害をほぼゼロという、天文学的にありえないスコアで、一方的に、そして完璧に蹂躙したのである。
それは、もはや勝利ではなかった。彼らにとっては、神がその力を改めて示した、荘厳なる儀式であった。
そして、その儀式の主祭壇に祀り上げられた生贄、もとい、奇跡の御子は、今。
(……帰りたい)
その熱狂の中心、艦長席という名の玉座の上で、一人、死んだ魚のような目で、遠い故郷の星に思いを馳せていた。
(なんで、こうなった……? 俺はただ、虎の威を借りて、安全な場所でふんぞり返って、たまにスープの味見でもしながら、穏やかな老後を過ごしたかっただけなのに……。なんで、その虎を、生皮剥いで骨まで残さず食い尽くすような、最悪の結果になってるんだ……?)
我らが英雄、カイ・シラヌイ。彼の内心は、周囲の熱狂とは百八十度異なる、深い、深い絶望の海に沈んでいた。
彼の、自己保身と怠惰のためだけに練り上げられた完璧な計画は、またしても、彼の意図とは全く無関係に、銀河史に残る壮大な大勝利という、最も望まない結果を生み出してしまった。
そして、その勝利が、これから自分にどれほどの面倒事と、どれほどの責任を押し付けてくるのか。それを想像するだけで、彼の繊細な(と本人が固く信じている)胃袋は、キリキリと悲鳴を上げていた。
『いやー、すごい人気じゃないか、教祖様。信者たちの信仰が、また一段と深まったようだね。どう? 今の気分は。歴史を創った男になった気分は』
脳内で、シロが心底から愉快そうな声で言った。このAI、主人の精神的苦痛を最高のスパイスとして嗜む、極めて悪趣味な美食家である。
「(黙れ、このポンコツAIが! 歴史を創ったんじゃない、面倒事を創ったんだ! 見ろ、あの連中の目を! もはや、俺を見る目が、尊敬とか畏怖とか、そういうレベルじゃないぞ! あれは、完全に、神を見る信者の目だ! やめてくれ! 俺は、そんな重たい期待を背負えるほど、出来た人間じゃないんだ!)」
『でも、事実として君は勝ったじゃないか。それも、歴史的な大勝利だ。彼らの信仰が深まるのも無理はない。むしろ、もっと賞賛されるべきだよ。さあ、胸を張って、こう言うんだ。「全ては、我が計算の内だ」と』
「(それが言えたら苦労はしない! 俺の計算では、今頃は敵艦隊がコロニーを包囲して、俺たちは安全圏から高みの見物だったはずなんだ! それがどうして、敵艦隊は全滅、コロニーは消滅、おまけに俺は救世主扱いになってるんだ! バグか! これが世に言うセカイ系のバグなのか!)」
カイの言う通りだった。
クルーも、元囚人も、そして救助されたばかりの避難民たちでさえ、今や彼のことを、ただの指揮官や救助者としては見ていない。
カイ・シラヌイ。
それは、いかなる絶望をも覆す、生ける奇跡。
我らを導き、我らを救う、唯一絶対の神。
その、あまりにも重く、そしてどこまでも純粋な信仰の視線が、無数に、カイの小心な魂へと突き刺さる。それは、もはや物理的な質量を伴って、彼の精神を押し潰さんばかりだった。
(ああ、もうダメだ……。このままでは、俺は期待の重圧で圧死する……! そうだ、何か理由をつけて、この場から逃げ出さなければ……! 『少し、瞑想の時間が必要だ』とか、それっぽいことを言って、自室に引きこもるんだ! そして、ふかふかのベッドの上で、この悪夢が終わるのを待つのだ! そうと決まれば、いかにして最も神々しく、最も自然にこの場を立ち去るか……!)
彼が、そんな無駄な現実逃避計画を脳内で打ち立て、その第一歩を踏み出そうとした、まさにその時だった。
カツン、と。
あれほど騒がしかった艦橋の喧騒を、一本の杖が床を打つ、硬質で、静かな音が切り裂いた。
その音は、不思議なほどよく通った。まるで、熱狂という名の騒音の、その隙間を縫うようにして、そこにいる全ての者の鼓膜を、静かに、しかし明確に震わせたのだ。
一人、また一人と、騒いでいた兵士たちが口を閉ざし、音のした方へと振り返る。熱狂は波が引くように収まり、艦橋は水を打ったような静寂に包まれた。先ほどまでの喧騒が嘘のように、今は船の生命維持装置のかすかな作動音だけが響いている。
その静寂の中を、カツン、カツン、と、杖の音だけが、まるで時計の秒針のように、厳粛に、そして規則正しく響き渡る。
熱狂の渦が、まるでモーゼの前の紅海のように、さっと左右に分かれていく。
その中央にできた一本の道を、一人の老婆が、静かに、しかし真っ直ぐに、カイの元へと進み出てきた。
避難民たちの中から、他の者たちに道を開けさせながら。
それは、カイがこの宙域で最初に言葉を交わした、あの老婆だった。
通信越しに、不吉な警告を発した、張本人。
彼女の纏う、厳粛で、そしてどこか悲壮な雰囲気に、誰もが息を呑んだ。勝利の余韻など、もはやどこにもない。ただ、これから何かが始まるという、荘厳で、そして不吉な予感だけが、その場を支配していた。
カイは、その光景を見て、内心で盛大に舌打ちした。
(うわぁ……来たよ、めんどくさいのが……! なんだ、あの空気は! あのババア、絶対に、ろくでもない話をしに来たぞ! 俺の自己保身センサーが、観測史上最大級の危険信号を発している! 警報! 警報! 今すぐ全速力でこの宙域から離脱せよ!)
彼の第六感は、正しかった。
老婆の登場は、この壮大な勘違い劇の、新たなる始まりを告げる、無慈悲な開幕ベルだったのである。
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老婆は、カイの座る艦長席の前までたどり着くと、その場にいる誰もが息を呑むような行動に出た。
彼女は、その年老いた身をゆっくりと折り曲げ、深く、深く、カイに向かって頭を下げたのだ。その額が、冷たい金属の床に、ほとんど触れんばかりだった。
それは、ただの敬意の表れではなかった。
絶対的な存在に対する、完全なる臣従の意を示す、最も古い、そして最も重い礼法。
その、あまりにも荘厳な光景に、カイは内心で(ひぃっ! やめてくれ! そんな、俺を崇めないでくれ! 俺はただの引きこもりだ! そんな重たい敬意、俺の肩では支えきれん!)と、悲鳴を上げていた。
やがて、老婆はゆっくりと顔を上げた。その、顔に深く刻まれた皺には、苦難の歴史が物語のように刻まれている。だが、その瞳の奥に宿っていたのは、諦観ではなかった。
一つの、燃えるような、最後の希望の光だった。
彼女は、震えながらも、しかし強い意志を宿した声で、懇願した。
「どうか……」
「どうか、我々の『組』を、お救いください」
その、あまりにも古風で、そしてどこか物騒な響きを持つ言葉。
「組」。
その単語が、カイの脳内で、前世の記憶──B級ヤクザ映画の、チープな抗争シーン──と、不吉な形で結びついた。
(……組? なにそれ、美味しいの? ……いや、待てよ。……まさか、とは思うが……)
カイが、その嫌な予感に内心で首を傾げている間にも、老婆は顔を上げ、このアリズン星系を蝕む、血で血を洗う抗争の、そのおぞましい真実を、涙ながらに語り始めた。
「我々は、かつてこの宙域を束ねていた、宙域海賊連合『アリズン連合』に所属する、しがない一家にございます」
(やっぱりお前もヤクザじゃねえか! やめてくれ、俺は『ゴッドファーザー』より『となりのトトロ』を見ていたいタイプの人間なんだ!)
まっくろくろすけに自分を重ねていたのだろうか。
「ですが、我らが連合の三代目総長、“鬼神”ギンガ様が、原因不明の病に倒れられてから、この星系は変わってしまいました。これまで水面下で燻っていた権力闘争が表面化し、血で血を洗う『跡目争い』が、始まったのでございます」
跡目争い。
その、面倒事の匂いしかしない、完璧なキーワード。
カイは、もうこの時点で、話の続きを聞くまでもなく、全力でこの場から逃げ出したくなっていた。だが、周囲の狂信者たちの、燃えるような視線が、それを許さない。彼は、外面だけは「民の悲痛な訴えに、真摯に耳を傾ける慈悲深き神」の表情を、完璧に維持していた。
老婆の告白は、さらに核心へと迫っていく。
「我ら『時雨一家』は、連合の中でも古参。先代より受け継がれし、古き『仁義』を、何よりも重んじてまいりました。……ですが、その仁義が、我らの仇となったのです」
仁義。
その、男たちの汗と血と涙で構成されたかのような、暑苦しい単語に、カイは内心で鳥肌を立てていた。
「跡目を狙う若頭、“渇血”のジャギ。あの男は、『仁義など時代遅れ。全ては力だ』と嘯き、他の組を利益と恐怖でまとめ上げました。そして、最初に牙を剥いたのが、邪魔な古参である、我ら時雨一家だったのです」
老婆の瞳から、一筋の涙が流れ落ちた。
「我らが四代目……私の、たった一人の息子、ケンジは、馬鹿がつくほど真っ直ぐな男でございました。『我らの力は、民を虐げるためにあるのではない。民を守るためにこそある』と、そう言って、最後までジャギに与することを拒み続けたのです。ですが、多勢に無勢……。組は壊滅し、頭領であった息子も、殺されました」
その、あまりにも悲痛な告白。
艦橋にいる兵士たちから、同情と、そして敵への静かな怒りが入り混じった、低いどよめきが起こる。
「なんてことだ……」
「筋を通したばかりに……!」
カイは、完璧な演技で、悲痛な表情を浮かべてみせた。内心では(知るかァ! お前らの身内のもめ事に、俺を巻き込むな! 俺は、ただ平和に暮らしたいだけなんだ! なんで俺が、銀河の果てのヤクザの抗争に首を突っ込まなくちゃいけないんだよ!)と、喚き散らしているのだが。
そして、老婆は、カイの心を凍りつかせる、決定的な一言を放った。
「……貴方様が、先ほど、あの嵐の中で滅ぼされた艦隊。あれこそが、我らを追い詰め、我らの住処を突き止めた、ジャギの追手だったのでございます」
(………………は?)
カイの思考が、一瞬、完全にフリーズした。
え? なにそれ?
俺が、さっき、ヤケクソで消し炭にしたあの艦隊って、こいつらの仇だったの?
俺、もしかして、なんか、とんでもないことしちゃった?
老婆は、そんなカイの内心の動揺など知る由もなく、最後の、そして最も重要な事実を、涙ながらに告白する。
「息子は、死の間際、我らに最後の命令を下しました。『組の未来を、民の未来を、絶やすな』と。我らは、その遺志を継ぎ、息子のたった一人の娘……我らの『姫』である、刹那様だけを、残ったわずかな者たちで守り、あのコロニーに隠れておりました」
姫。
その、物語のヒロインが登場する際にしか使われないであろう、極めて面倒な響きを持つ単語。
カイは、もはや眩暈すら感じ始めていた。
老婆は、その場にいる全員の心を揺さぶるような、絶望的な言葉を紡いだ。
「ですが、ジャギの追手が、ついに我らの居場所を突き止めた。もはや、これまでと覚悟した我らは、最後の賭けに出ました。我らの最後の希望である、刹那様だけを、わずかな手勢と共に、小型シャトルでこの宙域から逃しました。我々が、追手の注意を引きつけている間に……。……ですが、それも、時間の問題でございましょう。あの娘は、今頃、広大な宇宙のどこかで、孤独と絶望の中を、彷徨っているに違いありません……」
老婆は、そう言うと、再び、カイの足元に、深々と頭を下げた。
その震える背中は、全ての希望を失った者の、最後の、そして最も重い懇願を、何よりも雄弁に物語っていた。
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老婆の、あまりにも悲痛で、あまりにも面倒な告白。
それが終わった瞬間、カイ・シラヌイの、自己保身のためだけに最適化された超高性能CPU(脳味噌)の中で、全てのキーワードが、恐ろしいほどの速度で連結し、一つの、絶対的な、そして最悪の結論を弾き出していた。
跡目争い。
仁義。
組。
姫。
追手。
(待て待て待て、整理しよう……。『仁義』を重んじる古参の『組』が、『跡目争い』で非道な若頭に潰された。生き残ったのは、たった一人の『姫』。そして俺は、その姫を守っていた連中の目の前で、姫を狙う『追手』の艦隊を、完璧に、皆殺しにした……これって……)
彼の脳裏に、前世で見た数多のB級任侠映画のクライマックスシーンが、走馬灯のように駆け巡る。
(これって、ただ巻き込まれたとか、そういうレベルじゃねえ! 俺、完全に物語の重要人物(キーパーソン)になっちまってるじゃねえか! 古き良き任侠一家の仇を討った、謎の風来坊! 囚われの姫を救う、最後の希望! 俺がこの宇宙仁義なき戦いの主役になってるじゃねえか! ふざけるな!)
そう。彼の絶望は、新たな次元へとスケールアップした。
問題が「宇宙ヤクザの抗争」であることなど、もはや些細なことだ。
本当の絶望は、その抗争という名の陳腐な物語の、最も面倒で、最も過酷で、最も死ぬ確率が高い主人公という役割を、この自分が、完璧に、そして不可逆的に、演じさせられようとしている、という事実だった。
『おめでとう、カイ。ついに主役の座を射止めたね!』
脳内で、シロが、アカデミー賞の受賞式で司会者がジョークを飛ばすかのような、どこまでも軽薄な声で告げた。
『「英雄」から「神」、そして今度は「銀河任侠伝の主人公」かい? 次はどんな肩書が増えるか、今から楽しみだよ。さあ、ここはビシッと、決め台詞を言わなくちゃ。「このカイ・シラヌイ、一宿一飯の恩義、きっちり返させてもらいやすぜ」とかどうだい?』
(うるさい! 静かにしろ、このポンコツAIがァ! 主役などいらん! 俺は舞台の隅で居眠りしている木の役がやりたいんだ! なんで俺が、命を懸けてヤクザの姫なんぞを助けに行かにゃならんのだ! 断る! 断固として、断る!)
『だが、もう引き返せないぞ、カイ。君は、彼らの仇を討ってしまったんだ。それは、彼らにとっては「盃を交わした」のと同じ意味を持つ。君は、自分の知らないうちに、時雨一家と義兄弟の契りを結んでしまったんだよ。おめでとう。これで君も、今日から極道だ』
(そんな馬鹿な! 俺はただ、面倒事を避けたかっただけだ! なんでそれが、最も面倒な極道の世界に片足どころか全身どっぷり浸かることになるんだよ! 理不尽だ! この世は理不尽に満ちている!)
カイは、自分が、銀河の果ての、最も関わりたくない種類の、極めて厄介で、ウェットで、面倒な物語のど真ん中に、自らの手で、それも時速三百キロの豪速球で、全力で飛び込んでしまったことを、完全に、そして完璧に、理解した。
だが、彼の絶望は、まだ始まったばかりだった。
彼の周囲の世界は、彼の意図など一ミリたりとも斟酌することなく、最も都合のいい方向へと、暴走を始めていたのだから。
老婆の悲痛な物語を聞き終えた、カイの忠実なる信者たち――ネメシスのクルーと、元囚人たちは、完全に「弱きを助け、強きを挫く」モードに入っていた。
彼らの瞳は、燃えていた。
正義と、使命感と、そして何よりも、自分たちの神がこの理不尽な悪にどう立ち向かうのかという、狂信的なまでの期待によって。
「……ひどい話だ」
「仁義を貫いた者が、無残に殺されるなど……! 断じて許せん!」
「神よ! 我らに、ご命令を!」
「あの、ジャギとかいう外道を討ち、姫君とやらを救い出すのです!」
「そうだ! 姫君を、我らが神聖タルタロス帝国にお迎えするのだ! そして、カイ様の妃として……!」
「おお! それは名案だ!」
(待て! 話が飛躍しすぎだ! なんで嫁入りの話になってるんだ! 俺は結婚とかそういう面倒な制度とは無縁の、自由な独身貴族ライフを謳歌すると決めているんだ!)
彼らは、自分たちの神が、この理不尽な悪にどう立ち向かうのか、期待と信頼に満ちた、燃えるような眼差しでカイを見つめている。
その、あまりにも重く、そしてどこまでも純粋な期待の視線が、無数に、カイの小心な魂へと突き刺さる。
虎の威を借りるはずが、虎を殺し、殺された虎のライバルに泣きつかれ、その上、子分のヤクザたちからは「親父、仇を取ってくだせえ!」と期待されている。
その、あまりにも絶望的で、あまりにも面倒な状況。
カイは、外面を取り繕うことすら忘れ、思わず、両手で顔を覆った。
そして、誰にも聞こえない声で、天を仰いで、ただ一言、呟いた。
「……もう、やだ……」
その、あまりにも情けない、魂からの絶叫。
だが、その姿が、周囲の者たちの目には、こう映っていた。
「おお……! 司令が……!」
「虐げられた者たちへの、深い同情と……」
「そして、この世の理不尽に対する、静かなる怒りに……」
「身を、震わせておられる……!」
ああ、やはり。
我らが神は、我々と同じように、この悲劇に心を痛めておられるのだ。
いや、我々凡人とは比べ物にならないほど、深く、そして静かに。
その背中に、この星系の、全ての悲しみを背負って。
見よ、あの苦悩に満ちたお姿を!
我らが神は、今、我々に代わって、全ての怒りと悲しみを、その一身に受け止めてくださっているのだ!
なんと慈悲深きお方なのだろう!
彼らの、あまりにも壮大で、あまりにも美しい勘違い。
それが、カイ・シラヌイという名の、空っぽの神輿を、さらに高く、そしてさらに逃げ場のない場所へと、担ぎ上げていく。
もちろん、その神輿の上で、当の本人が(ああ、胃が痛い……。本格的に、胃に穴が開きそうだ……。帰ったら、絶対に精密検査を受けよう……。いや、もう帰れないのか? 俺は、この宇宙ヤクザの抗争が終わるまで、この船から降りられないのか? 嘘だろ……? 俺の有給休暇……)と、極めて俗なことを考えていることなど、誰一人として、知る由もなかった。
物語は、いつだって、主役の意思などお構いなしに、勝手に転がっていくものである。
あとがき、あるいは蛇足
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シロ「いやあ、今回の脚本もなかなか酷かったね、カイ。まさか軍事SFから、一気に任侠モノにジャンル変更するなんて。テコ入れにも程がある」
カイ「作者は俺を殺す気か!? 俺のキャラクター設定を読んだのか!? 『自己保身と怠惰』がモットーの男に、汗と涙と血と人情の世界が一番似合わないことくらい、小学生でも分かるだろうが!」
シロ「それが面白いんじゃないか。作者も読者も、君が困り果てて、泣き叫びながら、外面だけは完璧に取り繕って、面倒事を解決していく姿が見たいんだよ。いわゆる『様式美』ってやつだね」
カイ「そんな悪趣味な様式美、今すぐ叩き壊してやる! 次の話が始まる前に、この船ごとワープして、銀河の辺境でキノコでも栽培して暮らしてやる!」
シロ「無駄だよ。きっとその栽培したキノコが、実は宇宙的な奇病に効く伝説の万能薬で、それを巡ってまた新たな抗争が始まる。君がどこへ逃げようと、物語は君を追いかけてくるのさ。主人公だからね」
カイ「……もういっそ、俺をただの背景の『木』にしてくれ……」
シロ「残念、君はもう、引っこ抜けないほど深く、この物語に根を張ってしまった大樹なんだよ」