物語というものには、いくつかの心地よい「お約束」が存在する。
その中でも特に広く知られているのが『フラグ』の法則だ。
「この戦いが終わったら、故郷に帰って結婚するんだ」と兵士が言えば、それは彼の死を予告する『死亡フラグ』となる。逆に、絶体絶命の窮地で「まだだ、まだ終わらんよ!」と叫ぶ主人公は、逆転勝利を約束された『生存フラグ』を立てている。
これらのフラグは、いわば物語の作り手と受け手の間における暗黙の了解。これから起こる出来事をそれとなく示唆し、読者の期待や不安を巧みに煽るためのスパイスのようなものだ。そして通常、その回収にはある程度の時間と適切な舞台装置が必要とされる。
だがしかし、我らが英雄、カイ・シラヌイを巡る物語は、その優雅な法則から著しく逸脱している。
彼が立てるフラグは、まるで出来立ての熱々ピザを待ちきれない食いしん坊の悪魔にでも狙われているかのように、設置された次の瞬間には凄まじい速度で、しかも大概は立てた本人の意図とは真逆の形で無慈悲に回収されてしまうのだ。
特に、彼が己の平穏無事を願って捧げる「祈り」は、最悪のフラグ製造機として機能する。
「どうか、これ以上面倒事が増えませんように」という彼の切実な祈りは、「観測史上最大級の面倒事が、ただいま貴方様に向かっております」という宇宙からの着信通知に他ならない。
「どうか、あの厄介な人物が現れませんように」という願いは、「お待たせいたしました! ご指名の厄介な人物が、最悪のタイミングでまもなく到着いたします!」という盛大な登場予告なのである。
そう。カイ・シラヌイという男は、己の幸福を願えば願うほど、そのフラグが即座にへし折られ、より巨大な不幸となって我が身に返ってくるという、特異な呪いにかけられた存在なのだ。
そして今、まさに。
彼が人生で最も真摯に、そして最も下劣に立てた「祈り」という名のフラグが、宇宙の悪意によって最速最短ルートで回収されようとしていた。
これは、そんな英雄の、あまりにも報われないフラグ建築と、その悲惨な解体ショーの全記録である。
──────
旗艦「ネメシス」司令官室。
その玉座(リクライニングチェア)の上で、カイ・シラヌイは外界の喧騒から完全に精神を遮断し、己の内なる宇宙へと深く、深くダイブしていた。
彼の外面は、民を救うための最善策を血の滲むような苦悩の末に思案する、極めて真剣で神々しい表情を浮かべている。艦橋のクルーたちがモニター越しにこの姿を見れば、まさしく、銀河の運命そのものをその両肩に背負う救世主の苦悩としてその目に映ったことだろう。
もちろん、そんなわけがない。
彼の脳内で繰り広げられていたのは、神聖な思索などでは断じてない。
ただひたすらに、一人のいまだ見ぬ少女のありとあらゆる不幸な末路を妄想し、その実現を天に(自分以外の)祈るという、英雄にあるまじき、下衆の極みともいえる精神活動であった。
しかし、それから数時間が経過し、さすがのカイもその不謹慎なクリエイティブ活動に飽き始めていた。
B級パニックホラーから壮大なスペクタクル悲劇まで、考えうる限りの不幸のシナリオはすでに出尽くした。何事も、やりすぎれば飽きるのが人間の性である。たとえそれが、他人の不幸を願うという極めて低俗な娯楽であったとしても。
(……ふぅ。さすがに疲れた。神頼みも案外、体力を使うもんだな)
そんなあまりにも俗っぽい感想を抱きながらカイがふと目を開けると、彼のすぐ傍にいつの間にか銀髪の美少女──彼の愛機(ポンコツAI)である『シロ』が、ホログラムの姿でちょこんと座っていた。彼女は主人の不謹慎極まりない祈りの一部始終を特等席で鑑賞していたのだろう。その美しい顔には、面白くてたまらないという悪魔的な笑みが浮かんでいた。
『お疲れ様、カイ。なかなかに創造性豊かなお祈りだったよ。特に、未知の粘菌に寄生されて、身体中からキノコが生えてくるっていうシナリオは、斬新で素晴らしかったと思うな』
(うるさい。お前は俺の不幸を肴に酒が飲めるタイプだな)
『褒め言葉として受け取っておくよ。でもさ、そんな神頼みばっかりしてないで、少しは現実的なことを考えたらどうなんだい?』
シロの、いかにももっともらしい提案。
だが、その声音には明らかに「もっと面白いことになれ」という邪悪な期待が込められている。
カイは鼻を鳴らしながら、思考のチャンネルを切り替えた。
(現実的なこと、ねぇ……。考えたくもないが、今回の件を振り返ってみるか)
彼の脳裏にこれまでの出来事が走馬灯のように、しかし極めて迷惑なダイジェスト映像として蘇る。
まず、全ての元凶である惑星タルタロス。
あのクソッタレな監獄惑星で、俺は一体何人の面倒事を背負い込むことになった?
ギデオンとかいう筋肉ダルマの石頭。あいつは俺を神輿にかついで、新しい国家だか何だかを作る気満々だ。冗談じゃない、俺は書類仕事が大嫌いなんだ。
そして、あのタルタロスから連れてきた大量の、本当に大量の元囚人ども。あいつらを食わせるために、俺の貴重な備蓄物資がどれだけ消費されたと思っているんだ……! 元囚人のくせに、どいつもこいつも大食らいなんだよ!
(そうだ、コロニー「黄泉」での一件だ……!)
カイは思い出したくもない記憶を無理やり引っ張り出す。
アリズン星系に到着して早々、俺は瀕死のコロニーに支援物資を届ける羽目になった。人道支援? 寝言は寝て言え。あれはただの押し付けだ。
あのコロニーにあった地獄のような光景。それを見た俺の部下どもと、あの元囚人どもが見せた、あの、なんとも言えない「期待」に満ちた目!
「我らが神ならば、必ずやお救いになるはずだ」
「英雄カイ・シラヌイ様が見捨てるわけがない」
あの無言の、しかしとてつもなく強烈な圧力! あのキラキラした正義感と狂信に満ちた目で三百六十度から見つめられてみろ! 断れるわけがないだろうが!
(あの馬鹿正直な部下どもめ……! 俺の外面を真に受けて、あの瞳で俺を見つめやがって! 俺の貴重な備蓄が! 俺の優雅な艦内生活の糧が! お前たちの、その安っぽい正義感のためにごっそりと消えていったんだぞ! 俺の楽しみだった食後の高級アイスがもう在庫切れだと聞いた時の、俺の絶望がお前に分かるか!?)
彼の怒りはさらにエスカレートする。
次に脳裏に浮かんだのは、つい先日の海賊艦隊との戦闘だ。
(あのイカれた海賊どもが……! 馬鹿なのか!? なぜ、あんな自殺行為同然の電磁嵐にわざわざ艦隊ごと突っ込んでくるんだ! こっちは適当に隠れて追い払うつもりだったっていうのに! おかげでネメシスまで危険に晒す羽目になったじゃないか! 馬鹿は死ななきゃ治らないとは言うが、死ぬ前に他人を巻き込むな、このクソッタレどもが!)
カイは嵐の中を無理やり突き進んだ時の、旗艦「ネメシス」の悲鳴を今でもはっきりと覚えていた。
船体の至る所から響く金属の軋む音。管制室に飛び交うクルーたちの悲鳴のような報告。
彼の愛する玉座(リクライニングチェア)ですら、あの時はまるで地震に遭ったかのようにガタガタと激しく揺れていたのだ。
(そうだ……ネメシスも限界だ。あの無茶な航行で、船体のフレームには目に見えない無数のマイクロクラックが入っているに違いない。ジェネレーターの出力も不安定になっていると報告があった。シールド・コンデンサも交換が必要なはずだ。そうだ、そうだ、そうだ……!)
次々と浮かび上がる絶望的な事実の数々。
物資の欠乏。
艦体の深刻なダメージ。
兵士たちの蓄積した疲労。
普通ならば司令官として頭を抱えるべき絶望的な状況。
しかし、カイ・シラヌイという男の思考回路は、常人とは全く異なるベクトルへと猛烈な勢いで加速していく。
彼の口元に、下劣で醜悪で、そして最高に満足げな笑みがゆっくりと、ゆっくりと浮かび上がった。
(……勝った)
(これは……! これは、千載一遇のチャンスじゃないか……!)
(そうだ! これだけの被害が出ているんだ! これ以上、このクソみたいな星系に留まる理由はない!)
(補給と艦の修理! これを大義名分に、俺は今すぐこのアリズン星系から、合法的に、そして誰からも文句を言われることなく、トンズラできる……!)
脳内に高らかに勝利のファンファーレが鳴り響く。
絶望的な状況は一瞬にして最高の希望へと反転した。
彼は今、怠惰の神に心からの感謝を捧げていた。
『おや、カイ。何やらとんでもなく邪悪な笑みを浮かべているけれど。何か、いいことでも思いついたのかい?』
シロがニヤニヤしながら彼の顔を覗き込む。
カイは、その笑みをさらに深くした。
(フン、見てろよシロ! 今から俺が、本国のお偉方を完璧に言いくるめるための、珠玉の泣き落とし作文……いや、『緊急嘆願書』とやらを、この手で直々に作り上げてやる! お前はそこに座って、俺の完璧な文章構成能力と人心掌握の才能に、ただただ感嘆しているがいい!)
『へぇ、カイが自分で? 面白そうじゃない。いいよ、特等席で見物してあげる』
カイは、詐欺師がターゲットを騙すための完璧な計画書を練り上げるかのような邪悪な輝きを目に宿し、自ら司令官席のコンソールを凄まじい勢いで操作し始めた。
もはや、彼の頭の中から行方不明のお嬢様のことなど綺麗さっぱり消え去っていた。
あるのはただ一つ。
「いかにしてこの面倒な現場から、一刻も早く逃げ出すか」という、その一点のみ。
「よし、まずタイトルは……『緊急嘆願書:アリズン星系における作戦行動の継続、および艦隊の存続に関する危機的状況の報告』だ! どうだ、この時点で、もうただ事じゃない感が滲み出ているだろう!」
カイは一人で興奮しながらキーボードを叩いていく。その姿は夏休みの宿題の工作に夢中になる小学生のように、無邪気で、そして極めて自己中心的であった。
「次に、損傷データだ。ネメシスの被害状況をこれでもかと書き連ねてやる! 特に、クルーたちの居住区画の被害を重点的に記載するんだ! 『英雄たちの安らかな眠りすら、もはや保証できない』……くぅーっ! どうだ、この一文! 泣けるだろう!」
『ふーん、まあまあじゃない? でもさ、カイ。それなら、嵐の中でブリッジのクルーが必死になってるあの感動的な映像も入れたら? BGMに悲しいクラシックでも流せば、本国の石頭どもなんてイチコロじゃない?』
(なっ……! シロ、お前、天才か!)
カイはシロの悪魔的な助言に目から鱗が落ちる思いだった。彼はすぐさま、そのアイデアを採用する。
「それから、補給物資の欠乏についてだ! ここは視覚的に訴えるのが効果的だ! 残量が今にもゼロになりそうな、あの赤い、絶望的な棒グラフをレポートのド頭にデカデカと表示させてやる!」
『ああ、そうだ。どうせなら、この前ハンスが過労で鼻血出した時のメディカルデータも引っ張ってきて、「兵士たちの消耗は限界だ」って証拠にしたら? もっと説得力出ると思うけど』
(そ、それだーっ!)
二人の邪悪な共同作業は驚くべき速度で進んでいった。いや、正しくはカイが作り上げる下劣な作文に、シロがさらに下劣なスパイスを振りかけていくという構図である。
やがて完成したのは、事実を巧みに誇張し、悲壮感を極限まで演出し、読んだ者が「これは一刻も早く彼らを帰還させなければ、大変なことになる」と心の底から信じ込んでしまうような、完璧な、そして極めて悪質な「嘆願書」だった。
カイはその完璧な出来栄えに満足げに頷くと、最後の仕上げとして自らの音声メッセージを録音した。
その声は疲れ果て、それでもなお民を見捨てられないという、英雄の苦悩と悲壮な覚悟に満ちていた。
「──以上が、我が艦隊の現状である。我々は、決して、屈しない。この身が朽ち果てようとも、アリズン星系の民を見捨てることはない。だが、もし星系連合が、我々を真に自らの剣と信じてくれるのであれば……。願わくば、我らに次なる戦いに備えるための僅かな休息と癒しを……与えたまえ……」
完璧な英雄の演説。
もちろん、その本心は「一刻も早く、こんな場所から逃げ出して、安全な後方で昼寝がしたい」という、どうしようもない欲望の塊である。
(よし、送信しろ!)
『はいはい、送信っと。せいぜい、いい返事が来るといいねぇ』
シロのどこか投げやりな報告と同時に、カイは玉座(リクライニングチェア)の背もたれに深く、深く、体重を預けた。
全身から力が抜けていく。
やり遂げた。
これで、全ては終わる。あとは、本国からの温情あふれる「帰還許可」を待つだけだ。
彼の心は久しぶりに穏やかな安らぎと、未来への確かな希望に満たされていた。
その平和な時間を無慈悲に切り裂いたのは、艦橋から直接転送されてきた緊急の通信要請だった。
「司令!」
リーゼロッテの切迫した声が、司令官室のスピーカーから響き渡る。
「未識別の民間船より、緊急回線での通信です! こちらの司令官、カイ・シラヌイ様へと、直接話したいと……!」
カイの心臓が嫌な音を立てて、ドクン、と大きく跳ね上がった。
背筋に氷のように冷たい汗が一筋、流れ落ちる。
さっきまで彼の全身を支配していた、あの幸福な安堵感は一瞬にしてどこかへ消え去っていた。
(まさか……いや、そんなはずは……。ただの、宇宙の迷子だろう……。そうに違いない。あるいは、俺の武勇伝を聞きつけたどこかのメディアのハイエナか……)
彼は必死に、自分にとって最も都合のいい可能性を脳内で組み立てようとした。
だが、自己保身の本能が魂の奥底でけたたましく警報を鳴らしていた。
──違う。あれは、絶対に、違う、と。
しかし、彼に拒否権はない。
民衆へのポーズとして「捜索」を命じてしまった以上、それらしき船からの通信を無視するわけにはいかなかった。ここで無視すれば、「神は、我々を見捨てるのか」という最も面倒な疑念を、信者たちに抱かせることになりかねない。
カイは断頭台へ向かう罪人のような心地で、震える声を必死に押し殺した。
その声は、完璧な神の威厳を辛うじて保っていた。
「……分かった。すぐに、艦橋へ向かう」
通信を切り、重い、本当に重い腰を上げる。
傍らでシロが、面白くてたまらないという表情でクスクスと笑っていた。
『さあ、行こうか、僕らの英雄。民が、君を待っているよ』
(黙れ、このポンコツが……!)
司令官室から艦橋へと続く短い廊下。
そのわずか数十メートルの距離が、カイにとっては永遠に続くかのように長く、長く感じられた。
一歩、足を踏み出すごとに嫌な予感が現実の重みとなって彼の全身にのしかかってくる。
艦橋の扉がゆっくりと自動で開いた。
そこにいたのは彼の狂信的な部下たち。
リーゼロッテ、ハンス、そして艦橋のオペレーターたち。
彼らの視線が一斉にカイへと注がれる。
その瞳に宿っているのは緊張と、そしてこれから始まるであろう「奇跡」への熱狂的な期待。
誰もが固唾を飲んで神の次なる一手を待っていた。
カイはゆっくりと艦橋の中央、司令官席へと歩を進める。
もう、逃げ場はどこにもない。
彼は最後の、本当に最後の望みをかけて心の中で、人生で最も真摯な、そして最も下劣な祈りを捧げた。
(頼む! 神様! 仏様! 宇宙の真理様!)
(どうか、通信の相手がただの、しがない宇宙商人であってくれ……!)
(あるいは、借金の取り立て屋でもいい! 俺の悪口を言いに来たアンチでも構わん!)
(だから、頼む! 頼むから……!)
(あの女だけは、絶対に、出てくるな……!)
彼はゆっくりと振り返り、メインスクリーンを見据えた。
そして、断頭台の刃が振り下ろされるのを待つ罪人のように、静かに、しかし威厳に満ちた声で命じた。
「……通信を、繋げ」
そのあまりにも重々しい言葉。
艦橋のクルーたちは息を飲んでその瞬間を待っていた。
神の御前に、一体何者が現れるのか、と。
そして、メインスクリーンにノイズ混じりの不鮮明な映像がゆっくりと、しかし確実に映し出されていく。
そこに映し出されていたのは、地獄だった。
明らかに激しい戦闘によって損傷した小型シャトルの、薄暗いブリッジ。
壁のあちこちからは火花が散り、床にはおそらくは負傷者であろう数人の男たちがぐったりと倒れている。
空気そのものが、死と絶望の匂いに満ちていた。
そして、その地獄の中心に、彼女は立っていた。
一人の少女が。
着ている衣服は所々が焼け焦げ、煤で汚れている。その表情は長く続いたであろう逃避行によって深く、深く憔悴しきっていた。
だが、それでも。
その背筋はまるで鋼鉄の芯が入っているかのように凛と伸び、その瞳にはどんな絶望にも屈しない気高い光が宿っていた。
長く艶やかな黒髪が一本の質素な紐で束ねられている。その簡素な髪型ですら、彼女の隠しきれない気品と生まれ持った美しさを際立たせていた。
カイは、その姿を一目見ただけで全てを理解した。
(ぎゃあああああああああああああああああ!!!!!!!!! なんでいるんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!! 小惑星は!? 宇宙怪獣は!? 俺があれだけ心を込めて考えた、お前のための不幸なシナリオの数々は、一体どこに行っちまったんだよぉぉぉぉぉ!!!)
脳内で何かが、ぷつり、と音を立てて切れた。
彼の最後の、本当に最後のささやかな希望。
「どこかで野垂れ死んでいますように」という、あの邪悪な祈り。
それが今、最も最悪な形で裏切られ、木っ端微塵に砕け散ったことを。
まさしく、老婆が語っていた「頭領の一人娘」その人であった。
少女は画面の向こう、神の玉座に座るカイの姿を、その気高い瞳で真っ直ぐに見つめた。
そして、か細いが艦橋の隅々にまで響き渡るような芯の通った声で問いかけた。
「あなたが……」
「あなたが、皆が噂する『救い主』……」
「カイ・シラヌイ様、なのですか?」
(違う! 俺はカイ・シラヌイじゃない! 俺は通りすがりの善良なニートだ! 人違いだと言ってくれ! 誰か! 誰かこいつをつまみ出してくれぇぇぇぇぇ!!! やめろ! そのキラキラした、期待に満ちた目で俺を見るなぁぁぁぁぁ! 俺はお前が思っているような、立派な救世主様なんかじゃなぁぁぁい!!!)
そのあまりにも純粋で、あまりにも切実な問い。
それが、カイの完全にフリーズした思考回路に最後の一撃を加えた。
彼は何も答えられない。
思考は完全に停止し、脳内では絶望の絶叫が無限に木霊している。
しかし。
その外面は、神の彫像のごとく微動だにしなかった。
その瞳は画面の向こうに立つ少女をただ静かに、そして深く見据えている。その表情からは驚きも喜びも、その他のいかなる感情も一切読み取ることはできない。
艦橋のクルーたちの目には、その完璧な沈黙が、予期せぬ来訪者を前に瞬時にして万手先までを読み切り、最善の応手を導き出そうとする、神の深淵なる思慮の時間として映っていた。リーゼロッテなどは、その神々しいまでの静寂に感動のあまり、そっと胸の前で十字を切っているほどだ。
だが、真実は違う。
今、カイ・シラヌイの完璧な外面の内側で、小心者で怠惰で、どうしようもなく人間臭い男の魂が、最後の、そして最大の声なき絶叫を上げていた。
(俺の平穏な生活が……! 俺の怠惰な毎日が……! 帰還許可を待つだけの、輝かしい未来が……! この女のせいで、全部、全部、ぶっ壊れるぅぅぅぅぅぅぅ!!!)
因果応報とはこのことである。
あとがき、あるいは蛇足
──────
シロ:「それにしても、あのお嬢様。映像は荒かったけど、かなりの美人だったね。気高くて、芯が強そうで……一言で言うと、面倒くさそうなタイプだ。カイの好みじゃない?」
カイ:「どこをどう見たら俺の好みになるんだ! 馬鹿を言え! あれはダメだ! 絶対にダメなやつだ! 俺の怠惰センサーが、観測史上最大の危険信号をビービー鳴らしている! あれは、正義と理想とその他もろもろの面倒事を、リュックサックにパンパンに詰め込んで歩いているような女だぞ!」
シロ:「ふーん。でも、あれだけ真正面から来られると、カイが普段やってるみたいな小手先のハッタリは、案外、通用しないかもしれないね。君の完璧な外面(ポーカーフェイス)が、どこまで保つか見ものだ」
カイ:「なっ……! 俺の完璧な外面が通じないだと!? ……いや、むしろ好都合かもしれん。俺の下衆な本性を早々に見抜いて、さっさと愛想を尽かしてどこかへ行ってくれるだろう。うん、そうだ、そうに違いない!」
シロ:「へぇ、ポジティブだね。その前向きな勘違いが、新たな地獄の入り口だったりしないといいけど」
カイ:「なんだと!?」
シロ:「まあ、答え合わせは次回のお楽しみ、ってことで。果たして、カイの外面は彼女に通用するのか? それとも、新たな信者が一人、爆誕してしまうのか? ……僕としては、後者に賭けたい気分だよ」
カイ:「賭けるな! 俺の人生で賭け事をするなぁぁぁ!」