黒髪令嬢は同担拒否 作:匿名
まだ桜の花弁も開ききらぬ、春早くの事。
私、紀見国信彦は結婚する事になった。
山奥の古いお屋敷で、ひっそりと上げられた結婚式。
参列する人は、10人も満たない。いずれも年配のご老人。
皆、覚えのない顔ばかりだ。それでもそのしゃんとした佇まいを見れば、一角の人物であるという事は私にも分かる。
ただ、居心地は悪くない。
彼らは皆笑顔で、微笑ましそうに私と、その隣に座る新婦へと祝福の視線を送っている。
そっと、伏せた視線を横に向ける。
そこにはまさに、今から咲き誇るであろう一凛の華麗な華の姿があった。
艶やかな黒髪、しとやかに伏せられた眼差し。白粉で染められた白い顔、その下にある地肌も、絹のように白く整っている事を私は知っている。
まさに今から女ざかりを迎えんとする、されど未だ未熟なる少女。
彦星刹那。
この儀式の後に、紀見国刹那となる、私の妻。
まだ、17の春を迎えたばかりの少女。
正直言うと、実感はない。見ての通り、彼女は私とは一回り以上の年の差がある。親子とまでは言わないが、それでも、真っ当な恋愛関係に至るのは難しいほどの差だ。ならばそこには、恋愛以外の事情がある。
これで私が、大企業の御曹司だったり社長であったりすれば、政略結婚、という言葉で説明がつく。だが残念ながら、私は一介のサラリーマンに過ぎない。それも所謂中小企業の、底辺にほどよく近い雑魚の一匹だ。本来であれば、大企業である彦星重金属の御令嬢なんて、知り合いになる事すらあり得ない。
では、他のいかなる事情によるものか?
陰惨たる因習によるものか? あるいは、年上の悪い大人に、世間知らずの令嬢が騙された結果なのか? あるいは、刹那お嬢さんの事をよく思わない者達が、不幸な結婚を演出したのか?
いずれも違う。
参列する老人たちは皆心から私達の事を祝福しているし、隣の新婦も、緊張こそしているものの嫌悪感のようなものはない。
この儀式は、祝福されている。
戸惑っているのは、当事者である私一人だ。
ことり、と酒を満たされた大杯が私の前に置かれる。
私はこの後の手順を必死に思い返しながら、揺れる盃の水面を覗き込む。そこに写る、冴えない顔つきの男の瞳の奥に、ここに至るまでの経緯がキラリとよぎった。
そう。
すべては、些細な巡り合わせから始まったのだ。
◆◆
すべての始まりは、そう、秋頃に訪れた。
梢を焼くような灼熱の夏が過ぎゆき、秋の訪れが蜃気楼のように揺らめき始めた頃。
私は一人、夕暮れの山道をウォーキングしていた。
多分、かなり機嫌がよかったのだと思う。うだるような熱波が去り、夜間に人目を避けるように歩く必要もなくなった事で、変わりつつ季節の変化を楽しみつつ、赤く染まりつつ日差しの下を、私は早足で歩いていたはずだ。
それで、いつもと違うコースを道に選んだ。
本当に理由はない、その時、たまたまそんな気分だった。
「おや?」
そして見慣れない風景を楽しみながら歩いていた私は、車道の横で座り込んでいる人影を見つけた。
灰色の髪の、高齢の紳士。服装は、白と赤のジャージ。
私と同じようにウォーキングに興じていたが、何かのトラブルでこけてしまったようだ。上手く起き上がれないでいる彼に私は声を上げて近づき、慌てて助け起こした。
「大丈夫ですか?」
「ええ……はい……。すいません……」
思ったよりも重い老紳士の体を引き起こし、しばらく……そう、100mくらいは、私は肩を貸して歩いた。
見た所骨が折れたとかではないようだったが、精神的なショックなどもあったのだろう。老紳士はおとなしく私に抱えられて、一番近いベンチまで担がれていった。
一日に数台しか通らないバス亭のベンチへ彼の身を降ろし、私もまた、その隣に腰を下ろした。ふぅ、ふぅ、と息を荒げる老紳士を横に、自分のポシェットからペットボトルを出す。
あとで飲もう、と思って買っておいたのだが、まあ、惜しい物でもない。
「これをどうぞ。まだ未開封です」
「ああ、これはありがとう。助かります」
差し出されたペットボトルを受け取り、老紳士はカチリ、とキャップを捻った。そのままごくごくとスポーツドリンクを一息で飲み干してしまう。
落ち着いてきたとはいえ、まだ涼しいとは言い難い。倒れたアスファルトの上は、さぞ暑かった事だろう。
視れば、剥き出しの肘などにアスファルトのザラザラとした痕と、小石などがくっついている。私はハンカチを取り出し、汚れを拭った。
「そんな、申し訳ない。ハンカチが……」
「ああいえ、こちらこそすいません。つい……」
汚れたハンカチをポケットに押し込みつつ、苦笑する。ついやりすぎてしまった。相手は自分のおじいちゃんでもおばあちゃんでもない。見知らぬ相手に体を触られてはびっくりするだろう。
「それより、大丈夫ですか? まだ暑いですからね、油断すると危ないかもしれません」
「ええ、はい。全くもってその通りでして……。日差しも衰えて、これなら歩いても大丈夫だろう、と外に出たのですが、ご覧の有様でした。孫の注意を真面目に聞いておくべきでした」
お孫さんがいるらしい。まあ、年齢を考えればおかしな話ではないか。
それにしても、この老紳士、はきはきと良い声で喋る。実は声優さんか役者さんだったりするのだろうか?
しかし、さて。
袖すり合うのも他生の縁。この老紳士をこのまま置いてウォーキングに戻る気はしないが、はてさて、どういう対応をするのが一番良いのか。
他責社会と化しつつある現代日本、対応を間違えれば親切心が仇となる事もある。見た所、この老紳士はその手の類には見えないが、家族が厄介ごとを引き連れてくる場合もある。
「どうされますか? おうちはどのあたりに? 何なら、私は家が近いので、車でお連れしますが……?」
「ああ、どうも。お構いなく。携帯で迎えの者を呼びますので、大丈夫です」
「それならよかった」
がさごそ、とズボンをまさぐる老紳士。そういう事なら、私も助かる。
これ以上は過干渉と判断し、飲み終えたペットボトルを受け取って周囲を見渡す。
反対側の歩道に、自動販売機とゴミ箱を見つけた。
ちょうどいい。厳密にはあまりよくはないが、あそこに捨てさせてもらおう。
「それでは、私はこれで。気を付けてお帰りくださいね」
一声かけて道路を渡る。
田舎の車道を走る車の姿は見えない。足早に渡り、ネズミ返しみたいになってるゴミ箱の中に勢いよく投げ入れる。
一発でスコン、と入ったのに気分を良くして元の道に戻る。
ウォーキングを再開しようと思ったが、しかしそこで異変に気が付く。
迎えを呼ぶといった老紳士。何故か彼は慌てた様子でベンチから立ち上がり、ズボンを何度も改めていた。
もしかして……。
携帯を家に忘れてきたか?
「……車、持ってきましょうか?」
「申し訳ありません……」
老紳士はすっかりしょぼくれていた。
気にしないように言い含めて、私は踵を返し、家に向かって早足で駆けた。
◆◆
「こちらですか?」
「ええ、はい。そこの角を右にお願いします」
マイカーに乗ってとって返してきた私は、老紳士を助手席に乗せて、彼の住まいへと向かっていた。
しきりと恐縮する老紳士だが、不思議と卑屈さや焦りのようなものが感じられない。むしろ、普段からこうして私が彼の運転手をしていたような、不思議な気分になった。指示するのに慣れているというか、請われるのに慣れているというか。
もしかすると、それなりに会社の偉い人だったりするのかもしれない。
まあ、それはそれ、これはこれ、だ。
困った時は助け合う。物事はそれぐらいシンプルな方が良い。
されどそうなると、私の愛車はさぞ乗り心地が悪い事だろうな、と少し申し訳なくなる。何せ大衆向けの軽自動車だ、私にとっては大金で購入した相棒だが、彼にとってはそこらのベンチと大差ないだろう。
申し訳ない。もう少しだけ我慢していただく他はない。
しかし、それにしても意外と遠い。ここから、あそこまで歩いてきたのだとしたら大した健脚である。いや、だからこそ、見誤ったのか?
「そうそう、それでこのまま真っすぐ、左手です」
「了解、速度を落として左に寄せます」
そして、それらの予想は恐らく間違っていないだろう。
案内された先は、お屋敷が立ち並ぶ金持ち区画。
武家屋敷のような立派な塀がつらつらと並ぶ様を見れば、嫌でもわかる。ましてや、彼の案内した先は、ここらで一番大きな屋敷のある通り。小さな学校のような敷地に寄せて、と言われたからにはこれで間違いないのだろう。
やがて塀の切れ目に大きな門戸を見咎めた私は、そこでゆっくりとブレーキを数度に分けて踏み、車を停車させた。ことり、飾ってあったぬいぐるみが倒れ込む。
「到着しました。降りられますか?」
「ええ、はい。本当に助かりました。何とお礼を言えばよいのか……」
「ははは、この程度の事、そんな大した事じゃありませんよ。それじゃあ、私はこれで失礼させて頂きます。お気をつけて」
助手席から自分で降車する老紳士に頭を下げて、私はカーナビを開いた。このあたりはあまり道に詳しくない、地図を見て帰る事にしよう。
と、そこで不意に、住宅街に男の声が響いた。
「先生!」
老紳士の家の玄関から、スーツの男が飛び出してくる。彼は車から降りる老紳士の姿を見咎めると、声を張り上げながら走ってきた。しかも一人ではなく、数人がその後に続く。
「先生、一体どちらにいらしていたのですか!? 連絡しても繋がりませんし。それにこの車は……?」
「何者だ、先生に何をしている!?」
そして忽ち、複数のいかつい男達に囲まれてしまう。うああ、ヤバイ。困った。
明らかに何か勘違いされている。怖い顔で取り囲むお兄ちゃん達に、私はすっかり竦み上がって声がでない。
あわあわして何も言えない私。代わりに訴えたのは、老紳士だった。
「やめんか馬鹿者!!」
まさに雷轟一喝。先ほどまでの穏やかで気品のある言動から一転、腹の底に響くような怒声が男達を押し留めた。
「彼は見ず知らずの私を案じて、ここまで連れてきた恩人ぞ!? 恩に対し侮辱で返すのが人の道理と思うてか!?」
「し……失礼しました! 申し訳ありません!」
「貴様らの謝る相手は私ではない!!」
雇い主の怒りに、頭を下げてくる黒服の皆さん。勿論、私は大いに慌てた。
「いや、まあ、その。お気になさらず……そ、そういう事なので、私はこれで……」
「まあまあ、お待ちくださいな。ここで手ぶらで帰らせては、いくらなんでも恥というもの。お若い人、どうかこの老骨に名誉挽回の機会を与えてくれませんか?」
ええ……? なんか呼び止められてしまった。
ううむ。そりゃあ、老紳士からすれば、私なんぞまだまだ若いんだろうけど……。困っていると、黒服の一人が運転席の窓に顔を寄せてきたので、私は開閉スイッチに手を伸ばした。
「ええと」
「申し訳ありません。先生もああ仰っているので、どうか少し上がっていっていただけると。お車は、私共の方で裏に回しておきますので、鍵を拝借していただけると……」
「ううん……」
何やら、妙な事になった。
変な話だ、正直、何かの詐欺にひっかかっているのでは? という疑問が少なからず湧いてくる。とはいえ、お屋敷はどうも本物だし、私なんぞをだまして得られるリターンに釣り合うような詐欺にも思えない。
あとでもしかして不法侵入とかで訴えられるパターンか? いやでも、それだと詐欺ではないしな……うぬぬ。
「……後で訴えられたりしませんよね?」
「勿論」
うーん、と悩んで、結局私は鍵を渡す事にした。運転席から降りると、入れ替わりで黒服さんが、窮屈そうに運転席に納まる。
ぶろろろ……と走り去っていく愛車を見送ると、機嫌がよさそうに老紳士が私の横にやってきた。
「いやあ、すいませんの。では、早速こちらに。どうぞどうぞ」
「あ、ども……」
老紳士の後に続き、黒服に囲まれて屋敷の門戸を潜る。
はてさて、鬼が出るか蛇が出るか。
「おっと、私とした事が、自己紹介が未だでしたな」
「ああ、それは私もそうですね。遅れましたが、紀見国信彦と申します」
「これはご丁寧に。私は彦星源三郎と申します。先生などと呼ばれていますが、ほほ。今や楽隠居を決め込んでいる、ただの老人でございます」
彦星、源三郎さんね。
…………。あれ? どこかで聞いた事があるような。
どこだったっけ……?
続きが気になりましたら、感想、評価、お気に入り登録お願いします。