黒髪令嬢は同担拒否   作:匿名

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『なんて素敵なお方なの!?』

 

 

 思い出した。

 

 彦星源三郎。彦星。

 

 彦星重工業の、先代会長がそんな感じの名前だったはずだ。

 

 そう、日本に名だたる重工業、そのリストに名を連ねる、押しも押されぬ大企業……その会長である。特に近年は、防衛産業が活発化した事もあって、そちらの方で大きく名を馳せ、ニュースでも一週間に一度は名前を聞く。

 

「……マジですか?」

 

「ほほほ。マジですとも」

 

 通された部屋は、品の良い調度の整えられた応接室。

 

 ここに来るまでの時間で記憶のすり合わせが終わった私が、青い顔で恐る恐る訪ねた質問に対する答えが、それであった。

 

 即座に私はその場で土下座した。

 

「し、ししし、しつつつ、失礼をお許しください!」

 

「いやいやいや、頭をお上げください! 客人に頭を下げさせたとあっては末代までの恥! 何も失礼だとは感じておりませんので、どうかご容赦を」

 

「本当ですか……?」

 

 頭を下げたまま、机の下から覗き見るように彦星氏と目を合わせる。老紳士はちょっとほっとしたように頷いた。

 

「先ほども申し上げましたが、今は会長の座も退き隠居の身。それに、大企業とはいえ、縁の薄い会社の役員を顔まで覚えているのが当たり前とは、流石に言いませぬよ」

 

「そ、そういって頂けると、助かります……」

 

「むしろ私としては、そのような下心も一切なく、助けてくださった事にますます感じ入るばかりです。今時、立派な心掛けです」

 

 うむむ、と頷きつつ、老紳士は机の上のお茶と菓子を勧めてくる。

 

 恐縮して佇まいを直すと、私は明らかに高そうな皿の上に載った和菓子に目を向けた。

 

 ……私の知る客への茶菓子といえば、まあ普通、個包装の饅頭とかである。それだって別に安くはないし、なんなら一個500円ぐらいするような高級品だって存在する。

 

 しかし、目の前にあるのはどう見てもそれらとすら一線を画する超高級和菓子だった。もう造形とか色合いとか、素人でも分かるレベルで違う。

 

 さらにお茶だ。

 

 一見なんの変哲もない急須に見えるが、ここがどこか、という事を考えるともうとんでもない代物のはずである。入っているのもほうじ茶とかではなくて、この緑色がかった液体の色、どう見ても静岡県産の茶葉とかそういう奴に違いない。一度、本場のを味わった事があるのでちょっとだけ分かる、多分。

 

 ごくり、と唾を飲む。

 

 詐欺とかそういうのではないらしいのは分かったがこの状況、果たしてどう乗り切るべきか。

 

 とりあえずは、差し出された物に口をつけないのは失礼だろう。

 

 ごくり、とつばを飲み、皿に添えられた黒文字(つまようじのようなもの)を手に取る。

 

「い、いただきます」

 

「どうぞどうぞ」

 

 そっと皿の上の和菓子を切り分ける。桃色の、桜の花のような練り切りを一口サイズに切り分けて口に運び、お茶をすする。

 

 予想通り、どちらも最上級の味わい。対面の老紳士が、ちょっと身を乗り出すようにして感想を訪ねてきた。

 

「どうでしょうか?」

 

「美味しいです」

 

 そう。素直に、和菓子は美味しかった。個人的な印象では、本格的な上生菓子はあまり甘くない印象があった。だがこの練り切りはしっかりと甘く、単体で満足感が強い。それに合わせてか、お茶はちょっと渋めに入れてあるが、これがまた会う。

 

 あくまで茶がメインで、菓子はおまけ、という印象があったが、これはどうやら逆の様子。

 

「美味しいですね、これ。しっかり甘くて、私はこういうの好きです。いったいどちらで買われた和菓子ですか? 年一ぐらいで、私も食べてみたいですね」

 

「ほほほほほ。そうですか、そうですか。ほほほほ」

 

 素直な私のコメントに、嬉しそうに笑う源三郎さん。その含むところがあるような反応、もしかして……。

 

「手作りですか? もしかして」

 

「おや、わかりましたか?」

 

「ええ、まあ。昔は私も御菓子を手作りしていたもので……」

 

 そしてその時、相手の反応をうかがって今の源三郎さんみたいな振る舞いをしていたような気がする。どうやら、あたりだったようだ。

 

「すごいですね、ちゃんとした職人が作ったものかと思いました、既製品ではないとは思いましたが」

 

「ほほほほ。隠居して時間だけは有り余っているものでして、手慰みに。そこまで褒められるほどのものでは……」

 

 口では言いつつも、なんだかんだ嬉しそうな源三郎さん。雲の上だと思っていた業界人の人間臭い部分を目の当たりにして、私も自然と口元がほころんだ。

 

 しかし、大企業の元会長の手作りの御菓子を、御家に呼ばれてご相伴か。なかなかすごい体験をしているな、私。

 

「紀見国さんも、何かされておられるので?」

 

「昔、焼き菓子を少々……」

 

 お茶で舌を湿らし、軽くなった口が自然と回る。互いに探るような遠慮も薄れ、気楽に互いの共通する話題について語り合う。

 

 話が弾み始めた、その時だった。

 

 

 

 こんこん、と小さくノックの音。

 

 

 

「む?」

 

「誰だ? 入っておいで」

 

「……失礼します、お爺様」

 

 すす、と静かに扉を開いて入ってきたのは、黒髪の少女。長く艶やかな黒髪と、まっすぐに切りそろえた前髪。

 

 若い。まだ、開く事を知らぬ蕾のような、首を傾けた白百合の蕾のような少女だった。

 

「おお、刹那か。すまないな」

 

 老紳士が、好々爺然とした顔で頬を緩める。心を許しきっている相手にしか向けない笑み。

 

 お孫さんが居たと聞いていたが、もしかして彼女か?

 

 机の横に膝をついた彼女が、そっと急須を乗せたお盆をさしだす。

 

「お客様に、新しいお茶をお持ちしました」

 

「おお、すまんな」

 

 お盆の上に回収されていく急須。まだ温かかったし、中身もあったのだが。やっぱり上流階級というのはそういうのも気にするのだろうな、私達のように出がらしまで飲む事はないのだろう。

 

 机の上に身を乗り出した拍子に、少女の長い髪がぱらりとほぐれて肩から舞い散る。それを慣れた仕草で片手でかきあげる彼女。

 

 その拍子に、ふと彼女と視線があった。黒真珠のような、深海のような、吸い込まれそうな黒い瞳が、私を見返してくる。

 

 ふ、と少女の口元、桜色の唇が小さく緩んだ気がした。

 

 ……笑った?

 

「それでは、失礼します。どうぞ、ごゆっくり」

 

 茫然とする私をよそに、少女はしれっとしたすました顔つきで立ち上がり、何の未練もなさそうにその場を去っていく。その足取りに淀みはなく、気が付いた時には静かに扉は閉ざされていた。

 

 しばらく私はぼんやりしていたが、はっと我に返って、誤魔化すような苦笑を老紳士に向ける。

 

「き、綺麗な娘さんですね。あれが、お孫さんですか?」

 

「うむ、刹那という。私に似ず、ずいぶんと美人に育った」

 

「ははは、そうですね。肉親としては、変な虫がつかないか気になってしょうがないでしょう、大変ですね」

 

 お世辞ではなく、素直な感想だ。

 

 あれだけの美人、きっと男子どもが放っておかないだろう。多分、女学院に通わせているのだろうが、それであってもいろいろ大変そうだ。

 

 きっと、さっきのは何かの勘違いだ。そんな美人の娘が、私なんぞに興味を持つはずがない。

 

 やれやれ、若い時分ならいざ知らず、こんなおじさんになってまで女の子の一挙手一投足にどぎまぎしているようでは、無駄に年を重ねただけ、と言われても否定できない。

 

「……う、うむ。まあ、色々と悩みは多くてな……」

 

「やっぱり。でもまあ、仲がよさそうじゃないですか。良い関係なんですね」

 

「うむ、それは本当にな」

 

 話をしながら、急須から源三郎さんがお茶を注いでくれる。ちょうどいいぬるさの、香り引き立つ一杯であった。

 

 

 

 

 

「今日は老骨の話に付き合ってくれてありがとう。久方ぶりに人と話したわい」

 

「いえ、私も楽しかったです」

 

 皿の上が空になり、急須の湯が尽きるまでの10分ほど。

 

 とりとめのない会話に終始したお茶会は、それでお開きになった。老紳士とおつきの人に見送られて玄関に立つ。

 

 思った以上に楽しい時間だった。

 

 きっとそれは老紳士のおかげだろう。流石に元は会長だけあったあり、人に話させるのも聞くのも上手だった。

 

 私は、彼にのせられて楽しい思いをしただけである。

 

「それでは、私はこれにて失礼させて頂きます。今後は、携帯を忘れないようにしてくださいね」

 

「う、うむ。流石に懲りた……」

 

 罰が悪そうに唇を引き結ぶ老紳士に苦笑し、靴を履く。流石に、立ったまま履くような行儀の悪い真似は、この人の前ではできない。

 

 と、そこでお付きの人が、一枚の紙を差し出してきた。

 

「これは?」

 

「あー、その。私の連絡先だ……今後も時々でいいから、会って話をしてくれんかの?」

 

「それは……いいんですか?」

 

 流石にそれは、どうだろう。ちょっと知り合った程度の相手に、教えていい連絡先なのか?

 

 困惑する私に、老紳士は笑って首を振った。

 

「会長も引退したただの老人に、価値を見出してくれるもの好きは少なくてな。良かったら連絡してくれ」

 

「……わかりました。喜んで」

 

 受け取った紙を折りたたんで懐に仕舞う。

 

 こういうのも、巡り合わせというものだろう。

 

「また、後日連絡します。必ず」

 

「うむうむ。それでは、帰りは気をつけてな」

 

 最後に挨拶をかわし、お付きの人に案内されて玄関を出る。裏口に案内される最中、ふと私は違和感を覚えて足を止めた。

 

 何だろう。

 

 誰かに、見られている?

 

 首を巡らせて、もしや、と屋敷の二階に目を向ける。

 

「……居た」

 

 カーテンに閉ざされた二階の窓。その一角に一つだけ、カーテンが開かれた窓があった。そこから、見覚えのある黒髪の少女が私を見下ろしていた。

 

 軽く笑って小さく手を振る。窓の向こうで、少女がびっくりしたようなしぐさがあった。

 

 多分、大好きなお爺さんの客が気になっていたのだろう。子供らしい側面を可憐な少女に見出して、私はなんだか微笑ましかった。

 

「お客様」

 

「あ、すいません。すぐに行きます」

 

 お付きの人に声をかけられてしまった、申し訳ない。私は遅れを取り戻すべく、速足で彼の後を追う。

 

 お孫さんには挨拶もそぞろになってしまったのは悔やまれるが、まあ、縁があるならまた会う事もあるだろう。

 

 この時の私は、その程度に考えていたのだった。

 

 

 

 




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