黒髪令嬢は同担拒否 作:匿名
お見合い当日。
私は、念には念を入れて見出しなみを整えていた。
「こんなもんかな……」
鏡の前で、ネクタイを締める。
久方ぶりに着る礼服。最後に着たのはいつだったか。
高校生のころから、ネクタイを締めるのはどうにも苦手だ。折り紙とかは得意なのだが、どうしてもこれだけは慣れなかった。
なんどやっても丸くなってしまうネクタイの結び目と格闘し、なんとか納得できる形にまとめた私は、一人鏡の前でうなずいた。
「よし。……健康診断で微妙な評価をされて、節制していたのが良かったかな。おなかも出っ張ってないし、まあ及第点だろう」
軽くスーツの襟をただし、首を回す。
自画自賛だが、おなかはそんなに出っ張ってはいない……とは思う。腹筋が浮くほど鍛えてもいないが。あんまりご飯を食べるとどうしても膨らんでしまうので、昨晩から今日にかけては栄養バーとか流動食で我慢している。
「いや、別に本気ではないんだが……」
あくまで見栄というか、本気で刹那さんにいい顔をしようとは思っていない。
だいたい、私のようなおじさんに色気を出されても彼女も困るだろう。今回のイベントは、あくまで源三郎さんの思いつきに、孫と友人が振り回された、そういう話であって、それ以上でも以下でもない。
「まあでも……」
思えば、ここ数年礼服を着るのは悲しいイベントばかりの事だった。
それを思えば、形だけとはいえお見合いにこうして身だしなみを整えていくのは、私の人生で最初で最後の愉快なイベントになるかもしれない。
最後にきゅ、と首を絞めて、私はどこか愉快な気分で洗面所を出た。
今日は、いつもと違って彦星家には向かわない。
代わりに、教えてもらった住所をカーナビに打ち込んで街に繰り出す。
バイパスから高速道路への分岐にうっかりしないように乗り換えて、速度を落としてゲートを通り抜ける。高速に入ったら、自動運転のクルーズモードをオンにして、深く座席に身を預けた。
今日は特に何かのイベントもないようで、高速を走る車の姿はあまり多くない。最近、遠くまで無料でいけるバイパスのルートが開通したのもあって、高速道路を利用する人は段々減ってきている気もする。
それはそれでよい。わざわざお金を払って走っているのだ、快適に走れるに越したことはない。時速80キロで保持し、ミュージックボックスからお気に入りの曲を探す。
スピーカーから流れる、昔懐かしのアニメソング。
リズムに合わせて指先でハンドルを叩く。
刹那さんは、この曲を知っているだろうか? 知らなかったとして、好きになってくれるだろうか。
エンジンのうなり声と、ややわざとらしい気取った声が混ざり合う車内で、私は少しだけ襟元を緩めた。
窓から見える風景が流れていく。冬が深まり、紅葉も遠くへ過ぎ去った今の時期は山の彩りも乏しく、枯れ木も目立つ。だがそれも一時間ほど走り続け、何度か案内に従ってルート変更を繰り返す度に黒黒とした緑に代わっていく。
広がるのは、冬でも変わらぬ針葉樹林。林業でも営まれているのか、手入れの行き届いた山間部が広がっている。
本当にこの道であっているのか? 少し不安になってきた頃、ようやく高速道路の終わりが見えてきた。
速度を落としてゲートから外にでる。ネズミ捕りのパトカーがいないかだけ一瞬気になったが、こんな山道に潜んでいる暇人もそうそういないだろう。
それにしても、ずいぶんと人気のない所に高速道路の出口があるものだ。
削れかけた白線、ひび割れたアスファルト。濃い緑に覆われた山道に出ると、道なりに進む。
流石にカーナビに道が認識されていない、というほどではないようだが、こんなところにまで車一つで来れてしまうのは、ある意味日本のすごいところかもしれない。
速度を落として、曲がりくねった山道をさらに進む事20分。
カーナビの到着予想時間から10分ほど遅れて、目的地が見えてきた。
「あれか……」
山の中に、大きな旅館らしきものがある。古い寺院を思わせるような、黒い屋根瓦と木材の宿。一見お断りというのか、看板すら出ていない。
話に聞いていた通りの建物だ。
宿が良く見えるカーブの先、車を道の脇に寄せて携帯を開く。源三郎さんから送られてきた写真と見比べて、うん、間違いない。
あそこが今回お見合いが行われる場所。
『山霧亭』だ。
「どっから入ったいいんだろうな……駐車場はそもそもどこだ?」
首を傾げながらも、私は再び車を発進させた。
とりあえず、近づいてみればわかるだろう。
◆◆
近くに来ると、いよいよもって大きな宿である、というのがよくわかる。
というか、これはもう宿ではなく旅亭だろう。それも、高級、がつく。大企業の御令嬢がお見合いをするというのだから、それぐらいの箔は必要という事なのだろうが……。
正直、今からでも帰ってしまいたい気分だ。
速度を落として旅亭の周りをゆっくり観察しながら伺っていると、何やら見覚えのある車が塀の横に止めてあるのが目についた。
あの黒光りする、四角くて長い車体。そう、高級車のフラッグシップ、ベンツだ。
話によれば製造元は日本から撤退するそうだが、それでもやはり、大金持ちの持っている車といえばベンツである。そして、そのナンバープレートは私の知っている番号だった。
「間違いない、源三郎さんの車だ」
となると、とりあえずそれに倣っておけば大きな問題はないはず。
半信半疑、不安半分ながらも、私はベンツの後ろに続けて車を止めた。
エンジンを切った途端、得も言われぬ安堵がどっと胸に押し寄せてくる。見知らぬ場所にカーナビだけを頼りに向かうのは、いつだって緊張する。
高所から久方ぶりに地面に足を付けたような安心感を胸に、私は車から降りた。
「しかしまあ、酷い並びだ」
振り返って苦笑い。
明らかに超高級車であるベンツの後ろに、一般的な大衆車、それも軽車両が続いているのはある種冒涜的ですらある。おまけにベンツはぴっかぴかに磨かれているのに、私の方はガソリンスタンドでの自動洗浄が関の山、といった有様で比較すると明らかに輝きが違う。
「いやまあ、仕方ないんだよ、駐車場に水道が無いんだし……」
誰に、とでもいう訳でもない言い訳を連ねていると、何やら足音がした。
静かな山奥のせいか、砂利を踏む音がよく聞こえる。振り返ると、旅亭から品の良い着物に袖を通した数名の従業員らしき人影が歩いてくるのが見て取れた。
「あ、どうも。こんにちは」
「ようこそいらっしゃいました。彦星さまのお連れですか?」
「ええとまあ、そんな感じです」
代表して声をかけてくるのは、中年の女性だ。この旅亭の女将だろうか。
頭を下げると、柔和そうな女将もぺこり、と頭を下げてきた。
「よくわからないんでここに止めたんですが、何か不味かったですか?」
「いえ、とんでもありません。こちらで駐車場に車を運んでおきますので、鍵を頂けますか?」
「あ、はい」
最近、他人に車を預ける事が多い気がする。
鍵を預けると、女将はそれを傍らの従業員に渡した。たちまち二台の車が彼らの手によって、いずこかへと走り去っていく。
あ、しまった。降りる時に音楽のBGMを切り忘れた。恥ずかしい。
「こちらへどうぞ」
「あ、はい」
まあ今更手遅れである。私は気まずい思いで、女将の後に続いて門をくぐった。
その際に、ふと思う。
駐車場があるのに、なんで常連らしい源三郎さん達は門の前に車を止めていたんだろう? 私が迷うのを想定して目印にしてくれてた……とか?
「……よくわからん」
とりあえず、どっちにしろこれ以上の恥をかきたくないしかかせたくないが、果たして、こんな高級旅亭で私はこれ以上の減点を稼がずに済むのか。
自動ドアですらない入口の扉を前に、私はすでに心が折れかけていた。
やっぱ場違いですって、ここ。
◆◆
「それでは、ご準備が整い次第及びしますので、こちらでしばしお待ちください」
そう言って女将に案内されたのは、小さな個室。中には木の机と絨毯、湯飲みと饅頭がある。
おっかなびっくり部屋にはいると、音もなく襖を閉じて女将が去っていく。足音もしないのでそうじゃないかと思っただけだが。
「高級旅亭の従業員って忍者か何かなのかな……」
どちらにしろ特殊な訓練を受けているのは間違いない気がする。
とりあえず絨毯に腰を下ろしつつ、ふと携帯を確認してみる。
表示される時刻は、予定の待ち合わせより20分早い。30分前には到着しておく、これ社会人の常識ね。まあ最近は時間ぴったりに来るのをなんとも思わない人が増えているらしいが……。
「アンテナは……立ってないな」
やはりというか当然というか圏外である。
社会的立場の高い人がいらっしゃる所なのに現代社会でそれは大丈夫なのか、と思いつつ、だからこそ立地を理由に喧しい社会から切り離されたい、そういう事情もあるのだろうと想像を馳せる。それにいくらなんでも陸の孤島という事はあるまい。電話線の一本ぐらいは繋がっているのだろうし。
「……そういえば、某探偵漫画でもそういうシチュエーションがあったな」
たまたま居合わせた名探偵、不可解な偶然で集った客人達。嵐の夜に橋は落ち、外と連絡できる電話線は何者かによって切断されてしまう。そして始まる連続殺人事件。一人、また一人と客人は殺されていく。
果たして犯人は一体誰なのか。そしてこの殺人事件の真相は? 的な。
「ははは……」
自らの妄想のしょーもなさに乾いた笑いが出てしまう。漫画の読みすぎ、と言われても仕方ない。でもちょっとだけ不安になってきた、ちょっとだけね。
まあ、仮にそんな事になったとしても、余計な事をしなければ生き残れるだろう、私は。誰かに恨みを買うような人生を送ってきたつもりはないし。というか、恨まれるほど誰かと関わりを持ってこなかったというか……はははは。
「でも、不可解な理由ってのには合致しちゃうんだよなあ……」
なんとはなしに礼服の乱れを手で整えるが、浮いたしわは消えてくれない。かっちりスーツを決めてるビジネスマンとかTVで見るけどさ、彼らはどうしていつまでもあんなシャキシャキパリッパリの状態を維持できるんだろうか? 動き方に何かコツがあるのか?
一日中、スーツに皺をよせないように気を付けて立ち回ってるとしたら、うん、ストレス凄そうだな……。
父が生きているうちに話を聞いておくべきだったか。
「でも、私が10歳どころじゃない年下とお見合いをする事になった、って言ったら、どういう反応しただろうなあ。爆笑するんだろうか、呆れるんだろうか」
故人に思いを馳せつつ、湯飲みにお茶を注ぐ。高級旅亭らしくこれもまた高級品のようで、ふわりとほうじ茶の良い香りが漂った。
長時間のドライブで乾いた喉を潤していると、とんとん、と控えめに私を呼ぶ声がした。
「御くつろぎの所失礼いたします。お相手方のご準備が整いましたので、『蝶の間』までご案内します」
「あ、どうも」
「お連れ様をご案内しました」
「おお、紀見国君。よくぞ来てくれた」
案内された部屋には、彦星一家が私を待ち受けていた。ここがお見合いの会場なのだろう、中庭を望める見通しのよい縁側の座敷。縁側からは灰色の枯山水に色とりどりの鯉が泳ぐ池、綺麗に整えられた松だけでなく、塀の向こうに広がる黒々とした山が一望できる。春夏秋冬、四季の彩りを堪能できるであろう、贅沢な間取りといえた。
だが私の目はそんな風景よりも、目の前に佇む若い乙女に釘付けだった。
いつも違い結い上げた黒い髪。桜色の上品な着物に、赤とオレンジで彩られた帯。整った横顔は、微かに化粧で白く、赤く色づいている。
まだ咲きほこらぬ蕾、羽化を前にした蛹だと思っていた少女の可憐な姿に、私は気が付けばすっかり目を奪われていた。
「……その……そんなに、見つめられると……」
「っ!! す、すまない。目を奪われた……いや、その、元々美人だったと思っていたが、凄く美人だし綺麗というか、いや、その……綺麗だ……」
弁解を試みるがうまく言葉が出てこない。
壊れたように美人だ綺麗だを繰り返すだけの貧困なボキャブラリーに眩暈がしてくる。さっきの決心はどこへやら、早速減点の連打である。
これだったら喋らない方がマシだったまである。
視れば呆れてしまったのか刹那さんはすっかり顔を背けてしまっているし、源三郎さんと女将さんはくすくす失笑を禁じ得ないあり様。
ああ、穴があったら入りたい。
私は恥じ入るあまり顔を伏せた。
「ふふふふ、まあ」
「ほほほほ、あとはまあ若い二人にまかせるとしましょう」
そしてそのまま退室する二人。あ、まって、この空気で置いていかないで。
なんとか押し留めようとするも言葉が出てこず、あわあわする間にすすすーっとスライドするように部屋を去っていく二人。静かに、しかし有無を言わさぬ勢いで襖がぴしゃりと閉ざされて、私は刹那さんと二人、部屋の中に取り残された。
「……その……と、とりあえず、座りましょうか」
「は、はい……」
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