まだ手探りの部分も多いですが、読んでくださってありがとうございます。
ほんの少しでも「面白いかも」と感じていただけたら、とても嬉しいです。
石畳が冷たく光る広場の中央に、重々しい処刑台が据えられていた。鐘が1つ鳴るたび、群衆のざわめきが波のように揺れ、空気が震える。 一人の兵士が台の前に進み出て、巻物を広げ、声を張り上げた。
「王命により、魔王クラウスの処刑を執行する!」
その瞬間、広場は歓声に包まれた。拳を突き上げる者、涙を流す者、子どもを抱きしめる者。誰もが『戦争の終わり』を信じ、誰もが『平和』を疑わなかった。だがその熱狂の中に、ほんの一握り、目を伏せる者もいた。彼らは知っていた。処刑台に跪く男が、かつて人間側で剣を握っていたことを。
勇者が処刑台に上がる。 肩には、金糸刺繍のマントが静かにかかっていた。 手には、王家紋章の剣を携えている。
「民を守りたいって言葉はやはり嘘だったんだな」
勇者は剣を構えるとクラウスの首へと視線を向ける。
「君のせいで死んでいった仲間たちに対する謝罪の言葉は無いのかい?」
クラウスは応えなかった。勇者とは訓練校で同じ剣を学んだ仲だった。しかし、その瞳は『悪役』に対する嫌悪や憎しみの色が強く宿っている。彼はずっと『正義』の側に立っていた。そして今も、正義のために剣を振るうことに迷いは無かった。
「勇者の剣によって魔王は討たれ世界に平和が訪れる。きっとこれは神が僕に与えた役割なのだろう。さようなら、クラウス」
処刑台の上で跪くクラウスは、ただ静かに目を閉じていた。その胸に残っていたのは、たった1つの祈り。
どうか、彼女だけは無事であれ。
それがクラウスにとっての最後の願いとなった。
音もなく剣が振り下ろされる。空気が裂けるような沈黙は広場を覆い、時が止まったかのようだった。そしてクラウスの意識は、深い闇へと落ちていった──。
◇
クラウスは荒い息を吐きながら、目を開けた。喉元に残る鈍い痛みが、処刑台の記憶を引きずっている。刃が皮膚を裂いた感触は、まだ鮮明だった。冷たく、鋭く、確かに命を断ったはずだった。
ぼやける視界に映ったのは、石壁に囲まれた薄暗い部屋。天井には黒ずんだ梁が走り、蝋燭の火がその影を揺らしていた。空気は乾いていて、どこか古びた紙の匂いが漂っている。
「……ここは」
クラウスはゆっくりと首元に手を伸ばした。指先が触れた肌は冷えていたが、滑らかで、傷もない。処刑台で感じた刃の冷たさは、確かに喉を裂いたはずだった。なのに、今ここにあるのは、何事もなかったかのような肉体だった。
「生きているのか」
その言葉は確信ではなく、確認だった。身体を動かすと椅子のきしむ音が静かな室内に響く。見渡せば、机の上には書類が整然と積まれている。その中の一枚が目に留まり、手が伸びた。
「……徴兵通知?」
日付を見た瞬間、心臓が一拍、妙な間で打った。それは魔族との戦争が激化した三年前に出されたものだった。記憶の中では、すでに終わったはずの時代。だが、紙の質感も印字の鮮明さも、まるで昨日届いたかのようだった。
扉の向こうから、足音が近づき、控えめにノックされる。
「入れ」
反射的に口をついて出た言葉に扉は静かに開いた。メイドの格好をした女性が姿を見せる。その姿にはどこか既視感があった。
「夕食の支度は整っております。旦那様はすでに席に着かれております。どうぞ、お急ぎくださいませ」
メイドは一礼し、何も言わずに踵を返す。扉が閉まる音は、まるで誰かの返事を待たずに終わった会話のようだった。クラウスは、一人残された部屋の中で、ぽつりと呟く。
「俺は……死んだはずだ」
その声はすぐに壁に吸い込まれ、残ったのは沈黙だけだった。
食堂へ向かうと、父はすでに席に着いていた。長いテーブルの端で食事を進める姿は、昔と何も変わらない。背筋は伸び、銀器の鳴らす僅かな音だけが、沈黙の中に響いていた。まるで、その音だけがこの家に残された会話のようだった。
クラウスが椅子に腰を下ろすと、父は器から目を離すことなく言った。
「通知は見たか」
「ええ、確認しました」
「それならいい。講師は手配してやる。家名に泥を塗らぬよう、振る舞いを整えろ」
その声に、息子への情はなかった。クラウスは、それをもう知っている。
かつては違った。父の厳しさの奥に、期待があると信じていた。徴兵通知を受け取ったときも、戦場に立ったときも、どこかで誇りに思われたい。と願っていた。
だが、仲間が死に、街が焼け、名誉が血に染まった頃には気づいた。この男にとって、息子の選択も、痛みも関係ない。ただ貴族としての外聞を保つことだけが、彼の関心だった。
クラウスは目の前の料理を見つめたまま、短く答える。
「承知しました」
父はそれ以上何も言わず、淡々と食事を終えた。椅子を引く音が響き、足音が遠ざかっていく。その背中に、クラウスは何も感じなかった。怒りも、悲しみも、もう残っていなかった。
クラウスはスープに手をつけず、銀器を静かに置いた。蝋燭の火が揺れ、器の縁に影を落とす。目を閉じると、焼け落ちた街の光景が胸元に浮かぶ。鉄の匂い、濡れた地面、焦げた木材の軋む音。そして、失った部下たちの記憶。
そして彼女の瞳。雨音の中で、最後に見た涙。
命をかけて魔王を騙った理由は、そこにあった——。