悪役を与えられた俺と君と。   作:湊音

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ある日、森の中

 巻き戻る前の世界では、初日の訓練は走り込みだった。だが、訓練生たちが集められた広場で、教官が告げる。

 

「本日は、役割付与による加護の確認を兼ねて、模擬戦を行う」

 

 予定が変わったのは、先日の走り込みの結果によるものだった。広場の隅では、訓練所の教官が王都から来た親衛隊員と何かを話し込んでいる。その視線の先にいるのは、ルシアンだった。

 

 先日の役割付与によって、王国に新たな勇者が誕生した。だからこそ、その力を周囲に示す必要がある。加護による実力差を植えつけてしまおう。そんな思惑のもと、模擬戦は組まれた。

 

「ルシアン・グリード、クラウス・ローデル。前へ!」

 

 訓練広場の中央に呼ばれた二人の間に、自然と空気が張り詰める。王国は、勇者を民の希望として一位に据えたい。その願いは、模擬戦という名の演出に姿を変えていた。

 

 その直前、王都の親衛隊から一人の役人が進み出る。

 

「勇者・ルシアン殿。剣を持たぬ平民と聞き及び、王国より武具を下賜いたします。名剣アズラス・ファング。岩を断ち魔を裂く、勇者が持つべき剣でございます」

 

 銀と青を帯びた剣が抜かれ、陽光を鋭く照り返す。周囲の訓練生たちがざわめく中、クラウスは静かにレイナから受け取った直剣を抜いた。

 

「支給品か?」

 

「クラウスって貴族なのに、あんなのしか用意できないのか?」

 

 そんな中傷が、広場のあちこちでこぼれた。だが、クラウスは黙ってレイナから受け取った直剣を構える。

 

 これが勇者の実力か。クラウスにそう思わせるほど、勇者の加護が肉体に与える影響は大きい。戦闘経験のない者でも、加護による強化だけで周囲に圧を放つほどだった。

 

「それでは始めっ!」

 

 教官の合図と同時に、ルシアンが地面を蹴った。足音が風を裂き、次の瞬間にはクラウスの目前に迫っていた。

 

 振り下ろされた一撃。重さや圧が尋常ではない。クラウスは、それに斜めの角度から剣をぶつけた。

 

 一瞬の衝突。火花。金属の悲鳴。

 

 名剣の刀身が、甲高い音を立てて地面に落ちる。それも、綺麗に中央から割れて。ルシアンの剣は砕け、クラウスの剣は静かに構えを戻す。模擬戦を見守っていた全ての者が、息を呑んだ。

 

「悪いな、勇者。負けてやるつもりはないんだ」

 

 クラウスの力だけでは、剣を折ることはできなかった。だが、勇者の力を逆手に取ることで、衝突の瞬間に生まれた威力は、名剣を断つに足るものとなる。切れ味に特化した剣と、頑強さに特化した剣。その勝負は、あまりにも決定的だった。

 

 膝をついたルシアンに、クラウスは剣の柄をこめかみを打ち込む。意識を刈り取られたルシアンが、静かに地面へと崩れ落ちた。

 

「勝者……クラウス・ローデル」

 

 教官の声が静かに響いた瞬間、騒がしかった訓練広場が、まるで時を止めたように沈黙した。遠くでは、ルシアンに名剣を渡した役人が顔を青ざめさせていた。だが、そんなことは今のクラウスには関係がなかった。

 

 模擬戦が終わり、数カ月の間訓練は続いている。魔物討伐。山岳走破。模擬戦。『座学の三位』を除けば、クラウスはすべての訓練で一位を取り続けていた。

 

 そのほとんどで、ルシアンは二位。勇者としての加護を得ながらも、クラウスの背中を越えることはできなかった。そして、座学だけは聖女が一位を収めていた。その異様すぎる成績に、訓練生たちの噂はすぐに濁る。

 

「ローデル家から賄賂が流れてるんじゃないか?」

 

「実力じゃなくて、評価操作されてるだろ」

 

 噂と中傷が広がる中で、クラウスは一切否定も釈明もせず、ただ一言だけ返していた。

 

「不正を認めさせたいというなら、かかってこい」

 

 その言葉を皮切りに、模擬戦が次々と組まれた。クラウスは容赦なく相手を粉砕する。結果だけがすべてだった。

 

 かつてのクラウスは、暴君と呼ばれることを恐れていた。嫌われないように、誤解されないように、言葉を選び、距離を測って生きていた。だが、今のクラウスは違う。目的のため嫌われることを恐れず、誤解を正すこともせず、ただ実力で黙らせる。その姿から暴君と呼ばれるようになり、周囲との距離は確かに広がっていった。

 

 そんな中、ルゥもクラウスのサポートを受けながら、少しずつ成績を伸ばしていた。

 

「盗賊ってすごいね! 体が羽みたいに軽い気がする! 見てみて、宙返りとかできちゃうよ!」

 

 盗賊という役割に戸惑いながらも、自身の役割を受け入れたことで、身体の感覚は明らかに変わっていた。軽やかさ、俊敏さ、そして直感的な動き。実技では、時折十位以内に名を連ねるようになっていた。

 

 かつては自信のなさから一歩引いていたルゥが、今では訓練の場で笑顔を見せる。その背中には、クラウスの静かな支えがあった。

 

 訓練所の裏手。夕方の空気が少し冷たくなり始めた頃。クラウスとルゥが自主訓練の帰りに裏道を通っていると、耳に刺さるような声が響いた。

 

「お前って、魔族の血でも混じってんの?」

 

「この鱗、触ったら剥がれる? 気持ち悪いよな」

 

 数人の訓練生が、一人の少女を囲んでいた。白い肌に、頬には数枚の黒いうろこ。髪の隙間からは、二本の小さな角が覗いている。少女は背を丸め、肩をすぼめていた。言い返すこともできず、ただその場に立ち尽くしている。

 

 彼女は〈ハーフリザード〉と呼ばれる種族だった。人間社会では、魔族寄りの存在として警戒されることが多い。身体の構造は人間に近いが、頬や肩、背、腕などに黒いうろこが浮かび、独特な外見が目を引いてしまう。

 

「なんか感じ悪いね」

 

 ルゥの言葉に応えるように、クラウスが一歩、前へ踏み出す。空気が一瞬、凍りついた。貴族訓練生たちの視線が、彼の姿に吸い寄せられる。

 

「あいつ……クラウスだ。暴君の……」

 

「やば……本物だ……! 逃げよう!」

 

 反応する間もなく、訓練生たちは小走りでその場を離れていった。取り残された少女は、クラウスの顔を見て、小さく身を引く。

 

「大丈夫か?」

 

 少女は黒い鱗を手で隠すようにしながら、一歩だけ後ずさった。

 

「……あなた……クラウス様、ですよね?」

 

 クラウスは距離を保ったまま、静かに頷いた。

 

「そうだ。君の名前は?」

 

 少女はうつむいたまま、か細い声で答える。

 

「……イグニスです。役割は……門兵……です」

 

 語尾の迷い。浅い呼吸。恐怖も混じっているが、それ以上に、言葉の根には自己否定が滲んでいる。クラウスの隣に立っていたルゥが少女に手を伸ばす。

 

「大丈夫? 怪我とかしてない?」

 

 クラウスは目を細め、記憶の奥を探った。巻き戻る前の戦争。役に立たない貴族たちの命令に従い、最後まで魔物の群れの中で耐え続けた兵がいたという報告書。

 

 そのとき、殿として踏みとどまっていたのは、ハーフリザードの少女だった。その話を、当時のルゥから聞かされていた。

 

「なぜ、やり返さない?」

 

 クラウスの問いに、イグニスは言葉を探した。

 

「剣も、弓も……。魔法も、適性がなくて……道具も、よく壊してしまって……だから……なにも、できないんです……」

 

 それは言い切るような口調ではなく、ぽとりと落ちるような、弱い言葉だった。けれどクラウスは、迷わなかった。

 

「イグニス。仲間にならないか」

 

 少女は驚いて、目を見開いた。

 

「……わたし、本当に……何の役にも立ちません……」

 

「違う。俺は、君が必要だと知ってる。門兵は、守ることに特化した役割だ。誰かを守る力を持った、何よりも、頼りになる役割だ」

 

 イグニスは迷いながらも、ゆっくりと頷いた。

 

「……そう言っていただけるなら……がんばって……みます」

 

 その日以降、クラウスの班に亜人種がもう一人加わったことで、訓練所の噂はさらに濁りを増した。

 

「暴君が亜人種ばっか囲ってるとか……さすがに気持ち悪い」

 

「訓練じゃなくて収集してんじゃん。変態だろ」

 

 噂は陰口となり、陰口は嘲笑へと変わっていく。けれどクラウスは、ただ一言を繰り返すだけだった。

 

「俺は、必要な仲間しか選ばない」

 

 その言葉は、イグニスの胸の奥に静かに届いた。彼女の目に、ほんのわずかに光が灯る。それから、クラウス、ルゥ、イグニスの三人は班を組み、共に訓練を受ける日々が続いた。

 

 クラウスは剣を、ルゥは短刀を。イグニスは、盾で仲間を守ることを学んだ。彼女の盾は、まだ不器用で、クラウスの斬撃によって何度も弾かれた。けれどそのたびに、「悪くない。次は、もっと強く構えろ」とクラウスは言った。

 

 その言葉に、イグニスは少しずつ背筋を伸ばしていった。順調に思われていた訓練は、実地訓練によって静かに狂わされることになる。

 

 訓練所の指定によれば、今回の森は危険度C。だが、森に足を踏み入れたクラウスは、踏み跡の深さや裂けた木の様子から、すぐに違和感を覚えた。

 

「蹄跡の幅がおかしい……小型じゃない。危険度Cの魔物にこのサイズは存在しないはずだ」

 

「えっ、でも……地図には危険度Cって……」

 

 ルゥが不安そうに一歩、後ずさる。

 

「……なんだか、空気が重い」

 

 イグニスの声が、かすかに震えていた。

 

 クラウスたちがいるのは、危険度Cと指定された森の中。だが、その言葉を裏切るように、木々の裂ける轟音が森の奥から響き渡った。

 

 現れたのは、巨大な熊型の魔物。赤黒い毛並みは血と土に濡れ、瞳は怒気に染まっている。三メートルを超える巨体。短刀よりも長い爪。棘のような毛が逆立ち、全身から殺気が滲み出ていた。

 

「ブラッドベア! 危険度Aだ!」

 

 クラウスは即座に剣を抜き、声を張った。

 

「ルゥ! イグニス! 逃げろ!」

 

「えっ、でも! 一人じゃ――」

 

「……む、無理です、絶対無理です……!」

 

「時間を稼ぐ。今はいいから、逃げろ!」

 

 二人は躊躇いながらも、足を動かした。森の奥へと走り出す背中を見届けると、クラウスは一人、剣を構える。

 

 クラウスにとって、ブラッドベアと呼ばれる魔物は、巻き戻る前の世界で討伐したことのある相手だった。

 

 だが、その時は部下がいた。突撃を止める盾。連携する騎士。狙撃する魔術師。互いを信じ、支え合える部下たちと共に挑んだ戦いだった。

 

 そんな頼れる部下と共に討伐した魔物を、今のクラウスはたった一人で相手にしなければならない。

 

 ブラッドベアが咆哮する。空気が震え、風と土が爆ぜた。そして巨体がクラウスに迫る。クラウスは地を滑るように右へ跳び、剣を肩へ振り下ろす。刃は肘へ浅く食い込み、わずかに血が滲む。

 

 刃が毛皮の奥まで届かない。逆に、ブラッドベアの返し爪が地面を薙ぎ、クラウスの足元を裂いた。

 

 彼は即座に状況を判断する。今のルゥとイグニスでは、正直足手まといにしかならない。二人が逃げ切るまでの時間を稼ぎ、その間に逃走手段を探すしかなかった。

 

 ブラッドベアが咆哮する。巨体が突進し、爪が地面を抉るように走る。クラウスは斬撃を繰り返す。肩へ、肘へ。だが、分厚い毛皮に阻まれ、傷は浅い。血が滲むものの、致命には至らない。

 

 次の瞬間、爪が彼の脇腹をかすめた。 身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。膝をつき、咳き込む。 口元に滲んだ血が、彼の限界を告げていた——。

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