アドマイヤグルーヴと、相性度65%のトレーナー   作:君のネクパイになりたい

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実装前
一人の終わり。二人の始まり。


 

 

 

 

「アルヴ。お前にはもう一人、頼るべきだった者が居る。分かるか?」

 

 

 

 秋華賞の後。

 控え室にて、アルヴ……アドマイヤグルーヴの落ち着きを待ってから、エアグルーヴはそう言った。

 が、問いかけられたアルヴはというと、綺麗に切り揃えられた青鹿毛を揺らしながら逡巡し、ややあって、申し訳なさそうに顔を伏せる。

 

 

 

「……すみません」

「重症だな……。お前のトレーナーだ! そもそも、トレーナーと契約していなければ、トゥインクル・シリーズを走ることすら出来なかったんだぞ」

 

 

 

 走るために生まれてくる種族、ウマ娘。

 彼女達が公式のレースで走るには、その補助を行う人間……トレーナーとの担当契約が必要だった。

 トゥインクルシリーズにおいて、ティアラ路線と呼ばれる三つのレース、桜花賞、オークス、秋華賞を走り抜いたアルヴにも、当然ながら担当トレーナーが存在する。

 しかし、“彼”の姿はこの場にない。

 レース終わりという大事な場面に。

 

 

 

「にしても、アイツはどこに行っているっ。担当が苦しんでいる時に……!」

「……多分、マスコミの対応だと、思います。これまでも、そうでしたから」

「そうか。一応、仕事はしているようだな」

 

 

 

 公式とつくからには、ウマ娘が行うレースは事業としての一面も存在する。

 見目麗しい少女達が死力を尽くして走る様は、多くの人々を惹きつける。もちろん、その中にはマスコミ関係者も多分に含み、人が多く集まれば、少なからず悪意も紛れ込んでしまう。

 特に、アルヴは前評判が非常に良かった。

 人気も高く、そんなウマ娘が結果を出せずにレースを終えれば、槍玉に上げられることは必定。

 これを食い止めるのもトレーナーの役割であり、少しでも仕事をしているのだと判断したエアグルーヴは、どうにか溜飲を下げる。

 

 と、そんな時、アルヴの携帯端末が着信を告げた。

 LANEの通知だ。

 

 

 

「“彼”からでした。ライブが終わったら先にホテルへ行っていい……と。それから、学園に戻ってから話がある、とも」

「ふむ……。ならば丁度良いな。これからのトレーニングには私も参加する。その旨を共有せねば」

「……本当に、いいんですか」

 

 

 

 アルヴは、ティアラ路線において一人のウマ娘に負け続けた。

 スティルインラブ。

 普段は楚々とした振る舞いながら、レースではおぞましいほど我武者羅に、他者を喰らうように走る、二面性の少女。

 彼女に対抗するために、アルヴは一人でトレーニングを行なっていた。

 トレーナーの存在を無視し、一人で戦っていた。

 

 その不甲斐ない結果をして、けれどそれを見守り続けていたエアグルーヴは、その手助けを申し出たのである。

 女帝と名高い、輝かしい戦歴を誇るウマ娘が。

 

 

 

「当然だ。が、甘い考えは捨てることだ。私の指導は厳しいぞ? ついてこれるか」

「……はいっ」

 

 

 

 薄化粧の施された眦が厳しく、挑発的に釣り上がる。

 ぼう、と。

 小さな火が灯ったような感覚を覚えつつ、アルヴは頷き返す。

 次走のエリザベス女王杯へと向けて、調整とトレーニングを行わねばならない。今度こそ、勝利するために。

 

 数日後。

 トレセン学園に戻ったアルヴは、エアグルーヴを連れ立って、トレーナー室の前に立っていた。

 結局、レース後に“彼”と顔を合わせることは無かった。

 レース前には……何か話していた気がするけれど、覚えていない。完全に聞き流していた。

 

 

 

(我ながら、酷い対応よね)

 

 

 

 “彼”と契約して一年以上。その全ての期間で、まともに会話したのは何度あるだろうか。

 そもそもが、打算から始まった関係だ。

 デビュー前なのに前評判がよく、どうしてもレースに出たかったけれど、必要以上に干渉されたくなかったアルヴ。

 中堅と呼べるくらいには長くトレーナーを続けているけれど、一度も担当契約を結べず、結果を出せていない万年サブトレーナー。

 需要と供給が合致し、レースに関する手続き以外では干渉しないという条件付きで、契約を結んだのだ。

 会話する必要性も、頼るという考えすらも、頭になかった。

 

 何故だろう。

 妙な緊張を覚えたアルヴは、小さく溜め息をついてから、ドアをノックする。

 

 

 

「どうぞ」

 

 

 

 くぐもった、いつもの声。

 引き戸を動かすと、机について書類を確認している“彼”が、いつものようにそこに居た。

 

 

 

「来たか…………ん? エアグルーヴ?」

「邪魔するぞ」

 

 

 

 予想外の人物に“彼”は首を傾げるも、興味無さげに書類へと視線を戻す。

 顔色が、悪い気がする。

 重い疲れを感じさせる雰囲気も纏っていた。……今回のマスコミへの対応は、そんなに疲れるものだったのだろうか。

 そんな考えが頭をよぎるけれど、まずはとにかく、要件を済まさないと。

 エアグルーヴを伴い、アルヴは“彼”へと声をかける。

 

 

 

「トレーナー。話ってなんですか」

「……今後について、だ。これに記入しておいてくれ」

 

 

 

 何気なく渡された、一式の書類。

 レース関連の書類だろうと目を落としたアルヴは、しかし、その内容に言葉を失う。

 一瞬で、喉がカラカラに乾いてしまった。

 反射的に何か言おうとして、でも、唇はわななくだけ。

 手の震えが止まらない。

 

 

 

「どうした、アルヴ…………なっ!?」

 

 

 

 様子のおかしいアルヴを心配し、覗き込んだ書類に書かれていたのは、担当契約解除申請という文字だった。

 このタイミングで? なぜ?

 煮えくり返る激情のまま、エアグルーヴは声を張り上げた。

 

 

 

「貴様っ、これはどういう事だ!?」

「ああ、勘違いしないでくれ。エリザベス女王杯への登録は済んでいるから、それが終わってからの話だ」

「そういう意味ではない!!」

 

 

 

 誰もが肩をすくめるほどの、裂帛の気合いに晒されてなお、“彼”は気怠げな態度を崩さない。

 それどころか、胡乱な目付きにドス黒い感情を込め、エアグルーヴと、そしてアルヴを睨みつける。

 

 

 

「もう、うんざりなんだよ」

 

 

 

 吐き捨てる、とはこの事か。

 腹の中で激情を煮えたぎらせるのは、エアグルーヴだけではなかった。

 やおら立ち上がり、アルヴの眼前に“彼”が立つ。

 恐る恐る見上げた、その顔には。

 

 

 

「何一つ。トレーナーらしいことは何一つさせて貰えないのに、負けの責任ばかり押し付けられるのは、うんざりだ」

「……っ、あ……」

 

 

 

 何も。何も見えなかった。

 怒っているはずなのに。憎まれているはずなのに。失望されているはずなのに。

 その表情には、何一つ、感情が映っていなかった。

 ただ、恐ろしいほどに落ち着いた声が、言葉が、“彼”の意志を告げる。

 

 

 

「お前と過ごす時間は、苦痛ばかりで、何も得られず、単なる時間の無駄だった。もう、関わらないでくれ」

 

 

 

 言い終えると、“彼”はそのまま部屋の出口へと足を向けた。

 当然、エアグルーヴは去って行く背中へ怒鳴ろうとしたが、出来なかった。

 逃げるように通り過ぎる一瞬に見えた、その横顔が、あまりにも苦しそうで。まるで、言った本人が傷付いているようで。

 そして、隣でへたり込むアルヴに気を取られ、完全に機会を逸してしまう。

 

 

 

「く……っ! なんなのだアイツは!? トレーナーの風上にも置けん!」

「違う……違うんです……今の、言葉は」

「……アルヴ?」

 

 

 

 肩を抱くエアグルーヴの手を、怒りに震えた手を、アルヴの震える指が留める。

 顔面蒼白となった彼女の口から漏れ出たのは、後悔の滲む声。

 

 

 

「私なんです……。私が、トレーナーに向けて、言った言葉、なんです……」

「なっ……お前、それは……!」

 

 

 

 それを聞き、色を失うのはエアグルーヴの方だった。

 酷い言葉だ。

 相手の事情なんて考えず、ただ突き放し、無闇に傷付けるだけの、酷い、とても酷い言葉だ。

 アルヴに両親が居らず、孤児院で育った事を鑑みても、到底許されるべきではない、悪意のある物言いである。後で叱らねばなるまい。

 

 が、今はそれよりも、“彼”の事が気がかりとなってしまった。

 あんな言葉を受けてもなお、“彼”はアルヴのトレーナーで居続けた。

 本来ならあり得ない事だ。

 あれほど嫌がられて、遠ざけるための言葉を投げつけられて、それでもただトレーナーであり続けるというのは。

 

 ……いや、だからこそ、気持ちが途切れてしまったのか。

 誰からも感謝されず、マスコミやアルヴのファンからは無能と嘲笑され、それでもトレーナーを続けるなんて、無理だ。無理に決まっている。

 せめて、トレーナーとして十全に仕事をしていたなら、己の未熟として受け入れることも出来ただろう。

 だが、今まで見てきた中では、そんな様子もなかった。

 アルヴがそれを、拒絶していた。

 

 

 

「たわけが……っ」

 

 

 

 苦み走った表情で、エアグルーヴが呟く。

 それは、誰に向けてのものだったのか。彼女自身にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 トレセン学園理事長室。

 

 

 

「理由を、聞かせてもらえるだろうか」

 

 

 

 一通の封筒を手にしながら、秋川やよいは眼前の男性に問いかける。

 辞表。

 事務的な文字で書かれたそれを提出してきたのは、アドマイヤグルーヴのトレーナーだった。

 

 

 

「中をお読みになれば分かります。まずはご確認を」

「……う、うむ」

 

 

 

 促され、やよいは戸惑いながら封を開ける。そうせざるを得ない、重苦しい圧を感じた。

 それは、雰囲気だけで感じさせられたものではない。

 あまりにも見窄らしい、“彼”の風体のせいである。

 

 無精髭が生え、髪はボサボサ。服は皺くちゃによれ、何日か着替えていないのは明らか。

 何度も擦ったのだろう、目元は赤く腫れ上がり、粉を吹いている。

 うっすらと隈も見え、やつれた頬は食事を摂っているのかをも疑わせた。

 何より酷いのは、その顔色だ。

 顔面蒼白を通り越して、もはや土気色。このまま放っておけば、倒れて病院に担ぎ込まれるに違いない。

 

 そんな有様なのに……。

 そんな有様であるのにも関わらず、身嗜みを整える事すら忘れて、辞表を提出を優先するなど、一体どれだけ取り乱しているのか。

 ドアを開けたたづな……早川たづなが、不審者と勘違いするほどだったのだ。

 

 

 

「この件、君の担当は納得しているか?」

「書類を渡したら、その場で熟読し始めましたよ。問題ありません」

 

 

 

 定型文しか書かれていない辞表を一通り読み終え、そう確認するやよいだったが、返ってくるのは素っ気無い言葉。

 嘘だ。

 いや、嘘ではないのかも知れないが、やよいとたづなが知りたい情報を、あえて隠している、という印象だった。

 

 

 

「……では、質問を変えよう。君の気持ちを聞かせてほしい。なぜ、こんな判断をするに至ったのかを」

「プライベートな事ですので」

「トレーナーさん!」

 

 

 

 あくまで誤魔化そうとする“彼”を、たづなが窘める。

 気まぐれではないだろう。大の大人がこうまで心乱される事があり、結果として辞表を書くに至ったのだ。

 事の経緯を把握せずして、受理するわけにはいかない。

 

 

 

「担当を、傷付けました」

 

 

 

 長いような、短いような。

 けれど、とても重苦しい沈黙を経て、“彼”は口を開く。

 

 

 

「傷つくと分かっている言葉を投げつけて、実際に傷ついた表情を見て、憂さ晴らしをしたんです。……そんな人間が、ここに居てはいけない」

 

 

 

 ただ、起きた事柄を並べただけの、要領を得ない言葉。

 しかし、その表情が。自分で自分の傷を抉っているような顰めっ面が、事実であると教えている。

 

 

 

「お世話になりました。…………あ……アルヴの事を…………いえ、失礼します」

「ま、待ちたまえ!」

 

 

 

 頭を下げて、部屋を退出しようとした“彼”は、ふと思い出したように立ち止まって……何も言わずに、ドアをくぐる。

 やよいはそれを引き止めたが、本気で引き止められるとは思っていなかった。

 引き止めて良いものかとすら、思っていた。

 

 今の“彼”には、どんな言葉も届かないだろう。

 当たり障りのない言葉を弄すれば、逆にもっと傷付けかねない。

 “彼”の元に、誹謗中傷じみた声が届いてしまっているのも、知っている。

 人の口に戸は立てられない。

 どれだけ飛ばし記事を諌めても、ファンレターを装った、トレーナーの辞任を求める脅迫文を検閲しても、気付いてしまう。気付かないわけがない。

 もう、“彼”の心はズタボロなのだ。

 一体どうしたものか……。

 

 と、溜め息を零すやよいとたづなだったが、“彼”と入れ違いに入ってきた人物に、そこでようやく気付いた。

 どんな時でも身嗜みを忘れず、常に誰かの手本たらんとする女帝である。

 

 

 

「一体、何があったのですか?」

「エアグルーヴか……。いや、話せば長くなる。先に君の要件を聞こう」

「要件も何も、今し方、出て行ったアイツの事です。一応は声を掛けたのですが、全く聞こえていませんでした」

 

 

 

 くい、と睨むように消えた背中を見遣るエアグルーヴだったが、それも長くは続かず、整えられた切長の眉が、悲しげに歪む。

 そして先日、トレーナー室にて起きた出来事の顛末を、やよい達に伝えた。

 ただでさえ重かった部屋の空気が、更に重くなった。

 重馬場を通り越して沼である。恐らくはロンシャンにも匹敵するだろう。

 

 

 

「やはり、彼個人の暴走なのだな……」

「というと……?」

「実はですね……」

 

 

 

 そんな中、今度はたづなが、辞表の提出に関する出来事を説明するのだが、やはり返ってくるのは、ひっじょ〜〜〜に重い溜め息だった。

 

 

 

「全く……! どこまで不器用なんだ、あのたわけがっ!」

(君がそれを言うのか)

(貴方がそれを言うんですか)

 

 

 

 まるで自分は違うと言わんばかりのエアグルーヴだが、その実、彼女自身がトレーナーと契約するまでには、紆余曲折があった。

 それを十二分に知っているやよい達は、しかし心の中で突っ込むだけに留める。わざわざ藪を突いて蛇を出す事もない。

 

 

 

「質問! 君はどう思う? 彼等の今後について」

 

 

 

 空気を変えようと、やよいはいつもの調子で扇子を振るう。

 水を向けられ、しばし考え込むエアグルーヴだったが、その眼に迷いは見えなかった。

 

 

 

「今、あの二人を引き離したとすれば、双方に消えない傷が残るでしょう。いつまでも癒えることのない、永遠に血を流し続ける、深い傷が」

 

 

 

 トレーナー室での一件の後、アルヴもまた酷い取り乱し様だった。

 今まで全く気にも留めなかった存在に、見限られた。

 どうでも良い存在のはずなのに、どうしてショックを受けているのか理解できず、宥めるだけでやっとであった。

 きっと、知らず知らずのうちに積み重ねていたのだろう。“彼”なら大丈夫だという、身勝手な信頼を。

 そんなはずがないのに。ちゃんと考えれば、すぐ分かったはずなのに。

 

 

 

「あそこまで取り乱しているのは、それだけ心を砕いた証左でもあります。……もはや、奴がアルヴにとって最高のトレーナーになることは不可能。ですが、最良のトレーナーになら、まだなれるはず」

 

 

 

 愛情の裏返しは、憎しみではなく無関係……とはよく言ったもので。

 本当にどうでも良い相手ならば、たとえ罵られようとも、その怒りは続かない。すぐに忘れ去られてしまう。

 アルヴを傷付けた事を、あれ程までに後悔できる“彼”ならば、まだ可能性はある。

 そしてアルヴも同じ。

 あれだけ他人を拒絶しておきながら、無意識に信を置いてしまった“彼”なればこそ、心の底から信頼できる可能性がある。

 

 

 

「傷付けあった二人だからこそ、たどり着ける絆もまた、あるはずです。……あって欲しい。私は、そう信じます」

 

 

 

 エアグルーヴは断言した。

 強く、宣誓にも似たそれは、ひとえに、不器用な二人の幸せを願ってのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こんなものか」

 

 

 

 理事長室からトレーナー室へ戻った“彼”は、私物の片付けをしていた。

 と言っても、ほとんど時間は掛からなかった。

 担当契約を結んで割り当てられた部屋だったが、舞い上がっていたのは最初だけ。

 じきに、溜め息ばかりで満たされる事になった。

 

 ふと、机に伏せられていた写真立てに気付く。

 裏面に埃が積もったそれを持ち上げると、そこには自分自身と、勝負服姿のアルヴが居る。

 

 

 

(この頃は、まだ期待してたっけか)

 

 

 

 初めて勝負服が届いた日。

 そのあまりの出来の良さに、受け取りに来たアルヴを拝み倒し、根負けした彼女と写真を撮ったのだ。

 その中に居るのは、間抜けに笑っている男と、迷惑そうに顔を逸らすアルヴ。

 

 力が篭もる。

 フレームが軋む。

 壁に投げつけようと腕を振りかぶり。

 

 

 

「…………っはぁ」

 

 

 

 力無く、だらりと垂れ下がる。

 面倒になってしまった。思い出を投げ捨てる事すら。

 なんとなく机に寄り掛かり、そのままズルズルと、床へ腰を下ろす。

 疲れた。正確には、疲れがずっと抜けない。

 食事もほとんど喉を通らず、ずっと栄養補助食品頼り。

 眠りだって浅く、熟睡したのは、もう何日、何ヶ月前か。

 

 

 

(……眠い……)

 

 

 

 けれど今、ようやく眠気が差してきた。

 全てが終わった安心感から、だろうか。

 まぁ、なんでもいい。とにかくもう、何もかも忘れて、眠りたい。

 どんなに硬い床でも、今なら熟睡できる自信がある。

 目を閉じれば、ほら。簡単に、意識が飛んでいく……。

 

 

 

 

 と思ったら、柔らかくて、温かい……?

 面倒になって、床で横になったはずなのに、なぜか感じるのは、心が落ち着くような感触だった。

 ついに触覚すらもバグったのか。

 あまりにも気になって、閉じたばかりの瞼を開いてしまう。

 

 

 

「ん、んん……」

「……起きた?」

 

 

 

 静かな声が降ってきて、背筋が凍る。

 視界が、狭い。

 見覚えのある天井を、重量感のある何かが塞いでいた。

 これは、まさか。アルヴに膝枕、されている?

 

 

 

「アルヴ……な、んもっ」

「きゃっ!?」

 

 

 

 反射的に起きようとして、顔が引っかかった。

 首が折れるかと思うほどの、凄まじい衝撃と幸福感。

 何に引っかかったのかは諸事情により描写できないのだが、一つ言える事があるとするなら、アドマイヤグルーヴというウマ娘のバ体は、実に見事な仕上がりなのであった。

 

 

 

「ごごごごごごごめんっ、ちが、わざとじゃ、なくて!」

「…………っ」

 

 

 

 転げ落ちるようにして抜け出し、しどろもどろに言い訳する“彼”。

 対するアルヴはというと、自らを庇うようにして抱きしめ、真っ赤な顔で、わななく唇をへの字に結び、ジト目で“彼”を睨んでいる。

 かと思えば、小さく溜め息をつき、まだ赤みの抜けない顔を逸らす。

 

 

 

「……いいわ。気にしないで。分かっているから」

「あ、ああ……うん……」

 

 

 

 沈黙。

 理事長室でのそれとは、また違った意味で重苦しい(あまずっぱい)それが、トレーナー室を満たしていく。

 その助けを借りてか、アルヴは何事もなかった素振りで言葉を続ける。

 

 

 

「びっくりしたわ。床に倒れ込んでいるんだもの。気を失っているのかと思ったら、眠っているだけだったし」

 

 

 

 “彼”自身は目を閉じたばかりと思っていたが、実際にはそれなりの時間が経過していたらしい。

 短くても睡眠が取れたおかげで、幾分か顔色も良くなっていた。

 けれど、その表情が冴える事はなかった。

 

 

 

「なんで、膝枕なんか……」

「……放っておいたら、体を痛めそうだったから」

「そうじゃない。今までだったら、せいぜいソファに寝かせるくらいだっただろう。……なんで、今更」

 

 

 

 なんで今更、優しくする。関わろうとする。

 そう口に出そうとして、喉が凍りつく。

 が、言わずともアルヴには伝わってしまったようで。

 

 

 

「そうね。今更、よね。……今更、気づいたのよ」

 

 

 

 苦笑。いや、自嘲。

 変わらず静かな声に、苦虫を噛み潰したような感情が乗る。

 

 

 

「桜花賞の後、貴方は私を慰めてくれようとした。私は、それに気づかなかった」

 

 

 

 レース終わりの控え室で、“彼”は何か話しかけていた。

 でも、アルヴはその内容を覚えていない。

 スティルインラブに負けた悔しさで、頭がいっぱいだった。

 

 

 

「オークスに向けて根を詰める私に、色々と差し入れもくれた。私は、一度も手をつけなかった」

 

 

 

 今度こそと追い込みをかけるアルヴのトレーニングを見て、声を掛けないまでも、補食やドリンクを置いていく事があった。

 自分で用意したものがあったので、余計な分は全部、寮の共有冷蔵庫に押し込んだ。

 

 

 

「夏合宿の時も、貴方を騙してまで、自分を追い込んだ。そのせいで、エアグルーヴさんに問い詰められた……のよね?」

 

 

 

 夏合宿の終わり際。

 姿の見えないアルヴを探しにきた“彼”の前に、アルヴは制服姿で現れ、準備は出来ていると言って追い返した。

 その上でまた着替えて、ギリギリまで追い込み続けたのだ。結果としてアルヴは倒れ、エアグルーヴに介抱された。

 これを防げなかったとして、エアグルーヴは“彼”を詰問したと、最近になって聞いた。

 今思えば、“彼”の信頼を明確に裏切ったのは、この時だろう。

 

 

 

「私は、気付かなかった。……いいえ、違う。気付こうとしなかった。貴方は。…………それでもずっと、そばに居たのに」

 

 

 

 言い方を変えれば、甘えていた、のかも知れない。

 そういう約束をしたから。最終的に結果を出せば、問題ない。

 ただそこに居るだけで、契約しているだけで良い。

 

 証明したかった。

 一人でいい。一人でも勝てる。

 だから、余計な事をするな。

 

 こんな風に思っているウマ娘のそばに、居続けられるトレーナーが、何人、存在するだろうか。

 だから、大丈夫だろうと勘違いした。思い込んでいた。

 この契約はずっと続くものだと、甘えていたのだ。

 

 

 

「こんな、私だけど。どうしようもなく、頑固で、融通の利かない、気性難なウマ娘だけれど。……だから。だからきっと、もう、他の人じゃ、務まらない」

 

 

 

 途切れ途切れに。

 言葉を詰まらせながら。

 それでも、アルヴは止めなかった。

 生まれて初めて、自分の気持ちを、伝えようとしていた。

 

 

 

「もう一度、最初、から。間違えて、しまったから。やり直し、たい……。もう一度、私の、トレーナーに…………なって、ください」

 

 

 

 呆然と座り込む“彼”を見つめ、気まずそうに一度逸らし。

 その手に握られたままの写真立てを確認して、また見つめ直す。

 

 間違えてしまった“貴方”とだから、また一緒に歩きたいと。

 

 

 

「なんで……なんで、今更……っ」

 

 

 

 俯く“彼”の声は、震えていた。

 やっと存在を思い出したように、握りしめたままの写真立てを見つめ……その表面に、雫が落ちる。

 今まで我慢していたものが、とめどなく。

 

 

 

「なんで、こんなに、嬉しいんだよ……っ」

 

 

 

 とうとう“彼”は、写真立てを抱きしめて、年甲斐もなく泣き始めた。

 それを咎める者など、ここには居ない。

 ソファから立ち上がったアルヴは、恐る恐る“彼”の側に膝をつき、自分がエアグルーヴにしてもらったように、その肩を抱き締める。

 ぎこちなく。

 けれど、決して離れないよう、しっかりと。

 

 

 

「貴方って、意外と泣き虫なのね。……初めて、知った」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 二人は連れ立って、理事長室を訪れていた。

 

 

 

「先日は、お見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 

 

 深々と頭を下げる“彼”の姿は、見違えている。

 キチンと風呂に入り、服を着替え、食事と睡眠を摂っただけ。

 ただそれだけなのだが、まるで別人のような精悍さに溢れていた。

 

 

 

「二人で来たということは、辞表は撤回という事で良いのだなっ」

 

 

 

 出迎えたのは、やよい、たづな、そしてエアグルーヴの三人。

 代表してやよいが確認すると、“彼”がしっかり頷き返す。

 隣で佇むアルヴも、同じように。

 

 さんざん振り回されたが、これにて一件落着……の、はずだったのだが。

 

 

 

「しかし! 撤回には条件を出させてもらう!」

「り、理事長!?」

「一体何を……!?」

「この場で、トレーナーとしての君の意志を表明してもらいたい。我々はそれを聞く必要がある」

 

 

 

 気まぐれかと思われた一言は、聞いてみれば至極真っ当な意見だ。

 あれだけ気を揉まされ、少し不安な部分もある。

 納得させられるだけの所信表明くらい、してもらわねば。

 

 突然の要求に戸惑い、“彼”はアルヴを見遣る。

 アルヴはジッと見つめ返す。

 やがて、ゆっくりと“彼”が口を開く。

 

 

 

「酷く、遠回りをしてしまいました。とんでもない間違いも犯して、彼女を傷付け、自分も……傷付きました」

 

 

 

 それは、すでに起きた出来事の確認。

 変えようのない事実を見つめ、傷の深さを確かめるような、探りながら積み重ねる言葉。

 

 

 

「一度間違えたからと言って、また間違わないとも限りません。

 すれ違うこともあるでしょう。意見を対立させることもあるでしょう。

 これから先、絶対に幸福なレース人生を送らせられるなんて、口が裂けても誓えません。……それでも」

 

 

 

 とても後ろ向きな事を言っているのに、“彼”の表情は晴れやかで。

 アルヴを見つめる目は、優しくて。

 少し迷うように言葉を濁し、手をさまよわせ……意を決して、アルヴの手を取る。

 

 

 

「もう、この手を離さない事だけは、ここで誓います。辛い事も、悲しい事も。嬉しい事も、楽しい事も。二人で分かち合って行きます。アルヴが走り終える、その時まで」

 

 

 

 繋いだ手を掲げるようにして、“彼”はそう言葉を結ぶ。

 アルヴは驚いていたが、嫌がってはいないようだった。

 彼女の性格からして、嫌なら即座に振り払うだろう。

 だからこれは、二人の意思。二人の誓い。二人の願いなのだ。

 

 

 

「……手」

「え?」

「手。……もう、離して。分かってるから」

「あ、ああ。……い、いやでも、離さないと言った手前、すぐに放り出すのも……」

「比喩表現だって分かってるから! ……恥ずかしいのよ」

「す、すみません」

「全く、もう……」

 

 

 

 が、やはり気恥ずかしくはあったらしく、アルヴは離された手を胸に抱え込む。

 大事に。大事に。

 大切なものを、胸の奥へとしまうように。

 

 

 

 

「了承! 辞表は撤回された! 君達の新たなる前途に、幸多からん事を!」

 

 

 

 満面の笑みで扇子を鳴らし、やよいが二人を祝福する。

 これから先、“彼”とアルヴは二人三脚で歩いて行く事になる。

 まだ歩調を合わせるのは難しいだろう。

 ひょっとしたら転んでしまうかも知れない。

 それでも二人で立ち上がり、ゆっくりと歩いて行くのだ。

 

 まずは、次走。

 エリザベス女王杯へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう……」

 

 

 

 自室に戻ったアルヴは、ベッドし腰掛けて大きく息を吐いた。

 最近多かった溜め息ではなく、ようやく落ち着けた事への安堵からだ。

 ところが、彼女はすぐさまベッドへと寝転び、枕に顔を埋めて呻き声を上げる。

 原因は、理事長室での“彼”の言葉。

 

 

 

(あの、言葉……。あれじゃあ、まるで……っ)

 

 

 

 プロポーズ、じゃない。

 

 

 

「……っ。いいえ、あれはただの決意表明。そんな意味じゃない」

 

 

 

 枕から顔をあげ、何度も頭を振る。

 なんの事はない。額面通りに受け取ればいいだけで、余計な事を考えなければいい。

 ……けれど。

 瞼の裏に、どうしても“彼”の微笑みが浮かぶ。

 耳の中で、“彼”の言葉が木霊する。

 その度に、胸の中がじんわりとして。

 

 

 

「……っ! 〜〜〜っ!!」

 

 

 

 また枕に顔を埋め、ベッドの上でジタバタしるアルヴ。

 それは、ルームメイトが帰ってくるまで、延々と続いたのだった。

 

 

 







 アルヴさんのネクパイを見ていたらtntnがirirしたので描きました。後悔はしていない。はよ育成させろ。
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