アドマイヤグルーヴと、相性度65%のトレーナー   作:君のネクパイになりたい

10 / 23
シンデレラ・フィット(裏)

 

 

 

「すみません、お待たせしました……!」

「いいえ。私も少し前に来たところだから」

 

 

 

 昼前の駅前で、二人の少女が挨拶を交わす。

 嫌が応にも人目を引く彼女達は、髪色と同じく対照的な出立ちだった。

 

 栗毛の少女、スティルインラブは、秋らしい色合いのゆったりしたワンピースドレス。

 青鹿毛の少女、アドマイヤグルーヴは、瑞々しい青を基調とするパンツルック。

 二人で並び立つと、殊更に美しさが際立つ、互いを引き立て合う組み合わせである。

 

 

 

「ええと……。本日は、お付き合い頂き──」

「スティルさん」

 

 

 

 誘った側として、来てくれた事に礼を尽くそうとするスティルを、アドマイヤグルーヴ……アルヴが止める。

 その視線は逸されているが……ほんのりと、頬に赤みが差して見えて。

 

 

 

「そういうのは、必要ないわ。……友達、なんだから」

「……はいっ」

 

 

 

 相変わらず不器用ながら、確かに伝わってくる友情の念。

 スティルの頬も緩んでしまう。

 

 

 

「今日は、どこへ行くの?」

「それは…………秘密、です。でも、アルヴさんなら喜んでくれるはずです」

「そう。期待、してるわ」

 

 

 

 スティルにしては珍しい、ちょっとした悪戯心。

 その先導を受けるアルヴも、どこか楽しげに微笑んでいる。

 かつてのぶっきらぼうな表情を知る人物が見れば、きっと驚き、喜ばしく思うだろう変化だった。

 そして、辿り着いた目的地にて、彼女の表情は更なる変化を遂げる。

 

 

 

「こ、ここは……!」

 

 

 

 そこはいわゆる、ドッグカフェ。

 かつてのアルヴが、周囲の目を気にして、入れなかった場所。

 ネットで調べたり、雑誌で情報を眺めては、溜め息をついていた場所。

 ちょっと素直になった今ですら、気恥ずかしくて未挑戦の場所だった。

 

 

 

「このお店、少し前に話題になりましたけれど、今なら落ち着いて入れると思いまして……」

「…………」

「あ、アルヴ、さん……?」

「はっ」

 

 

 

 とうとう……。とうとうこの時が……。

 思わず感動に浸っていたアルヴだが、しかし、スティルに呼びかけられて正気に戻る。

 念願成就の時が来たとはいえ、いや、だからこそ緩んだ顔は出来ない。しっかりしなければ。

 

 

 

「お気に召しませんでしたか……?」

「そんな事ないわっ。……その、は、早く入りましょう」

「……ふふ。はい」

 

 

 

 気を引き締めるアルヴだったが、逸る気持ちは抑えられないらしく、ソワソワとスティルを促している。

 その姿があまりにも微笑ましくて、自然とスティルも笑顔になっていた。

 

 事前に予約をしてあったので、店員にその旨を伝え、注意事項の説明なども受けて、いよいよ入店する二人。

 二重になっている扉を開けると、そこには。

 

 

 

(ここが、天国……?)

 

 

 

 大勢の犬達(たくさんのわんこ)が待ち構える、夢心地の空間が広がっていた。

 開店当初はごった返していたらしいこのカフェだが、スティルの言った通り、今は人の波も落ち着いているようだった。中にはウマ娘の姿もあった。

 犬達も程よく暇を持て余しているのか、さっそくアルヴ達に群がる。

 

 

 

(ど、どうしよう。どうすれば。どうなるの)

 

 

 

 大型犬。中型犬。小型犬。

 ゴールデンレトリバー。シベリアンハスキー。秋田犬。芝犬。チワワ。

 それぞれのつぶらな瞳が、「構って」と訴えている。実にサービス精神旺盛であった。

 その中の一匹……。一番近くに居た、フワフワな毛並みのゴールデンレトリバーの近くにしゃがみ込み、アルヴは呼びかける。

 

 

 

「……さ、触っても、いい……?」

「ワフ」

 

 

 

 言葉を理解しているのだろうか。

 ゴールデンレトリバーは鼻先をスッと差し出し、撫でられ待ちの体勢に。

 恐る恐る手を伸ばし、躊躇いがちに……触れる。

 フワフワの毛並みが指先をくすぐった。

 

 

 

「〜っ!」

 

 

 

 感無量。

 我が人生に一遍の悔い無し。

 いやいや前言撤回。もっと堪能しなければならない。

 今まで我慢してきた分、もっと、もっと、もっとわんこを!

 

 そこからのアルヴの記憶は曖昧である。

 わんこを愛で、わんこに揉みくちゃにされ、わんこにオヤツをあげ。

 ただただ、幸福な時間が過ぎて行った。

 

 

 

「──ヴさん。……アルヴさんっ」

「え?」

 

 

 

 アルヴが再び正気に戻ったのは、結構な時間が経ってからだった。

 スティル自身も犬達と戯れて楽しんでいたが、生憎と、こういったカフェは時間制である。

 長めに取っていた時間も終わりが近い。

 

 

 

「そろそろ時間ですので、カフェでお昼に致しませんか?」

「も、もうそんなに時間が……。あっという間、だったわ……」

「うふふ。楽しんで頂けたみたいで、良かったです」

「ええ……。最高だった……」

 

 

 

 それを聞き、一瞬、この世の終わりが来たかの様な顔をするアルヴ。

 しかし、わんこと触れ合った時間を反芻する事で、どうにか気を持ち直した。

 この後は、ドッグカフェのカフェ部分で、自分達のお腹を満たす予定なのだ。

 

 

 

「ここはメニューも凝っているらしいですね」

「そうみたいね……。あ、これ可愛い……でもこっちも……」

 

 

 

 話題になった一因であるカフェのメニューは、もはやレストランと言っても過言ではないレベルであり、味もさる事ながら、見た目にこだわりが見られた。

 特に気になったのは、特注の金型を使用した、わんこ型のミートボール(もうボールじゃないが)のランチセットと、オムライスセット。

 オムライスの方は、ニンジンなどの具材をわんこ型にくり抜いて、絶対に崩れないよう蒸して火を通してから、丁寧にチキンライスに混ぜており、スプーンを入れると小さなわんこが溢れてくる……らしい。

 各種デザートにも犬のモチーフが用いられ、目にも楽しい一品ばかりだった。

 

 店長兼メインシェフの女性曰く、「この店に魂賭けてます!」とのこと。

 気合いの入れようが違う。

 

 

 

「アルヴさん。よろしければ、シェアしま──」

「するわ。ありがとうスティルさん」

「……本当にお好きなんですね」

「う。えっと……まあ……」

 

 

 

 食い気味に提案を承諾され、流石に目を丸くするスティル。

 若干キャラが崩壊している気もするけれど、それほどまでに好き、という事なのだろう。

 アルヴも恥ずかしそうではあるが、決して否定しない。

 

 

 

「お待たせしましたー!」

「……どうも」

「ありがとうございます。……まぁ、これは……!」

 

 

 

 ややあって、注文した料理が運ばれてきた。

 メニューの写真でも可愛らしい雰囲気は伝わってきたのだが、実際に目にすると、スティルでも目を輝かせる愛らしさで溢れていた。

 皿やスプーンなどの食器、ドリンクのコースターにも犬達が描かれたり、模られたり。

 あまりの仕事の丁寧さに、店長が倒れたりしないか、ちょっと心配になる程である。

 

 

 

(まずは一枚写真を……ううん、違うわね。全体を写してから、細かいところをアップにして、加工は無し、と)

 

 

 

 一方で、アルヴの熱の入れようも相当であった。

 携帯を構える表情が、もう鬼気迫っている。

 “彼”がこの場に居たら……きっと苦笑いして、でも楽しそうにしていたであろう。

 

 

 

「私の分も、撮りますか?」

「……そうさせて貰うわ。ごめんなさい、気を遣わせて……」

「いいえ。今まで見られなかったアルヴさんが見られて、嬉しいです」

「そ、そう……」

 

 

 

 驚きはしたものの、今日のアルヴが見せてくれたのは、どれも可愛らしい一面ばかり。

 はしゃぐ子供を見守るような心境で、スティルは微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁ……。凄く、よかった……」

 

 

 

 スティルの食べる速度に合わせて、ゆっくりと食事を楽しんだのち、二人は街を歩いていた。

 満足そうに自分のお腹をさするスティルの隣で、アルヴは未だにドックカフェでの時間を反芻しており、心なしか、顔の色艶も良くなっている気がする。

 これだけ喜んでもらえたなら、誘った甲斐があるというものだ。

 

 

 

「まだ帰るには早いけれど、この後はどうするの?」

「腹ごなしがてら、少し散策をした後、水族館に行こうかと……。いかがでしょう……?」

「水族館……。いいと思うわ。そこで少しゆっくりしましょう」

「はい」

 

 

 

 街中から少し離れ、人通りが少なくなった道を、ゆっくりと進む。

 天気の話。季節の話。級友の噂話。

 他愛のない会話は、とめどなく続いた。

 

 

 

(不思議……。クラシック級ではレースでのライバルで、シニアでは……恋敵で。そんな相手なのに、気持ちが落ち着く)

 

 

 

 普通なら、いがみ合い、憎み合い、顔すら見たくない相手になっても、おかしくはないのに。

 実際、恨みそうになった記憶だってあるのに、隣を歩くスティルを見ると、アルヴの中からそんな気持ちは消えてしまう。

 とても奇妙で、もどかしく、でも手放し難い、不思議な感覚。

 

 そんな風に考えていたからだろう。

 ふとアルヴは、トレーニング中のある出来事を思い出した。

 

 

 

「そう言えば……。最近、私のトレーニングを盗み見ている子が居るのよ」

「そうなのですか? お知り合い……ではなさそうですが……」

「ええ。知らない子。でも……ふふっ」

 

 

 

 長い黒髪の、変わった形の流星を持つウマ娘。

 恐らく年下であろう彼女は、いつからだろう。アルヴがトレーニングしているのを、物陰から伺っているのだ。

 それだけなら、単にアルヴに憧れる後輩かとも思うのだが……。

 

 

 

「声を掛けようとすると、凄い速さで逃げて行って。あの子、才能あるわ」

「……もしかして、アルヴさんも、後進の育成に力を?」

「そうなる、でしょうね」

 

 

 

 アルヴの本能、とでもいうべき感性が告げていた。

 あの黒髪のウマ娘とは、何か、不思議な縁がある……と。

 

 ジュニア級、クラシック級、そしてシニア級を経て、アルヴのトゥインクル・シリーズは、エリザベス女王杯で一区切りとなる。

 その後の道としては、変わらず第一線で走り続けるか、引退して普通の学生に戻るか、後進の育成に努めるか。

 他にも、様々な形でレースに関わる道を選ぶウマ娘が多いけれど、アルヴの場合は……スティルと同じように、後輩のために尽力する事になるだろう。“彼”の隣で。

 

 思えばこれも、スティルの影響なのかも知れない。

 彼女が後進の育成をしている姿を見て、自分も……というのは、少々短絡的な気もするが、しかし、影響が全くないとも言い切れなかった。

 

 

 

「あ。水族館、着きましたね。入りましょうか」

「ええ」

 

 

 

 そうこうしている間に、次なる目的地が見えてきた。

 時間的には、そろそろ夕暮れ。

 水族館はナイトシアターの時間に入り、スティルの目当てはこれのようだ。

 

 中に入ると、今度は美しい姿の魚達が二人を出迎える。

 普段は明るくライトアップされている展示も、少し明度と色合いを変えるだけで、グッと神秘的な雰囲気を増す。

 熱帯魚やクラゲ、群れをなす回遊魚達。

 子供達が少なくなる時間帯でもあるためか、館内は非常に静かで、落ち着いた雰囲気に包まれていた。

 

 

 

「少し、座りませんか」

「……そうね」

 

 

 

 大きな一枚のアクリルガラスで仕切られた、巨大水槽の近く。

 家族連れなどが座れるスペースを指し、スティルが休憩に誘う。

 きっと、ここからが本題だ。

 アルヴはそう直感した。

 

 無言で水槽の向こう側を眺め、どれくらい経ったか。

 不意にスティルが口を開いた。

 

 

 

「私……。学園を、去ります」

 

 

 

 静かな声。

 人気のない水族館でなければ、簡単にかき消えてしまいそうなその一言が、強かにアルヴの耳を打つ。

 胸が、締め付けられる。

 

 

 

「もう、決まった事、なの」

「いいえ。まだ決心した、というだけです。元々、あの方とは同じような話をしていましたので」

 

 

 

 アルヴが隣のスティルを見やる。

 スティルは水槽を見つめたまま、穏やかな笑みを浮かべていて。

 

 

 

「私のせい、なの……?」

「……私自身のせいです。長く留まるほど、未練が強くなってしまいますから……」

 

 

 

 動揺を無理に押さえつけた、硬い表情のアルヴに対し、返されるのは苦笑。

 考えてみれば、当たり前だ。

 スティルほど愛情深いウマ娘が、たった一度断られた程度で、完全に想いを断ち切れるはずがない。

 自分が逆の立場だったら……とアルヴは考えそうになり、かぶりを振る。

 嫌だ。想像すらしたくない。

 今はもう、耐えられそうにない。

 

 

 

「それに、進みたい道も見つけたんです」

「進みたい道?」

「はい。管理栄養士の資格を取ろうかと」

 

 

 

 けれど、スティルの笑顔は崩れないのだ。

 気丈に振る舞っている……ようにも見えなかった。

 

 アスリートは体が資本。であればこそ、食の問題とは切っても切り離せない。

 身体能力ゆえに燃費が悪い子。食が細くて成長が遅くなってしまう子。アレルギーで食事制限が必要な子。色んな問題を抱えたウマ娘が居る。

 スティル自身も食事を摂るのが極端に遅い、という問題を抱えており、そんな子達を栄養学の観点から支えられたら……と、明るい表情で語っていた。

 

 本気で、新しい道に踏み出そうとしている。

 そんな風に見えた。

 

 

 

「アルヴさん。これを」

 

 

 

 懐から棒状の“何か”を取り出し、アルヴへ。

 スティルの手の平にあったのは、いつかの勉強会で見た、あの万年筆だった。

 

 

 

「これって……」

「もう気付いていらっしゃったと思いますが……。“彼”から頂いた、ホワイトデーの、プレゼント……です」

「……やっぱりそうだったのね。全く、あの女ったらし……!」

 

 

 

 少しだけ……けっこう……かなり気不味そうにスティルが説明すると、アルヴは愛しいはずの“彼”に向けて毒づいた。

 経緯はどうあれ、結果的には友人に粉を掛けていた形なのだから、三行半を突き付けられても文句は言えない。

 ……のだが、惚れた弱みか、アルヴはひとまず保留とする。

 今大事なのは、何よりもスティルの事なのだから。

 

 

 

「でも、どうして私に……」

「これも未練、ですから。“彼”への気持ちは、全て、置いて行くつもりです」

 

 

 

 決意は、硬いようだった。

 いや、そこまでしなくては断ち切れないほどに、“彼”を。

 ……で、あるならば。

 

 アルヴはスティルの手に、自分の手を重ね……万年筆を握らせる。

 

 

 

「受け取れないわ」

「……何故です?」

「これは、貴方へのプレゼントだもの。貴方への気持ちまで、盗むつもりはない。……思い出まで、置いていかないであげて」

 

 

 

 二度目になるが、経緯はどうあれ、これは“彼”からスティルへのプレゼント。

 きっと、悩んだはず。

 あの当時だって、“彼”とアルヴは……まぁ、それなりに通じ合っていたと思える。

 それを押してもプレゼントを送った気持ちを、その尊厳を、犯したくはなかった。

 

 

 

「言っておくけれど、腹が立ってない訳じゃありませんから。後で絶対に“おしおき”するわ……!」

「あ、あはは……。手加減、してあげて下さいね……?」

 

 

 

 なお、しっかりと正妻ポジの主張も忘れない。

 スティルの乾いた笑いが、“彼”の儚い未来を予見させた。

 然もあらん。

 

 

 

「……ふと、考える時があるの」

 

 

 

 重なった手を離さないまま、アルヴは呟く。

 そのオッドアイが見つめるのは、かつて存在した/あり得たかも知れない、寂しい光景。

 

 

 

「“彼”が貴方を選んで、貴方も“彼”を選んで。……私は一人で、それを見ている。そんな世界を」

「……!」

「どんな時でも互いを想い合って、励まし合って。きっと、お似合いの……なんだったかしら。……そう。

 シンデレラ・フィットなんて言われるくらいの二人に、なっていたんでしょうね。最初から擦れ違っていた私とは、違って」

「そ、れは……っ……」

 

 

 

 スティルの表情が、悲しげに歪む。

 何か言いたくて、でも結局、何も言えなかった。

 ぐるぐる、ぐるぐると。複雑な感情が、胸の内をかき混ぜる。

 

 けれど。

 

 

 

「勘違いしないで。私はそれで良かったと、今だからこそ思うのよ」

 

 

 

 アルヴはスティルを見据え、微笑むのだ。

 柔らかく、そして力強さも感じさせる微笑みを、浮かべているのだ。

 

 

 

「擦れ違って。ぶつかって。お互いに傷付け合って、関係が壊れそうにもなった。

 ……でも。擦れるうちに角が取れて、お互いを磨くように、ゆっくりと形を変えて。今、ようやく重なり合えている」

 

 

 

 その胸にあるのは、確かな証。

 手探りで積み重ねてきた、思い出。

 互いを想う事で生まれる……愛という感情。

 

 

 

「この喜びはきっと、最初から良好な関係だったら、得られないものだった。

 だから、これで良かったのよ。

 今の私達には、シンデレラ・フィットにだって負けない絆がある。そう、信じられるから」

 

 

 

 それは、途方もなく美しい姿だった。

 自らの内に生じた想いを信じ、不確かで形のないものを、自分を通して現しているような。

 きっと誰もが見惚れてしまう、愛を知った少女の姿だった。

 

 あぁ。

 なんて、眩しい。

 

 

 

「今のアルヴさん、とても素敵です。思わず、憧れてしまうくらい」

「……貴方にそう言って貰えるなんて、光栄だわ」

 

 

 

 身を焦がされる感覚を覚えながら、しかしそれに身を任せ、スティルも微笑む。

 こんな可能性があったなんて。

 もしかしたら、私も……。

 そう思うと切ないけれど、それ以上に感情を動かされてしまった。

 こんな風になりたかったと、思ってしまうくらいに。

 

 

 

「私のライバルが、貴方で良かった。貴方に出逢えて、本当に良かった。貴方以外だったら、きっと……諦められませんでした」

「……私も、貴方と同じ道を歩けて……いえ、走れて良かった。貴方が居てくれたから、今の私がある。……ありがとう、スティルさん」

「こちらこそ、ありがとうございます。アルヴさん。……大切にします。この、今日の思い出も」

 

 

 

 万年筆と同時に、沢山の気持ちを握らされて。スティルは自分の未来を想う。

 色んな問題が立ちはだかる事だろう。

 心が折れそうになる事も、あるかも知れない。

 でも、きっと大丈夫。

 

 だって私は、あのアドマイヤグルーヴの、友だったのだから。

 

 まだ見ぬ未来を前に、決して負けはしないと。

 スティルは、この命に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備はできてるか、アルヴ」

 

 

 

 瞑目していたアルヴの意識を、“彼”の声が引き戻す。

 遠く、観客達のくぐもった声援が聞こえて来る。

 レースの控え室まで届く声量の理由は、ただ一つ。

 今日のレースが……エリザベス女王杯が、特別な日になる可能性があるからだ。

 

 

 

 

「ええ。問題ないわ」

「そうか。……いよいよ、だな」

 

 

 

 勝負服の確認も済ませて、アルヴは頷く。

 そう。いよいよ、だ。

 

 京都大賞典では、周囲のマークがキツく、囲まれて抜け出せなくなり、結果が振るわなかった。

 天皇賞(秋)では、ゼンノロブロイの走りに肉薄するも、わずかに届かなかった。

 

 悔しい結果だったが、しかしおかげで、集中力はかつてないほど高まっている。

 確実に、全身全霊を懸けられる。

 

 

 

「ゴール前で待ってる。君が一番に駆けて来られるように」

「……ん。待っていて。必ず、一番早く、辿り着くから」

 

 

 

 二人。向かい合って、決意を新たに。

 見つめ合ううちに触れたくなり、“彼”の胸に体を預ける。

 “彼”はしばらく手を彷徨わせていたが、やがて、しっかりと抱き締めてくれた。

 それが嬉しくて、アルヴは目を閉じ、“彼”に向けて唇を差し出す。

 けれども、望んだ感触は、唇ではなく額に落ちてきて。

 

 

 

「いくじなし」

「今はまだ駄目。全部終わったら、話をしよう。俺達の、これからの話を」

「……分かったわ」

 

 

 

 ちょっとくらい良いじゃない、と不満げなアルヴをたしなめ、“彼”はその背中を地下バ道へと送り出す。

 声援が明瞭に、震える空気は肌を粟立たせた。

 

 深呼吸。

 数歩踏み出し、そして振り返る。

 

 

 

「いってらっしゃい。アルヴ」

「行ってきます。トレーナー」

 

 

 

 何も言わなくても、望んだ言葉をくれる“彼”。

 胸に溢れる想いを隠そうともしないで、アルヴは大きく微笑んだ。

 今日は。今日こそは。今日だけは。

 誰にも一着を譲らない。

 

 連覇を賭けた、運命のエリザベス女王杯が、始まる──。

 

 

 

 

 

 

 

 







 今回の話の中で「カーン」という幻聴が聞こえた人。貴方は作者と同じ病気です。一緒に治療しましょう。
 分からない人は正常かつ清浄です。是非そのままでいて下さい。

 ふざけるネタも尽きたので、この辺で失礼。
 次回、完結。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。