アドマイヤグルーヴと、相性度65%のトレーナー 作:君のネクパイになりたい
「ううむ……」
トレセン学園、カフェテリア。
多くのウマ娘が楽しげに昼食を摂る中、“彼”は一人、腕組みをして悩んでいた。
「どうしたらいいんだ……?」
食事もそこそこに、顰めっ面を浮かべるその姿からは、しかし深刻そうな雰囲気は感じられない。
悩んではいるが、悩む事自体も楽しんでいるような。
ともあれ、話しかけるのが躊躇われるのは確か。
けれど、そんな“彼”に近寄るウマ娘が一人。
「あの……」
「ん? 君は……スティルインラブ」
艶やかな栗毛を、純白のヴェールに覆う彼女の名は、スティルインラブ。
“彼”の担当であるアルヴ……アドマイヤグルーヴと、ティアラ路線で鎬を削った相手。
そして、先日のエリザベス女王杯において、アルヴが初勝利を収めた相手でもある。
そんな彼女が、いきなり誰かに話しかけられたような顔をしていた。
話しかけてきたのは彼女の方なのに。
「なんで驚いてるんだ……?」
「あ、いえ……。一度で、気付いてくださったので」
「……話しかけられれば、普通に気付くと思うけど」
「そう、ですね。そうなのですけれど……」
どことなく嬉しそうに、けれど戸惑いも隠せない様子で、はにかむスティルインラブ。
正直に言うならば、“彼”にとっては仇敵にも等しい存在。
世間は彼女を「陰が薄い」と評するらしいが、どうしてこんな存在を見落とすことができるのか、“彼”には不思議でならなかった。
「何か、お悩みのご様子。お力になれればと思ったのですが……ご迷惑だった、でしょうか」
どうやら、純粋な善意で話しかけてきてくれたようだ。
レースの中では憎き相手だが、そこを離れれば評価は一転。見目麗しく、控えめで、分け隔てなく気配りをしてくれる、優しい少女である。
考えが堂々巡りしていたこともあり、“彼”は厚意に甘える事にした。
「いいや、そんな事ない。むしろ、こちらからお願いしたい位だ。ぜひ、話を聞いてもらえるかな」
「はい。私で良ければ」
スティルインラブが、嬉しそうに微笑む。
助けを乞われたはずなのに、まるで自分自身が助けられたかのような、そんな笑み。
思わず、彼女が担当だったなら、どんなトレーナー人生だったろうか……と、馬鹿なことを考えてしまうほど、それは温かかった。
……が、彼女が同じテーブルにつき、いざ話を始めようとしたところで、気付く。
「……なんか、見られてる?」
「……そのようですね」
何やら、カフェテリア中の視線が、こちらに向けられているような気がする。いや、実際に向けられていた。
かたや、史上二人目のトリプルティアラを戴くウマ娘。
対するは、彼女に煮湯を飲まされ続けたウマ娘の担当トレーナー。
あまり好ましくない状況だが、注目を集めるのも致し方ないのやも……。
「場所を変えましょうか。どうぞ、こちらへ」
「あ、ああ……」
スティルインラブにしては珍しい(と思われる)、ハッキリとした意思表示。
反射的に、その小さな背中を追って、カフェテリアを後にする。
向かった先は、彼女の担当トレーナー室だった。
「“彼女”は、居ないのか」
「はい。本日は学外のお仕事だそうで……。どうぞ」
免許取り立ての新人トレーナーでありながら、初担当ウマ娘をトリプルティアラに導いた才媛。
エリザベス女王杯でこそ敗北を喫したものの、今では多方面に引っ張りだこなのだとか。
そう言って寂しそうに笑うスティルインラブは、手ずからコーヒーを淹れてくれた。
門外漢だが、道具からして本格的に思える。
そして一口啜れば、その見立てが間違っていないと証明された。
「……! 美味っ!? ええっ……? コーヒー淹れるの、上手なんだな……」
「うふふ。気に入って頂けて、良かったです。あの方も、よく褒めてくださるんですよ。よろしければ、こちらも」
鼻に抜ける芳醇な香りと、後味の爽やかな苦味。酸味もしっかりと存在し、けれど全体の邪魔をしない慎ましさ。
砂糖とミルクも用意されているが、使うのが勿体無いと思わされるコーヒーとの出会いは、生まれて初めてだった。
まるで、自分の知らない好みを言い当てられたような、驚きと感動である。
付け合わせに出された甘いクッキーがまた憎らしく、甘さと苦味の相乗効果で、あっという間にマグカップは空になってしまう。
「“彼女”はいつも、こんな幸せな時間を過ごしてるのか。羨ましい」
「まぁ。幸せ、だなんて……」
「いや本当に。美味しいコーヒーをありがとう、スティルインラブ」
「……。どうか、スティルとお呼び下さい。あの方も、そう呼ばれますので」
「え。でも……」
「お願いします」
「……なら、スティル、さん?」
「……はい。“トレーナーさん”」
ウマ娘のフルネームは長いことも多く、日常的に呼びやすいよう、よく愛称が用いられる。
だが、いかんせん相手は他のトレーナーの担当。妙な背徳感を覚えた。
「っと、すまない。すっかり寛いじゃって」
「いいえ。とんでもない。……それで、何をお悩みに?」
気がつけば、随分と時間が経っていた。
スティルインラブ……スティルに促された事もあり、“彼”は悩みの種を明かす。
「なるほど……。アルヴさんに、クリスマスプレゼントを送りたいのですね」
「そうなんだ」
「けれど、アルヴさんの好きな物を、何も知らない、と」
「……そう、なんだ」
がっくり。
項垂れる彼の姿は、情けなさ全開である。
実績を全く持たず、後輩に遅れをとっている事実に、内心焦りを感じていた“彼”。
そこに救いの手を差し伸べてくれた──当時はそんな気分だった──のが、アルヴだ。
紆余曲折すらない虚無期間を越え、ようやく始まったトレーナー生活でまず実感したのが、彼女を知らない、という事実だった。
ただ見ているしかできなかった事の弊害である。
「情けないよな。もうクラシック級も終わるっていうのに、担当の好みの一つも知らないなんて」
「そんな風に仰らないで下さい。アルヴさんが聞いたら、悲しみますよ」
「……そう、かな」
「そうです、絶対。……あんな風に、勝利を喜んでくれる方なんですから」
「うっ」
少々、天邪鬼な笑みを浮かべるスティルが言うのは、もちろんエリザベス女王杯でのこと。
それまでは他人の目を恐れ、画面越しにしか応援してこなかったのだが、その日、“彼”はレース場で、最前列でアルヴを応援した。
誰よりも声を張り上げ、勝利が確定した瞬間など、拍手よりも先に“彼”の雄叫びが響いたほど。
おかげで喉を痛めてしまい、勝利インタビューはアルヴに任せっきりに。
記事にも、「トレーナー勝利の雄叫び!」と揶揄される始末。
全くもって、醜態と言って差し支えない。
「わ、忘れて、くれないか」
「それは……無理なご相談かと。とても情熱的な光景でしたから」
「……意外と意地悪だな、君も」
「ふふ。申し訳ありません。意趣返し、と思ってくださいませ」
恨めしくスティルを見上げると、たおやかでいて、同時に挑発的な笑みが返される。
本当に、意外だった。
“彼”が知る限りでは、“彼女”とスティルは常に互いを思いやり、尊重し、ひたむきに支え合う、理想の担当契約者たち……という印象だった。
こんな風に、年相応の悪戯をする一面もあるのだと、驚いていた。
「心当たりがあるとしたら…………ワンちゃん、ですね」
「ワンちゃん……。犬?」
「はい」
話を戻し、スティルは誦じるように語り出す。
曰く、“彼女”が街へ出かけた際、動物保護の募金活動に募金し、保護犬の写真をもらって嬉しそうにしていたのだとか。
しかも、のちに落ちていた写真を拾って届けた時には、小銭が邪魔だったからというツンデレ反応が。
『あれはもう絶対にワンちゃん好きだよね』
……と、“彼女”は楽しげに笑っていたらしい。
「そんな事が……。全然知らなかった」
「あの方も、偶然お見かけしただけ、と仰っていました」
「そっか……。ありがとう。十分過ぎる収穫だ。あとは、実際に何を贈るか、だけど……ううむ……むう……」
犬好きという新事実が判明し、朧げながら光明が見えた……は良いものの、方向性が定まったに過ぎない。
プレゼントを犬に関連したアイテムに限定しても、まだまだ無数に存在する上、何を貰って嬉しいかは別問題である。
犬のイラストなどが入った小物。モチーフにしたアクセサリー。実用品。置き物。服。挙げればきりがなかった。
悩ましい。
「……勝手な、私個人の印象なのですが」
と、唸っている“彼”に、スティルから更なる補足が。
「アルヴさんは、あまり、贈り物に慣れていらっしゃらない……そのように見受けられました。であれば、失せ物という選択肢も、良いのではないでしょうか」
「失せ物……食べ物とかか。確かに……」
失せ物。
本来は紛失物などを指す言葉だが、この場合は失くした物ではなく、失くなってしまう物。食べ物や消耗品、日用雑貨を言う。
こういった物は、総じて価格帯が控えめに設定されているし、受け取る側としても気楽だ。
高価な物を貰ってしまって、お返しに気を揉む……という事態も避けられるだろう。
「ありがとう、何から何まで。これでどうにかなりそうだ!」
「お役に立てたなら、私も嬉しいです。頑張って、くださいね」
「ああ。このお礼は、いずれ必ず!」
今度こそ、確かな光明を見出せた“彼”は、満面の笑みをスティルに向ける。
対するスティルも、釣られたように微笑み返し、ひょんなことから始まったティータイムは、和やかなうちに終わったのだった。
「じゃあ、年末年始の予定は、こんな感じで」
「はい。問題ありません」
時は過ぎ去り、暦は年の瀬。
世間がクリスマスイヴというイベントに浮かれる中、“彼”はアルヴと予定の確認をしていた。
トレセン学園に通う生徒たちは、この時期、主に二つに分けられる。
長期休暇を利用して帰省する生徒と、学園寮に残ってトレーニングする生徒である。
孤児院育ちのアルヴが選んだのは後者だった。
別に、育った孤児院が経営不振で破綻したから、帰る場所がない……なんて悲しい事は起きていない。
決して安くない学費を払って在籍しているのだから、時間を無駄にしたくないという、ストイックな理由からだ。
“彼”個人としては、少しくらい休んでほしいとも、思っているのだが。
「ああ、アルヴ。少し待ってくれ」
「……なんでしょう?」
話が終わった途端、そそくさと帰ろうとするアルヴを呼び止め、机の引き出しを開ける。
取り出されたのは、小さな真鍮の缶。中には小分けのクッキーが詰められている。表面に施された、子犬の飾り彫が特徴的だった。
「これ。大した物じゃないけど」
「え……」
差し出された缶を受け取り、それをじぃっと見つめるアルヴ。
その反応を見て、本当に犬好きなんだな、と。思わず微笑ましく思ってしまう。
「中身はクッキーだから、おやつにでも食べてくれ。……め、メリー、クリスマス……」
大人になってから、こんな風にクリスマスを祝う機会には縁遠かった。
だからか、妙に気恥ずかしい気持ちも湧くのだけれど、それを噛み殺し、どうにか笑顔で贈る事ができた。
受け取ったアルヴの顔にも、珍しく柔らかい微笑みが浮かぶ。
「通りで、微かに甘い匂いが。これが原因だったんですね」
「……バレてたのか」
いやいや包装済みのクッキー缶だぞ? どんな嗅覚だよウマ娘じゃなくて犬娘か。
……なんて突っ込むのは野暮だろう。
とにかく喜んではもらえたのだ。今年の目標は全て達成。大団円である。
「……でも、他にも何か……焦げたような匂いもしますが」
「っ、そうか? 俺は何も感じないけどな」
「…………」
「…………」
ひくっ。
“彼”の頬が引き攣る。
アルヴの目が鋭くなった。
彼女は嗅覚に全神経を集中し、その匂いの元を探り始めた。
程なく、それは“彼”の仕事用のバッグから発せられていると判明。
ソファに投げ出されたバッグの前へと、アルヴはしゃがみ込む。
「…………」
「…………」
「……あの」
「……な、なんでしょうアルヴさん」
「…………」
「…………っ。はぁ……」
何も言わずに、“彼”を見つめる。
目が逸された。
呼びかけても素知らぬふり。
仕方なく、目力で圧をかけると、根負けしたのか大きな溜め息を。
「……実は、手作りにも、挑戦したん、だけど。……失敗、して。自分で処理しようかな、と……」
立ち上がった“彼”が、バッグから小さな小包みを取り出す。
アニメ調の犬がプリントされた、透明な包装紙の中にあるのは、黒ずんだクッキーだった。
実はクッキー缶の方が次善策で、本命は手作りの方だったのである。
まぁ実際、こうして失敗したのだから、用意しておいて良かったのだ。バレなければもっと良かったのだが……。
と、“彼”が気不味さを味わっている最中、アルヴは何を思ったのか、その手から包みを取り上げ。
「えっ。あ、ちょ!?」
おもむろに開封し、焦げたクッキーを食べてしまった。
やはり不味かったようで、形の良い眉が歪む。
「……苦い」
「そりゃあ焦げてるし。というか、食べなくていいから。返し──」
包みを取り返そうと伸ばした手が、空振った。
なぜならば、アルヴが身をかわしたから、である。
他に理由なんてあるはずがない。
「…………」
「…………」
無言でアルヴを見つめる“彼”。
“彼”を見つめ返しながら、ただ苦いだけのクッキーを、また口に運ぶアルヴ。
また手を伸ばす。
アルヴがかわす。
またまた伸ばす。
擦りもしない。
またまたまたまた、手を伸ばす。
ウマ娘の身体能力を活かして、全力でかわし続ける。
「なんで逃げるんだよ!?」
「……なんで、でしょうか」
しばらくの攻防の後、流石に“彼”が問いかけるのだが、アルヴ自身、不思議そうな顔で首を傾げていた。
そもそも、苦い食べ物は生まれつき苦手であるはずなのに、どうしてこんな物を自分から……?
分からない。全くもって、分からない。
「……ご馳走様でした」
「……お、お粗末様でした」
そうこうしている内にクッキーは無くなり、追いかけっこする理由もなくなってしまう。
奇妙な雰囲気が、トレーナー室に漂った。
「それじゃあ、帰ります」
「あ、アルヴ……」
が、アルヴはそれを気にした様子もなく、包み紙ごと、最初に渡されたクッキー缶を抱えて、部屋を出て行った。
“彼”は思わず手を伸ばすも、消えてしまった背中には届かず、所在無く頭を掻きむしる。
なんだったんだろう、一体。
「忘れていました」
「うおぉ!? な、なにっ?」
かと思ったら、アルヴがひょっこりと戻り、顔だけを覗かせた。
驚く“彼”に向けて、彼女は。
「メリー、クリスマス」
……と。
気恥ずかしそうに呟いて、今度こそ姿を消す。
窓の外では、小さな雪が降り始めていた。
アドマイヤグルーヴの机の引き出しには、この日以降、小さなクッキーの缶が仕舞い込まれた。
彼女は時々それを眺め、表面の子犬を撫でては、優しく微笑んでいたという。
そして、空き缶であるはずのそれの中に、使用済みの包装紙が綺麗に折り畳まれているのは、他の誰も知ることのない、秘密なのだった。