アドマイヤグルーヴと、相性度65%のトレーナー   作:君のネクパイになりたい

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[改訂版]シンデレラ・フィット(表)

 

 

「じゃあ、総括はこのくらいにしよう。今日もお疲れ様」

「お疲れ様でした」

 

 

 

 秋の大目標、最初の一つ。京都大賞典を目前に控えた、ある日の放課後。

 その日に行ったトレーニングを踏まえた総括は、レースに向けた更なる調整の足掛かりを得る、貴重な時間だった。

 現在の状態を一言で表すならば……絶好調。

 これを維持できたなら、京都大賞典でも勝てるだろう。

 

 

 

「あの……。少し、いいですか」

「ん? どうしたんだ、アルヴ」

 

 

 

 総括が終わり、後は変えるだけ……というタイミングで、アルヴが“彼”を呼び止める。

 手を体の後ろに、少し屈み気味の上目遣い。

 これは……マズい……!

 

 

 

「きょ、今日も、少しだけ……くっつきたくて……」

「うっ」

 

 

 

 アルヴの甘える攻撃!

 効果はバツグンだ!

 

 ……という感じの、とあるゲームの戦闘画面が脳内再生されるほど、“彼”は深刻なダメージを受けた。

 なお、減っているのはHPではなくSP。いわゆる正気度である。

 ゼロになるとコンプライアンス違反が発生する、かも知れない。

 

 

 

「だめ、ですか……?」

「う、ぐ、む……っ」

 

 

 

 重ねて攻撃を受け、思わずたじろぐ。

 ここ最近、こんな風に甘えられる事が多くなった。

 それ自体は非常に嬉しい。嬉しくないはずがない。さらに言うなら可愛くって仕方ない。

 が……もちろん問題もある。とても困った問題が。

 

 

 

「す、少しだけ、なら……」

「あ……!」

 

 

 

 “彼”が頷くと、頬を緩ませたアルヴは、腕を取ってソファへ導く。

 そして、二人でピッタリ並んで座り……。

 

 

 

「ふふふ」

 

 

 

 溶けたマシュマロのような笑みを浮かべながら、“彼”の肩に頭を預けるのだ。

 これが……このゼロ距離甘えん坊状態のアルヴが、とっっっっっても、困る。

 

 

 

(こんなにアピールされても、手を出したら条例違反とか……この世界は不条理だ……)

 

 

 

 一応、まだアルヴとの関係を明確にはしていないが、今や非常に親しい間柄である、というのは間違いない。

 だからと言って、物理的な接触が増えると、こう……マズい。またSPが減る。

 半年もすれば合法とは言え、それまで理性が保つか疑わしいくらいに、アドマイヤグルーヴというウマ娘は魅力的なのだ。

 そんな子が、甘えん坊の大型犬みたいに「構って?」攻撃して来たら、耐えるだけでも至難の業。というか、済し崩し的に構っている訳だし、既に秒読み段階だろうか。

 

 こんな事情があり、スティルインラブとの勉強会も自然消滅していた。

 ……いや。夏合宿後から、徐々に避けられていた気もするが、それはさて置き。

 

 

 

「そ、そろそろ門限が心配だし、帰る準備しようか」

「え。もうですか……?」

「ゔ」

 

 

 

 我慢の限界が近いので帰寮を促すも、悲しげな瞳が心臓を射抜く。

 ダメだ。ここは心を鬼にして、過剰なスキンシップを戒めなければならない。

 そう決心した“彼”は、鋼の意志をもってアルヴに相対する。

 ……つもりだったのだが、腕をさらに強く抱え込まれ、二の腕辺りに極上の暖かさを感じると、鋼の意志(笑)は脆くも崩れ去った。

 

 

 

「本当に、あとちょっとだけ、だぞ……」

「……はい。ありがとう、ございます」

 

 

 

 また嬉しそうに微笑み、まるで匂いづけでもするように、肩に額を擦り付ける。

 アルヴのような美少女に、こうまで求められるのは男名利に尽きる。

 だが、応じられるようになる前に、社会的な寿命が尽きるのではなかろうかと、“彼”はそんな事を思った。

 

 

 日が明けて。

 どうにかこうにかアルヴからの精神攻撃を凌ぎ続ける“彼”は、午後のトレーニングに備え、カフェテリアからトレーナー室へと戻っていた。

 

 

 

(やっぱり、天皇賞最大の障害は、ゼンノロブロイか)

 

 

 

 二人でいると煩悩に塗れる分、一人でいる時はより冷静に、レースやその戦略を練ることができた。

 直近の京都大賞典も油断ならないが、その先に待つレースにも、更なる強敵が待ち構えている。

 特筆すべきは、天皇賞(秋)に出走予定の、小柄ながら雄々しい走りをする文学ウマ娘、ゼンノロブロイ。

 彼女は秋古馬三冠──天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念からなる、3つのレースの勝利を掲げているのだ。

 決意みなぎるその姿は多くの応援を呼び、アルヴに立ちはだかる大きな障害となるだろう。

 

 彼女の得意な戦略は? それに対する勝ち筋は? 当日の天候によるバ場状態の変化は?

 考えられることは多かった。

 そのせいで……と言っては言い訳がましいが、もうすぐトレーナー室という曲がり角で、出会い頭に誰かとぶつかってしまった。

 

 

 

「きゃっ」

「っと、危ない!」

 

 

 

 相手も予想していなかったのだろう。

 後ろへ倒れそうになるのを、慌てて引っ張り上げる。

 勢いがつき、抱き止める形になってしまったが、尻餅をつかせるよりは……と、そこで気付く。

 ぶつかった相手は、最近会うのが気不味いウマ娘……スティルだったのだ。

 

 

 

「だ、大丈夫か?」

「…………」

 

 

 

 やってしまった……!

 どうして、よりにもよって、スティル相手に、少女漫画的アクシデントを発生させてしまうのか。

 一瞬、三女神を呪いたくなったが、やってしまったものは仕方ない。

 まずは、どこか痛めていないかを確認したい……のに、反応はなかった。

 “彼”は手を離しているのだが、彼女は抱き止めた時の体勢のまま、動かないのだ。

 むしろ、グリグリと胸元に顔を埋めているような……。

 

 

 

「す、スティルさ──」

「はっ!? だ、だめぇ!!」

「どわぁ!?」

 

 

 

 がばっ、どんっ、べしぃっ。

 

 これがなんの擬音かと言うと、スティルが胸元から「がばっ」と顔を上げ、「どんっ」と“彼”を突き飛ばし、廊下の壁に「べしぃっ」と顔面から叩きつけられた……という状況である。

 コルクボードに埋まった顔を引き抜きつつ、“彼”は泣き言を漏らした。

 

 

 

「な、なんで、こんな……そんなに嫌かぁ……っ?」

「え、あ、ああっ、私ったら、ごめんなさい、ごめんなさい! そんなつもりじゃ……!」

 

 

 

 慌てるスティルの声。クラクラする頭。鉄錆の味。

 顔をぶつけたせいで、鼻血が出てしまっているようだった。

 むしろ、鼻血で済んで良かった。ウマ娘の力だと、突き飛ばすだけでも、下手したら大惨事である。

 

 

 

「す、すぐに保健室にっ」

「いや、そんな大袈裟にしなくても、大丈夫だから。トレーナー室に戻ればティッシュくらい……」

「……なら、せめてお部屋まで、私の肩を」

「あ、ありがとう……」

 

 

 

 フラつく体を支えてもらい、なんとかトレーナー室へ。

 流石に、このくらいの接触は許してもらえる……だろう。きっと。

 

 

 

「本当に、申し訳ありませんでした」

「気にしないで。もう鼻血も止まったし」

 

 

 

 鼻にティッシュを詰め、首をトントンしたりして、おおよそ十分。

 その間もスティルは謝り続け、とにかく恐縮している。

 気になるのは……目を合わせてくれないこと。

 たまに視線が合っても、すぐに逸らしてしまう。

 

 

 

「さ、最近、アルヴとはどう?」

「……仲良く、させて頂いております」

「……そっか」

「…………」

「…………」

 

 

 

 気まぐれに話を振っても、暖簾に腕押し、糠に釘。

 打てど響かず、沈黙ばかりが広がっていく。

 ほんの数ヶ月前まで、この部屋で勉強会をしていたとは、信じられない。

 

 

 

「では、私はこれで……」

「あ、ちょ、ちょっと待った!」

 

 

 

 部立ち去ろうとするスティルを、反射的に呼び止めてしまった。

 関わりたくないのだろうに、止まってくれる。

 小さな背中に何を言うべきか。

 考えた末に出た答えは……“彼”自身に関わる事ではなかった。

 

 

 

「俺の事は、嫌っても構わないから。アルヴの事、どうか頼むよ。男では理解してあげられない部分も、あるし」

 

 

 

 色々とあったが、今のアルヴにとって、間違いなく一番の友人と言える存在は、スティルしかいない。

 何が理由で避けられているのか、思い当たる節は……正直、幾つかある。夏祭りの時とか、褒めるのを避けたし。

 それでも、アルヴに罪はないから。

 わがままだと思われても、アルヴの隣に居てあげて欲しかったのだ。

 

 

 

「……ええ。嫌い、です……」

 

 

 

 けれど、スティルが反応したのは、期待していた部分ではなかった。

 

 

 

「“貴方”の事なんか、嫌いです」

 

 

 

 暗く、硬質な声。

 スティルは背中を向けたまま、“彼”を責め立てる。

 

 

 

「アルヴさんが居ながら、私にも優しくする“貴方”が、嫌いです。

 アルヴさんの気持ちにはすぐ応えるのに、私の気持ちを無視する“貴方”が嫌いです。

 ……いいえ。本当は気付いているのに、気付いていないふりをする“貴方”が嫌いですっ」

 

 

 

 まるで、ずっと抱え込んでいた負の感情を、一気に吐き出すように。

 握り締めた拳を震わせるスティルは、一体どんな顔をしているのか。

 

 いや、どう考えても怒っているに決まっている。

 いつも優しげな微笑みを浮かべていた、あのスティルを、ここまで怒らせていた。

 その事に気付きもしなかった……。いや、彼女が言うように、気付かないふり、だったのか。

 

 苦虫を噛み潰す“彼”だったが、しかし……。

 

 

 

「“貴方”の事なんか……大っ嫌いです!」

 

 

 

 そう言いながら振り向いたスティルは、泣いていた。

 耐え難い痛みに耐えているような、悲痛な声が、耳にこだまする。

 そうこうしているうちに、彼女はトレーナー室から駆け出して行って。

 

 

 

「あ……っ!」

 

 

 

 反射的に、またその背中を追いかけようとして、足を止める。

 伸ばした腕も、無意味に空気を掴むだけ。

 

 

 

(追いかけて、良いのか)

 

 

 

 心優しいスティルに、あんな事を言わせてしまった。

 嫌いだと明言された事より、そちらの方がよほど堪えた。

 そこまで……追い込んでしまった。

 いいや。アルヴを選んでおきながら、こんな風に思う事自体が、駄目なのか。

 自分で自分を殴りたい衝動に駆られる。

 

 

 

「あのっ、何があったんですか!? 今、スティルさんが……?」

 

 

 

 そんな“彼”を留まらせたのは、慌てた様子のアルヴだった。

 どうやら、たまたま部屋から出て行くスティルを見かけたようだ。

 しきりに廊下を気にしている。

 

 

 

「嫌いだ、と言われた。まぁ、当然か……」

「え……?」

 

 

 

 とりあえず、簡潔に状況を説明するが、アルヴは不思議そうに首を傾げるだけ。

 当たり前だ。“彼”自身もまだ混乱しているのだから。

 

 

 

「スティルさん、泣いていました。追いかけないと……」

「……追いかけない」

「どうしてっ」

「“俺”が、君のトレーナーだからだ。君のトレーナーでいたいからだ。……あの子のじゃ、ない……っ」

 

 

 

 追いかけたい気持ちはある。

 だがそれも、自分の罪悪感を消したいがための行為、かも知れない。

 中途半端に優しくするのは、ジワジワ傷付けるのと同じ。

 だからきっと、追いかけてはいけないのだ。

 “彼”は自分にそう言い聞かせ、知らず、拳を握り締める。

 

 ふと、目の前に気配を感じた。

 いつの間にそうしていたのか、床を向いていた視線を上に戻すと、アルヴの腕が伸びて来て。

 驚く暇もなく、抱き締められていた。

 

 

 

「あ、アルヴ?」

「だったら、なおさら行ってください。こんな終わり方はダメ。きっと、いつまでも忘れられなくなる。……ちゃんと、終わらせてあげてください。スティルさんのためにも」

 

 

 

 暖かい体温と言葉に、思わず縋りついてしまう。

 行って、終わらせる。忘れられなくなるから。

 やるべき事を明示されて、しかしまた迷いが生まれる。

 ここでスティルを追いかけたら、今度はアルヴを傷付けるのでは? と。

 

 誰かを選んで、選ばなかった誰かを傷付けて。

 ずっと、その繰り返し。

 

 

 

「俺は……でも……」

「……もう! いいから、行って! 駆け足!」

「えっ!? ちょ、うぉ、わ、分かった、分かったから……!」

 

 

 

 悩みだす“彼”をアルヴは急き立て、入り口に向けて背中を押す。

 突き飛ばすようにして追い出せば、一度だけアルヴを振り返り、やがて……走り出した。

 その姿が見えなくなると、アルヴはトレーナー室へ戻り、ソファに腰を下ろして、膝を抱える。

 

 

 

「バカみたい……。なによ、理解のある女ぶって……。本当に、バカ……最低……っ」

 

 

 

 嘘をついた。

 本当は行って欲しくなかった。

 いいえ違う。嘘じゃない。行って終わらせて欲しいのは、本当。

 でもそれは自分のため。スティルのためじゃない。

 全部終わらせて、そして、私だけを。

 

 そんな本心を隠して、“彼”を騙して送り出した……醜い、女。

 

 

 

(帰ってきて、くれる……わよね……?)

 

 

 

 不安に押しつぶされそうになりながら、少女は一人、“彼”の帰りを待つ。

 

 そして、もう一人の少女は。

 

 

 

(言ってしまった……。あんな酷い言葉、言うつもりなんて……。私、私は……っ)

 

 

 

 スティルインラブは走っていた。

 学園を抜け出して、街を駆け抜けて。

 行き着く先は……向かう先は、どこ?

 分からない。分からないまま、走っている。

 

 胸が苦しくなって。息が切れて。やがて足が止まる。

 誰もいない道路。

 歪んだカーブミラーがスティルを見下ろしていて、その中に、歪んだスティルが居る。

 涙と汗にまみれた、歪んだ顔の少女が。

 

 

 

(なんて、醜いの)

 

 

 

 見るに耐えなくて、また走りだす。

 あれが私の本性。

 “本能”に全て押し付けて、自分だけ綺麗で居ようとした、報い。

 

 

 

(これが、罰なの? “あの人”の未来を望んだことが、そんなに悪いことだったの……? どうして……どうしてまた、同じ時間に……)

 

 

 

 汗も涙も枯れ果てた頃に辿り着いたのは、あの場所だった。

 “あの人”と、初めて出会った場所。“彼”が……現れなかった場所。

 だからスティルは、“彼女”を選んだ。

 トレセン学園の中で、最も濃く“あの人”を感じたから。

 

 “彼”はその逆。顔も名前も、体格も年齢も違った。

 同じところを探す方が大変で、それなのに、知れば知るほど、“あの人”を感じて。アルヴが羨ましくて、嫉妬して。

 今回のトリプルティアラへの原動力は、アドマイヤグルーヴへの嫉妬心だった。

 また全てのティアラを戴けば……。

 そうすれば、私を見てくれるかも……と。浅ましいことを思ってしまったのだ。

 

 

 

(“彼”は来ない。きっと、来てくれない。来るはずがない。……来ないで)

 

 

 

 適当なベンチに腰掛け、顔を覆う。

 違う未来なんて望まなければよかった。

 幸せな夢なんて見なければよかった。

 このまま……消えてしまいたかった。

 

 

 一体どれ程、そうしていたのだろう。

 不意に、風が吹いた。

 ただ冷たいだけのはずだったそれが、声を運んできた。

 スティルを呼ぶ、聞きたくなかった(まちのぞんでいた)声を。

 

 あり得ない。信じられない。そんなはずない。きっと気のせい。

 だって“彼”は、この場所を知らないのだから。

 

 

 

「──ィル……! スティルインラブ……!」

 

 

 

 弾かれたように、スティルは顔を上げる。

 気の早い太陽はもう沈み始めていて、世界を紅く染めつつある。

 その紅い世界に、“彼”が居る。

 息も絶え絶えに、スティルを……呼んでいる。

 

 

 

「ど、どうして……」

「っはぁ、はぁ、っぐ、ゴホッ、ゲホッ……」

「あっ」

 

 

 

 “彼”は息を詰まらせて、倒れ込むように地面へと寝転ぶ。

 駆け寄る事に迷いはなかった。

 そんなスティルを見て、疲労困憊なはずの“彼”は、それでもホッとしたような表情を浮かべていた。

 

 

 

「どうして、ここが……?」

「……分か、らない……。

 思い当たる、ところ……全部……探しても、駄目……で……。

 そうしたら……なんと、なく……呼ばれた、気がした……」

 

 

 

 疲れきった、不器用な笑顔。

 スティルの瞳から、枯れたはずの涙が、また溢れ出す。

 そして、涙と共に、言葉も。

 

 

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……っ。私、嘘をつきました……」

「……うん」

 

 

 

 座り込むスティルに対し、“彼”はどうにか体を起こし、向き直る。

 怖かった。辛かった。苦しかった。温かかった。嬉しかった。……幸せだった。

 様々な感情が入り混じったそれを、ただ、思うがままに、伝える。

 

 

 

「“貴方”が、好きです」

 

 

 

 口にしてしまえば、もう止まらなかった。

 表へ出すまいと抱え込んでた恋心が、勝手に言葉になっていく。

 

 

 

「私の淹れたコーヒーを、美味しいと言ってくれた“貴方”が、好きです。

 何も言わなくても、私のチョコを分かってくれた“貴方”が、好きです。

 私の選んだ未来を、何も聞かずに応援してくれた“貴方”が、好きです。

 ……例え、その心が他の人に向いていても。“貴方”が、大好きなんです」

 

 

 

 他人が聞けば、横恋慕なんて……と顔をしかめるだろう。

 恥知らずの泥棒猫、と罵られるかも知れない。

 それでも“彼”は、スティルの言葉を正面から受け止めた。

 

 

 

「もし、出会う順番が違っていたら。君が“俺”を選んでくれて、“俺”が君を選んだ世界も、あったかもしれない」

「……はい」

 

 

 

 “彼”が仮定として話す世界。

 それはかつて、本当に存在したのだと言ったら、“彼”はどんな顔をするだろう。

 けれど、その世界は過去のもの。

 今、ここに実在する“彼”とスティルには、もう関係ない。

 だから。

 

 

 

「こんな“俺”を好きになってくれて、ありがとう。本当に嬉しく思う」

 

 

 

 ……だから。

 続く言葉が、分かってしまう。

 この恋が、どんな風に終わるのか。予想できてしまう。

 そのくらいには、今の“彼”を知っている。

 

 

 

「でも、“俺”はアルヴのトレーナーだ。あの子の隣に居ると決めた。だから……君の気持ちには、応えられない」

 

 

 

 真っ直ぐにスティルを見つめて、“彼”はそう答えた。

 不思議と、胸の痛みは小さかった。

 きっと無意識に理解していたのだと、今なら分かる。

 再び始まった瞬間から、この恋は破れるのだ……と。

 

 どんなに抑えようとしても無駄だった。

 どんなに離れようとしても無理だった。

 だからこそ、“彼”の手で終わらせてくれて、良かったのだと。

 スティルは、そう思う事にした。

 

 

 

「はい。分かっていました。“貴方”ならそう言うと。……そんな“貴方”だから、今でも──愛してるんです」

 

 

 

 今の“彼”には伝わらないはずの、少し遠回りな言い回しで、ようやく“伝えるべき”全てを伝え終えた。

 “彼”は何か言いたげだったけれど、その頬に手を添える事で遮る。

 

 衝動が生まれていた。

 普段なら抑えてしまうだろうそれを、しかし今は解放してしまおう。

 最後に。

 “彼”の知らないはずの、はしたない私を、刻みつけてしまおう。

 

 

 

「最後のわがままを、許して、くださいますか……?」

 

 

 

 こう言えば、“彼”は絶対に拒めないと知りながら、段々と体を寄せて行く。

 吐息が重なる距離で、一瞬、ためらい。

 ……そして。

 

 

 

「んっ……んん……ん……」

 

 

 

 影が重なる。

 産まれて初めて……。スティル自身の意思で、影を重ねる。

 お互いの渇きを癒すように、深く、深く。

 

 そうする事が、当たり前であるかのように。

 夕日が照らすシルエットは、美しく重なり合っていた。

 

 

 

 

 

 さようなら。

 私の、二度目の初恋。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 呼び出しを受けたアルヴは、指定された場所……校舎裏へとやって来ていた。

 

 

 

「来たわよ、スティルさん」

 

 

 

 呼び出してきたのは、当然というか、スティルであった。

 名前を呼ばれると、暗がりに居た彼女が姿を現す。

 その表情は……どこか、晴れやかに見えた。

 

 

 

「お呼びたてして、申し訳ありません。どうしても、二人でお話したい事がありまして……」

「……そう」

 

 

 

 正直なところ、気不味い。

 昨日の一件については、“彼”から説明をされた。

 改めて好意を告白され、断ったと。

 表情から察するに、隠している事が幾つかありそうだったけれど、聞かないでおいた。

 ……逆の立場なら、自制できるとは思えなかったし。その分は、これから取り返せばいいんだし。十倍でも二十倍でも、すればいいだけ、だし。

 …………やっぱりちょっと腹が立つ。後で“彼”をつねってやる。

 

 

 

「アルヴさん」

 

 

 

 一歩進み出たスティルが、真っ直ぐに見つめてくる。

 あまりにも堂々としていて、アルヴの方がたじろいでしまうほど。

 何を言われるのか想像もできないけれど、しっかり受け止める為にも、丹田に力を込めて、言葉を待つ。

 しかしそのせいで、アルヴは素っ頓狂な声を上げてしまうのだった。

 

 

 

「私と、デートして頂けませんか?」

「…………へっ」

 

 

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