アドマイヤグルーヴと、相性度65%のトレーナー   作:君のネクパイになりたい

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真心を君に。恋心を貴方に。

 

 

「それで? 私を呼び出すとは、一体どんな要件だ?」

 

 

 

 三月に入って間もなく。

 唐突に呼び出されたエアグルーヴは、アルヴのトレーナーの元へやって来ていた。

 アルヴのトレーニングに付き合うため、必然的に連絡先を交換する必要があった訳だが、それにしても気軽に呼びつけてくれる。

 大した要件でなかったなら、説教してやらねば。

 

 ……と、実はこの状況を、そこそこ楽しんでいるエアグルーヴの前で、“彼”は。

 

 

 

「助けてくださいお願いします」

「なっ!? 何をしている! や、やめんかバカ者!!」

 

 

 

 なんの躊躇いもなく土下座した。

 流石の女帝もこれには焦り、慌てて事情を確かめる。

 

 

 

「アルヴが話を聞いてくれない、だと?」

「そうなんだ……」

 

 

 

 しょんぼり。

 ソファへ移動した“彼”は、雨に打たれた野良犬のような、なんとも情けない顔で頷く。

 最近はトレーニングにおけるアルヴとの意思疎通もスムーズになり、細かな条件設定や問題点の発見なども的確で、少しは頼り甲斐が出てきたか? ……と思った矢先にこれである。

 こんな事では、陰でトレーニングを見ているドゥラメンテ(いもうとぶん)が失望しかねない。早く一人前になってもらい、三人でトレーニングできる状況を整えたいものだ。

 

 

 

「また貴様が何かしでかした……という訳でもなさそうだな」

 

 

 

 しかしながら、今回については、他にも責任の所在がありそうだった。

 まず“彼”は、バレンタインに貰ったブラウニーのお礼を言おうとしたらしい。

 が、アルヴはそれから逃げた。

 バレンタインのバレの辺りで別の話題を振ったり、用事を思い出したと言って部屋から逃げたり。

 取り付く島も無かったのだとか。

 

 

「ふむ……。まぁ、理由の見当はつくが……」

 

 

 

 恐らく、照れている。

 彼女にとって、間違いなく初めての、ちゃんとしたバレンタイン。その心中は如何ほどか。

 初々しいく、可愛らしい事この上ない。

 けれども、当事者としては大問題であろう。

 

 

 

「もう、どうしたらいいのか……」

「く……っ、そんな目で見るな。分かった、私が話をしてやる。しばらく時間をもらうぞ」

「本当かっ? ありがとう、エアグルーヴ……!」

「……全く、世話の焼ける男だ」

 

 

 

 助けが得られると分かると、表情を明るくする“彼”。

 本当に、仕方のない。大きく溜め息をつくエアグルーヴだったが、しかし、その顔付きは非常に楽しそうというか、母性本能を刺激されて大変満足しているのだった。

 それもこれも、女帝の杖たる方の“たわけ”が、最近あまり、たわけてくれないのが悪い。もっとたわけろ。

 

 

 

「それよりも、だ。貴様、ホワイトデーのプレゼントの内容は、しっかり考えてあるんだろうな」

「もちろん」

 

 

 

 はっきりと頷き、“彼”はプランの説明を始めた。

 基本的には、クリスマスと同様のお菓子作り。

 前回は失敗した物を食べさせてしまったので、今回それを挽回するつもりのようだ。

 

 

 

「なるほど。まぁ、悪くはない。キチンと成功すれば、の話だが」

「まだ時間はある。仕事の合間を縫って練習するよ。今回こそは、次善策には頼らない……!」

「ふ……。精進することだ」

 

 

 

 決意に満ちた、ハツラツとした表情。

 変われば変わるものだ。あの鬱々としていたトレーナーが。

 別に何かした訳でもないが、それでもこの変化を嬉しく思いつつ、エアグルーヴはもう一人の、世話の焼ける後輩を想うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もうダメだ……おしまいだ……」

 

 

 

 頭皮がM字にハゲ上がりそうなストレスを抱え、“彼”はトレーナー室でうずくまる。

 失敗。失敗。また失敗。

 クッキー。マシュマロ。スフレにパウンドケーキなど、色々と試してみたのだが、ことごとく、まっっっっっっっっっずい。

 キチンとレシピ通りに作っているはずなのに、毎回なにがしかを忘れたり、間違えたり。

 絶対に食べられないほど致命的な失敗ではないのが、また度し難いのだ。

 

 おまけに、エアグルーヴの執り成しがあってなお、アルヴとはろくに話が出来ていない。

 何故そこまで頑なにバレンタインの話をしてくれないのか。照れ屋にも程がある。

 

 

 

(残り一週間を切った……。多分、一人では満足できるクオリティにならない。誰かの助けを、借りなければ……っ)

 

 

 

 このままではいけない。

 可能な限り、自分一人でやり遂げたかったけれど、意地を張って作り上げられなければ、元も子もない。

 恥も外聞も捨て、使えるものはなんでも利用しなければ……!

 

 という訳で。

 

 

 

「助けてくださいお願いしますっ!」

「ええい、またか貴様っ!? いい加減にしろ、このたわけぇ!!」

 

 

 

 再びの土下座敢行に、エアグルーヴの怒声が響き渡った。

 一週間もしない内に二度もなのだから、然もありなん。

 

 

 

「はぁぁ……。こんな事もあろうかと、一応は用意してあったが、まさか役に立ってしまうとはな……」

「本当に、申し訳ない……」

「謝るな。貴様は努力し、失敗した。その上で誰かの協力を仰ぐのは、むしろ正解だ。……年下の小娘に頭を下げてでも、成功させたいのだろう?」

 

 

 

 般若の形相から一転。まるで慈母のように優しくなった微笑みへと、力強く頷き返す。

 絶妙に成功させたい。

 アルヴに喜んで欲しい。

 あの子の笑顔が、見たい。

 とにかくその一心で、頑張ろうと決めたのだから。

 

 

 

「ならば良し。いくぞ、ついてこい」

「よ、よろしくお願いします……!」

 

 

 

 この日から、エアグルーヴによる厳しい特訓が始まった。

 仕事やトレーニング、レースの合間を見て行われるそれは、時間が限られているが故に、常に一発勝負をするような緊張感があった。

 エアグルーヴも暇ではないだろうに、門限ギリギリまで粘って指導をしてくれている。本当にありがたい事だ。

 なお、勘違いされたら非常によろしくないので、本家たわけ殿の確認と許可は得ている。報連相は大事である。

 

 

 

(今日も絶妙に失敗か……。でもまぁ、この調子なら)

 

 

 

 いよいよ、ホワイトデーを三日後に控えたこの日も、特訓は行われた。

 エアグルーヴの都合により、少し早めの時間だったが、結果は相変わらず。

 しかし確実に上達しており、食べるのが辛いくらいに不味いお菓子から、食べられなくはないんだけどなぁ……くらいにはなったのだ。

 きっと当日には間に合う。…………はず。

 

 

 

「問題は、失敗作の処分に困る事だよなぁ……」

 

 

 

 トレーナー室へ戻る“彼”の手には、微妙な味お菓子が詰まっている。

 一人で食べるには多いし、何よりこの二週間、失敗作とはいえ砂糖たっぷりのお菓子を食べ続けているため、腹囲と血糖値が気になる。

 保存がきく物だけでも後回しにするべきか……と悩んでいたら。

 

 

 

「あの……。どうか、なさいましたか?」

「ん? ああ、君か」

 

 

 

 項垂れているのが気になったのか、通りすがりに見知ったウマ娘……スティルインラブが声を掛けてきた。相変わらず気遣い上手だ。

 その時、ふと閃いた!

 彼女の協力を得られれば、血糖値の上昇を抑えられるかもしれない!

 

 

 

「そういえば、君は甘い物好き……あ、いや、なんでもない。忘れてくれ……」

 

 

 

 が、早々に気付く。

 いくら食べ飽きたからって、決して美味しくないお菓子を押し付けるなんて、あんまりだ。

 ここは自戒の意味も込めて、自分で処理しよう。

 そう思い、苦笑いで立ち去ろうとしたのだが……。

 くい、と。袖が引っ張られて。

 

 

 

「聞かせてください。“貴方”のお悩み。助けになれるかは、分かりませんけれど。せめて、お話を伺うことだけでも……」

 

 

 

 たおやかな声と、穏やかな笑み。

 しかし、控えめな彼女にしては、少し珍しくも感じる、強い申し出。

 どうするべきか悩んだけれど、結局、“彼”は厚意に甘える事にした。

 

 

 

「これは……確かに……」

「微妙な味、だろ? 無理して食べなくてもいいから……」

「い、いえっ。美味しいです……よ……?」

 

 

 

 またもや主の居ない、“彼女”のトレーナー室に招かれ、二人、差し向かいでお菓子を摘む。

 あの心優しいスティルが、絶妙に難しい表情を浮かべていた。申し訳なくて居た堪れない。

 せめてもの救いは、淹れてもらった濃いコーヒーのおかげで、少しは食が進む事だろうか。

 

 

 

「……聞いたよ。引退の話」

「あ……」

 

 

 

 ややあって。

 “彼”が話題に挙げたのは、どうしても無視できない出来事だった。

 

 数日前、中央レース場にて開催されたGⅡレース、金鯱賞。

 アルヴも出走したこのレースに、スティルも出走する……はずだったのだが、突然の出走回避と、引退の会見が行われ、関係者は騒然となった。

 理由は、ピークアウト。

 エリザベス女王杯以降もトレーニングを重ねて来たものの、明らかにパフォーマンスの低下が見られ、復調する事はなかったのだとか。

 

 アルヴは珍しく動揺して、“彼”自身もまた動揺した。

 お陰で、タップダンスシチーに先着を許してしまう。

 気持ちの切り替えが上手くいっていれば、もっと良い内容の勝負ができたはず。課題が残る結果となった。

 

 

 

「なんて、言ったら良いのか……」

 

 

 

 黙り込んでしまったスティルに、どんな言葉を掛けるべきか。

 残念だった。

 素晴らしい結果を残せた。

 もっと走って欲しかった。

 

 ……ダメだ。きっと、どんな言葉も相応しくない。

 辛い決断だったはずだ。

 なら、それを思い出させるような言葉じゃなく、未来に向けた言葉をあげたい。

 

 

 

「もう、決めた事なんだろう?」

「はい……。これからは、あの方のサポートをしようかと考えています」

「……なら、その場合、後輩になるのかな。トレーナーの」

「え?」

「ほら、サポートをメインにする訳だしさ。教えられる事もあるんじゃないかと思って」

 

 

 

 トレセン学園におけるウマ娘の進路は、アスリートだけに留まらない。

 同じウマ娘だから出来る指導や、並走などのトレーニングのサポートだって出来る。

 聞けば、“彼女”に熱烈な逆スカウトをしている、青鹿毛のウマ娘も居るとか。

 その子に先達としての経験を、想いを託す事だって重要だ。

 

 居場所が無くなったりは、しない。

 まだ君だけに出来る事がある。

 そんな気持ちを込めて言ったのだが、スティルは何故か笑い出す。

 

 

 

「な、なんか変なこと言ったかな」

「っふふふ、いいえ。あの方と、全く同じ事を仰るものですから。……嬉しくて」

 

 

 

 閉じてしまうほどに目を細めて、胸元に手を置き、まるで……花が咲くような、微笑みを。

 思わず、見蕩れてしまった。

 美しかった。ただ、純粋に。

 

 

 

「まだまだ至らないところばかりで、きっと御迷惑もかけると思いますが。その時は、よろしくお願い致します。……“先輩”」

「……あ、ああ。任せてくれ!」

 

 

 

 慣れない呼び方をされて、やっと呼吸を忘れていた事に気付く。

 こうして奇妙なお茶会は終了し、時は瞬く間に過ぎ去って行った。

 

 

 そして。

 誰も彼もが待ち望んだ、ホワイトデー当日。

 トレーナー室にやって来たアルヴは……。

 

 

 

「……っ……」

 

 

 

 めっちゃくちゃ挙動不審だった。

 曰く、授業で出された課題のために、トレーナー室に置いてあった資料を確認したい……との事だったが、明らかに集中できていない。

 資料を眺めてはいるのだが、しばしば時計を見やり、はたまた窓の外を見たり。忙しなく視線を動かしている。

 これは……期待されているのだろう。間違いない。

 そう判断した“彼”は、軽く深呼吸してから、名前を呼ぶ。

 

 

 

「アルヴ」

「っ! な、何かしら」

 

 

 

 ぴくん。

 大きい耳がピンと立ち、声の方を向く。ただし、顔は資料に向いたまま。

 意識しないようにしている……のかも知れない。

 

 

 

「実は今年のバレンタイン、差出人不明のプレゼントを貰ったんだ」

「……そう。良かった、じゃない」

「中身はブラウニーでさ。凄く美味しかった。本当に、美味しかった。思い出すと、また食べたくなるくらいに」

「…………そ、そう。……っ」

 

 

 

 分かっていないふりをしながら、バレンタインの話を始め、自然な流れで、ずっと言いたかった感想を伝える。

 変わらず資料を眺める横顔は、しかし、何かを噛み締めるように唇が歪み、頬にも少し赤みが差して見えた。

 なお、耳はずーっとピコピコしている。

 

 なんだこの可愛い生き物。本当にアルヴか?

 ……可愛いならいいか。うん。

 

 

 

「問題は差出人不明なところで、誰に渡すか、どうやって渡すか、思いつかなかったんだ」

「……それは問題ね。イベント事でのプレゼントとはいえ、返礼も無しじゃ、失礼に当たるわ」

 

 

 

 さておき、話を続けるのだが、今度は急に饒舌になるアルヴ。

 うーんこの反応。なんだか、普段は大人しい大型犬に、珍しくおねだりされているような気分にさせられる。

 ここで焦らすのも可哀想なので、さっさとネタ晴らしをするとしよう。

 

 

 

「だからさ、置いておこうと思うんだ」

「それは、どういう……?」

「いつの間にかトレーナー室に置かれていたって事は、この部屋に入れるってことだ。どんな手段かは分からないけど」

 

 

 

 ホワイトデーのお返しをしようとして、まず突き当たったのが、受け取ってくれるだろうか? という問題だった。

 何せ彼女は、そもそもバレンタインにブラウニーを贈った事を認めようとしない。

 贈ってもいない(と暗に言い張っている)物への返礼品を、きっと受け取りはしないだろう。

 ならばこちらも、贈り先を曖昧にしてしまえば良い。

 

 

 

「つまり、手紙でも添えて置いておけば、知らない内に持っていってくれるんじゃないか……という作戦なんだ」

「作戦って呼べるのかしら、それ……」

「まぁ、保存がきく物を用意したし、受け取って貰えなかったら、アルヴと食べちゃえばいいか、とも思ってる」

「……なる、ほど……?」

 

 

 

 どんな形であれ、受け取って貰えれば……アルヴの口に入れば良いという考えの元に考案された、二段構えの受け取らせ作戦が、これだ。

 当人に苦言を呈されてはいるけれど、これまでの反応を見るに、きっと上手くいく。

 

 

 

「という訳で、これを置いて今から義理チョコ返し行脚してくる」

「……そう」

「レポートが終わったら、帰る時に鍵を掛けておいてくれ。じゃ、行ってきます」

「行って、らっしゃい」

 

 

 

 机の上に、ちょっと豪華な包装紙を使ったお菓子を置き、“彼”はショルダーバッグを肩に提げ、トレーナー室から出て行った。

 それを見送ったアルヴは、何事も無かったように、また資料へと視線を落とす。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 ピッタリ五分後。

 アルヴはすっくと立ち上がり、部屋の入り口から顔だけ出して、右左。

 

 

 

(もう行った、わね)

 

 

 

 ついでにもう一回、舐めるように左右を見回し、誰も来ないのを確認してから、ドアに鍵を掛ける。邪魔されたくないからだ。

 早足で向かう先はもちろん、“彼”の机。

 その上に置かれた、アルヴへのプレゼントを確かめ、大きく深呼吸。

 

 

 

「……ふうぅぅ……」

 

 

 

 どうして、こんなに緊張しているのだろう。

 理由は……思い当たらない。けれど、とにかく気になって仕方ない。

 まず確認すべきは……。

 

 

 

「……メッセージカード」

 

 

 

 包みに添えられた、二つ折りのカード。

 ブラウニーの人へ。

 ……と書かれたそれを、微かに震える指で開く。

 

 

 

『バレンタインのプレゼント、ありがとうございました。

 とても可愛らしくて、食べるのがもったいない位でしたが、美味しく頂きました。

 甘さとほろ苦さのバランスが良く、いくらでも食べられそうでした。

 直接お礼を渡せないのは残念ですし、こういった形は不義理とも思いますが、無記名だった事を鑑み、ここに置いておく事とします。

 お気に召して頂ければ幸いです』

 

 

 

 礼儀正しく、整った文字。

 “彼”は普段、もっと崩した書き方をするので、かなり時間をかけて、丁寧に書いたのだと分かる。

 ほんのりと香る甘いバニラの匂いは、袋の中から?

 包みを破かないよう、慎重に封を開けると、中には色とりどりのマカロンが詰められていた。

 

 

 

「確か、マカロンの意味って……」

 

 

 

 貴方は、特別な存在。

 

 

 

「〜〜っ。……ふぅぅ、落ち着きなさい、アドマイヤグルーヴ。こんな事で動揺してどうするの。こんなの、どこかの誰かが勝手に、決めただけの……事で……」

 

 

 

 一旦、包みから手を離し、自分の顔をピシャリと叩くアルヴ。

 かなり痛かったが、お陰で気は引き締まった。

 もう一度、机の方に向き直った彼女は、再び包みを手に取り……ふと気付く。

 

 

 

「あ……。これって……」

 

 

 

 マカロンの表面に、小さく絵が描かれている。恐らくアイシングなどを使ったのだろう。

 上手……とはお世辞にも言えないけれど、アルヴには分かる。

 この絵は、アルヴがブラウニーに描いた犬たちを、参考にして描かれているのだ。色と尻尾のパターンがほとんど同じだから、間違いない。

 

 胸に何か、柔らかいものが込み上げて来た。

 その正体を、アルヴは知らない。でもきっと、今は……知らないままでいい。

 知ってしまえば、ようやく築き始めたものが、壊れてしまう気がしたから。

 だから、今は、まだ……このままで。

 

 

 

「……い……頂きます……」

 

 

 

 意を決し、マカロンを一つ、口へ運ぶ。

 バニラの香る柔らかい生地を噛み締めると、途端、幸福な甘さが舌で蕩けた。

 知らず知らずに目を閉じて、その味を堪能してしまう。

 

 

 

(美味しい……。ホワイトチョコが挟んである……)

 

 

 

 以前、無理矢理に食べた黒焦げクッキーとは、比べ物にならない美味しさ。

 かなりの練習量を伺わせる、見事な出来栄えだった。

 いつの間にやら、もう三つも食べてしまっている。

 これは、正真正銘、悪魔の食べ物だ。

 

 

 

「こんなに美味しいなんて……。もしかしてこれ、凄く高いチョコレート使ってるじゃ……?」

 

 

 

 あまりにも美味しく感じるので、もしや高級な材料を使わせたのかも……と疑い出すアルヴだったが、別にそんな事はない。

 ごく普通の材料を使い、しかし丁寧に作り上げただけの、普通のマカロンなのだ。

 それを、こんなにも美味しく感じてしまうのは。

 そのアクセントになっている気持ちは、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(もうそろそろ、食べ終えてるかな)

 

 

 

 お返しの詰まったバッグが、すっかり軽くなった夕方。

 生憎の曇天で夕日は見られないけれど、もうすぐ完全に日も落ちる頃合いだ。

 

 去年まではバレンタインにチョコをもらうなんて、お返しが酷く面倒なイベントでしかなかった。

 それが今年は、割と楽しんでいる。

 心なしか、今日の義理チョコ返し行脚で会ってきた同僚や、その担当ウマ娘達も、笑顔が多かったように思える。

 

 “彼”自身、驚いていた。

 心の持ちよう一つで、こんなにも変わるものなのか、と。

 この気付きをくれた自分の担当にも、改めて感謝したい気分である。

 

 

 

(ん? あれは……)

 

 

 

 そんな、ウキウキ気分(死語)でトレーナー室への帰路についていると、途中で見知った姿を見かけた。

 一人、中庭のベンチに腰掛けているスティルである。

 少し前に会った……というか、真っ先に義理チョコ返しをした相手の片割れなので、ほとんど間を置かずに出くわした事になる。

 何故だろう。

 ぼうっと曇り空を見上げる小さな影が、寂しそうに見えた。

 

 

 

「どうしたんだい、こんな所に一人で」

「あ……。こんばんは、“先輩“」

「う。こ、こんばんは。……慣れないな、まだ」

「うふふ」

 

 

 

 だから……かも知れない。気がついた時には、もう話しかけていた。

 寂しそうと思ったのは杞憂だったらしく、“彼”に向ける笑顔には、しっかりと茶目っ気まで乗っている。

 

 

 

「あの後、私達もお返しをして回ったのですが、どうやら、一つだけ渡し忘れていたものがあったようでして……。『付き合わせる訳にはいかないから!』と、一人で行ってしまわれたので、仕方なく散歩でも……と」

「なるほど」

 

 

 

 トレーナーとしてのクラシック戦線のライバルでありながら、最近になってようやく接点を持った“彼女”であるが、才媛であるのは確かでも、同時に、少し抜けている部分もあるようだ。

 ちなみに、ウマ娘の耳をつければ、現役ウマ娘で通るくらいには美人である。

 “彼女”を狙っている同僚も少なくないらしく、そういうギャップが良いんだとか。

 そんなもんだろうか? と“彼”は首を捻ったけれども。

 

 

 

「丁度いい。渡すかどうか迷ってたけど……」

「……なんでしょう?」

 

 

 

 渡し忘れ、というくだりで“彼”も思い出し、バッグの中に残されていた物を取り出す。

 コンパクトで細長い、けれど重厚感のある箱……ペンケースを、スティルへ。

 彼女は小首を傾げているが、無言で頷き返すと、恐る恐るそれを開ける。

 入っているのは、細めの万年筆だ。

 クリップ部分に赤いハート型の飾りが付いていて、本体にも滑り止めを兼ねた飾り彫が施されていたりと、可愛らしくも高級感のある品である。

 

 

 

「素敵……。でも、どうして……?」

「君なんだろう。あのチョコをくれたのは」

 

 

 

 二つ目の、差出人不明のチョコレート。

 恥ずかしながら、アルヴからのブラウニーに舞い上がっていたため、存在に気付いたのは翌日になってから。

 義理チョコとは思えない手の込んだ仕上がりは、その味にも現れていた。

 反面、差出人を特定する情報は限られており、とても困惑させられた。

 

 

 

「なぜ、そう思ったのですか」

「色々と理由はあるけど、一番は……」

 

 

 

 包装紙の色。飾り紐の趣き。そして味。

 思いついた理由の、ほとんどが後付け。

 一番の決め手になったのは。

 

 

 

「食べた瞬間、君の笑顔が思い浮かんだ。君のコーヒーが飲みたくなった」

「……!」

 

 

 

 もはや、直感としか言えない理由。

 だが、これが一番、納得できた。

 

 

 

「……頂けません、こんな高価な物。アルヴさんに、申し訳ない、です」

「まぁ……確かに。担当でもない他のウマ娘を特別扱いしたら、流石に怒られそうだ」

「そう、ですよ……。ですので……」

「でも」

 

 

 

 なんだか照れ臭くなり、スティルから目を逸らしつつ、“彼”は担当ウマ娘の顔を思い出す。

 ……ジト目で睨みつけられた。不服そうに耳も絞られている。ご機嫌取りが必要になりそうだ。

 数ヶ月前なら想像も出来なかった事だが、今はなんとなく、思い描ける。

 アルヴは意外と、子供っぽいところがあるようだし。

 ……でも。だけど。

 

 

 

「新しい道を踏み出そうとしてる後輩が相手なんだ。少し格好つけるくらい、なんとか許してもらうよ」

 

 

 

 大人として。人生の先輩として。

 後輩の新たなる門出を祝う時くらい、見栄を張りたい。

 下らないかも知れないけれど、男としては譲れないのだ。

 

 ……なんだか、全体的に気取った言い方をしてしまった、気がする。

 祝いたいという気持ちは嘘ではないので、できれば気持ち悪いとか思わないでほしい。女の子にガチめのプレゼントとか、慣れてないんです。

 と、“彼”は心の中で、恐々としていた。

 

 

 

「──うのに──のひとは、あの──じゃない──」

 

 

 

 そんな“彼”に、スティルは何を思ったのか。

 万年筆を抱き締めるようにして、背を向けてしまった。

 微かに届く呟きは、一際強く吹いた風に溶けて、聞こえない。

 

 

 

「……あ……」

 

 

 

 不意に、スティルが空を見上げた。

 先程の風が雲を散らしたか、雲間から月が覗いていた。

 少しばかり赤みがかって見える──満月が。

 

 

 

「……悪い子ね……ふふ……」

「ん……? 今、何か……?」

 

 

 

 ぞくり。

 正体不明の悪寒が背筋を走る。

 ほんの一瞬……。釣られて月を見上げた、その一瞬で。

 眼前の少女の雰囲気が、変わったような。

 

 

 

「“貴方”は、悪い人……ね……? そして、ワタシは……」

「す、スティ──」

「もっと悪い化け物(おんな)

 

 

 

 振り返った少女は、妖艶な笑みを浮かべながら、両手を“彼”の頬へ。

 左手の薬指。

 その爪に施された赤いマニキュアが、やけに目につく。

 

 

 影が重なる。

 動けない。

 息が、止まる。

 動けない。動けない。

 心臓が、爆発している。

 動けない。動けない。動けない。

 

 

 

「……っは、ぁ……」

 

 

 

 再び、影が別れる。

 満足げな吐息が夜闇に溶けると、そこでやっと呼吸の仕方を思い出す。

 

 

 

「なん、で」

「……はしたない女で、ごめんなさいね。でも、我慢できなかったの。今は、忘れてちょうだい」

 

 

 

 少女の紅い瞳が揺らめいた途端、今度は全身から力が抜けていく。

 立っている事すら難しくなり、倒れ込むようにして、少女へと寄りかかる。

 薄れゆく意識の中で。

 首筋に、甘い痛みを感じた。

 

 

 

「ふふふ……うふ……ふふふっ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まだ、帰ってこないのかしら」

 

 

 

 一人でマカロンを堪能してから、もう数時間。

 とっくに終わったレポートの確認をしつつ、アルヴは部屋の主の帰りを待っていた。

 

 

 

(どう言い訳しよう……)

 

 

 

 空っぽになったマカロンの包みを見やり、考える。

 

 なんで待っているの。包みを寮に持って帰って、例の誰かが持って行った事にすれば良いじゃない。“彼”がそう言っていたのだし。

 いいえ。帰りを待てずに食べたのは私。食べてしまった事実を、無かった事には出来ない。……したくない。

 じゃあ、“彼”が帰って来たらなんて言うのかしら。お手洗いに行ってる間に消えていた……なんて、言い訳にもならないわ。

 正直に感想を言った方が、良い気がする。“彼”はきっと、笑って……くれると、思う。

 ……恥ずかしくないの?

 恥ずかしいに決まってるじゃない!

 

 

 

(……ダメだわ。考えがまとまらない。顔でも洗ってこよう)

 

 

 

 相反する思考がせめぎ合い、ぐるぐる回って行ったり来たり。

 結果、トレーナー室を動けずに、“彼”を待つ形となっている。

 このままでは知恵熱でも出てしまいそうだ。少し気分を落ち着かせよう。

 

 そう思い、トレーナー室を出て、廊下をしばらく。

 なんとなく視線を向けた窓の外に、見知った人影を見つけた。

 

 

 

(あれは……スティルさん? それに……)

 

 

 

 暗くてよく見えなかったけれど、丁度良く雲が晴れ、月明かりが二人を照らした。

 “彼”はアルヴに背を向けていて、スティルはその前に立ち、そして──

 

 

 

「──え」

 

 

 

 影が重なる。

 動けない。

 息が、止まる。

 動けない。動けない。

 心臓が、爆発している。

 動けない。動けない。動けない。

 

 

 

(嘘。嘘。嘘。嘘。こんなの嘘。あり得ない。なんで。どうして。どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして)

 

 

 

 影が別れ、スティルが妖艶に微笑む。

 “彼”は、崩れ落ちるように、その細い体を抱きしめ……。

 

 

 

「……っ!!」

 

 

 

 逃げるように、窓から顔を背ける。

 乱れた呼吸は、全力でレースを走り終えた時のよう。

 信じられなかった。

 頭を鈍器で殴られたような、途轍もない衝撃だった。

 だからこそ、確かめずには居られない。

 恐る恐る、誘われるように、アルヴはまた窓辺へと近づいて行く。

 

 

 

「……? え、居な、い……?」

 

 

 

 ……が、そこには誰も居なかった。

 最初から何も無かったのかと、そう思ってしまうほど、なんの異常も見られない。

 

 

 

(幻。目の錯覚。気のせい。……いいえ、そんな、はず……)

 

 

 

 努めて冷静に、理性的に思考を巡らせる。

 二人は“そういう関係”だった? だとしたら、いつから?

 いいえ、おかしい。もしそうなら、“彼”の態度に出ていたはず。

 上手く隠していただけ? 最初からそうだった?

 じゃあ、エリザベス女王杯での喜びようは、あれも、嘘……?

 嘘。

 嘘。嘘。嘘。

 

 

 

「……また、奪われるの……?」

 

 

 

 かつて奪われた栄冠が、まぶたの裏をよぎる。

 桜と、樫と、秋のティアラ。

 輝かしいそれを戴くスティルの横に、笑顔の“彼”が、立っていて。

 

 “私”はそれを、一人で、見つめて。

 

 ミシリ。

 

 

 

「スティル、イン、ラブ……ッ」

 

 

 

 ミシリ。ミシリ。ミシリ。

 何かに、ヒビの入っていく音がする。

 アルヴの顔には、久しく見られなかった、かつての獰猛な表情が浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふふ……ふふふふ……あは……!」

 

 

 

 夜闇に笑う、一匹の怪物が居た。

 誰も寄り付かない、街を見下ろす深夜の高台で、まるで情事を思い返しているかのように、蕩けた顔で、嗤っている。

 

 

 

「あああ……! 長く泥に埋もれて、ようやく芽吹き、凛と咲いた蓮華の花……。なんて芳しいのかしら…!」

 

 

 

 欄干の上で、踊るように踏まれるステップ。

 もう二度と着る事はないはずの、勝負服を纏ってのそれは、まるで狂い咲く花。

 途方もなく美しく、けれど実を結ばない、徒花。

 

 

 

「だけど。ああ、だけれど、可哀想。どんな花でも、最も強く香るのは……」

 

 

 

 そんな花が、身を悶えている。

 震える体は、襲いくる寒さに耐えるが如く、弱々しい細さ。

 思わず手を差し伸べ、両手で包んであげたくなる、儚さを宿す。

 

 ……けれど。

 それは、罠。

 

 

 

「無惨に手折られる、その瞬間なんだもの」

 

 

 

 手を差し伸べれば、引きずり込まれる。

 目を合わせただけで、動けなくなる。

 影が重なったら、魂を溶かされる。

 そして、その被害者は、きっと。

 全てを食い尽くされようとも、それを幸せと、微笑むのだろう。

 

 

 

「っふふふ……。“悪い子”は見ているだけよ。逃げ出した貴方に、主導権なんてない。これは、罰なんだから。それに……」

 

 

 

 誰か、姿の見えない存在が、怪物に向けて叫んでいた。

 鼓膜の代わりに、心を揺らす声を受け止め、しかしそれでも、怪物は。

 もう孤独に耐えられない、寂しがり屋の怪物は。

 

 

 

「誰も本能には、抗えない」

 

 

 

 “つがい”を求めて、本性を曝け出す。

 

 






 真心を君に。恋心を貴方に。そしてワタシに──ヲ。







 あ、最近なにかと損な役回りを押しつけられる紅さんチッスチーッス!
 すみません。ふざけないと死んじゃう病気なんです。

 グッドエンドと銘打たれるスティルインラブのエンディングですが、あれをグッドというならば、作者の描く物語の終わりはきっと、グッドエンドとは呼べないんじゃないでしょうか。
 特に理由が思いつかないけどtntnはirirしているので続きます。次回は捏造ファン感謝祭の予定。
 そろそろ連載にした方がいいかしら。
 
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