アドマイヤグルーヴと、相性度65%のトレーナー   作:君のネクパイになりたい

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異なる人生/誰かが見た夢

 

 

 

 夏合宿が始まった。

 例年7月から8月にかけて、海辺の専用施設を借り切って行われるこれは、ウマ娘にとって大きく成長する機会だ。

 もちろんアルヴも、秋の大目標に向けてのトレーニングを予定しているのだが……。

 遠征バスから降り、宿舎に運び込む荷物を持つアルヴへと、“彼”が歩み寄った。

 

 

 

「アルヴ」

「何かしら」

「こんな風に言われるのは、あまり良い気分じゃないだろうけど」

 

 

 

 周りに人が居ないのを見計らい、やや声をひそめて。

 真っ直ぐに、アルヴを見つめる。

 

 

 

「今年の夏は、君から目を離さないからな」

 

 

 

 目を離さない。

 普通なら、変な事をしないように目を光らせておく……という意味だろう。

 しかし違う。違うと分かる。

 

 もう一人にはしない。

 

 “彼”はそう言っているのだと、今のアルヴなら理解できた。

 

 

 

「分かってる。ちゃんと、“貴方”の隣に居るから」

「ああ。まずは京都大賞典に向けて、しっかり調整しよう!」

 

 

 

 頷き合い、決意を新たにする二人。

 夏合宿を終えた後、秋から冬にかけては大きなレースが目白押しだ。

 その中でアルヴが登録するのは、京都大賞典、天皇賞(秋)、そしてエリザベス女王杯。

 それぞれが格式高いレースなのは言わずもがな、エリ女は連覇を狙う。前年の覇者であるアルヴへのマークは、相当なものになるだろう。例年以上に、気合いを入れて臨まねば。

 だからアルヴは、“彼”と一旦別れ、割り当てられた部屋に荷物を運び入れた後……大黒柱に頭突きした。

 ごすん、と大きな音が鳴った。

 

 

 

「……あ、アルヴさん? 何、してんの?」

「気にしないで。邪念を振り払っただけだから」

「そ、そうなんだぁ……」

 

 

 

 同室になったウマ娘達がドン引きしているものの、アルヴはそれどころではなかった。

 何故なら、顔がニヤけるのを噛み殺すので、精一杯だったから。

 

 

 

(油断した……! なんなのよ、いきなり……っ。女垂らし、ジゴロ、ええと、あとは、ええと……ああもう、思いつかない! バカ! たわけ!)

 

 

 

 トレーナーが、担当ウマ娘と一緒に居る。一緒に居ると宣言する。

 ただそれだけの事が、なんとも心強くて、嬉しくて。顔が緩むのを止められない。

 こんなだらしない顔、見せたくない。今のうちに落ち着かないと。

 窓を開けて、アルヴは深呼吸する。

 何度も。何度も。

 そうしているうちに、自然に去年の夏合宿が思い出された。

 

 

 

(去年は、がむしゃらにトレーニングしていただけだった)

 

 

 

 桜花賞、オークスのティアラを逃し、自分の不甲斐なさを憎み、ただ、いたずらに走り続けた。

 結果として倒れてしまい、先輩……昨年度で卒業したエアグルーヴと、“彼”にも迷惑を掛けてしまった。

 今思えば、なんて子供染みた行動だったろうと、恥ずかしくも感じる。

 

 

 

(でも、今年は違う。色々な事をしたい)

 

 

 

 夏合宿と言っても、2ヶ月にも渡る長期間、息抜きも無しにトレーニングばかりでは、肉体も精神も参ってしまう。

 これを予防するため、トレーナーやウマ娘は、周辺にあるレジャー施設を利用したり、地域の催し物にも積極的に参加する事を推奨されていた。

 

 去年は無視していたこれらに、参加したい。

 トレーニングをしっかり行った上で、クラシック級での思い出作りを……“彼”と。

 困難なスケジュールになるけれど、事前調査は済んでいる。

 特に、8月末の夏祭りは、絶対に参加しなければ。

 そのためなら、今まで以上に頑張れる気がする。

 

 と、そこまで考えて、おかしくなった。

 思わず一人で笑ってしまう。

 

 

 

「……私って、こんなに欲張りだったのね」

 

 

 

 でも、悪い気分じゃない。

 今の自分は、そんなに……嫌いじゃない。

 おでこは赤くなってしまったが、今年のアドマイヤグルーヴは、かつてない程に絶好調だった。

 

 

 余談だが、トレセン学園を卒業したエアグルーヴは、早々に某たわけ氏と同棲を始めたらしい。

 周辺関係者の皆の反応は、「そりゃあそうなるよね」で完全一致したそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジリジリと照りつける太陽。

 まとわりつく湿った空気。

 焼けた砂浜。

 猛烈な暑さが、体力と思考力を奪っていく。

 

 合宿が始まって、すでに1ヶ月。

 夏の過酷さは、なおも増している。

 

 

 

(暑い……)

 

 

 

 トレーニングをするウマ娘もそうだが、それに付き合うトレーナーも……“彼”もまた、体力勝負であった。

 アルヴの体調管理をしつつ、自分も体調を維持しなければならない。

 分かってはいるのだが……太陽の光とは、こんなニモ身を苛むものダッタだろうか……?

 

 

 

「──じょうぶ?」

「え……?」

「大丈夫……じゃなさそうね」

 

 

 

 気がつくと、隣には水着姿のアルヴが立っていた。心配そうな顔をしている。

 

 

 

「ごめん。なんだか今年は……いや今年も、か。やっぱり暑いな」

「そうね……。とにかく、日影に行きましょう。熱中症が心配だわ」

「……ありがとう。そうしようか」

 

 

 

 アルヴに腕を引かれ、夏バテ気味の体をどうにか動かして、木陰に腰を下ろす。

 なんとも情けないが、周囲を見れば、同じように休んでいる人影もちらほらと。

 タイミング的にも丁度良いので、“彼”もアルヴと休憩を挟む事に。

 

 

 

「そういえば、もうすぐ夏祭りがあるんだって」

「……! え、ええ。そうらしい、わね」

「よかったら一緒に行かないか? ……息抜きに、でもさ」

 

 

 

 クーラーボックスから取り出したばかりの、冷えたスポーツドリンクを呷りながら、それとなくを装って、夏祭りに誘う。内心は心臓バクバクである。

 毎年この時期になると、近くにある神社の境内などを飾り付け、結構な規模のお祭りが開かれる。

 出店はもちろん、盆踊りや花火もあり、夏の風情を味わうにはピッタリだ。

 だからと言って、アルヴのような美少女を誘う緊張感が消える事は、全くないのだが。

 

 

 

「……ずるい」

「え」

「私から、誘うつもりだったのに」

「…………えっ」

 

 

 

 ぷくー、と軽く頬を膨らませ、そっぽを向くアルヴ。

 その可愛らしさと発言に、“彼”はペットボトルを落としそうになる。

 こんな表情、初めて見た。

 

 

 

「なんでそんなに驚いているの」

「いやだって……。というか、え? 誘うつもりだった、って事は……?」

 

 

 

 思わず耳を疑いたくなるが、膝を抱え、小さく苦笑いするアルヴに、聞き間違いではないのだと確信する。

 同じ事を考えていた。同じ気持ちだった。

 そんな些細な事実が……妙に気恥ずかしい。

 

 

 

「行くわ、夏祭り。……ちょっと、楽しみ」

「そ、そっか……。うん、よかった……」

 

 

 

 優しい声が耳に届くけれど、その方向を見る事ができない。

 アルヴとの間にクーラーボックスがあって良かったと、“彼”は思った。

 それが無ければ、年甲斐もなく跳ねる心臓の音が、彼女に聞こえそうだったから。

 いつの間にか、気怠さも吹き飛んでしまっていた。

 

 

 そんなこんながあって、ようやくやって来た夏祭り当日。

 早めにトレーニングを切り上げ、一緒に祭りに行くつもりだった“彼”は、「現地集合にしましょう」と言うアルヴに従い、一人で先乗りしていた。

 神社前の階段、鳥居の柱を背に時間を確認すると、待ち合わせ時間の20分前だった。

 

 

 

「早く来過ぎたかな」

 

 

 

 祭り自体はもう始まっていて、人出もそれなり。

 同じように待ち合わせをしている人も居る。

 友人同士。親子連れ。……恋人達。

 浮ついていく気分を、「大人として節度を守れ」という理性と、「少しくらいハメを外そう」と唆す本能が揺さぶっていた。

 

 

 

「ごめんなさい。待たせたかしら」

「ん? ああ、アルヴか。いいや、待──」

 

 

 

 待ちかねた声が聞こえて、“彼”はその方向を振り返り……呼吸を忘れる。

 駆け寄ってくるアルヴは、浴衣を着ていた。

 髪型こそ同じだが、菖蒲色……青みのある紫色の浴衣は、意外にもアニマルプリント。ディフォルメされた子犬が遊んでいた。

 それが、普段の彼女が身にまとう大人っぽさを中和し……。

 

 

 

「か」

「……か?」

「可愛い」

「え……っ!?」

 

 

 

 うっかり口が滑るほどに、可愛らしかった。

 唐突に誉めそやされ、アルヴもまた驚き、頬を染める。

 

 

 

「い、いきなり、何を言うのよ……」

「あ、いや、すまない。つい……」

 

 

 

 視線を逸らすアルヴと、同じく照れ臭そうに、頬をかく“彼”。

 通りすがる人々すら、思わず口元に笑みを浮かべてしまうような、甘酸っぱい雰囲気が漂う。

 誰もが見惚れるクールビューティーが、いきなり可愛いに全振りしてきたのだ。“彼”の反応も致し方ない。

 そして、アルヴに同行していた、もう一人の少女も微笑んでいる。

 

 

 

「ふふふ。よかったですね、アルヴさん。一緒に選んだ甲斐がありました」

 

 

 

 スティルインラブ。

 ようやく彼女の存在に気付き、慌てて「こんばんは」と挨拶を。

 当然というか、スティルも浴衣姿である。

 赤を基調とするそれは、アルヴとは対照的な、艶やかながら落ち着きのある大人のデザイン。

 髪もまとめ上げ、ヴェールを外したその姿は、顔立ちの幼さを忘れさせるほどに、美しかった。

 

 

 

「君が、アルヴの浴衣を?」

「はい。私も新調したかったので。……どう、ですか」

「そりゃあもちろん、凄く綺──似合ってるよ」

「……。ありがとうございます」

 

 

 

 またもや口が滑りそうになったところを、寸手で回避。無難な褒め言葉に逃げる。

 この夏はアルヴから目を離さないと、そう決めた。

 なのに、目の前で他の女の子をガッツリ褒めては、本末転倒というか、目移りしているだけ。

 しっかりしなければ……と、気を取り直す。

 

 

 

「スティルさんの方も、“彼女”と待ち合わせ?」

「そうなのですけど……。どうやら、あの子が先走ってしまったようでして、追いかけないと。どうかお二人とも、楽しんでくださいね? では……」

「うん、ありがとう。気をつけて」

 

 

 

 どうやら、スティルの待ち人は先に会場入りしていたようだ。

 世間話もそこそこに、気持ち早足で階段を上がっていく。

 それを見送るアルヴの表情は……どことなく、気不味そうだった。

 

 

 

「どうして、綺麗って言ってあげなかったの」

「……なんの事かな。それより、行こう。時間がもったいない」

「あっ」

 

 

 

 戸惑うアルヴの腕を取り、“彼”も階段を上がり始める。

 答えてはいけないと、“彼”は思った。

 今はアルヴとの夏祭りに集中しなければ。いや、集中したい。他は二の次にする。

 祭りの会場に入ると、されるがままだったアルヴも再起動し、いよいよ二人の夏祭りが始まった。

 

 まずは、定番の買い食い。

 夕飯も兼ねての腹拵えだ。

 

 

 

「……ん。この焼きそば、美味しい。やるわね、ゴルシさん」

「こっちのたこ焼きもなかなか……。アルヴも食べてみるか? ほら、口開けて」

「え、あっ、えっと……ぁ、あ〜……」

 

 

 

 腹拵えが済んだら、これまた定番の遊びを。

 輪投げ、くじ引き、ヨーヨー釣り、型抜き……。

 中でも型抜きは、アルヴが意外な才能を見せた。

 

 

 

「くっ、また失敗か……。簡単なやつを選んでるんだけどな……」

「……できたわ」

「なにぃ!? す、スゲェなお嬢ちゃん……。難易度エクストリームの101匹ワンちゃん型抜きを成功させるとは……!」

(……これ犬なのか? ディテールが潰れて分からない……)

 

 

 

 一番盛り上がったのは、最後に遊んだ射的だろうか。

 なかなか狙った獲物が落とせず、“彼”が意固地になっただけ……とも言えるが。

 

 

 

「……ああっ、もうちょっとだったのに!」

「残念だったなぁ兄ちゃん。もう一回いくかい?」

「ねぇ、もういいから。ぬいぐるみなんて、荷物になるだけだし……」

「いいや、絶対取る! もう一回だ……!」

「へっへっへ、毎度ありー」

 

 

 

 食べ歩き、遊び回り。

 ひとしきり楽しんだ二人は、人混みから離れた、とある波止場に居た。

 

 

 

「風が気持ちいいな」

「……ええ」

 

 

 

 地元の人に教えてもらった花火の穴場だけあって、周囲に人影はない。

 二人きり。

 並んで座り、海風を感じている。

 アルヴの膝の上では、大きな犬のぬいぐるみが優しく撫でられ、くつろいでいた。

 

 

 

「まさか、こんな風に夏祭りを楽しむ日が来るなんて、思ってもみなかった」

「そう、なの?」

「ああ。学生時代に出来なかった事を、やり直してるみたいだ」

 

 

 

 “彼”にとっては思い出したくもない……いや。虚無過ぎて思い出すのも難しい過去なので、これ以上振り返る事はないけれど。

 その虚無感があればこそ、今日の夏祭りは楽しかった。

 一生の思い出になると、確信できた。

 

 

 

「私も……楽しかった。こんな風に、誰かとお祭りを回る自分なんて、想像した事なかった。……でも」

 

 

 

 アルヴも同じ気持ちだったのか、浮かべる微笑みは穏やかだった。

 しかし、最後に言葉を付け加えようと深呼吸。

 普段なら言えない事でも、今夜なら言える気がした。

 素直な気持ちを、素直な言葉で。

 

 

 

「こんなに楽しかったのは…………きっと、“貴方”とだったから。……だと思う」

 

 

 

 見つめる“彼”の横顔が、驚いたようにアルヴを振り向く。

 これではもう、勘違いのしようがない。素直な言葉に乗せられた気持ちは、間違いなく伝わっている。

 けれど。

 “彼”がその気持ちに、素直に応える訳には、いかない。

 だから誤魔化そうと、苦笑いで取り繕う。

 

 

 

「あー、アルヴ。そういうこと、あんまり気軽に言っちゃダメだぞ。男は単純だから、すぐに勘違いし──」

「“貴方”以外には言わないから、問題ないわ」

 

 

 

 しかしアルヴは畳み掛けた。

 ずい、と拳ひとつ分近づいて、ジト目で“彼”を見上げる。

 何か言おうとした“彼”の唇が、何も言わずに結ばれてしまった。

 

 

 

「……分かってる。こんな事を言われても、今は迷惑だって。それでも、伝えたかった。知っていて欲しかった。私は今……し……幸せ、だってこと」

 

 

 

 また、拳ひとつ分、近づいて。

 伝えたいのは、単なる感謝の気持ちだけでは、ない。

 心を満たす、もどかしくて、温かくて、切ない気持ちを……知って欲しい。

 

 

 

「これから先も、“貴方”の隣に居たい。来年も、再来年も、その先も、ずっと。……こんな風に」

 

 

 

 また、近づく。

 もう二人の間に距離はなかった。

 肩が触れ合う距離で、アルヴは“彼”を見つめる。

 見つめ返してくれる瞳は、どこか、今までと雰囲気が違って見えた。

 

 

 

「アルヴ」

「……ん……」

 

 

 

 唐突に、頬に手を添えられた。

 驚いたのは一瞬。すぐに喜びが胸に溢れ、自然と瞼が下りる。

 もっと近づく気配。

 吐息。

 刹那の躊躇いを越えて、影が、重なる──

 

 ドォーン!

 

 

 

「うぉっ」

「きゃっ」

 

 

 

 ──かと思いきや、空を彩る炸裂音に、思わず夜空を見上げる。

 満月の光にも負けない、満開の花が咲き乱れていた。

 ドォン、ドォン、と。

 幾重にも、幾重にも。

 

 

 

「綺麗、だな」

「……ええ……」

 

 

 

 綺麗。

 確かに綺麗だった。

 だけど、だけれども、今だけは空気を読んで欲しかった……!

 千載一遇のチャンスを逃し、アルヴは肩を落とす。

 あと1秒でも遅れてくれていれば、きっと、絶対に……っ。

 

 

 

「……ぁ」

 

 

 

 不意に、手を握られた。

 “彼”を見やると、花火を見上げたまま。けれどその頬は、花火を色を反射してから、赤く染まって。

 繋がった、気がした。

 手だけではなく、目には見えない、もっと深い部分が。

 

 

 

「ふふ……」

 

 

 

 嬉しくて。ただ、無性に嬉しくて。

 繋いだ手の指を、恋人達のように絡めて、“彼”の肩に頭を預ける。

 思っていた形とは、少し違ったけど。

 確かに影は、重なっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

( きて )

 

 

 

 夜闇。

 今や覚えている者も少ない、山中の廃てられた神社に、赤い影が立ち尽くしていた。

 月を分厚い雲が隠し、星明かりすら無い中。

 紅い瞳だけが、爛々と揺らめいて。

 

 

 

(  キ て   )

 

 

 

 時を経ても未だ朽ちない、丈夫な軒柱に体を預け、無心に呼びかけるのは、愛おしい面影。

 決して、こちらを振り向いてはくれない、後ろ姿。

 

 

 

( こ   コ に   き  テ    )

 

 

 

 それでも、赤い影は呼びかける。

 浴衣の懐に潜ませた、細身の万年筆の感触を、確かめながら。

 

 ──気配。

 

 

 

「……あら。“貴方”は……?」

 

 

 

 いつの間にか、背後に黄金の双眸があった。

 影に溶け込んだその存在は、摂理を外れたものだけが感じ取れる、“偉大なる祖”の現し身だ。

 

 

 

「ふふふ……! まさか“貴方”が来るだなんて。予想外でしたけれど、直接お会いできて光栄だわ」

「────」

 

 

 

 畏敬の念をもって、赤い影が一礼する。

 しかし、漆黒の存在は微動だにせず。

 湿った空気が緊張を孕む。

 わずかに残っていた虫や小動物も、恐れをなして逃げていく。

 

 

 

「わざわざ“お友達(カフェ)”さんの体を借りているのは、何故かしら?」

「オ前ガ、アノ男ヲ喰ライ尽クスツモリ、ナラ」

 

 

 

 ようやく発せられた声は、うら若き乙女のようで、シワがれた老人のようで。

 恐らく拳を開いたのだろう。

 ミシリ、ミシリ……と。およそ尋常ではない“力”が込められていると、理解できた。

 ……が、一触即発な空気は、唐突に霧散する。

 

 

 

「ダガ……思イ過ゴシ、ダッタ。オ前ハ、モウ……」

「……ええ。ワタシはもうただの女。もうこんなにも、薄まってしまった」

 

 

 

 相対するだけで赤い影の現状を悟ったのか、漆黒の影の声には憐れみが宿る。

 以前なら反感を覚えたはずだ。

 今はもう、そんな気も起きない。

 孤独に、耽っている。

 

 

 

「不思議ですか? ワタシがどうして、“彼”に固執するのか」

「────」

「ふふふっ。単純ですよ。ワタシはただ……また愛されたいだけ」

 

 

 

 沈黙を貫く漆黒の影に、赤い影は独白でもするように語る。

 

 

 

「分かっている。“彼”は違う。尊きものはあの瞬間に砕け、ワタシ達も再び分かたれた。

 ここに存在するのはただの残滓……。でも、出会ってしまった。触れ合ってしまった。……だからもう、手遅れ」

 

 

 

 語りはするが、説明するつもりは無いのだろう。

 起きた事をただ並べて、自分で確認するための言葉。

 自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

 

 

 

「愛されるのはあの子ばかり。ワタシは疎まれ、忌み嫌われるだけ……だったのに」

 

 

 

 とうとう、空が泣き始めた。

 赤い影は寒さに身を震わせながら、あの温もりを思い出す。

 こんなワタシを、綺麗だと言ってくれた……あの温もりを。

 

 

 

「あの味を知ってしまったら、もう耐えられない。もう一度味わうためなら、なんでもするわ。例え、“裏切り者”と呼ばれても」

 

 

 

 それは、飢えたケモノの表情だった。

 頬がこけ、あばらが浮くほどに痩せたケモノが、ようやく見つけた獲物を前にして浮かべる、歓喜と、焦燥と、不安の入り混じった、奇妙な笑みだった。

 

 

 

「“貴方”は、ワタシを止めますか……?」

「イイヤ。……ソレモ、アルベキ姿ノ、ヒトツ」

 

 

 

 そう言い残し、漆黒の影は文字通り、闇に溶けていった。

 助けはしないが、止めもしない。

 事実上の不干渉……といった具合いか。重畳だろう。

 

 そして、漆黒の影と入れ替わりに、待ち望んだ人影も現れる。

 すっかり濡れ鼠になってしまった、“彼”だ。

 

 

 

「早く、こちらへ」

 

 

 

 覚束ない足取りを、手を引く事で軒下へと。

 赤い影も少し濡れてしまったが、“彼”に比べればマシだった。

 一体、どれほど雨の中を歩かせてしまったのか。

 

 

 

「ごめんなさい。この雨は、予想できなかったのです」

 

 

 

 隣に腰掛け、ハンカチで髪拭き、何度も絞って……。

 その間、“彼”は無反応だった。

 夢を見ているような状態なのだから、無理からぬこと。

 

 

 

「こんなに冷えて……。さぁ、温めてさしあげますから……」

 

 

 

 もはや、濡れていない場所を探すのは不可能。このままでは凍えてしまう。

 赤い影は“彼”の服を脱がせ、その頭を胸に抱きながら、ハンカチで体を拭っていく。

 優しく。優しく。

 冷えてしまった肌に、己の体温を染み込ませるように。

 

 

 

「ああぁ。可愛らしくて、可哀想な“貴方”……。

 あの子が選ばなかった、“貴方”。ワタシを選ばなかった、“貴方”。

 我慢なんてしなければ……。もっと曝け出していれば、ここへ来る事も、なかったでしょうに」

 

 

 

 赤い影の声は、欲望を、飢えを刺激する毒。

 満たされてさえいたなら、なんの影響もなかったはず。

 そう。

 あの波止場で、あの子(アルヴ)の想いにちゃんと応えていれば、きっと。

 

 

 

「いいんですよ……? あの子に出来なかったこと……ワタシなら、全部……」

 

 

 

 ここなら誰の目もはばからず、触れ合う事ができる。

 我慢する必要なんてない。

 だって、“彼”だって心の奥底では気付いている。無意識のうちに望んでいる。

 分かたれているからこそ得られる、結びつく悦びを。

 

 だがその時、あり得ない事が起きた。

 夢の中に居るはずの“彼”が、抵抗するように身じろぎしたのだ。

 

 

 

「……だ……め……アル……ヴ……」

 

 

 

 ハッと、息を飲む。

 虚ろな“彼”の瞳に、ワタシが映っていない。

 夢の中ですら、あの子を求めている。

 

 

 

「ああぁ、そうなのね……。もうそんなにも深く……っ」

 

 

 

 赤い影のまなじりから、雫が溢れる。

 分かっている。ああ、分かっていたのに。

 そんな“貴方”だから、ワタシ達は惹かれた。

 そんな“貴方”だから、例え万分の一の欠片でも、囚われてしまうのに。

 

 しかし……この場において、“彼”の想いの強さは逆効果だった。

 もう求められないと、もう選ばれないと示された事で、赤い影は覚悟を決めてしまった。

 

 

 

「許しなんて乞わない。ワタシには、もうこの道しかないんだから。だから……」

 

 

 

 赤子のような抵抗を抑え込み、“彼”を床へ組み敷く。

 赤い影の、紅い瞳がより煌々と、燃え上がる。

 雨は降り続いていた。

 星も月も隠れた世界で、影が重なり…………融けあっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワ

                      て

             ア

       シ

          を

    タ

                   し

                イ

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 胡乱で回りくどい表現にかけて日本語はセカイイチー!
 なお、隠し設定の説明は完結後の予定。

 乙女チックが止まらないアルヴさんと、食べ尽くす気満々なスティルさんを見ているとtntnがirirするので続きます。
 次回、秋の訪れ。

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