怪談廿物語 作:tagari
世間で『トイレの花子さん』が流行った頃の話。僕が通っていた小学校にも同じような怪談があった。
旧校舎の一階、薄暗い階段下にあるトイレ。その一番奥の個室。そこに『タノシロくん』という幽霊が出るという噂だった。
タノシロウ(田野四郎?)という名前の男の子がかつてこの場所で自殺したとか、それは遊びが大好きな幽霊で「楽しい」と「面白い」をかけ合わせて作られた名前であるとか、好き勝手に噂されており、真相はわからない。
ただ、そこが不可解な場所であることは確かだった。なぜかドアノブが壊れたまま放置され、ドアにはずっと『使用禁止』の張り紙がされている。
男子トイレの個室なんて別に誰も使わないし、わざわざ教室から遠く離れた旧校舎のそこまで用を足しにいく生徒なんていなかったので、特に困ることはなかった。
だが、たとえ使われていないにしても学校の設備がいつまでも修理されずに放置されているというのもおかしな話だ。どうやら理由があるらしい。
上級生の話によると修理されたことはあるようだが、なぜかほどなくしてまた壊れてしまったのだという。学校関係者は生徒によるイタズラだろうと断定したが、結局犯人は見つからなかった。
何の得にもならないイタズラのためだけに備品を壊す生徒がいるだろうか。そこから幽霊の仕業に違いないという噂が広がったという。
「ねぇ! 見に行こう!」
ある日、僕は肝試しに誘われた。乗り気にはなれず断ったのだが、誘ってきた友人はしつこく食い下がった。その子は普段から落ち着きがなくて少し変わった子だった。
一度言い出したら聞かない性格だ。僕は諦めて付き合うことにした。放課後、二人で例のトイレへ向かう。
噂通り、一番奥の個室だけ扉が閉まっており、『使用禁止』の張り紙がされていた。いざその場を前にすると嫌な緊張感がわいてくる。友人はすっかり怖気づいたのか、僕の背中に隠れてしまった。先に見てくれと言う。
自分から誘っておきながらなんて奴だと思ったが、仕方がない。どうせ何も起きるはずがないと自分に言い聞かせながら扉の前に立った。
『タノシロくん』の呼び出し方は次のとおりだ。まずドアを四回ノックする。次に、壊れたドアノブを引っこ抜く。そして、『タノシロくん、タノシ、タノシ』と唱える。そしてドアノブの穴から個室の中を覗く。すると、彼は現れるという。
作法通り、四回ノックしてノブに手をかけた。ドアノブは本当に壊れており、力を入れずともすんなり軸が外れてしまった。姿勢を低くし、意を決して穴を覗き込む。
「呪文は?」
友人が背後から問いかけてきたが、気恥ずかしいのと早く終わらせたい気持ちが勝ったので呪文は省いた。とにかく、片目を凝らしながら穴に近づけた。
小さな穴の先に広がっていた光景は、何の変哲もないただの和式トイレだった。隣の個室にあるものと同じだ。もちろん幽霊もいない。僕は安堵のため息をついた。
何かあったのかとしきりに尋ねてくる友人に、何もなかったよと報告する。それでも本当かとしつこく聞いてくるので自分の目で確かめればいいじゃないかと席を譲った。
「タノシロくーん! おーい!」
僕の様子を見て気が大きくなったのか、友人は普通に穴を覗き込んでいた。見にくいのか、しきりに体をよじらせている。そうまでして見るようなものは何もないはずだが。僕は冗談半分に幽霊は見えたかと尋ねた。
「なぁんも見えん」
そりゃそうだ。二人して違うものが見えるはずもない。そもそも小さな穴を通して覗き込まなくたって、普通にドアを開けて確認すればいいのだ。鍵もかかっていない。僕たちはドアを開けて中を見た。
さっき見たのと同じ、ごく普通の和式トイレがあるだけだった。
そこで友人の様子がおかしいことに気づく。ドアのそばにかがみこんで、ぶつぶつと独り言をつぶやいている。
「なんも見えんかった……なぁんも見えんかったよぉ」
そう言って壊れたドアノブの穴に指を突っ込んでほじくっている。たまにおかしな言動をする子ではあったが、この時ばかりはあまりにも不気味だった。
何も見えなかったのならいいじゃないか。少なくとも恐ろしいものが見えてしまうより、よほどいい。肝試しはもう結構だ。帰ろうと僕は言った。
おーい
その時だ。どこかから声が聞こえた気がした。「おーい」と呼びかけるような、はたまた「はーい」と返事をするようなこもった声。
初めは誰か他の生徒の声だろうと思った。放課後と言っても授業が終わって間もない時間帯だ。校庭で遊んでいる子も多くおり、はしゃぐ声はここまで聞こえていた。
楽しそうな声だ。その声を聞いているうちに僕は背筋が冷たくなる。だんだんと、はっきり聞こえるようになる。それは次第に「わーい」と聞こえた。
そんなあからさまに喜ぶ時しか使わない言葉を誰が何度も叫んでいるのだろうか。たまらず僕は友人の手を引いてトイレから出た。
泣きじゃくる友人を力づくで引っ張って、少しでもトイレから遠ざかろうと必死で逃げた。
その日から友人は学校に来なくなった。しばらくして彼は父親の仕事の都合で引っ越すことになったらしく、一度も姿を見せないままどこか遠くへ転校していった。本当にそんな“都合”があったのか定かではない。
あの日、僕は友人が目にしたものの正体に気づけなかった。それはきっと、幸運なことだった。