怪談廿物語 作:tagari
私が中学一年生の時、両親が離婚した。私は母に引き取られ、別の町へと移住した。その時、何年か住んでいた借家での話。
元は空き家だったらしく、最低限のリフォームはされていたがかなり古い造りの家だった。平屋の一軒家で敷地は狭かったが二人で暮らすには十分な広さ。立地の不便さなどあって家賃は格安だったそうだ。
大変な時期ではあったが、新生活の始まりはそれほど悪いものではなかった。新しい家や学校での毎日に何とか順応しようとしていた。
しかし、この家に住んでいくにつれ、だんだんと気になることが増えていく。風も吹いていないのにギィギィと、どこかから音がするのだ。特に夜、風呂に入っている時によくそれは聞こえた。
家鳴りというらしい。木造の古い家なので仕方がないと母は言っていた。引っ越した季節が冬だったこともあり、風呂を沸かすと外気との寒暖差で屋根裏などの木材が軋むのだ。
その時はなるほどと思ったのだが、風呂に入っている時以外にも家鳴りが聞こえることが増え始めた。だが、それも何かしらの経年劣化によるものだろうと思うことにした。
他にも気になることはあった。私は家事を手伝う機会が増え、家の掃除をして回ることもあったのだが、その時、タンスの上や棚から物が落ちていることが度々あった。
普通は落とした時に気づいて元の位置に戻すものではないだろうか。母はそういう物を放置するほど、ずぼらな性格はしていなかった。とはいえ、私か母が気づかず落としてしまったのだろうと思う他に理由もない。
それらの違和感だけなら私も自分の考えすぎかと思えたのだが、どうしても一つだけおかしい場所があった。それが居間のコタツである。
築何十年も経っている家なので壁の気密性も低く、隙間風がどこからか入ってくることがあった。そこでコタツは重宝した。石油ストーブもあったが、燃料を節約していたこともあっていつも使うわけではなく、もっぱら暖房はコタツに頼っていた。
初めは特に問題もなく使っていたのだが、体をひねった時に足が何かにあたることがよくあった。コタツに入りながらテレビを見ていたり、何か別の作業をしていることが多かったので、その時は別に気を取られることもなかったのだが、後から考えると何かおかしい。
いくら狭いコタツテーブルの中だからと言って、そんなに頻繁に足をぶつけることがあるだろうか。気にしすぎだろうと思ったが、一度そう思い始めると不信感を拭い去ることができなかった。
私はあまりコタツに深く体を入れず、足の先だけ布団の中へ差し込むに留めるようになった。母はそれを見て「寒くないの?」と聞いてくることもあったが、私はどうにも落ち着いてコタツに身をゆだねることができそうになかった。
母は特に異常を感じていないようである。私は自分で思っていた以上にナイーブだったのかもしれない。些細なストレスが積み重なって神経質になっているのだと思い込もうとした。
だが私はこの時、既に別の予想を持ち始めていた。これらの異常が単なる思い込みではなく、本当にこの家には“何かがいる”のではないかと。
馬鹿らしいと思いつつも否定できない。次第に、妄想でしかない何かの存在に怯えるようになった。母には心配をかけたくなくて言えなかった。
その頃から我が家はおかしくなり始めた。母はあまり会話をしなくなった。私と話している間も無理をして気丈に振舞っているとわかった。ふさぎ込むことが多くなった。
母の料理の味が変わった。日に日に味付けが薄くなる。味噌汁も具材を似た湯に近くなっていく。そして、作り置きしているわけでもないのに、妙に冷めたものばかり出すようになる。手を抜いているのではなく、なぜか熱いものを作らないのだ。
日中、ずっと働きづめで疲れている中、作ってくれた手料理に文句をつけることはできなかった。ただ、母の様子が変わったことは事実だ。私はその原因が家にあるのではないかと感じた。
春になり、気温も上がってきたので例のコタツを片付けないかと母に提案したのだが、まだ寒いからと取り合ってもらえなかった。しかし私は気味が悪かったので、テーブルはともかくコタツ布団の部分だけでも早くしまいたかった。
そのことで珍しく口論になった。いつもなら私が強く言えば譲ってくれそうなものだったが、とにかく寒いから片付けなくていいの一点張りだ。どうしてそう頑ななのか。私はやはり、この家が母に悪影響を与えているのではないかと思った。
しかし、自分の考えが馬鹿らしいと思う気持ちがその時はあったし、母に心労をかける原因は他にいくらでも思い当たることがあるため、まだ断言はできなかった。
それからしばらくして、ようやく私は確信する。決定的な事件が起きた。
その日、私が学校の部活動を終えて帰ると、母は帰宅して晩御飯を作っているようだった。時間は午後六時くらいだったと思う。
もうすぐできるから居間で待つように言われる。部屋は暗かった。電気をつけようとしたのだが、蛍光灯が切れていた。今ではあまり見なくなったが、天井からつり下がった紐を引っ張って電源を入れるタイプの照明だ。二色光しかつかない。
元々、窓から光が入って来にくい部屋だったので一層暗かった。他の部屋で食べようと言ったのだが、母は無言で料理を居間に持ってきた。この時、既に母は異常だった。私の呼びかけに何も反応しない。機嫌が悪いのかと思った。
コタツの上に大皿が置かれる。大量の焼きそばのような麺が盛られていた。何しろ暗かったのでよくわからないのだが、もしかしたらソースも何もかかっていないような気がした。山盛りのソフト麺。
冗談でもこんな料理が出されるとは思えず、母の顔を何度も確認した。オレンジ色の二色光が淡く照らす部屋の中で沈黙していた。顔の輪郭の中にのっぺりとした目鼻が浮かび上がっている。表情も見て取れず、怒っているのかどうなのかもわからない。
気まずさに耐えられず、とりあえず箸を手に取ろうとした時、母が口を開いた。
「一人分だから」
何が、と聞こうとした。その時、コタツ布団の端が盛り上がった。音も立てずにコタツの中から何かが出てきてテーブルの上へ登ろうとしていた。
あまりの出来事に私は直視できなかった。ただ、毛むくじゃらの動物のような何かだったと思う。
悲鳴を上げてその場から逃げ出した。玄関を飛び出して、まだ家の中に残っている母を呼んだ。何の返事もない。戻る勇気もなく、何度もお母さんお母さんと呼び続けた。
家の周りは畑しかなく、近所には誰も住んでいない。昔は二、三軒ほど民家があったらしいが住む人がいなくなって取り壊されたようだ。すぐに助けを求めることもできなかった。
どれくらい時間が経っただろう。いよいよ警察に連絡すべきかと思い始めた頃、母が出て来た。やつれて見えたが、さっきまでの狂ったような雰囲気はなく、普段の母親に戻っていた。
一体どうしたのかとこちらが逆に聞かれたくらいだ。コタツから出てきたあれは何だったのか。母は何も見ていないという。野良猫でも紛れ込んだのではないかと言っていた。私の言っていることを信じていないようだった。
私の方が狂ってしまったのだろうかと思った。家の中に戻ってみると、コタツの上にあった山盛りの焼きそばが三分の一ほど減っていた。ぞっとして、もうそれ以上母に何も聞けなかった。
その事件があってから、私は自分が何とかしなければならないと思うようになった。気持ち悪くてこのまま家に住み続けることなどできそうにない。母に頼ることもできず、こんな話を誰かにしたところで信じてもらえないだろう。
ある日曜日、母が仕事に出かけている間に、コタツを片付けた。諸悪の根源がそこにある気がした。もちろん、片づけたからと言ってそこに何かが居座っている気配はないが、諦めるつもりはなかった。
コタツを置いていた場所の畳を剥がした。床下の木組みの上に板が重ねられていて、それは釘で打ち付けられていなかった。あくまで畳が乗っている床板が固定されていないだけで、土台そのものに不備があるわけではない。元々、外せるように作ってあるようだった。
床板を外すと、基礎が見えた。ちょうどコタツの真下の地面が少し掘られたようにへこんでおり、その中に白い塊があった。骨である。白骨化した一揃いの遺体があった。
一瞬、人骨かと思ったが、よく見れば頭蓋骨が明らかに人のものではない。だが、かなり大型の動物のようだった。猪か鹿くらいの大きさはあったと思う。そんな野生動物がなぜ床下に入り込んで死んでいたのかわからない。
ともあれ、それが原因だと確信する。私は掃除用の軍手をつけて骨を拾い、空の段ボールに詰め込んでいった。
その時は恐ろしいという感情よりも、今まで自分たちを苦しめて来た元凶を一刻も早く取り除きたいという気持ちが強かった。母をあんなふうにした憎い敵に対する義憤もあった。
しかし、骨を段ボールに移し替え、これをどう処分しようかと考える段になって、粗末に扱えば祟りがあるのではないかという心配が湧いてきた。供養する気持ちなど欠片もなかったが、祟りは怖い。
最終的に、こればかりは専門家に任せるしかないという結論に至った。学校がある住宅地の近くに寺があったことを思い出し、そこへ骨を持ち込んだ。
中学生が一人、何の連絡もなしに骨が詰まった段ボールを抱えて寺に尋ねてきたのである。住職はさぞ驚いたことだろう。この出会いは後に、私と母にとって大きな助けとなった。
六十か七十くらいの老齢の住職だった。私はこれまでの経緯を説明したのだが、途中で感極まって泣き出してしまった。誰にも打ち明けることのできなかった悩みをようやく吐露することができた安心感があふれてしまったのだと思う。
住職は真剣に話を聞いてくれた。骨の供養もしてくれることになった。それからこのことは親ともきちんと話し合うように言われた。私が母と向き合えるか不安だと言うと、一緒についてきてくれることになった。
どうやら児童相談所に知らせる案件かと疑われていたようだ。寺で軽くお祓いを受け、住職が運転する車に乗せられて帰宅した。それから帰って来た母を交えて三人で話をした。
もしこの住職が頭ごなしに母を咎めるような人であれば心を開くことはなかっただろう。物腰柔らかく事の次第が住職の口から説明され、混乱しながらも母は理解したようだった。親子の関係が疎遠になりつつあったことを私に謝った。
この住職が間に入ってくれなければ、こじれかけた関係の修復にもっと時間がかかっていただろう。檀家でもないのに本当によくしてもらった。
母は精神科を受診することになり、そこで鬱病と診断された。時間はかかったが投薬治療などを経て良くなった。これが治療のおかげか、お祓いのおかげかどうかはわからない。
骨を供養してもらってから、あの家の怪現象はぴたりと収まった。しかし、今でも私はコタツが苦手だ。きっとこれから先も、コタツに深く脚を入れて体を休めるようなことはないだろう。