怪談廿物語 作:tagari
まだ結婚して間もない頃、俺は田舎を出て、とある地方都市で働いていた。妻とアパートで二人暮らしをしていた時の出来事である。
普段から朝食は二人そろって食べていた。ダイニングのテーブルに向かい合って座り、傍らに置かれた小さめのテレビを見ながら、トーストをかじっていた。
その日はNHKを見ていた。早朝から短編連続ドラマの再放送か何かをやっていた気がする。俺はあまり興味がなかったのだが、妻が見ているようだったのでそれに合わせた。ドラマが終わり、続いてニュースが流れ始めた。
ニュースの内容は特に記憶に残っていないが、妙なBGMが聞こえてきたことだけは覚えている。レコードでも流しているかのようなレトロな音質の曲だった。
最初は気づかなかったが、聞いているうちに知っている曲だと感じた。俺の地元に伝わる子守歌だった。子どもを寝かしつけるためのよくある歌詞だが、方言だらけで他所の人間が聞いてもすぐには理解できないだろう。
古い曲だからか、地域的な文化と関りが深いのかわからないが、ところどころ陰湿な言い回しが含まれていた。例えば、寝ない子は○○という人さらいに連れて行かれるぞ、とか。
物悲しい郷愁をそそる短調の曲だった。音楽に関する造詣などないが、子どもに聞かせる歌なのだからもっと楽し気なものにすればいいのにと昔から思っていた。得てして、童謡にはそういった歌も多い。
まさか郷土音楽にこんなところで触れる機会が巡ってくるとは思わず、妻に話した。「これ、地元の子守歌なんだよ」と。
妻は俺と同郷の人間ではない。俺の言葉を聞いて、きょとんとした顔をしていた。説明が足りなかったかと思い、詳しく話して聞かせたのだが、首をかしげるばかりだった。
何の話か、まるきりわかっていない様子である。そこで気づいたのだが。民放ならまだしもNHKのニュース番組でこんなに目立つBGMを流すことなんてあっただろうか。テレビ画面を確認したが、話題は政治経済に関するもので俺の故郷の地域情報を扱っているわけでもない。
もっとよく確認してみようとテレビを注意深く見ていた時のことだった。画面の左側に、女が映り込んだ。左端に見切れるようにして、女の顔が。その映り方からして、カメラのすぐ目の前に割り込んできたようだった。
ぎょっとした。その光景は今も脳内に焼き付いている。その時は考えている余裕もなかったが、キャスターなどの被写体を撮影しているカメラのすぐ前に何かの物体が映り込んでも、ピントが合わずぼんやりとしか捉えきれないのではないだろうか。
まるで合成映像のような違和感。その女はタレントには見えなかった。中年くらいで土気色の肌、ぼさぼさの長髪、そして笑顔をカメラに向けていた。
数秒間、テレビ画面を見つめたまま思考が空回りしていたと思う。どう考えても放送事故だ。即座に「しばらくお待ちください」と映像が差し替えられるレベル。だが、画面の奥のキャスターは何事もなかったかのようにニュースを読み上げている。
そして何より、仮にテレビ局側で何らかのトラブルが起きてこんな変なものが映り込んだのだとしても、俺の隣で食事をしている妻がそれを見て何の反応も示していないことが異常だった。顔色一つ変えずに無視できるような映像ではない。
俺は半分だけテレビに映った女と目が合っていた。カメラに視線を向けているのだから当然ではあるが、ずっとこちらを見ていた。俺の方を見て、笑っていた。
朝のニュース番組を見ていて、まさかこんな得体の知れない事態に遭遇するなんて思わない。ようやく脳が危険を認識したのか、背筋を悪寒が駆け抜けた。テレビから目を離して視線を伏せる。手で耳を塞いだ。子守歌なんて聞きたくなかった。
妻が何か私に話しかけてきていたが、それすらも聞き取れないくらい強く、強く両耳を手で塞ぐ。そして、早くテレビを消してくれと何度も頼んだ。
その時、自分の耳は外の音なんて何一つ聞き取れなかったはずだ。しかし、まるで耳の穴の中に直接流し込まれるかのように女のかすれ声が聞こえた。
「帰ってきて」と。
俺は恐慌状態になってしばらく叫んでいた。妻もびっくりしたことだろう。あの時は心配をかけた。
結局、その現象が何だったのか今でもわからない。それ以降、テレビに変なものが映り込むようなことは起きなかった。
だが何となく、俺の故郷に関係することではないかと思うのだ。あの女と俺自身に直接関係はないのかもしれないが、たまたま波長というか、チャンネルが合ってしまったのではないだろうか。テレビの電波でも受信するかのように。