怪談廿物語 作:tagari
これは私が曾祖父の家で体験した話です。その当時、私は五歳か六歳くらいでした。
曾祖父は母方の親族で、地元では有名な人でした。一代で財を成した実業家だったとか。屋敷は広く、庭に大きな蔵がありました。
私はその日、新幹線を乗り継いで両親と共に曾祖父の家に行きました。泊まりになると聞いて喜んでいました。家に着くと、たくさんの親戚に迎えられました。
この時、私はよく理解していなかったのですが、曾祖父は命が危うい状態だったようです。もう百歳近い高齢だったため、仕方のないことでした。
意識はまだあるようでしたが、布団から起き上がることもできずにいる曾祖父のそばに寄り添って、節くれだった大きな手を握りました。元気になったら一緒に遊ぼうと、何の疑いもなくそう約束しました。
それから曽祖父は眠ってしまい、親たちも集まって子どもにはわからない話を始めたので、暇になった私は屋敷を探検することにしました。両親には大人しくしていなさいと言われましたが、じっとしていられませんでした。
何度も来たことのある勝手知ったる家だったこともあり、半ば放任された私は意気揚々と探検に繰り出しました。ここは珍しいものがたくさんあって、飽きることがありません。屋敷の中をひとしきり見て回り、次は庭に出て蔵へと向かいました。
本当は本宅の中だけで遊ぶように言われていたのですが、こっそり外へ出ました。蔵の戸は厳重に施錠されており、入ることはできませんでした。それでも何か見つけようと、蔵の裏手へ回り込みました。
裏手は植え込まれた木の陰で薄暗く、何やらガラクタのようなものが蔵の壁に立てかけるように積まれていました。蔵に入りきらなかった不用品でしょうか。私は宝探しを始めました。
そこで一つの骨董品を見つけたのです。大きさは三十センチくらいの長方形の箱でした。重厚な金属製で、装飾らしき模様が施されているようでしたが、長い間外に野ざらしにされていたのか、錆びてぼろぼろになっていました。
側面には取っ手がついていて、上面には円形の蓋が二つありました。きゅうすの蓋のような形です。何の用途で使う道具なのかわからないのですが、ひとまずここでは『壺』と呼ばせてください。当時の私はそれを見て、なぜか壺だと思ったのです。
何気なく、蓋の一つを開けました。そして、中を見て驚愕しました。そこにあったのは金色に輝く液体でした。
屋外に置かれていたため雨水が中に溜まり、長い時間をかけて内側の金属が腐食したのでしょう。金属の成分が水の中に染み出て、そのような色ができたのだと思います。
ですが、それはあまりにも美しかったのです。まるで蜂蜜のように凝縮された金色と言いますか、あるいは燃えたぎる溶岩のごとくそれ自体が輝いているかのようでした。剥離した金属の欠片が水の上に浮いているのですが、それすらもきらきらと輝き、一つの景色を作り上げていました。
古来から神聖なものとされてきた黄金の輝きは、幼子にも本能的に理解できました。その光景は筆舌に尽くしがたく、私は後にも先にもあれほど美しいものを見たことがありません。
ふと、もう一つある蓋のことを思い出し、そちらも気になって開けようとしました。蓋に手をかけた時、声が聞こえました。
私の名を呼ぶ声です。大人たちがいなくなった私のことを探しているようでした。はっと我に返った私は慌てて壺の蓋を元に戻して帰りました。
本宅に戻った私は、どこに行っていたのかとこっぴどく怒られました。ほんの短い間、蔵に行っていた感覚しかなかったのですが、実際は一時間近くも経過していたようです。親戚の皆が私のことを探し回っていたのだとか。
その時間の感覚のずれに自分でも驚きました。それだけ私はあの壺の中身に魅入られていたのでしょうか。あれは何だったのかと聞きたい気持ちもありましたが、勝手に蔵の近くの物を触ったことを怒られるかもしれないと思って誰にも壺のことは話しませんでした。
それから一晩が経って、曾祖父が息を引き取りました。
身内の死は初めてのことで、冷たくなった曾祖父の体に触れても、実感は湧きませんでした。盛大に葬儀が執り行われ、私は流されるままに参列しました。
全部が終わって曾祖父の家から離れる時が来て、私は最後にまたあの壺の中を見てから帰りたいと思いました。どうしても見たいものがあると親に言って、一緒に蔵の裏手に行きました。
訝しがる両親を後目に壺の蓋を開けてみると、中の水は記憶にあるものとまるで違いました。それは何の変哲もない、ただの赤錆が浮いた雨水でした。
そんなはずはないと蓋を二つとも取って中を確認しても結果は同じです。汚れた水が溜まっているだけでした。
私が見たあの液体は、奇跡のような偶然が重なって自然が作り出した色だったのでしょうか。それはわずかな時間で失われてしまうような儚いものだったのでしょうか。
美しいもの、素晴らしいものには限りがあります。永遠にそこにあるわけではありません。私はなぜかその時、初めて曾祖父が死んだことを現実のものとして実感できたのです。涙を流して悲しむ私を見て両親は心配していましたが、説明することはできませんでした。
あの輝きはもしかすると、曾祖父が生きていたからこそ見ることができた色だったのではないかと、今でも思うのです。