怪談廿物語 作:tagari
昔、近所の公園に変わった男がいた。
公園の片隅で、たまに見かけることがあった。そこは木陰になっていて、切り株のようなデザインをしたテーブルと椅子が二揃い設置されていた。
それは中年の太った男で、見かける時はいつも同じ椅子に座ってテーブルに覆いかぶさるように上体を預けていた。最初は寝ているのかと思ったが、よく見ると腕の中に何かを隠すようにして作業をしているようだった。
何をしているのかわからないが、いる時はずっといる。何時間もその体勢のまま動かない。浮浪者ではないらしいが、男が住んでいる家のことや同居人は素性がよく知れなかった。近所付き合いがほとんどないと聞いた。
初めて見た時は面食らったが、何か害があるわけでもなく、事件にもなっていないので、みんな放置していた。話しかけても反応はしないらしい。この近くに住む人たちは暗黙の了解として、積極的に関わろうとはしなかった。
しかし、男は何者なのか。一体、何をしているのか。気にならないわけではない。当時、小学生だった僕は、その男と一度だけ話したことがあった。
それはある夏の日、公園で遊んでいた時のことである。僕と友達を合わせて四人がその場にいた。そして切り株のテーブルのところに、あの男がいた。普段は近づくこともなく無視して遊ぶのだが、間の悪いことに使っていたボールが男の方へと飛んで行ってしまったのだ。
誰が取りに行くかという話になった。別に危険な存在というわけでもないので、誰が行ってもよかったのだが、そこで友達の一人が余計な遊びを思いついた。
ジャンケンをして負けた者がボールを取りに行き、そのついでに男が何をしているのか確かめて来るというものだった。四人もいれば自分が選ばれることはないだろうと高をくくって賛同したが、負けたのは僕だった。
ボールを回収して仕方なく男の方へと向かったものの、いざ近づいてみると怖くなった。男の手元を少し離れたところから覗き込んでみるが、やはり覆い隠しているせいで確認できない。男は銀色の大きな日除け帽子をかぶっていて、それもあってなおさら見えなかった。
わからず仕舞いでそのまま帰って根性無し扱いされるのも嫌だったので、話しかけてみることにした。おそらく、無視されるだろうと思った。それならそれで諦めがつくし、友達に対する言い訳にはなるだろう。
男のところに近づいてみると、何か小さな言葉を発しているようだった。ほとんど聞き取れないが、何かに話しかけているような感じがした。もちろん、男のそばには誰もいない。ただの独り言だろう。
緊張を押し殺して「何してるんですか」と話しかけた。心の中では、返答を期待していなかった。何事もなく無視されて終わることを望んでいた。さっさとその場から逃げ去りたかった。
しかし、予想に反して男は顔を上げた。僕はなるべく笑顔を心がけて表情を取り繕ったが、たぶん顔は引きつっていたと思う。何かあればすぐに逃げ出せるように身構えていた。
男の顔を見て違和感を覚えた。片目が白い。よく見ると、右目だけ瞳が外側を向いていた。両眼の見ている方向が違うのである。これは後で知ったが斜視と呼ばれる症状らしい。
男は「手を出して」と言ってきた。自分が持っている何かを僕に渡そうとしているようだった。少なくとも暴れ出すようなそぶりはない。僕は恐る恐る近づいた。
半袖シャツ姿の男の腕は夏の日差しで黒く焼かれており、蚊に刺された跡がぶつぶつと無数にあった。爪の長い大きな手をしていた。その手の中から何かがそっと渡される。たくさんの小さな黒い玉だ。正体はすぐにわかった。
ダンゴムシである。僕も捕まえたことのある馴染みのある虫だ。ああなんだダンゴムシか、と思った。拍子抜けしたが、同時に謎は深まった。ダンゴムシを相手に何時間も何をしているというのか。
もぞもぞと手の中で虫が動き始めた。丸まっていたダンゴムシたちが体を開いていく。その反応は見知っていた。だが、決定的におかしいことがある。
脚がないのだ。一本もない。触角もなかった。自然にこの状態になったとは考えにくい。男が除去したのだろう。
何のために、どうやって。ダンゴムシは刺激を受けるとすぐに体を丸めて防御態勢を取る。それをこじ開けて無理やり脚を抜き取ろうとすれば死んでしまうはずだ。だが、僕の手の中の虫たちは弱った様子もなく動いていた。
脚がないこと以外は問題なく生きている。その状態でできることと言えば体を開閉することだけだ。ただ脚がなくなっただけのことではあるが、僕にとってそれは全く別種の生物のように見えた。
当たり前にあるはずのものが存在しない。手中でうごめく生物の群れが途端に気持ち悪く思えた。もともと虫が苦手というわけではなかったが、あまりにも不自然で不気味な生物に見えてしまったのだ。
しかし、それ以上に恐ろしいことは男の動機である。まるで意図がわからない。困惑して男の方を見ると、椅子から立ち上がろうとしていた。その顔はこちらを見ていたが、男の目は僕の方を見ているわけではなかった。
両目とも瞳が外側を向いて、めちゃくちゃに笑っていた。
僕はダンゴムシもボールも放り出して友達がいる方へと走った。何事かと驚いている友人らに「ヤバイ」とだけ何度も叫んで止まらず走り抜けた。事情は分からずともそのただならぬ様子を見て察したのか、みんな僕に続いて逃げ出した。
それ以来、僕はあの公園を避けるようになった。何があったのか友達はあの日のことを聞きたがっていたが、僕は詳しく話さなかった。
もしかしたら、あの男に害意はなかったのかもしれない。「何をしているの?」と聞かれて素直に自分の宝物を見せてくれただけなのかもしれない。
たとえそうだったとしても、分かり合うことはできそうになかった。