怪談廿物語   作:tagari

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バックミラー

 

 学生の頃から親しくしていた、友人Aの話です。社会人になってからは会う機会も減っていましたが、たまに連絡を取り合っていました。

 

 ある時、Aは近隣住民とのトラブルを話題に出したことがありました。Aが住んでいるアパートの隣室が最近、騒がしくなったと言っていました。

 

 どうやら引っ越しがあったらしく住民が変わったようで、新しく越して来た一家は10人もの大家族だと言います。それだけの数の人間がいれば生活音も相当なものでしょう。

 

 ただ、私は実際に何度かAのアパートに行ったことがあるのですが、どう考えても10人もの人間が暮らせる空間的な余裕はありません。本当の話なのか、という疑問はありました。

 

 Aは精神的にまいっているようだったので、私は気晴らしに飲みにでも行こうと誘いました。休日に居酒屋で会う約束をしたのですが、その当日、Aは自家用車に乗って来ました。

 

 帰りは代行でも頼むのかと聞くと、自分で乗って帰ると言うのです。どうやらAは最初から飲むつもりはなく、ただ私と会って話がしたくてここに来ているようでした。酒好きだったAの態度とは思えません。

 

 この時点で何か様子がおかしいなと思いました。Aの顔つきも心なしかやつれているように見えました。車は私が運転して送ってやるから気にせず飲めと酒を勧めました。私はノンアルを頼んで話を聞くことにしました。

 

 最初は遠慮していたAも酒が入ると口が回るようになったのか、愚痴をこぼし始めました。とにかく毎日子どもの喚き声がうるさくて、夜も遅くまでバタバタと駆け回る足音で眠れないと言っていました。

 

 管理会社に苦情を入れてもろくに対応してもらえなかったそうです。賃貸の管理会社がこういった住人同士のトラブルに際して直接介入してくることはあまりないという話は聞いたことがありました。

 

 よほどのことがない限り注意喚起が関の山。しかしAの話を聞く限り隣室の騒音は、その“よほどのこと”に該当しそうなものでした。いっそのこと転居を考えてみてはどうかと私が言うと、Aもそれを検討しているようでした。

 

「でもなぁ。引っ越しても無駄な気がするんだよぁ」

 

 Aはいつもより酒の回りが早いようで、要領を得ないことを言うようになりました。ストレスなどで体が疲れて酔いやすくなっているのでしょう。酔い潰れる前に飲み会を切り上げることにしました。

 

 覚束ない足取りのAに肩を貸して車の助手席に乗せました。話をできただけでも気が楽になったのか、Aは安心した様子で寝息を立て始めました。

 

 Aの車は以前見た時よりも汚れているようでした。後部座席に毛布が置かれ、食べ物のゴミがビニール袋に詰め込まれて転がっていました。少し臭いもしていて、居心地は良くありませんでした。

 

 運転席に座った時に気づいたのですが、ルームミラーが下を向くようにひねってありました。当然、そんな状態では後方の確認ができないので正常な角度に戻しました。

 

 初めて運転する他人の車ということもあって少し手間取りながらも、Aの住居の場所は知っていたので困ることはありませんでした。夜の街中を走らせていると、一つの違和感に気づきました。

 

 後ろから一台の車がついてくるのが見えました。最初は気にも留めていなかったのですが、よく見ると変でした。夜中にも関わらず、ライトをつけていないのです。街の灯りがあるので運転はできるでしょうが、普通に危ない。気になって後ろばかり見ていました。

 

 今は見かけないような古い型のボンゴでした。ちょうどすぐ先の信号が赤になって速度を落としていると、後ろの車も速度を落としながら車間を近づけてきました。どんな奴が乗っているのだろうかとルームミラーで確認してみました。

 

 暗がりの中をゆっくりとこちらに近づいてくる後続車。次第に、そのフロントガラスの向こうが見えてきました。人が乗っていました。

 

 何人いるかもわからない数の人がすし詰めのように身を寄せ合って、乗っているように見えました。いくつもの視線が、鏡越しに私を見ているような気がしました。

 

 その直後、助手席にいたAが起き上がってルームミラーを掴み、ひねって下に向けました。

 

「な、だから言っただろ」

 

 すぐにサイドミラーで後方を確認したのですが、どこにも車はありませんでした。背筋が寒くなって、体が硬直して、信号が青に変わってもすぐに発進することはできませんでした。

 

 それからAは酒が入ったテンションのまま、饒舌に近況を語り始めました。子どもがベランダにまで入ってきて困っているだとか。最近は部屋にいられなくなって、車内で寝泊まりしているだとか。隣に直接苦情を入れに行ったから、自分は恨まれているだとか。だから、どこに逃げても無駄だとか。

 

 私自身、まともにAの話を聞いてやる心の余裕はありませんでした。もういいから寝ていろと言って、急いでアパートに行って車を駐車場に停め、今日はこのまま車で寝るというAを残して帰りました。

 

 後日、気になってAのアパートの管理会社に連絡してみました。Aの住居は二階の角部屋で、その隣室は数か月前から空き家になっているという話をされました。新しい入居者はまだいないと言います。

 

 Aから何度も騒音に関する苦情は届いているが、原因がわからず対応できないとのことでした。

 

 

 

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