怪談廿物語 作:tagari
歯医者さんは好きですか? まあ、できれば行きたくない場所ですよね。でも、私は結構好きです。歯医者さんそのものが、というより、病院の雰囲気が。
清潔で明るくて、なるべく子どもを刺激しないように優しい空間を作っている気がするんです。やっぱり子どもは特に嫌がる場所ですから気を遣うんでしょう。置いてある本も普通の病院よりセンスがある気がします。
でも、その一方で歯医者さんにしかない引っかかる部分もありますよね。あの独特のにおいとか、ドリルの音とか。
私はあまり気になりませんが、私の高校の友達に一人、異常なほど歯医者が嫌いな子がいました。ここでは仮にA子と呼ばせてください。
それは高校二年生の時のことでした。修学旅行を一か月後に控え、皆がそれを楽しみにしていた時期のこと。A子はなぜか浮かない様子でした。
しばらくは何でもないと答えていたのですが、そのうち我慢できなくなったのか私に打ち明けてくれました。歯が痛いというのです。
あまりにも深刻そうな顔で相談してきたので、その原因を聞いた時は呆れました。もうそれは歯医者で診てもらうしかありませんよ。放っておいて治るものではないのですから。
しかし、どうしても歯医者には行きたくないと言うのです。それも怖いから行きたくないという高校生とは思えない理由でした。もともと怖がりな性格をした子ではあったのですが、そこまでとは思いませんでした。
A子が言い訳するには、行きつけの歯医者であれば診てもらうこともできたのだが、そこが廃業してしまったらしく、他の歯医者には絶対に行きたくないと言う。
ちなみに私もA子が言う歯医者のことは知っていました。地元のよくある感じのこぢんまりとした町医者で、先生は人当たりの良いおじいさんでした。小さい頃はそこで診てもらったこともあります。
ただ何と言うか、人情味はあるのですが、言葉を選ばずに言ってしまえば小汚い感じの病院でした。隣町に新しくできた歯医者の腕がいいという噂を聞いてからは、そちらに鞍替えしてすっかり通わなくなっていました。
どうしてこの肝心なタイミングで地元の歯医者が潰れてしまったのかと嘆くA子。何が気に入ったのか知りませんが、彼女はあのおじいちゃん先生に全幅の信頼を置いているようでした。
嘆いたところで仕方がない。別の病院で診てもらうしかないでしょう。私は自分が通っている歯医者のことを紹介しましたが、A子は気が乗らない様子でした。
それから数日、A子の体調はずっと優れないまま。親にも虫歯のことを告げず一人で痛みに耐えているようでした。無理やり歯医者に連れて行かれるのが怖いようです。
いや、さっさと行って楽になれよ、と。最初うちは私も笑っていられたのですが、そのうち本気でA子を心配するようになりました。
もうすぐそこまで迫った修学旅行を、たかが虫歯で台無しにしてしまうなんてあまりにも馬鹿らしい。歯の状態によってはすぐに治せないかもしれません。早めに診てもらうに越したことはないでしょう。
そのことはA子も重々わかっているようでした。何とかしたいが自分ではどうにもできない様子で。私には想像もできないくらい、彼女にとっては恐怖を感じているようでした。
一緒に病院に行こうと私から提案して、ようやくA子は頷きました。痛みが限界を迎えていたのでしょう。
それからA子のお母さんにも連絡しました。そして、なるべくA子のことを責めないでほしいとも伝えました。A子の母も娘の不調を心配していたようです。そして、今回は単なる娘のわがままではなく、ただならないことが起きているのではないか、ということも。
その日の放課後、すぐに私とA子と彼女の母の三人で隣町の歯科クリニックへ行くことになりました。その途中、A子の表情と言ったらまるで生気がなく、虫歯ではない別の病気を疑ってしまうほどでした。
とにかく歯の痛みならまず歯医者で調べてもらうべきでしょう。病院に着き、私はA子の診察と処置が終わるまで待合室で待つことになりました。A子の母はごめんねと、何度も申し訳なさそうに私に謝っていました。
明らかにA子が普通の状態ではないことはわかっていましたから、放ってはおけませんでした。無事に治ってくれなければ気も休まりません。
A子が診察のために呼ばれ、それに母親が付き添って奥へ行き、私は一人待合室の椅子に座ってぼうっとしていた時のこと。
奥の部屋でガタンと大きな物音が聞こえました。それから、うめき声も。院内はリラックスできるようなBGMが流れていましたが、その陰に隠れてかすかながら、確かに私の耳に届くほどの音でした。
何かまずいことでも起きたのか。受付の人に様子を聞こうと立ち上がった時、今度ははっきりと待合室まで人の大声が響いてきました。
「とらないで」と。
待合室には私の他に外来が何人かいましたが、目を丸くして驚いていました。たぶん、私も似たような表情をしていたでしょう。
心配いりません、大丈夫ですと伝えられ、私は待つことしかできませんでした。まさか歯医者で友達の身の危険を案じることになるとは思いもしませんでした。
それからしばらくしてA子とその母が出てきて、私は急いで駆け寄ったのですが、心配とは裏腹にA子はすっかり元気になっていました。歯の痛みは消え去ったそうです。
たった数十分の処置で、まるで別人かと思うほどA子は元の快活さを取り戻していました。私の心配は取り越し苦労だったようです。A子はスーパードクターの敏腕を褒めたたえていました。
それから三人で喫茶店に行って、私はご馳走になりました。A子はお腹が減っていたらしくケーキをばくばく食べていました。言いたいことはありましたが、何にしてもまずA子が元気になったことを祝いました。
これは後日、A子の母親から聞いた話なのですが。
あの日の診察で、とりあえずレントゲンなどの検査が行われたのですが、はっきりとした痛みの原因は特定できなかったそうです。
痛みが発生していた箇所は右下の奥歯。銀歯で治療されていた歯でした。銀歯は経年劣化で変質することもあり、隙間から細菌が侵入し、二次虫歯などが発症することもあるそうで、一度取り外して調べることになりました。
この時、A子は人が変わったように処置を拒んだそうですが、そこは歯医者さんも慣れたもので手際よく銀歯を取り除いてくれたようです。
問題はそこからでした。銀歯の奥からプラスチックのフィルムのようなものが出て来たのですが、よく調べてみたところ、何かの文字が書かれていました。
古い漢字のような、象形文字のような、解読不能の文字列でした。もちろん、歯科治療には何の関係もないものです。それを銀歯の中に仕込むことができた人は容易に特定できました。
以前、A子が通っていた歯科医です。廃業になった理由は、最近亡くなったからだそうです。結婚はしていたと聞きましたが、子どもはできず、後を継ぐ人もいなかったのだとか。
銀歯、というか謎のフィルムを除去するとA子の容体はすぐに回復。患部の炎症なども確認できず、適切な治療を経て完治しました。
あの時、なぜあれほどまでに治療に対して恐怖したのかA子本人にもわからないそうです。今では普通に病院に通えています。
その話を聞いて、私は小さい頃の記憶を思い出しました。A子が通っていた地元の歯医者。私は乳歯が生え変わる時に何度か診てもらったことがありました。
ごく普通の人間に見えましたが、そう言えば一つ変わったことを言っていた気がします。
「ハイタかねぇ。ハイタかねぇ」
ハイタって何だ? と、当時は思いました。『歯痛』のことを言っていたのでしょう。これはシツウと読んだり、ハイタと読むこともあります。
ただ、私に対して問いかけるように言っている様子ではなかった気がします。マスクをして顔つきもよくわからない、老いた歯科医が何を言っていたのか。
あまり深く考えない方がいいのかもしれません。理解できてしまう方が恐ろしいことのように思えるのです。