怪談廿物語 作:tagari
これは怖いというより、ただ情けないだけの話かもしれないが。
小学生の頃、図工の時間でプラ板を使う授業があった。透明なプラスチックの板を適当な大きさに切ってトースターで加熱すると収縮する。この性質を利用した遊びだ。
好きなイラストなどを描いたプラ板を焼くと、これが小さくまとまって厚みのあるアクセサリのようになるのだ。子どもに科学的な興味を持たせる教材の一つとして採用されたのだろう。
初めは私も面白がっていたのだが、すぐに飽きた。私は不器用で絵が下手だったのでうまく作れなかったのだ。いくつかへちゃむくれた作品を作って満足した。
しかし、そこで悪だくみを閃く。もしかしたら、プラ板を使ってすごいものが作れるのではないかというアイデアが浮かんだ。
それまでの飽き性が嘘のように吹き飛んだ私は、すぐに製作に取り掛かった。授業中の時間だけでは足りない。余ったプラ板は持ち帰っていいと教師に言われたので、これ幸いと家でも製作に打ち込んだ。
作ろうとしたものは百円玉だ。
プラ板の厚みといい、強度といい、硬貨に似せるにうってつけの素材だった。つまり、偽造硬貨を作ろうとしていた。犯罪行為である。しかし、その時の私は愚かにも自分のアイデアを自画自賛するばかりで省みようとはしなかった。
プラ板を思った通りの形に完成させることは難しかった。サイズの調整はもちろん、加熱する温度や時間によってうまく縮まなかったり、平らにならなかったりした。何度も失敗を繰り返し、ついに納得のいく品質の一枚を作り出すことに成功する。
とはいえ、似せたのは形だけ。こんなものを店頭で使えるわけがない。自販機で使うのも無理だろうと思った。内部に何らかの複雑な装置があって偽物の硬貨は弾かれるだろうと小学生でも予想はついた。
私がターゲットとしたのはガチャポンである。
いわゆるカプセルトイ。今でもよく目にするが、最近のガチャポンの出来には感心する。百円では買えないものも多いがその分クオリティは高く、何より中に入っているオモチャのラインナップが一目でわかるようになっている。
昔はひどかった。子ども騙しにもならないようなしょっぱいオモチャが入れられたハズレが、一つの機体に大量に混ざっていた。グリコのおまけつきキャラメルでも買った方が遥かにマシなレベルである。
それでも馬鹿な子どもは回したのだ。機体の横から中身をじっくり観察して、もしかしたらアタリのカプセルが出口の近くまで来ているかもしれないと妄想し、小学生にとっては貴重な百円玉を投じる。私は馬鹿な子どもだった。
だが、馬鹿にも線引きはある。贋金を使って商品をせしめることはその一線を越えていた。私はそれがわかっていながらプラ板の偽百円をポケットに入れ、ガチャポンが置かれているタバコ屋に向かった。
何度回してもハズレばかり。アタリなんて本当に入っているのか。今まで小銭を巻き上げてきた報いを受けろと強がった。そうやって自分の間違いを正当化しようとした。
結局、試行錯誤にプラ板のほとんどを使ってしまい、完成した偽百円は一枚だけだった。一回だけならいいじゃないかと自分に言い訳をして、偽百円をガチャポンの硬貨投入口に入れてしまった。
もう後には退けない。その当時のガチャポンの単純な機構なら騙し通せるだろうと高をくくっていた。しかし、現実はそううまくもいかない。
レバーを回す途中で詰まった。ガチャガチャと左右に揺らすが固まって回らない。プラ板が柔らかくて中で曲がってしまったのかもしれない。その時の焦燥感と言ったらたまらなかった。
ガチャポンは店先に置かれており、異常がすぐにバレることはない。だが、もたもたしていれば不審に思われて店員が出てくるかもしれない。怒られるどころでは済まないだろう。
逃げるという選択肢は頭から抜け落ちていた。頼む、回ってくれと必死に祈りながらレバーをガチャガチャし続けた。その願いがどこかに通じたのか、ようやくレバーが回り切る。
取り出し口から黒いカプセルが一つ出た。それを手に取って急いで走った。
家に帰って一息つき、カプセルを開けると、小さな黒い立方体が入っていた。それと片耳につけるタイプのイヤホン。説明書は入っていなかった。
しかし、何となく使い方はわかる。黒い箱にはイヤホンをつなぐ穴があったし、ダイヤルのようなものもついていた。ダイヤルを回すと電源が入り、音が流れる仕組みのようだ。
イヤホンからは声のような音が聞こえた。こんなに小さなオモチャでラジオが聴けるのかと最初は驚いた。だが、よく音の内容を聞いてみると何かおかしい。
確かに日本語らしき人の話し声は聞こえるが、何を言っているのか判別できない。ぺちゃくちゃとわけのわからないことをしゃべっている。その調子がちょうどラジオ番組の掛け合いのように聞こえたのだ。
通販番組のようなパート、短いフレーズの音楽、何かの宣伝。そして、水の音。川のせせらぎのような水音と、詩を朗読するような優しい口調の不明な言葉。相変わらず何を言っているのかわからなかったが、その水の音だけは心地よく感じた。
それは結局ラジオではなく、録音された音源が繰り返し流されているだけだった。だが、それでも私がこれまでに引いてきたガチャポンの景品の中では一番のアタリだった。電池で動くメカというだけでロマンがあった。
大いに喜んだことは確かだ。しかし、その一方で心にひっかかる思いはあった。不正に手を染めたという罪悪感は消えることなく残っていた。だから、その宝物は誰かに自慢することもなく密かに机の引き出しにしまって一人で楽しんだ。
特に、私は川のせせらぎの部分が好きだった。その部分は音源全体のうちの半分程度の尺が取られていて、ただの水音が流されるだけの時間が結構あった。だが、不思議と聞き飽きることがなく、むしろずっと聞いていたいと思えるくらい癒される音だった。
それから一週間ほど経って、私の体調に変化が現れ始めた。熱が出て、体がだるい。ただの風邪だろうと思っていたが、一向に良くならない。病院で診てもらっても原因がわからなかった。熱射病にかかったみたいに腕からぷくぷくと玉の汗を噴き出すこともあった。
そんなある時、辛さを紛らわすために黒い箱の音を聞きたくなった。あの水音を聞けば気分が少しは楽になる気がした。布団の上で横になりながらイヤホンを耳にはめる。
だが、聞こえてくるのは意味不明の話し声ばかり。いつまで経ってもせせらぎのパートが来ない。録音された内容が変わるわけもあるまい。どうしてしまったのかと耳を澄ましていると、そのうち奇妙なノイズが混ざり始めた。
ちりちり、じりじりと、雑音が入る。電池が切れそうになっているのか、壊れてしまったのか。熱に苦しみながら他にやることもなく、私はただその雑音を聞き続けていた。
そして気づく。ああ、これは。
トースターの音だ。
電熱線が赤く発光し、ぜんまい仕掛けのタイマーが時を刻む音。プラ板を加熱する時、ずっと中を覗き込みながら聞いていたのでよく覚えている。
自分が今いる場所がどこなのかもわからなくなってしまった。ここはトースターの中の金網の上なのか、あるいは火葬場の釜の中なのか。
熱さに悶える。その様子は、熱せられて縮んでいくプラ板のようだった。ふにゃふにゃと身をよじらせながら、自分の体が小さくなっていく。
自分がこんな目に遭っているのは悪いことをしたからだと思い至った。もう悪さはしません、どうか許してくださいと、私は悪夢から目覚めるまで何度も謝り続けていた。
どうやら私は意識を失って、三日三晩寝込んでいたらしい。医者の話では、はっきりと病原を特定できたわけではないが、マダニに噛まれたことによる感染症ではないかとのことだった。死亡例もある危険な感染症である。私は運よく一命を取り留めた。
そして、黒い箱はいつの間にか私の手元からなくなっていた。両親は私がそれを握りしめていることに気づいていたようだが、とにかく意識のない私の看病に必死でそれどころではなかったらしい。
病院に搬送する過程で紛失してしまったようだ。私はそれでよかったのだと思った。あれは私が持っていていいものではなかった。
あれはきっと、生きている人間が聴いていい音ではなかった。