色眼鏡をかけた僕と僕が好きなってしまったあの子 作:Tスプーン
25/8/28
誤字報告ありがとうございます。修正しました。
僕がおじいちゃんから貰ったメガネは特別だ。
僕は昔から人の心が色で見えた。
怒っている時は赤、悲しい時は青、嬉しい時は黄色など、僕が見えている世界は普通よりも多くの色に溢れている。
でも、色鮮やかに光る僕の世界は綺麗なだけではなく、感情の色を見ていると目が焼けるように痛くなって、頭も割れるように痛くなってしまう。
普通に生きているだけでもとても辛く、僕はできるだけ目をつぶったり、人を見ないようにして過ごして対処をしていたが、次第に人以外の生き物や物からも色が見えるようになって目がチカチカと痛くなって、ビカビカと色がうるさくて、学校にも行けなくなった僕は部屋の中に閉じこもってずっと目を瞑っていた過ごした。
とうとう痛さに我慢できなくなって助けを求めた僕のためにお父さんやお母さんは急いで病院に連れて行ってくれた。
眼科や脳外科、精神科など色んな病院の先生に診てもらったけど、どの病院に行っても異常なし。薬を出してくれたところもあるけど、良くなるどころか悪くなる一方で改善しなかった。
次第にお父さんとお母さんの色は変わった。
徐々に赤へと変わっていってお父さんとお母さんは僕のことでケンカをすることが多くなって、顔を合わせればすぐに口論を始めるようになった。お父さんもお母さんも僕のことを殴ったり、蹴ったり、叩くようになった。
お父さんとお母さんが家の中の家具を壊してしまうような大喧嘩した次の日からお父さんは家に帰ってこなくなった。
それからお母さんはおかしくなった。
お母さんはどこかに出かけるようになって変な仏像を持ってきてこれにお祈りして神様にお礼を言い続けたら僕の目が治るって言っていた。
お祈りを忘れた時や神様へお礼を言わない時は頬を叩かれたり、ご飯を抜かれたりしたけど、僕はお母さんの色が嬉しい時の色に変わってたことが嬉しくて、お母さんの言う通りにした。
毎日起きた時と寝る前に仏像にお祈りして、お母さんに教わったように神様にお礼を言って、変な味のする水を飲んだ。
ずっと目が焼けそうなくらい痛いのを隠して治ったように嘘ついて、治ったことにしたら前みたいに優しいお母さんに戻ってくれると思っていたから頑張った。
でも僕が治ったって思ったお母さんは仏像に向かって前よりたくさんお祈りするようになった。
変な色の水を僕にかけるようになって、変な匂いがする煙を焚くようになって、家の中に仏像や壺、仏壇みたいなものが増えていった。お母さんが持ってきた物はどれもが黒っぽい嫌な色が纏わりついていて怖かったけど、それを言えばお母さんが怒るから言えなかった。
どんどん家に変な物が増えて行くにつれて、お母さんが家にいない時間が増えていって、とうとうお母さんは家に帰って来なくなった。
ある日、知らない人たちが大勢やってきて家の中のものはほとんどを持っていって、お母さんはその人たちと一緒にどこかへ行ってしまった。
何もない家に僕だけが取り残された。
家にはお金がなくて、食べれるものがなくなって、お小遣いがあるうちは近くのコンビニでお菓子を買って食べたけど、お小遣いはすぐになくなって僕はいつもお腹が空いた。
蛇口をひねれば水だけを出たからお腹が空いたら水を飲みながらジッとして過ごした。
それからしばらくして僕が動けなくなった頃、僕の家におじいちゃんがやって来た。
おじいちゃんは小さな時に何度か会ったことがあった。
優しくて暖かくて会ったらいつも頭を撫でてくれる温かい色の人。
僕の姿を見たおじいちゃんは泣きながら抱き締めてくれた。
頑張った、よく頑張ったって抱き締めながら褒めてくれたおじいちゃんは僕を連れて急いで病院に向かった。
あの時の僕の状態も、病院の先生の言っていたこともあまり覚えてないけど、あのまま家にいたら死んでいたことは覚えている。
点滴を打たれながら病院のベッドに寝かされた僕におじいちゃんはお父さんは女の人といなくなってしまったこと、お母さんは変な神様を信じてる人たちと一緒にどこかに行ってしまったことを教えてくれた。
おじいちゃんは僕を見る時はいつもよりも青くて、お父さんとお母さんのことの話をしている時は燃えるような赤になっていた。
僕が変なせいでお父さんもお母さんもバラバラになってしまったことはわかった。僕がこんな目じゃなかったら前と変わらずにお父さんやお母さんと一緒にいられたのにと後悔している僕をおじいちゃんは優しく抱き締めてくれた。
病院を退院した僕はおじいちゃんの家で暮らすことになった。
おじいちゃんの家は住んでいたところから遠い山の中にあって、小さな畑とおじいちゃんが住んでる家しか無かった。
前にいたところは常に赤とか青とか色んな色でビカビカしていてずっと目が痛かったけど、おじいちゃんの家はほとんど優しい色ばかりで、前よりは僕の目は痛くなかった。
それでも目を開けたら目が焼けそうなくらいにビカビカしてて、僕は前と変わらず、目を閉じたまま部屋に閉じこもって過ごしていた。
おじいちゃんの家に引っ越してから数日経ったある日、おじいちゃんは僕にメガネをくれた。
どこにでもありそうな、なんの変哲もない黒縁のメガネだ。
子どものものにしては少し大きく、気をつけないとズレてしまう。
おじいちゃんに言われるまま、僕はそのメガネを掛けた。 すると、僕の視界を埋め尽くすうるさいくらいにビカビカしていた色がまったく見えなくなった。度が入っていないのか、視界がボヤけるようなこともない。
「これで大丈夫だ。もう大丈夫だよ」
ニッコリと笑顔を浮かべたおじいちゃんは僕の頭を撫でながらそう言った。
このメガネはおじいちゃんの古い知り合いから譲ってもらったもので、かけてる間は僕の目に色が見えなくなるそうだ。でも、決して治っているわけじゃないから、このメガネをかけて生活するようにおじいちゃんと約束した。
それから僕はおじいちゃんとの約束通り、メガネをかけながら暮らすようになった。
不慣れなメガネ越しの生活に苦戦する僕をおじいちゃんは手伝ってくれて、そして色んなことを教えてくれた。
少しずつメガネでの生活に慣れた僕はおじいちゃんの家から近い小学校に転入することになった。
近いとは言っても歩きではちょっと遠い場所にあったから行き来は大変で、不安だったけどすぐに友だちができて、友だちと遊ぶようになった。
中学校に上がった頃にはおじいちゃんに買ってもらった自転車に乗って通学して、学校では勉強以外にも部活に入ったり、街に遊びに行ったりと今までできなかったことを色んなことをした。
どれもこれもすべておじいちゃんのお陰だった。
僕はおじいちゃんが大好きだった。これからいっぱい恩返ししてあげたかった。
でも、僕の大好きなおじいちゃんは高校に入る少し前に亡くなった。
僕が中学校に上がった頃から少しずつ体調が悪くなって、中学三年生の頃に病院に入院してからは一度も家に帰れず、そのまま病院で息を引き取った。
毎日病院に通っておじいちゃんのお見舞いしていた僕はおじいちゃんが息を引き取った日はずっと泣いて過ごした。
おじいちゃんのお葬式には色んな人が来てくれた。
親戚の人、おじいちゃんの知り合い、おじいちゃんの友だち。みんながおじいちゃんを送ってくれた。
お父さんもお母さんも来てくれなかったけど、それでもたくさん親戚がおじいちゃんとのお別れにやってきてくれた。
みんなよく知らない人ばっかりだったけど、みんな僕に優しくしてくれて、叔母さんや叔父さんたちは僕を引き取りたいと言ってくれた。
だけど、おじいちゃんとの思い出が詰まった家から出ていきたくなくておじいちゃんの家に残ることにした。叔父さんや叔母さんたちは色々心配してたけど、最終的には困ったことがあれば連絡してほしいって連絡先をくれて一人暮らしを許してくれた。
✝✝✝
「おじいちゃん、行ってきます」
朝ご飯を食べ終わり、登校準備を終えた僕は仏壇に手を合わせて高校に向かう。
おじいちゃんが亡くなる少し前から一人暮らししてたからある程度はものになってるけど、それでもひとりっきりの生活は寂しい。
中学校の頃は部活に入ってたけど、高校では部活に入るつもりはない。家の家事は僕ひとりでやらなきゃいけない。
それにバイトを始めるつもりだからだ。
叔父さんや叔母さんたちが援助してくれてるけど、頼ってばかりは申し訳ないし、やっぱり少しでも自分で稼がないとダメだと思うから。
腕時計を見ると八時二十分くらい。
僕が通う高校は中学から使っている
黒板に張り出された席順を確認して自分の席に座った。
少し早く着いてしまったためか、座っている生徒は疎らだ。
担任の先生の自己紹介が終わり、オリエンテーションになったタイミングで、生徒たちの自己紹介をすることになった。
紹介順は五十音順、つまり窓際からスタートすることになったが、序盤から第一印象を決めるためにカッコつけたり、突拍子もないことやって滑るみたいな奇抜なタイプと、二言三言話して着席したり、目標を発表するなど無難な挨拶に留めるタイプで二分されてしまった。
「はじめまして、
僕は可もなく不可もなくといった具合の挨拶でお茶を濁す後者のタイプを選んで無難に終わらせた。
しばらく挨拶が続き、ちょっと飽きて弛れてきた時、彼女の番が回ってきた。
初めて彼女を見てた時、僕は初めて一目惚れというものを経験した。
黒くて長い髪と愛らしい表情が似合う顔。
メガネ越しに見える黒い瞳も大きくて、鼻もスラリと高く、リップが塗られているのか艶々とした唇。
制服の下からでもわかる起伏に富んだ身体とスラリと長い手足。
彼女を見て惚れない思春期の少年はいないだろう、漫画のヒロインのような美少女がそこにいた。
「はじめまして!
彼女の挨拶はそれで終わりだったが、彼女の挨拶以外に記憶に残った挨拶は存在しなかった。
それから僕は毎日、穂月さんを目で追うようになった。
たぶん、他の奴も僕のようにチラリと彼女を見ていただろう。
穂月さんはただの美少女ではなく、間違いなく優等生だった。
困っている人がいれば積極的に声をかけて手伝い、友だちと会話している時は楽しげに笑い、授業中は真面目に受けて先生に指名された時にはハキハキと答えを言うし、クラス委員を決める時には自分から率先して立候補して満場一致で当選した。
僕が彼女を好きになったみたいに、男女問わずクラスのみんなが穂月さんのことを好きになっているのはメガネを取って感情を見なくたってわかる。
実際に一週間もしないうちに彼女はクラスで一番の人気者になっていたし、先生たちからも信頼されていた。
穂月さんのことをもっと知りたくて話したかったけど、一年生の同じクラスとはいえ、席は離れているし、僕と彼女にはあんまり接点がなく、そして休み時間になると彼女の周りには常に誰かがいた。
人見知りで女子と話し慣れていない僕が話しかけるにはとてもハードルが高い。
もじもじと話しかけるタイミングを伺っている間にクラス内にグループとカースト的なものが出来上がってきて、カースト底辺の陰キャ人間である僕とキラキラしたカーストトップの穂月さんに話しかけるハードルが余計に高くなってしまった。
穂月さんに話しかけられないまま、4月の終わりと高校入学後初めてのゴールデンウィークが見えてきたそんな時、僕に転機が訪れた。
「そろそろ学校にも慣れたと思うので、これから席替えを行います」
朝のホームルームの時間にやってきた担任が授業を始める前に言い放ったその一言によってクラスの男子たちの目の色が変わった。
学校生活におけるイベントのひとつである『席替え』。
今の僕の席は窓際最奥で穂月さんからけっこう離れている。
いくらなんでもそこまで仲良くない穂月さんに話しかけるためにそんな距離の離れた場所にわざわざ行くのはかなりの勇気が必要だった。
しかし、仮に穂月さんの隣をゲットできれば気軽に話しかけられる機会はいくらでも転がってくるはず。
僕は密かにガッツポーズをして、心の中でこのチャンスをくれた先生と神に感謝した。
クラスで目立つようになった陽キャが「みんなで話し合って好きな席を選ぼう」という不穏な言葉が流れたが、準備の良い先生が事前にくじを用意していたため、座席はくじ引きで決めることになった。
僕のクラスは三十人いるが、僕を含めて男子も女子もみんな穂月さんのことが好きだから、このクラスのアイドルである穂月さんの隣になりたくないクラスメートなどひとりもいない。
つまりはこのくじ引きでは穂月さんを除くクラスメート全員が僕のライバルとなる。
もっとも女子たちは穂月さんの隣はそれほど欲しいわけではなさそうで「隣になれればいいね」という軽いノリみたいだ。
しかし、男子たちはまるで大事な試合に臨むような緊迫とした空気感を漂わせており、その中にはこれで人生すべての幸運を使い切ってもいいという気迫さえ感じさせる男子もいる。
さっきから明らかに穂月さんの方を見て決意を固めている奴や神に祈る奴がいて、先ほどの好きな座席を話し合いで決めようと提案した陽キャも隣の奴と話しながらも穂月さんのことをチラチラ見ていた。
「それでは廊下側の先頭から順番に教卓に置いたくじを引いていってください」
黒板に簡単に今の座席を書いた先生の指示で廊下側先頭から順番にくじを引いていく。
次々と席が埋まっていく中、とうとう廊下側から二番目の列に座っていた穂月さんの番が回ってきた。
男子たちが固唾を呑む中、穂月さんが引いたのは窓際から二列目の一番後ろの席。
穂月さんの隣になれるのは左か右。しかし、穂月さんの右隣は既に
僕のくじ順は最後ということもあり、最後まで残った席が割り振られることになっている。
つまり、最後まで出なければ自動的に穂月さんの隣になれるが、それまで穂月さんの隣が引かれる確率は高い。
ひとり、またひとりと教卓の前に行ってくじを引いていき、穂月さんの隣を狙う
「
窓際から二列目最後の生徒が引き終わっても穂月さんの隣が引かれることなく、ついに僕のいる窓際の列の番になった。
先頭の
二番目の
彼が引いたのは教卓前。
三番目に引いた
残る空欄はふたつ。
穂月さんの隣と、廊下側の最前列。
確率は二分の一、最後のやつも穂月さんの隣狙いだ。
最後にくじを引く奴が迷い抜いた末にひとつ選ぶ。
「
折り畳まれた紙をめくり、黒板に僕と引いたやつの名前をチョークで書き、すべての席の空欄が埋まったことで席替えが終わる。
「これからよろしくね和視くん」
「あ、うん、こちらこそ」
僕に向かっていつもの可愛い笑顔を振り撒いてくれる穂月さん。
僕は見事穂月さんの隣を獲得したのだ。
穂月さんの隣をゲットしたことで一悶着あった。
穂月さんの隣をゲットしたい陽キャたちが席の交換を要求したり、僕の席が変わっていないことを理由に再抽選を要求した。
「時間がないから再抽選はしません。不満なら次の席替えまで良いことでもして運気を上げるか、神社に行って神様にお願いするように」
クラスの半数(男子)からの要求は先生にバッサリ切り捨てられたことで穂月さんの隣は死守され、僕は心の底から先生に感謝した。
しかし、困ったことにせっかく隣だからといって早々に穂月さんに話しかけられるようになるわけでもなく、何もしないまま時間が過ぎていった。
穂月さんの会話に聞き耳を立てて情報収集しているが、どうにかなりそうにもない。
女子たちが話しているファッションなどの話を僕にできるわけもないし、どこそこに遊びに行くと言っても仲の良いわけでもない僕が飛び入り参加などできるわけもない。
穂月さんと同じ部活や委員会にでも入れば共通の話題ができそうだが、バイトしながら一人暮らししている僕にはそこに入れるような金銭的にも時間的にもやってる余裕はない。
せめて、何か会話の取っ掛かりでもあれば。
興味が引けそうな話題を知ることができれば。
(そうだ……!)
そこで僕は自分の目を使うことを思いついた。
僕の目を使えば穂月さんの感情がわかる。
話している時の感情を見れば、会話のレパートリーが少ない僕でもそれを材料に好感触を得られる会話を作れるかもしれない。
おじいちゃんとの約束を破るのは少し気が引けたが、別に悪いことをするわけでもないと自分に言い訳しながら、少しだけメガネを外した。
「……ぅっ!」
久しぶりに見た感情の色の濁流に目が少し痛む。
教室の色は様々で、次の授業がテストだからか薄い青やグレーの生徒がいて、友だちと話している女子はほとんどが黄色一色。それに穂月さんをバレないように見ている男子はピンク色になっている。
(目が痛い……!気持ち悪い……!頭がグラグラする……!)
目がチカチカする。吐き気もする。頭も痛い。
深呼吸をして何とかこみ上げてきたものを落ち着けながら、少しずつ目を慣れさせる。
久しぶりに見た色だらけの世界に痛む目と頭が慣れてきて、ようやく隣で同じクラスの女子たちと話す彼女を見ることができた。
「……っ!?」
彼女の色を見て、僕は思わず息を呑む。
彼女の感情の色はどんな色よりも濃い、すべてをぐちゃぐちゃに塗り潰すような漆黒だった。
他の女子たちが人体や制服に黄や緑みたいな薄い色が上から塗られている感じなのに、穂月さんはそのすべてが黒く塗り潰されていて、まるで人間の影絵かシルエットのようになっていた。
テストが始まってからも僕の頭の中は穂月さんのことでいっぱいだった。
こっそりとメガネを外して先生にバレないようにチラリと横を見たが、真面目にテストを受けているはずの彼女の色は相変わらず黒から変化することはなかった。
それから隙を見てはメガネを外して穂月さんを見た。
クラスメートと笑いながら話している時も、授業を受けている時も、ご飯を食べている時も、下校するその瞬間さえも穂月さんの感情はずっと真っ黒いまま。
普通なら些細なきっかけでも様々な色が変化するはずなのに、穂月さんの感情は一切変わらない。変わらず黒だけで塗り潰されている。
それを確認して僕は穂月さんのことが怖くて心底震えた。
僕は黒い色の感情がどんな人たちが持っているのかを知っている。
家主を殺害して金品を奪った強盗殺人犯、法定で涙を流して懺悔するフリをしている詐欺師、自分勝手な理由で無関係な人々を殺害しようとした“正義”のテロリスト。
そんな自分のためなら他人がどうなろうと構わないヤバい人たちだけが持っている色がこの黒色なのだ。
だから僕は危ないから黒い人に近寄らないことにしていた。
僕の目の色のことを知っているおじいちゃんからも黒い人だけには近寄るなと言われていた。
でも、僕はどうして彼女がこんなに真っ黒いのか、その理由の方が気になった。
あんなに優しい彼女がどうしてこんなに黒いのか。
彼女の、穂月さんのその黒い内面の奥底まで僕は知りたくなった。
✝✝✝
「隣の席の和視くんだよね?屋上に呼び出すなんて、もしかして告白とか?」
彼女の色を見てから十日ほど経った放課後、僕は我慢できずに彼女を屋上に呼び出していた。
「なんだか、穂月さんが、その、なんというか……いつもよりも楽しくなさそうに見えてさ……なんか悩みでもあるのかなぁって、さ。あはは、なんかごめん。席が隣ってだけなのになんかお節介だよね」
しどろもどろで穂月さんに言う。
勢いで呼び出したはいいものの、真っ黒い理由を聞くことに腰が引けてしまったのだ。
冷静になって考えたら僕の行動ってかなりキモい。知り合って間もない、会話なんか数回くらいのよく知らない男子から屋上に呼び出されるなんて無視していいレベルだ。
「あ~、そうなんだ。別に悩みがあるわけでもないよ。ただ昨日ちょっと夜更かししちゃったから寝不足ってだけであんまりテンションが上がんなくて……」
そうなんだ、と一瞬だけ納得してしまいかけるが、寝不足なんか嘘でいつも彼女が楽しくないことを僕は知っている。
人が隠していることを暴くことはダメだ。僕の目についても隠してることと同じように、人の秘密は必要があるうちは隠すべきなんだ。
「あ、あー、そうなんだ。それならよかった。わざわざ呼び出してごめんね」
「ううん、むしろ私のことを心配してくれてありがとう和視くん。それじゃあまた明日ね」
穂月さんは僕に手を振りながらそう言うと、階段のドアに向かっていく。ふいに口元を手で抑えながら少し欠伸をして指先で涙を拭うその姿はとても可愛らしくて様になっていた。
もう一度メガネを外して穂月さんの後ろ姿を見てみると、やっぱり黒いまま。穂月さんは嘘をついている。
でも、穂月さんが隠そうとしていることを暴くのはダメなんじゃないか。彼女を信じた方がいいんじゃないか。
彼女が好きという個人的感情があるけど、やっぱり彼女を信じてみたい───
「───やっぱりホントのことは聞いちゃダメだよな……」
ふいに僕の口から溢れてしまった言葉は穂月さんに届いたのか、彼女は扉を開けようとした手をピタリと止めてゆっくりとこちらへ振り返る。
「……やっぱり、バレてたんだ」
彼女がポツリと漏らす。
振り返った時の彼女の顔は先ほどまで浮かべていた可愛らしい笑顔ではない。人形のように無表情で、まるで虫でも見るような無感情な眼差しで僕を見ている。
「どうやったの?ねぇ和視くん?どうやってわかったの?」
「え……?な、なにを……?」
肌を刺すようなビリビリとした視線が僕の身体を貫く。
穂月さんの目は僕に死を連想させて、その根源的な恐怖に身体が縛られる。喉が渇いて声も上手く出せない。
彼女が僕に向かって一歩近づいてくる度に、僕は反射的に一歩後ろに後ずさりしてしまう。
僕は彼女の黒さを知っているから、僕はあの色がどんな色なのかを知っているから。
ゆっくり近寄ってくる穂月さんの姿は僕に死を運ぶ死神にしか見えない。
「和視くんって初対面の時からずっと私のことをチラチラ見てたよね?気づいたよ?昔から男からキモい目で見られて慣れてるから無視して特に気にしてなかったけど。でも最近和視くんは他の男子たちとは何か違う視線を向けてきてたよね。もしかして私のこと監視してたの?ねぇ和視くん、答えてよ?」
それは穂月さんのことが好きだからとは言えないし、それどころかまともに声も出せない。
「私の演技は完璧だったのに。誰にも見抜かれたことなかったのに。あなたなんかに見破れるわけがないのに。どうやったの?どんな汚い手を使って私の演技を見破ったの?」
穂月さんが一言呟く度に、彼女が僕に近寄る度に僕は屋上の柵に追い詰められていく。
穂月さんはブレザーの内ポケットからカッターナイフを取り出してキリキリと刃を伸ばしていく。
「そ、それでっぼ、僕を刺すつもり、です、か?」
「刺す?私が?……ふふ、あはは!」
絞り出すように出た僕の声を聞いて穂月さんは吹き出した。
バカなことを本気で言っている人を小馬鹿にするように穂月さんは僕を見て嗤っている。
「あー、おかしい。和視くんって私が人のこと簡単に刺しちゃう人に思ってるの?和視くんひっどーい!私、和視くんを刺すつもりなんてこれっぽっちもないよ?」
彼女は笑顔で言っているが、目は笑ってない。
恐怖で呼吸が上手くできなくなってきた。目の前が暗くなる。
「だって、そんなことしたらバレちゃうじゃん?刺し傷なんて分かりやすいものがあったらあなたが誰かに殺されたってさ。警察はバカじゃないんだからさ」
もう一歩後ずさりしようとしてガシャンッと柵に身体がぶつかる。これ以上後ろに下がらない。
その間に穂月さんは一歩、二歩と僕と距離を詰めてくる。
「あはは、そんなに息を荒げてワンちゃんみたい……そんなに私が怖いの?」
僕の目の前に彼女は立っている。
恐怖で過呼吸になったみたいにハッハッと上手く呼吸できていない僕を見て彼女は嗤う。
「怖いなら早く答えてよ。和視くんはどうやって私の演技がわかったの?」
「し、信じて……くれるか、わかんないけど。ぼ、僕は相手のかか、感情が、わ、わかるんです。楽しそうに見えるけど、穂月さん、ぜんぜん嬉しいとか、楽しいとかの色じゃなくて、それが気になっただけで……それだけ、それだけ!」
少し脅されただけで僕の口が勝手に動き始めて穂月さんへ命乞いをしている。
「ふぅ~ん?そうなんだぁ?和視くんすごーい。試しに聞いてあげるけど私って何色に見えてたのー?」
完全にフェンスに追い込まれた僕を穂月さんがジロリと見る。ふいにふわりと場違いなまでにいい匂いが香る。たまに漂ってくる穂月さんの匂いだ。それに彼女の吐息まで聞こえてくる。
そのことに気がついた僕の身体の体温が上がる。血流が速くなってドクンドクンとまるで耳元にあるように心臓の鼓動が聞こえてくる。股間にも熱が集まってくるような感覚がある。
どうやら好きな女の子が目の前にいることで命の危機なのに空気の読めない僕の身体がフル回転しているらしい。いや、命の危機だからか?生存本能的なアレだろうか。
いや、そんなこと考えている場合か。
それに例え好きな女の子が目の前にいたとしてもその相手は僕のことを殺そうとしているんだぞ。それなのに幻滅するどころか興奮してるなんて、どんだけ僕の頭はピンク色なんだ。
「ねぇ何色か聞いてるんだけど?」
「は、はい!
穂月さんに詰められて僕はとっさに頭に浮かんでいた色を答えてしまった。
「……へぇーそうなんだー、和視くんっておもしろいねー!」
「あ、いや!違くてっ!ピンクじゃなくてっ!その!ほ、他の色ですっ!とにかくピンクじゃなくてく───」
心底どうでも良さそうに言い放つと誤魔化すためにあたふたしている僕の顔の真横にあるフェンスを乱暴に掴む。
ガシャンッとフェンスが鳴り、その迫力に僕は何も言えなくなる。
「キモいセクハラ言ってないで、さっさと私のことをどこで知ったのか吐け。さもないと───」
しびれを切らしたように穂月さんは僕にカッターナイフを向ける。
まるで蛇に睨まれた蛙のように動けない僕に向かって穂月さんはカチリ、カチリとカッターナイフの刃をゆっくり伸ばしていく。僕の身体は伸びてくるカッターナイフから逃れようと勝手にフェンスの方に倒れていく。フェンスからミシミシという音が聞こえてくる。
───バンッ!!
突然、大きく音を立てながら屋上のドアが開く。
「ゴルァァ!!なぁにをやってるんだお前らぁ!!」
そこにいたのはかなり大柄で、確か野球部の顧問をしている体育の先生だった。
強面の体育教師がズンズンと足音を立てて怒声を浴びるのは恐ろしいが、正直命の危機から脱せた安堵感の方が強い。
どうやら先生からは穂月さんのカッターナイフは見えていないらしく、先生にバレないようにカッターナイフを懐にしまっていた。
「だいたい屋上は───」
チラリと横目で穂月さんを見る。
先生に怒られている時の穂月さんは先ほどまでの無表情が嘘のように申し訳なさそうにしおらしくなっていて、さっきまでの穂月さんとのやり取りは何かの間違いなんじゃないかと思ってしまう。
どうやら下のグラウンドからだと僕らはフェンスに寄りかかっているように見えたらしく、もしフェンスが壊れて落ちたら危ないからと急いで駆け上がってきたらしい。
何でもフェンスの一部が老朽化していて、僕たちがいたところも危なかったみたいだ。
そのことを聞いて、穂月さんは僕をフェンスに追い詰めるようにしたのではないかと思ってしまった。
もし、先生があの時来なかったらどうなっていたのか、僕はまたブルリと震える。
怒られたことには怒られたが、教師からの信頼が厚い穂月さんということもあって、すぐに先生の怒りは収まった。
「ハァ……それで、どうして屋上におったんだ?」
「その、実は彼から告白されてオーケーしたんです!私も和視くんのことが好きだったので、そんな和視くんから、奏くんから告白された嬉しさでつい感極まって抱きついてしまったんです!ね、奏くん?」
「……そうなのか和視?」
穂月さんから僕の方へと先生の視線が移ると、彼女は艷やかな唇をニンマリ歪めて『い・え』と口パクで僕に伝える。彼女の手にはいつの間にか取り出していたカッターナイフが握られており、それを先生に向けている。
先生を人質に取られ、背中に冷や汗が伝う。
僕の回答次第で穂月さんは迷わず先生を刺し殺すだろう。そして、その罪を僕に着せるつもりなのは目に見えている。僕の証言と生徒からも先生からも信頼の厚い穂月さんの証言ならどう考えても後者の方が信頼性がある。もし、僕が同じ立場なら穂月さんを信頼する。
「は、はい!穂月さんに告白するために屋上に呼び出しました!すみませんでした!」
思った以上に声が出てしまったので先生はちょっと驚いていたが、僕の回答が正解だったのか、穂月さんは満足げに笑みを浮かべていて、カッターも持っていない。
「そ、そうか……まぁお前たちが節度ある付き合いをしているのなら何も文句を言わんが、危ないからもう屋上で告白することは止めろ。他の奴も真似しかねんからな」
そう言って先生は僕たちを屋上から追い出して屋上の扉に鍵をかけると、「さっさと帰れ」とだけ言って野球部が練習しているグラウンドに戻ってしまう。
「あーあ、私たち付き合ってることになっちゃったね」
廊下に穂月さんと取り残されてしまった僕に向かって穂月さんは冷淡に言う。その言葉に僕は足が震えてまた動けなくなってしまう。
先生がいなくなってしまった以上、ふたたび穂月さんに命を狙われる危険が訪れたのだから。
だが、目撃者のいなくて逃げ場がない屋上と違って、校舎にはまだ生徒たちが残っているし、逃げ場もある。さすがの穂月さんも大胆なことはできないだろう。
「仕方ないからカノジョとして監視することにするからまた明日ね。ああ、それと危ないから夜道には気をつけて帰ってね、そ・う・く・ん?」
穂月さんはいつもの彼女が浮かべる笑顔を浮かべてそう言うと僕を残して去っていった。
僕が動けるようになったのは彼女の姿が完全に見えなくなってからだった。
それから僕は自転車に何か細工されていないか確認して、家にたどり着くまでも穂月さんがいないか背後を警戒しながら帰る羽目になり、その日は満足に眠ることさえできなかった。
しかし、僕の心は明日から訪れるどうしようもない恐怖感よりも、穂月さんと恋人になれたという言いようもない達成感とあまりにも強過ぎる興奮を強く覚えていた。
続きは思いついたら。