マリラの足は、たまに杖無しで散歩しようと思えば問題ないくらいには回復していた。
とはいえ洗濯などはさせられなかった。
アンがグリン・ゲイブルズを離れたらどうするのか。
ひとまず、心配はいらない。
隣家のレイチェル・リンドが「あたしにまかせときな」と胸を張ってアンを送り出してくれるのだ。
数えるほども語ってないが、レイチェルはマリラの親友だ。
何十年か前、トーマス・リンドに嫁いできて、マリラの手ほどきでその年のクリスマス襲撃に参戦し、晴れて村の一員となった。
子宝に恵まれた。リンド家の子供たちは皆、マリラを第二の母として慕い、強く畏れてもいる。
アンがやって来た前の年に末の息子が西部へ働きに出て、リンド家には、ほどほどに老いた夫婦ふたりが残った。
レイチェルは、しょっちゅう噂話を手土産にグリン・ゲイブルズへも来ていたのだが、アンとはそこまで親しくなったとはいえない。当初は悪気なく嫌味も投げつけた。
だがすぐアンの賢さを認めないわけにはいかなくなる。ブリュエット家から一目置かれる存在になり、マリラのブローチを無事に取り戻したりしたものだから。
この少女は私の育ててきた子供たちとは決定的に違う生き物なのだと、そんな噂を広めてくれる人にすらなった。
アンも、したたかに誘導した。
村の御婦人方には魔法にも思える才能とコネクションで合法的にお金を稼いでいるらしい。その程度の事実はマリラにもマシュウにもレイチェルにも、自然な形で馴染ませておいた。
これだけ頭の良い子なら、村の外でだとできる「いんたーねっと」とやらを駆使して、シェパードさんやベルさんとも協力し合って、いろいろやってても不思議じゃないよね。
その儲けでアンは時々リンド家にもプレゼントを贈ったりしていたのだ。町での買い物を手伝ったことも一再ならずある。
まあ、そんなこんなでアンが州都へ出ていきたいというのなら、グリン・ゲイブルズの家事一切はあたしにまかせな!と。そりゃ言ってくれちゃうよね。
アンは本当に賢い子だ。
思う存分好きなことをするために、あらゆる準備を怠らない。
ちなみに、ご近所さんであるバーリー家の娘ダイアナに対してのレイチェル評は、あまり芳しいものではなかった。
どこかで触れた気もするが、国政選挙ではカスバート家・リンド家は保守党を応援する。旧大陸とのつきあいを大切にし、奢侈はほどほどにと弁えるのだ。
対してバーリー家は自由党。
新大陸人としての進歩的な生き方を好み、もっともっと豊かになりたいと豪語して憚らない。
マリラは、たまたまバーリー家にアンと同い齢の娘がいたから仲良くしなさいと鷹揚に交際を許した。だがレイチェルにしてみれば、ダイアナに対してはついつい嫌味を言わずにゃおれない。
衣裳が派手すぎるわとか。
元気があって良いことだけど、もっとおしとやかでいてほしいわとか。
ダイアナがギルバート・ブライスと付き合い始めてからは、「男漁りしているわけじゃないからふしだらとは言いにくいけど、それにしたってはしたなくないこと?」と勝手にヤキモキしているようだ。
ただの嫉妬じゃないか、若者に対しての。
それにくらべてアンは身持ちが堅くて立派だ、きっと将来すばらしいお嫁さんになるよ。という絶讃が表裏一体で醸成されるわけだけれども、アンは苦笑せざるを得ない。
良き妻として立派に夫を支えるべしなんて何千年前から保守やってんだい。
おまけに異端だ。邪教だよ。悪魔の肛門を舐めるに等しい思想じゃないかしら。
なんてもちろん、おくびにも出さないけどね。
この頃のアンは、ギルバートへの恋愛感情をどれほど持っていただろうか。
多分、ひとかけらもなかった。
ただそこにいただけの男。都会で虐められて、ひきこもっちゃった暗いヤツ。
それでも同級生の中では2歳も齢上だった。体格も立派そうだった。
そりゃ頼りにするだろ。
でもまさか感情を持っていたなんて。
しかもドス黒い。
穢らわしい。
邪な目つきでおれを見てやがったんだ。
ゲテモノ趣味か。
ダイアナとつきあわせたことさえ、今は後悔している。
ダイアナもダイアナだ。
あんなどうしようもない根暗なイクジナシに、少し未練もあるみたいなんだよな。
とっとと甲板から蹴り落として沈めてしまえそんなやつ。
虫酸が走るぜ。
アンは準備を怠らない性格だったから、ギルバートがクイーンズへ合格したらどこへ暮らすつもりかと調べておいた。
実家は裕福だから選択肢は広かったが、男子寮はさすがにトラウマ再発のおそれが高いので、賄い付きの下宿を探すつもりらしい。
ダイアナは女子寮に入る予定でいるそうだ。
入寮者の同伴であれば女子なら入っていけるとのことなので、アンは時々寄らせてもらおうと考えている。世の女子大生がどんな赤裸々トークをするものか。楽しませてもらおうじゃないの。
なにひとつ無駄な経験にはならないはずだ。
早く来い来い学園生活。
まったくね、男とつきあってストレス溜める余裕なんて無いんだよ一瞬たりと。