緑きりつま、赤毛きたれり   作:ひねもす@HAMELN

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§118.エチュードとアドリブ

12月に入った。今年のクリスマス襲撃先はビディフォードに決まる。

「どこなんだ?そこ」

「プリンス郡だそうだよ。レノックス島の近くだって」

「ずいぶん西まで行くんだねえ。政治家の注文なのかな?」

「そうかも知れないけど、去年はサマーサイドで盛り上がったじゃないか。あれより派手にゃやれないって辞退した町が多かった説もある。それで最僻地が選ばれたんじゃないかな」

 

今年も行くの?とダイアナはアンにチャットで尋ねた。

 

アン「それどころじゃない。パス」

 

ダイアナ「忙しそうね。おばあさまの新作がますます楽しみだわ」

 

アン「おれは思い知った。小説家のアシスタントになんか、なるもんじゃないと」

 

ダイアナ「ああ。つらいと聞くわね」

 

アン「ちっ。早く言えっての。おまえの夜の副業の方がずっと実入りがいい。むかつくぜ」

 

ダイアナ「おほほ。こちらは楽しくて楽しくてたまらないわよ」

 

アン「金持ちの愛人になれって毎晩口説かれてるんだろう」

 

ダイアナ「まあね。その躱し方も上手くなったわ。今度コツを教えてあげる」

 

アン「あいにく使う予定がねえ」

 

ダイアナ「マチルダとは会えた?」

 

アン「そっちは暗礁に乗り上げてる。ファージングのガードが堅すぎてなあ」

 

ダイアナ「あたしが口説いてみよっか」

 

アン「どんなシナリオで攻める気だ?」

 

ダイアナ「シナリオかあ。あたし、エチュードとアドリブはだんだんわかってきたけど、シナリオを考えるのって、たぶん頭の使い方が全然違うんだよね」

 

アン「うーんと。つまり?」

 

ダイアナ「役になりきるじゃない。なりきると、そのキャラクターが考えそうなことは自然と口から出てくるんだけど、相手のセリフをまったく想像できないのよ。日常よりも他人のことがわからなくなるの。

没入感に支配されるっていうのかしらね。演じるって行為の到達点がそれじゃないかしらって最近は思うの」

 

アン「へえ。え、もうそういう仕事始めちゃってるのか?」

 

ダイアナ「パブのスタッフにはアクターやアクトレスの兼業が多いし、お客でよく演出家とか興行主も来るからよ。

イメージにぴったりの役者が見つからなければアビグウェイトのギズへ行け。そんなセリフがブロードウェイでは口から口に囁かれている、なんて噂もあってね」

 

アン「嘘くせえな。

ともかく頼めそうなことがあったら頼むかもしれない。そのときはよろしくだ」

 

ダイアナ「友情出演で半額にしといてあげる」

 

アン「実績つくってから抜かせ」

 

なんと、ダイアナはすでに何度もオーディションを受けていた。一回ごとに先輩やマネージャーからのコツ伝授を受けて臨み、終了後も再現と分析の時間をみっちりと設けて。

一般視聴者は完成され公開されるたったひとつのヴァージョンしか知り得ないが、その形をこれからつくる段階で、スタッフ・キャスト全員がイメージを共有しておくことは不可能に近い。

ダイアナの経験した範囲で述べると、オーディションを受ける者には「シナリオから抜粋されたセリフの断片」が事前に配られる。どんな状況で、どんな人物が、どんな表情や抑揚でこの言葉を吐き出すのか。

わかるわけがない。

演者は、原作があるというならまずは読み、想像力を駆使してイメージをつくりあげ、当日まで試行錯誤を積み重ねてオーディションに臨む。自分なりに完璧な演技ができたとしても、プロデューサーやディレクターの求めていたイメージと離れていれば、残念だけれど失格となる。

制作の規模にもよるが、一日で何十人も何百人もに同じ演技をやらせるのだから、選ぶ方だってヘトヘトになるさ。

さんざ準備して臨んだのに、しかめっ面で品定めされ、そんな数分を過ごしただけで一日の予定がまるまる潰れる。

これが役者の日常だよ。

まずは、それに、慣れること。

レッスン以前の心構えなのだが、大手の事務所ほど金ヅルを失望させたくないものだから、こんな試練はカリキュラムの最後までやらせない。

ギズは一番キツいパートを最初にくぐらせておく方針だ。案外正しいのじゃないだろうか。ダイアナは面白いと感じたし、エンターテインメントを完成させるまでの道程に幻想を抱かなくなった。

オーディションへ行けば行くだけ、準備する過程で、なりきれるキャラクターのヴァリエーションが増えてゆく。今はストックを増やしていくことそのものが、ただただ楽しかった。

いつかこの中の一粒でも、芽を出して茎を伸ばして花開かせ、蝶や蜂をいっぱい惹きつける日がくるんだろうか。

それを見たいから、せっせと畑を耕して、種を埋めて、水を撒く。

素人農夫にゃ当然の日常だよね。

オーディション会場には、悲愴なオーラを漂わせてガチガチの覚悟でやってきて、終わると泣いて帰っていく人も多いのだけど、ダイアナにはむしろ、そちら側の人たちの気持ちが理解できなかった。

どのみち演技のことを考え始めると没入感に支配されるから、ますます他人のことなんてどうでもよくなってきちゃうんだけれども。

 

そのうちリクエストが届いた。

あの娘にこんな役をやらせたいと、直々のオファーだ。

ダイアナは承諾した。

 

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