緑きりつま、赤毛きたれり   作:ひねもす@HAMELN

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§120.シークレット・エージェント

アンとマチルダの再会は15分足らずだった。

外気は冷たかったし、両親が心配するからというので、自宅近くまで送って、別れた。

 

翌日、同じように窓の外から合図する。

アイ・コンタクト後、20分ほどして出てきた。

10分ほど散歩して、見送る。

アンには話したいことも尋ねたいこともたくさんあったのだが、マチルダの疲れがひどかったので、慮った。

 

数日おいて、三度目の挑戦。

マチルダはリビングでテレビを見ながらアンに小さく手を振るが、出てこようとしなかった。

 

四度目は、マチルダの姿がなかった。

ミンチンへ戻ったのだろうか。

それで、アンもシャーロットへ帰還することにした。

 

ダイアナは年末のうちにハリファクスへ旅立った。

「うそでしょ」

「まじかー!」

「朝言ってたこととちゃうやん」

みたいな短いチャットが時々届く。守秘義務とも戦っているのだろう。

叫んでいるうちはまだまだ大丈夫だと信じておいてあげるべきか。

 

アンは普段、マダム・クラリスのアシスタントをしている。

この業務が、帰省していた間にずっしり溜まっていて、嘔吐しかけた。

ともかく片付けていこう。

 

アンは一昨秋、コッパー・ビーチズでクラリスからスカウトを受けた。

ミステリ作家の住み込みアシスタントなんて面白そうだと妄想が止まらなかった。

州都の市街地図を完全に頭の中へ入れ、事件の火種を嗅ぎつけて第一発見者よりも早く到着し、状況を隅々まで観察してレポートにまとめ、作家に役立ててもらえるようファイリングしておく。そんなイメージを抱いていたものだ。

今思えば、クラリスがそのように仕向けていた気もする。そこまでするから現役を続けていられるのか。まったく、一行目から油断ならないぜ。

蛇足だが、アンが思いこまされていたような担当はシークレット・エージェントと呼ばれ、別にいる。

アンに向いている分野だってあるだろう。しかしあのときクラリスが求めていたのはアシスタントだったので、ジョブチェンジは次の機会を待つことにしようじゃないか。

 

それでは仕事だ。

出版社からの小包をほどく。ファンレターの山。いずれも開封済み。

読んで、一通ごとに返書を作成するのがアンの仕事のひとつ。

文章はテンプレートから組み合わせて調整を施すのだが、何通も続けていくと混乱してくるので、ちょっとずつ片付ける。

ファイルに入れ、クラリスへ提出。

OKであれば直筆サインが入るので、封緘して郵便物のボックスへ溜めておく。

添削メモがついていればその通り修正するが、やっぱり前の方がいいわと返されることも多い。

本業である原稿執筆が捗っているときは何日も放置されたりするので、修正の往復が増える危険が高まる。

憎たらしくなってくる。

しかし苦情はバチあたりだ。ファンレターには、出版社で処分されるものも多い。作家のもとには安全で心温まるおたよりしか届かないのだ。

当然だろう。しかしそれでも、つらいものはつらい。

毎日スイーツばかり食べていられるか。

贅沢かしら。

せめて叫ぶ。

「さっき言ってたこととちゃうやん!」

どうだダイアナ、こっちだって大変なんだぞ。

 

合間に、雑誌を読む。

あらゆる出版社のいろんな雑誌編集部からいちいち最新号が送られてくるばかりでなく、警察や法曹界、文芸論壇のプロからアマチュアまで様々な会報が届く。

マダム・クラリスの場合は建築や設備系の業界誌も含まれる。購買なんてしていないのに。

小説に詳細な描写が出てきて、この作家は我々の分野に通じているぞと噂が立てば、団体が宣伝目的で発送リストに加えちゃうのだ。

業界誌なんて大半が広告だし、出稿している企業だってあわよくば次回作に使ってくださいと下心丸出しで分厚いカタログを毎年送りつけてくる。

1回目は出版社が処分してくれる場合もあるが、2回目からは自動転送。

わざわざ受取拒否して、この転送記録を相手方に知らせることもまた愚か。

さてアシスタントは、これらゴミの分別と廃棄を実施するのだが、その前に一応全ページ確認して作家の名前が勝手に使われていたりしてないかチェックするというプロセスを要求される。

うそでしょ。

まじか。

やってられんわー。

あたりまえだが新作の執筆が最優先なので、それを邪魔するすべてのノイズを一身に引き受け作家の戦闘領域を確保することがアシスタントの使命だ。

つらいにきまっておろう。

 

余裕ができればミンチン・スクールへ偵察に出かけたり、それについて相談をしたりといった時間もつくれるが、アンもだんだん仕事のコツを呑みこんでスキルが高くなってくると空き時間にやっておかねばならないことがいくらでもあるので、暇なんて生まれないのだ。

加えて、マチルダの控えめな拒絶反応が、重くのしかかる。

彼女を救い出せばハッピーエンドという幻想は砕け散ってしまっている。

今ではミンチン・スクールまで行ってこようと思う気力も萎え気味だ。

このままマチルダを忘れろということか?

それは絶対に違うのだが、どうすればいいのかわからなかった。荒療治を承知でマチルダを攫い、この邸で本だけ与えてリハビリさせるべきか、一刻も早く。

 

……なにをしたいんだ、おれは。

それこそマチルダとの友情を完全に破壊してしまう行為だぞ。

叫ぶことすらできなくなったマチルダを治したいんだ。

まだ、まだ手遅れじゃないはずだ。

 

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