ハナのパナデリア。
ウォーター・ストリートの一角にたたずむ。
早朝から芳醇な香りを撒き散らしてくれるので、ご近所さんたちも恨めしそうに早起きをする。
店構えは大きくなく、朝・昼・夕方のラッシュアワーごとに棚の品がすべて無くなる。
亭主は休む間もなく奥の竃でパンを焼き、女房が店に並べ、少女がせっせとレジを叩く。
特徴のひとつに「現金推奨・小銭歓迎」という張り紙があり、チャリーンという金属音が響くたび、女房と少女が元気よくサンクス・フレーズを奏でる。ハイトーンとミドルレンジのアンサンブルが絶妙で、その声聴きたさにわざわざ硬貨を用意して通う常連客が途切れない。
優秀なコンサルタントだったら許しておけない手間暇だ。
現金取引では中間搾取がしにくいし、売り手と買い手を広告で繋ぐというビジネスモデルだって成り立たない。
だからこそ是非ともこの店を口説き落とそうと電子マネーの営業屋が次から次へとやってくるのも常態化。
混雑が終わったひとときに「ああ今日も買えなかった」みたいな表情を浮かべながら入ってきて、評判の名店であることを絶讃してから「もっとお店を大きくしてみたいと思いませんか」と純朴な牧童の如き仮面を見せつけつつ切り出すのである。
今日こそは買えますようにと一分一秒を惜しんで会社から駆けてくるお客様たちを愚弄しているとしか思えない態度だよね。なんて言ってもわかんないんだろ、おまえたち。
どこかで演技力ってものを学んできな。
サラ・クルーはパナデリアの前を通るたび周囲を見渡し、あの娘に会えないかしらと捜した。
いつも、ひもじそうだった。
毎日のことだったから、さすがに放っておけなくなる。少女、女房に一言断って店の外へ出ていく。
少女「ちょっと、あんた。
そばかすの友達だろ?あいつを捜してんの?
違ったらごめんよ」
サラ「えっ。あっ。その……ごめんなさい。失礼しました」
サラ、慌てていたので転びそうになる。
パナデリアの少女、すかさず手を伸ばし、支える。
少女「とって食いやしないよ。
それより随分やせっぽちじゃないか。パン、好きかい?」
その言葉に不随意筋が反応して、ぐう、とお腹が鳴った。カラダはなんと正直か。
サラは真っ赤になって逃げようとする。が、足に力が入らない。
少女「やれやれ。おい、あたしの名前はトモリル。トモリルだ。言ってごらん」
サラ「え?え……と。トモリル」
トモリル「よし。よければ、あんたの名前も教えてくれ」
サラ「……サラ。サラ・クルー」
トモリル「ヒュウ。かっこいい名だね。サラ。
よし、たった今、サラとトモリルは、そばかすを挟んで友達になった。いいか?」
サラは硬直していた。
息を整えながら考える。そうか、この人は、トモリルは、そばかすの友達なんだ。
だからあのとき、クォーター1個でパンを6つもくれたんだわ。そうだったのね。
……なあんだ、そうか。
解けない算術のつもりで考え続けていた自分があまりにも愚かで、サラは笑いだした。
いったん笑い始めると、おかしくておかしくてたまらなくなり、止めようにも止められなかった。
ごめんなさいと思いながら、トモリルの体にしがみついて、全身を震わせながら、それでもできるかぎり声は押し殺そうと努力しながら、ミンチンへ預けられた日以来初めて、心の底から、笑った。
トモリル「……おちついたかい。
ああもう、ビショビショだ。
塩分もだいぶ出ちまっただろう。ほら、今度はちゃんと歩けるな?
よし、いいか。よく聞け。逆らうなよ」
トモリル、ポケットから硬貨を一枚取り出す。50セント玉だ。それをサラの掌に押しつける。
トモリル「いいか。よく聞け。
この金は、あたしがサラに、友達だから貸すんだ。
じゃあ、そろそろ店へ戻らなくちゃならないから、あばよ。あたしがカウンターに立ったら、その金でパンを買いに入ってこい。いいか?
明日からも友達でいたかったら、ちゃんと今言った通りのことをするんだぞ」
トモリル、店へ戻る。
女房に礼を言ってレジの中へ立つ。
サラ、おどおどしながらではあるが店へ入っていき、まっすぐトモリルの前へ向かった。
トモリル「いらっしゃいませ。お代はそちらへ」
金属製の深型トレイ。まるで犬の餌を入れる椀のような。
静かに置くのも変な気がして、真上から落とした。
チャリーン、カラカラと鳴る。
トモリルと、奥で仕込み中の女房「ありがとうございましたー」と息の合ったアンサンブル。
呆気にとられるサラに、トモリル、紙袋を差し出す。
この前と同じだ。ロールパンが6個も入っていた。
トモリル「倍だから12個よこせなんて言うなよ。
さ、これ食いながら、とっとと自分の仕事をすませな。
今日は遅れたから、こってり絞られることだろうな」
サラ、我に返り、あわてて礼を述べ、出ていこうとする。
うしろから、トモリルの声
「もし、そばかすに会ったら、ここにも顔を見せろって言っといてくれ。ったくどこのパン屋に浮気しやがってるんだか!」