高層階のカフェ。
大きな窓からは、大西洋。その先に水平線を眺めることができる。
アビグウェイトでは愉しむことのできない風景だ。
齢の差離れたカップルが、寄り添いながら朝食を摂っていた。
ジェイムズ・シェパード「この座り方は、不自然じゃないかね」
ダイアナ・バーリー「そうかしら?
でもあたし、まだまだあなたが怖いもの。向かい合わせでじっと見つめられるなんて緊張するわ。
こちらの方が、おちついていられるの」
シェパード「どこで覚えたのかな、そんな男殺しのテクニック」
ダイアナ「ねえジム。率直に聞かせて。あたしにスパイの素質ってあるかしら?」
シェパード「素質なら、あると思うよ」
ダイアナ「でもアンには敵わないでしょう?」
シェパード「彼女は規格外だ。そんな躊躇いを見せることなく、盗むし殺すし焼く。まさか張り合おうなんて思っちゃいないだろう?」
ダイアナ「でも嫉妬はしています。将来どれほどの大物になることかと。
ジムが、ビジネスパートナーとしてアンにどれほど強い信頼を寄せているかも、ずっと見てきましたから。
ねえ。ジムはアンのことを、女として見ているんですか?」
シェパード「何を言っているのやら。僕には幸福な家庭がある。壊さないでほしいな」
ダイアナ「へえー。幸福な家庭を築く秘訣って、なんですか」
シェパード「危ない橋を渡らないことだ」
ダイアナ「うそつき」
シェパード「やれやれ、ひどいね。ところで芸能生活は楽しいかい」
ダイアナ「世間知らずになっちゃいます。
めまぐるしく、いろんなことはしているんだけど、実はずっと夢の中でドタバタしてるだけなんじゃないかなって不安になるんですよ。
せめてお休みの日は、こうしてお外に出たいですね」
シェパード「安心したまえ。どんな仕事を選んでも、そんなの似たようなものだ」
ダイアナ「そうかなああああ。
ねえ、シェパード商会って人材派遣業もしているんでしょう?
あたしは、手当たり次第でいいから、いろんなことをやってみたいんです。アンにも起業するときは声をかけてねって言ってるんだけど。
シェパード商会では、エージェント養成コースみたいな分野も手掛けてたりしますか?」
シェパード「ひどい誤解をされているようだ。僕たちの仕事はそんなロマンティックなものじゃない。
むしろ芸能界で、のし上がっていきたまえよ。
波に乗り続けていられれば、様々な生きざまや死にざまを疑似体験できる。君が求めているのは、むしろそんなジョービジネスの舞台じゃないかという気がしているんだが」
ダイアナ「芸能界なんてピンとこないんですけどね。むしろスパイとは真逆じゃないですか」
シェパード「目の前の相手を、ひいては世間全体を、いかに騙し通して逃げきるか。という点では似ていると思うよ。
失敗すれば一方では拷問や陵辱、他方では大衆による集団リンチが待っている。努力に見合った報酬なんて永遠に手に入れられないところも同じだね。
せっかくデビューの目前まできているのだから、もう少し走ってみたまえ」
ダイアナ「ふむう……なるほど。たしかに、そうかもしれませんね。
じゃあ放送されるまで、もうちょっと働くことにするかあ」
シェパード「明かせる範囲で構わないんだが、どういったドラマを撮っているんだい」
ダイアナ「下品なお色気コメディですよ。
あたしはメイドの一人なんですけど、ヒロインがとにかくおバカで、毎日貞操の危機を迎えるんです。それをメイドたちがあの手この手で守ってみせ、たぶん最終回には初恋の男に処女を捧げてハッピーエンドという展開です」
シェパード「随分とまあ……幼稚だな」
ダイアナ「ほんとですよ。少しはイマドキの若者から最新性事情を学んでこいって思います」
シェパード「現場は、おじさんばかりかい」
ダイアナ「やさぐれたメスならそこそこいますよ。若い男になると枯れ草よりも弱々しいのばかりですね。
一番元気いいのは40代から50代のおじさんで、昼間はずーっと笑っていて、日が沈むと少し真面目になります。
もっと年配の、たいてい背広着てる人が、いつも入れ替わり立ち替わり見に来ますけど、あからさまに現場でセクハラしてきたりは、思ってたほどは、しないかなあ。
こんなギャラリーが微動だにせず見てる前でカメラが回ってます。
セットは埃臭くて、照りつけるライトが眩しくて熱くて。換気悪いから黙ってても息苦しいのに、そんな中でショーツ見せびらかしながら、同じセリフと踊りを何度も何度も何度も重ねてるうちに日付が進んでいるんですよ。
いったい何のために生きているんだろう自分は。って、なさけなくなっちゃいます。
お休みの日にはダンディな恋人から一日中ナデナデしてもらうんだあ。って心の支えでもないとやってられないですね。芸能人なんて」
シェパード「そこまでとは思わなかった。スパイよりずっと過酷だ」
ダイアナ「そうなの。だから、この仕事をやりとげたあとでなら、スパイなんてチョロいと思うの。
あたしシェパードに雇われたい。
真剣に、考えておいてくださらない?」