緑きりつま、赤毛きたれり   作:ひねもす@HAMELN

135 / 190
§135.豚にハムレット

6月、学生たちは夏休みに入る。

 

Mことサリー・マクブライドはプリンス・アルバートの実家へ帰省すると言って、パブの仕事をひとまず辞めた。

Nことジュディ・アボットには帰る家がないけれども、裕福な家で夏の間だけ娘2人の家庭教師を住み込みで勤めるという美味しい仕事にありついて、やはり、パブには来れなくなるのだと言っていた。

 

代わりに新しいホステスが何人か雇われる。

わざわざ大学に申告などしないけれども、とくに予定のない若者にとっては稼げて社会勉強にもなるという、こういった夜の店は人気があるものなのだ。

いいんじゃない?

 

クラリスは、ダイアナの噂でもちきりだった春先の頃ほど頻繁には通わなくなっていたが、来るときは必ずアンを同伴させた。有名人のサインを欲しがるクドい男を追い払うのに役立ったし、帰宅後に娘たちの品評会をする上でも観察眼に秀でていたからだ。

アンだって、自分よりちょっと齢上の美女たちからかわいがられて気持ちよくないわけがない。喜んでついて行き、期待されるポジションを完璧につとめあげてみせるのだった。

ね、いいんじゃないすか。

 

新顔の中に、興味深い娘がいた。

源氏名はプリシラ。

児童向け教育番組の制作スタッフだという男性客Qと、彼女との他愛ないおしゃべりから、まずは聴き耳を傾けてみよう。

 

Q「パパママや乳母たちからのリクエストに従えば、子供のためにつくる番組とは、聖書の教えにどこまでも忠実な教訓集とか、我が邦の立派な偉人伝であるとか、ポップな童謡に乗せた犬猫イルカの映像であるとか、そんなのばかりになってしまうんだよね」

 

プリシラ「子供たちにそういう模範的な番組しか見たがらなくさせるための手段なら、ありますよ」

 

Q「子供たち自身は、卑猥で暴力的で刺激に溢れるものを好む。意味不明なものにほど、食いつく。

たまにそんなコンテンツがあらわれて、大きな話題となって、世間の良識に潰されて消えてゆく。

歴史は永遠にそれを繰り返しているんだ」

 

プリシラ「子供たちは、大人が慌てふためいて隠したがるから面白がるんですよ。

必要なのは、本気であるかどうか。

貪欲にそこへくらいつくなんて、純真だからこそできる特権ですね」

 

Q「僕たちはいったいどんなコンテンツをつくればいいんだろう。

現実のところスポンサーは大人ばかりだから、かれらの意に沿うものしか企画は通らない。作品が完成しても、子供たちの心には届いてないことを毎回思い知らされる。

手応えが無いんだ。くやしいよ。

とてもくやしい」

 

プリシラ「妻からも娘からも愛されたいと願うパパが、一つのプレゼントで二人を同時に喜ばせようとしているのかしら。

もっと単純な正解がありそうに思っちゃうんだけどなあ」

 

あの娘は児童心理学でも専攻してるんでしょうか、とアンはクラリスに耳打ちする。

本人に訊いてみたらいいんじゃない?というわけで、指名してみることにした。

 

プリシラ「クイーンズ・カレッジはもともと女子のための専門学校なので、在学中にとれる資格も卒業後の進路も、まだまだ狭いなあって感じます。

実績が少ないんですよ。それでも教員免許くらいとっておくかと思って、ひととおりのカリキュラムは選択してるんですけど。

……児童心理学かあ。

その道の権威たちは、子供がまじめに書いた論文を、商売敵の作品だとは考えて読みゃしないでしょ。かれらの講演を履修したって、自称教育家の心理しか学べませんよ」

 

クラリス「そうね。人殺しの心理を知りたかったら自分で殺してみるしかないのに、ミステリを読んで私は考えた、とか言ってるようなものだわ」

 

プリシラ「マダムはこれまで何人殺してきたんですか?」

 

クラリス「意味のない質問ね。もう少し愉しませて」

 

プリシラ「失礼しました」

 

アン「学ぶっていうのはなんとなくわかるんだけど、教えるってピンとこないな。

犬や猫に、この場所以外でウンチをするなって覚えこませるみたいなものですか。

それ以外の行為をするたびに不快な刺激を与え続けてりゃ、そのうち学習するでしょう。

それを専門職にして収入を得ることも可能ですよ。……という話?」

 

プリシラ「まあ、そんなもんです。幼児を親から預かって、反抗心を生じなくさせるまで躾けるんですよ。

けっこう重労働だし、たいていの親は子供抜きで遊ぶ時間を欲しがるから、この矯正ってやつを金払って委託するんです。

だからまあ、商売としては、成り立つ」

 

アン「さっきの客いたでしょ。ああいうのに、もっとましな発想を教えてやるって可能ですか」

 

プリシラ「不可能とは言いませんが、豚にハムレットを演じさせるに匹敵する時間と労力、もちろんコストもかかるでしょう。商売になりませんね」

 

アン「ああ。子供を教育することはできても、大人になにかを教えるなんて、絶望的に無理ですものね」

 

プリシラ「その通りです。子供相手だから、かろうじてお仕事にできるんですよ」

 

クラリス「大人相手なら、教育なんてまだるっこしいことしないで、殺すのよ。ターゲットを選んで、そいつが死ぬことを願っている人物に対して営業を仕掛けるの。

教育産業よりずっとパイの大きい市場よ」

 

プリシラ「はっ。い、今からでも、そっちの業界へ、進路変更なんて、で、できないかなあ。したいな」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。