アン、交通事故を目撃する。
左右で二車線の路地。人通り多め。看板多く、視界良好とは言い難い。
その交差点には信号が無かった。
西から東へ向け、一台の乗用車が時速50マイルくらいで突っ込んでくる。
南からも少女が慌てて走ってきていた。西陽が射していたので、左側をよく見てなかったのだろう。ぶつかった。
少女、撥ね飛ばされる。
車の運転手は一瞬急ブレーキをかけ、鬼のような形相で体当たりをしてきた動物を凝視した。が、停まることなく走り去る。
アンはその男の顔を記憶に焼き付けながら、後方の地面に叩きつけられた少女へも視線を向けた。
大きなバッグに裂け目が開いて、中の荷物が散乱しているけれど、これが衝撃を緩和してくれたようだ。
足元から出血。
あとは駆け寄る人々に隠れて見えなくなった。
叫び声が飛び交っている。
よし、警察が来る前にずらかろう。
モラリストは国家警察を無条件に信頼する。まさしく思考停止症候群の一例であるが、強い者に逆らわぬべしという行動原理なのであれば、ナチュラルな順応主義とも言えよう。
しかしアンにとって警察とは、常に自分や仲間たちを狩る存在だった。強いし、しつこいし、何を根拠にしてか知らんが我こそは正義なりと信じて疑わない、厄介な天敵だ。
仮に目撃者がアン一人きりだったとしても、関わり合いはまっぴらさ。
それよりも、阿呆にゃできない仕事が生まれた。
さっきの運転手をつきとめよう。
困っているなら助けてやれるし、そこから無限のビジネスチャンスが拡がっていくだろう。
善は急げだ。なにごとも、初動が肝腎。
テレビや新聞も当夜からこの事件を話題にして警察を応援し、市民からの情報提供を募った。
翌日には乗り捨てられていた乗用車が発見されるが、盗難されたもので、指紋なども採取できなかったという。
被害者は大学生。シャーロット市内でアパート暮らし。搬送先の病院で治療中。両足を複雑骨折しているほか、記憶や思考にも軽度の損傷がみられる。
政治家は行政に信号の設置を要求。以下、だらだら。
アン「マダム。ここから先は、どう捜査していったらいいもんでしょうね」
クラリス「誰の立場で?
警察視点でも、出世の懸かったキャリアか、現場の熱血警官なのか、検察局との調整担当かによって、できることとしたくないこととの差は烈しいわよ」
アン「じゃあ、誰よりも早く犯人に接触して、うまいこと稼ごうとたくらんでいる私立探偵という設定で」
クラリス「窃盗・傷害・隠匿と、まだまだ余罪もありそうな犯人だから強請り甲斐はあるかもしれないけど。そういう男が普段行きそうな店でもふらついて、客を観察してればいいんじゃない?」
アン「何十人もの捜査員が地道に聴き込みをして回るけどドラマでは一瞬でショートカットされちゃう、そんな過程ですね」
クラリス「そうね。一般読者をつきあわせる場面じゃないわ。
でもリアルでなら役得もあるわよ」
アン「警察なら税金使って無駄なことでもやり放題だけど、私立探偵の財力じゃあ無理です」
クラリス「もうギヴアップ?
ところで稼ぐことが目的なのであれば、今回は犯人を狙うより被害者に注目するべきでしょう。
女子大生が突然の事故で人生設計を大きく修正する必要に迫られた。こっちを追う方が確実性高いのじゃなくて?」
アン「それは小説家あるいは感動系ルポライターの視点ですよね。
うーん、そういうジャンルしか読みたがらない一定層への需要はあるんでしょうけど、おれは書きたくも買いたくもないんで、無理っすねえ」
クラリス「お涙ちょうだい節は、私も初めて書いてみるまでは苦手意識を持っていたんだけれど、コツがわかってからは楽しくなったわ。
しかも、その次に書くミステリが必ずヒットするの。
作家にとって適度なストレスは最高の有機肥料なのよ」
アン「そういうもんですか。フム、言われてみると娘の方にまったく興味を抱かなかったのは不覚でした。
ん?
シャーロットで大学生ということは、33%はクイーンズの可能性ありますか」
クラリス「あらあら。もう調べてあるわよ。
クイーンズの一年生。18歳。
名前はパレアナ・フィテア。ご実家はベルデングスヴィル」
アン「州民ですか。ドイツ系の移民が多い町だったかな?」
クラリス「アンが男の方を追っていたから、私はこっちを攫ってみたんだけど。
どうもインスピレーションには結びつかなさそうだから、あげるわ」
アン「はあ。とはいってもおれ、小説なんて書かないですけど」
クラリス「あなた自身が書く必要はないのよ。
アンを放し飼いにしておくと、いろんなものを手に入れてきて戦利品を並べてくれるでしょう。それを見て私が、作品の彩りに加えていくの。
有能なアシスタントなのよ、あなたは。とっても」
アン「はは。有機肥料よりも上でありたいですね。
それなら、せっかくですからパレアナ・フィテアに接触して、面白いことができないか探ってみましょう。
あれ……
こいつも、犯人の顔、見てるはずだよなあ」