緑きりつま、赤毛きたれり   作:ひねもす@HAMELN

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§145.これみーんな、愛

ダイアナが帰ってきた。

まだ大学は始まらないので、8月中はコッパー・ビーチズで暮らす。

 

さて最初の大仕事はギズ・エージェンシーへ詫びを入れにいくことだが、すでにマダム・クラリスは身支度を整えていた。

アンはタクシーを呼ぶ。

ギズの事務所で、契約の修正について協議。

クラリスはほとんど口を出さず、その隣でダイアナが直接、すべての交渉を進めた。

アンは建物の外で、マダムのブローチから送られてくる音声を録音し、サマリーを作成する係だ。

 

ダイアナはパメラの出演以降はサインを拒絶していたので、契約違反や逸脱行為は発生していない。おかげで終始なごやかに対話が弾んだ。

自分は、本来ならばやっと高校に入る年齢なのだし、休学しているカレッジへの未練も断ちがたい。不朽の傑作と名高いジェーン・エアを演じさせていただける機会を与えられたことに感謝は尽きないが、自信は無いし畏れ多過ぎて情緒が不安定になってしまうので、充電期間をいただきます。学業を妨げない範囲でパブの仕事も続けつつ、普通のオーディションへも参加いたしますので、今後とも御指導御鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

 

事務所の幹部たちが真に受けたとは思わないが、ダイアナやクラリスとの縁が切れるわけではないことに寧ろ安堵しただろう。ふたりは見送られて出てきた。

さて、騒がしくないレストランで戦略会議にとりかかりましょうか。

 

ダイアナ「百科全書の芸能界版をつくってみたいわ。

たとえば、約束とは。

実現しそうにない事を口先だけでさも出来そうに言うこと。未熟者を拘束する一手段として有効。

とかね」

 

アン「……ブラギングじゃなくて?」

 

ダイアナ「芸能界ではね、なんでもお上品に、かつシンプルに表現するの。

虐待・迫害・制裁・陵辱・暴行・讒謗・難詰。これみーんな、愛と称するのよ。

覚えておきなさい」

 

アン「メモするまでもないな。ボキャブラリーがどんどん退縮してしまわないか?」

 

ダイアナ「チッチッ。そんなこと気にしてるうちはトーシロだよ。

わかるでしょ?考えちゃダメ。感じるの。

一番バカな奴を悦ばせてればいいの。

それが芸能界で生きていく、唯一絶対の真理。地上すべての夢見る子羊ちゃんに教えてあげたいな」

 

クラリス「9ヶ月もよく耐えたわね。気のすむまで吐き出しなさい。

アンにいくらでも八つ当たりして構わないわよ」

 

ダイアナ「やったあ、おゆるしが出た」

 

アン「マダム、ひどいですよ。おれがいったい何のミスをしたっていうんですか」

 

クラリス、不機嫌そうに肉を口へ運ぶ。噛みしめながら笑顔になり、そのまま眼差しをダイアナへ向ける。

 

アン「……」

 

ダイアナ「そうそう。今日これからサロンへ行ってきます。

髪、思いっきりショートにするわ。フライデイのイメージを完全に捨てて、パメラの噂をされなくなるまでキャラチェンジ。

なので、びっくりしないでね?おばあさま」

 

クラリス「それなら服やバッグも一新しなくちゃでしょう。お金はあるの?」

 

ダイアナ「ある分で間に合わせるつもりだけど、ご融資いただけるなら、よりスタイリッシュにキメてみせます。おばあさま」

 

クラリス「アンの口座に、来月分の給与を振込んでおくわ。そこから支払わせなさい」

 

アン「……」

 

ダイアナ「よし、アン。コーディネーターとポーターもお願いね。

一緒に街を歩くのも随分久しぶりじゃない?新しいお店も増えているみたいだし、極上のエスコートを期待しちゃうわよ」

 

一旦帰宅し、装備を整えて、ダイアナとアンは街へ繰り出す。

先程あからさまに除け者扱いされたことを引き摺っていて、アンは塞ぎこんでいる。

ダイアナはしばらく脈絡のないお喋りを勝手に続けていたが、不意に話題を切り換えた。

 

ダイアナ「ところでアンって、おばあさまが原稿を書いているときは絶対にお邪魔しないんだっけ?」

 

アン「え……ああ、執筆中か?しないよ」

 

ダイアナ「じゃあ、今、何を書いているところかも知らないんだ。

ほんとに?全然?」

 

アン「知らないね。

春先にあの人、センシティヴなジュヴナイルをいきなり書き始めたことあって、そのときだけは読ませてもらって、いろいろ意見したりしたけど」

 

ダイアナ「へえ。じゃあ、さ。見るに見かねて今からちょっとだけ変なことつぶやくけど、聞き流したあと忘れてほしいの」

 

アン「?」

 

ダイアナ「最近になって急におばあさま、アンにつらくあたるようになった。

今日も、冷たかったよね。殺意すら滲んでた。

当たってる……かしら?」

 

アン「暑いなあ。どこかで座って水分補給でもしないか」

 

ダイアナ「それにはちゃんと理由があって。

まあ、ぶっちゃけ、今書いてる原稿が上がったら、元のおばあさまに戻るわよ。

だから、もうちょっとだけ辛抱しててねって話。おしまい」

 

アン「……なにか言ってたか?聞いてなかった。でも、礼を言う」

 

ダイアナ「よし。じゃあ、あたしを信じてもろて。それでは君の口座に入ってる全財産を使いきるぞこれから。いいかな?」

 

アン「それはさすがによくねえよ。払わせたいならもうちょっとヒントよこせ」

 

ダイアナ「その新作……新作?まあいいか、新作としておこう。

主人公はアン・シャーリーという娘なんだが、この作品の印税および映像化・舞台化などの権利と収益は、すべてモデルとなった人物に譲渡されると聞いておるぞよ。

どれほどの末端価格になることやら。あたしにもそんな御褒美、欲しいものだよ。

そんなわけだから、さあ!散財しようぜ」

 

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