「Dyanaと綴ってほしいの。Dianaじゃ嫌なの。これだけは譲れないわ。いいかしら?お願い」
ダイアナは妙なこだわりが強かった。インドの神様がああでこうでと蘊蓄も披露されたが、アンは興味を持てずに思考放棄する。
とばっちりで、アンの名前ももっと優雅に変えるべきだと提案されるが、署名するとき楽だからと2文字を固守した。信念を貫きたいなら他者の信念にも敬意を払うべきだぞ、とか出まかせを言ってたらひとまず退いてくれたので、あとはゆっくりティーとケーキを味わう。
スポンジも生クリームも自家製だというので、キッチンまで見せてもらった。
今度一緒に料理もつくりましょう、と約束事が次々増える。
なんでもできる子なんだ、ダイアナは。
いったいどれだけ功徳を積めば、これほど神に愛してもらえるようになれるのだろう。
ダイアナは小学校に通っているが、優等生だし両親とも自由主義なので、宿題さえ片付けたら割とよくサボる。
そろそろ夏休みだし、8月末まで、したいことがあるならそちらを優先してよいという環境だ。
たちまちスケジュールは「アンと遊ぶ」一色に染まった。
ダイアナの部屋でゲームをしたり、一緒に冒険小説を読んだりすることから始め、だんだん母親の監視が緩くなってくると、森へ探索に出かけた。
邸の倉庫にはパパが子供の頃に使っていたというクリケットの道具一式が眠っていて、アンは騎士に扮し、ダイアナ姫の護衛をつとめる。
ダイアナは植物に関する知識が豊富で、アンは方位と距離の測定・罠の仕掛けどころや基地の構築術について適確な勘と技術を持っていた。どんどん描きこまれていく新しい地図は二人を最高にエキサイトさせる。
この興奮は読書にもフィードバックされた。
たとえば聖書にはサムソンやダビデのバトルシーンはじめ、血腥い活劇が満載されているのだけれど、アンは最近読み始めたばかりだし、ダイアナもぴんとこなくてなんとなくスルーしていた。ところが二人の知恵と経験を合わせれば、猛り狂う戦場の雄叫びが、あたかも眼前に迫ってくるかのごとく想像できてしまうのだ。
文字の羅列にすぎない本から、イラストレーションや立体模型が次々と生み出された。
世界最終戦争が始まったら、アルバリーを防衛するため自分たちはいかに戦うか。そんな仮想戦記も、とことん真剣に研究した。
アンは日曜学校を休まなかったので、ダイアナがこれに随いてきた。
面倒なことになると嫌だから質問も挑発も扇動だってしなかったが、スーリス牧師は戦力にならないよねという審判が下されて、むしろ邪魔だから有事の際は速やかに無力化しておきましょうと具体的な戦術論を協議する。
よし、そろそろ頃合いかなとアンはずっと温めていた質問を、ダイアナにぶつけた。
アン「先月さあ。ここに、不良どもの一団が乗りこんできたんだよ。頭領はトーマスって野郎だった。知ってる?」
ダイアナ「トーマス・ソーヤー?もちろん知ってるよ。有名人だもの。それで、どうしたの?大丈夫だった?」
アン「おれは。触られはしなかった。ただ、そのときもスーリスはヘラヘラ追い払っただけでさ。超ムカついた。
ところでそのあと変な噂を聞いたのを、いま思い出したんだけど……トーマスって、村のかわいい娘を一人のこらずモノにしたことあるって。それ、ほんと?」
ダイアナ「ああ。見境無いのは事実だね。でも、まだ誰かを孕ませたって噂は聞かないなあ。シャーロットでは、やりまくってるのかもしれないけど」
アン「そうか。こんな小さな村で、追いつめられるようなヘマは、しでかさなないか。
……ダイアナは、ダイアナだったら、触られたことくらいは、あるんじゃない?」
ダイアナ「あたし?
もちろんだよ。ファーストキスだったからよく覚えてる。7歳になった2月だった。
婚約しよう!って言われてさ。手袋脱がされて、ぎゅっと握りしめられて。耳もとでいろいろ囁かれているうちにトローンとなってきちゃって、そこで、グイ!よ。
トーマスは今のあたしたちと同じくらいの齢だったはずだけど、今じゃあもっとテクニシャンになってるはずよね。
アンの目からは彼、どう見えたの?聞かせて聞かせて」
アン「あ、いや、おれはその、ト、トーマスにとってそれほどの攻略対象じゃなかったみたいで、スルーされた。こんちくしょうと思ったよ。
ダ、ダイアナは、その一回きりだったのか?おまえはかわいいから、トーマスにしばらくつきまとわれてたんじゃないのか?」
ダイアナ「婚約だもの。ベストガール扱いだったわよ。
合計で何ヶ月つきあってたんだったかなあ。
でも彼ってほんと飽き性だから。たぶんあたしのこと、全然覚えてもないと思うよ」