アンはメモ用紙を手に、その街区をキョロキョロと見渡しながら2周した。
やがて通りの先にカフェを見つけ、腰を落ちつける。
価格高めのコーヒーを一杯。砂糖をたっぷりと入れ、血中グルコース濃度を上げてから外へ出る。
尾行を気にしながら歩いてはならない。
誰かと電話しながらな風を装いながら30分ほどクネクネと迷い続け、コインパーキングまで辿りつく。
アン「おっそろしい。監視カメラと赤外線探知機が張り巡らされてますね。
あのカフェも一味でしょ。ブツの受け渡し場所にでもしてるのかな。
コーヒー、ゲロマズでした」
ユーリ「特別にいいこと教えておいてあげる。
防御が堅いぞって見せびらかすのは素人よ。
機械警備が進んでる施設ほど、簡単に抜けるの。人件費を際限なく削りこんでるに決まってるから」
アン「モリアーティ・ハウスへ忍びこむことは難しくないってことですか」
ユーリ「でも、いきなり潜入するのは愚かね。
私なら手榴弾を投げこんで様子をみるわ。家主は修理のために工事業者を呼ぶでしょう。その会社には邸の図面と、設備のメンテナンス履歴が保管されている。全部手に入れてから作戦を練ります」
アン「あなたこそ、そんな案件をいっぱい抱えていらっしゃるんでしょうね。
お忙しいところを、お呼び立てしてすみません」
ユーリ「いいのいいの。今日は、アンとのデートのつもりだから」
アン「リアル・ハイドは、空港で要人を見送ったあと、あの邸へ入っていきました。あとは容易に手繰っていけるだろうと踏んでたんですが、甘かったですね」
ユーリ「疑問なんだけど、アンはハイドの正体を突き止めて、そのあと、どうしたいの?」
アン「それを言われると身も蓋も無いんですが。ここまできたら、すっきりさせておきたいっていうか。ただの好奇心なんでしょうね」
ユーリ「面白い商売に転がせていければいいけど、感心はしないわ。
交通事故の揉み消しなんて誰でもしょっちゅうやってることだし、スキャンダルにもならなければ大した稼ぎも期待できない。
たとえば私がハイドの友人で、アンが探ってるぞってことを知ったら、辿りつかれる前に始末してハイドへ恩を売るわよね。
そんな末路もあるんだぞって、心の隅に留めておいて」
アン「心より感謝します。じゃあハイド捜しは、今日をもってきっぱり卒業するかな」
ユーリ「撮影および事故当日にハイドが運転していた車は、盗難車だったのよね。どこから盗まれたかは調べてあるの?」
アン「……いえ。調べるとしたら、データを持っているのは警察かな」
ユーリ「ドラマのスタッフチームは、撮影プロダクションから指定された、1970年代のクラシックカーを用意していた。それは盗難車ではなかったけれど、事故を起こしたものだから盗難されたことにして、証拠を消した上で乗り捨てた。
……私ならこう推理するんだけど、どうかしら」
アン「なるほど。完璧に筋が通ります。
そういうオチにしておきましょう。わざわざ裏をとる手間をかけることもない」
ユーリ「参考までに、警察の機密情報を調べるのは、けっこう大変よ」
アン「セキュリティがハイレヴェルなんですか?」
ユーリ「あら。潜った経験、無いようね」
アン「あるわけないでしょ。おれ、素人ですよ?」
ユーリ「最底辺の巡査が万引きを現行犯逮捕したとします。取調室で、調書を作成するわよね。
そんな仕事がアビグウェイト州だけでも毎日数十件から数百件。
過去の犯罪歴を照会し、指紋を採取して登録。連邦警察のデータベースにインプットもアウトプットも必要です。
マイクロ秒単位のアクセスよ。
こんなシステムのセキュリティが、公務員たちに維持できると思って?」
アン「警察からデータを盗むことは簡単でも、それの中から欲しいカードを検索して抜き出すのが、超大変なんじゃないかな」
ユーリ「聴取された氏名・生年月日・性別・電話番号・職業・現住所・住民票登録地など記入項目はむやみに多いけれど、いくつ合致すれば同一人と見做すべきか。なんて基準が明確につくれるわけがないのよ。
生体認証の登録履歴や、DNA鑑定記録が公的機関の認証付きで準備できるならば、多少は説得力のある捜査資料を提出できるけど、これも実態を知っていれば情弱しか騙せないってわかるわよね。
結局、昔ながらの、思いこみの烈しい暴走刑事を宛行っておくほど早く送検できるという慣例がまかり通るわけ。
そうなると?」
アン「末端の警察官でも、勘のいいやつほど、あとから如何様にも解釈できるように調書を作成しますよね。どっちへ転んでも整合性を損ねないように、細心の注意を払いながら。
嘱託探偵だって警察と持ちつ持たれつだから、冤罪を助長してやるために雇われてるみたいなもんだ。
たしかに警察の機密情報なんて、下手にほじくるもんじゃあ無いですね」
ユーリ「呑みこみが早くて素敵よ、アン。
ついでに探偵とエージェントの違いも答えられるかしら?」
アン「探偵は、アマチュア・独立系・企業専属、名だの迷だのいろいろいますが、原則として国家権力には楯突かない。警察をからかって遊ぶ人もたまにいますが、本気でメンツを潰したり敵対関係にまで至ることは避ける。
正義と善良の皮を被った詐欺師どもです。
これに対しエージェントは、依頼人に寄り添って戦う。そのためには目立つ看板掲げるなんてナンセンス。徹底して善良な一市民を演じ続けていなければ、なりません」