3月1日。重大発表の日だ。
マダム・クラリスから軽く予告をされていた。アンは不安でいっぱいの夢から醒め、朝陽を浴びながら着替え、挨拶へと出向く。
クラリス「おはよう、アン。ついにこの日を迎えたわね。
お誕生日おめでとう。16歳になった感想をどうぞ」
アン「ありがとうございます。運転免許証を取得できる年齢になりました。ダイアナに1ヶ月先を越されましたが。
これからはより柔軟に仕事を請け負うことができそうです」
クラリス「そうね。これからはタクシーを呼ばなくてよくなるわ。
いつでも、どこにでも、アンに連れていってもらいましょう」
アン「喜んで。
それで、免許をとる前に、住民票を申請しなくてはなりません。
それについては考えなくてよい、と以前言われたのでそのままにしていましたが、どうするとよろしいのでしょう?」
クラリス「本日10時に、弁護士がやって来ます。その時に話します。
では、朝御飯をいただきましょうか」
時間まで、いつものアシスタント業務をして過ごした。
やがて弁護士到着。
アンも応接室へ呼ばれる。
ミスター・ロバート・グラント。初対面だ。
グラント「ミスター・マシュウ・カスバートを養父として、カスバート姓で住民票を申請します。
後見人はマダム・メアリ・クラリス・ミラーに引き受けていただきます。
さて、お名前は新しく選ぶこともできますが、どうされますか?」
アン「え?アン・カスバートじゃなくていいってことですか」
グラント「2文字のアンなんて名前としては目立ちますし、それはもう通り名として割り切って使えばいいでしょう。
登録名は変えておいた方がいいと思いますよ。決めていただき次第、手続きを始めます」
アン「そうですか。じゃあ……アンゾネッタで」
グラント「アンゾネッタ・カスバート。よろしいですか?」
アン「はい。マリラとマシュウは、おれのこと、いまさらアン以外で呼びにくいと思うので」
グラント「わかりました。住民票および国際運転免許証も、この名前と生年月日で登録します。
では続いて、マダムからの遺産相続について説明させていただきます」
アン「……は?」
クラリス「全財産じゃないわよ。一部だけ。
これは、あなたへのお誕生日プレゼントだと思って」
机の上に、デジタル・アーカイヴの保管記録書やフラッシュメモリが用意される。
グラント「この中に、マダムの未公開作品が収録されています。マダムが亡くなられてから開封可能となり、その出版・改変・売却・メディア展開等に関する一切の権利が、ミス・アンゾネッタ・カスバートに譲渡されます。
同意されますか?」
アン「これは……夏に執筆してた、あの小説ですか?」
クラリス「そうよ。ああ、やっと話せるわ。名探偵ヘラクレス・最期の戦い。相手はあなた。
作中ではアン・シャーリーにしてあります。好きな名前に変えて」
アン「え……そんな……とんでもないものを、おれに?」
クラリス「アンという娘が私の前に現れなければ生まれることのなかった物語よ。
アガサ・マローワンはこれからも毎年、死ぬまでヘラクレスのドタバタ劇を書かされるんでしょうけど、そんな座興が出尽くしたあとで締めくくらせてちょうだい。
ちなみに1万語を軽く超えちゃったから普通のペーパーバックでは出せないわ。どんな形で公にするかも含めて、全部まかせるから」
アン「……生きてるうちに、その感想を聞いてみたいとは考えないんですか」
クラリス「ごめんだわ。私が正気でいられなくなるし、これのあとでヘラクレスをチマチマ小者と戯れさせるのがどれほど苦痛だったと思ってるの。
あの世へ行くまで、こんなもの書いたことは忘れちゃいます。以上。おしまいよ」
グラント「よろしいですか。
では、ミス・カスバート。契約の内容を確認してください。
すでに意識されているかもしれませんが、この作品の権利は、マダムの生涯所得すべてを合算するよりも巨額の資産に化ける可能性があります。
くれぐれも慎重に運用していただかなくてはなりませんよ」
驚きは、これだけではなかった。
午後、マルチマティック社のトレーラーが入ってきて乗用車を一台置いていった。
マダムが昔買った車で、昨夏からのレストアがようやく完了したのだ。
この車がいなくなっていた間、コッパー・ビーチズのガレージは改修が施され、セキュリティが何重にも強化された。アンにも開ける権限が付与されており、好きに使ってよいという。
クラリス「今日すぐ乗ってみたいところだけど、アンの免許証ができてからにしましょうか。心と体の準備だけ、しておいてちょうだい」
アン「マダムが乗ることもあるんですか?」
クラリス「やめておくわ。動体視力も反射神経も、ついてこれなくなったもの。
それに、街乗り向きじゃあないのよね。回転数3000以下だとエンジンが悲しそうな声で鳴くの。アウトバーンをどこまでも走り抜けるための車なのよ。
アンなら、乗りこなせるでしょ?
修理費は高くつくから、くれぐれもぶつけたりしないでね」