アンは、お金をかせぎたかった。
実質、居候の身で、衣食住すべてまかなってもらってる上、少ないながら小遣いも与えられている。カスバート妹兄の暮らしぶりはとても質素で、現金収入などほとんど無いというのにだ。
アンは、なんとかしたかったし、なんとかしてあげられると思った。その手段を持っていることは、自覚していた。
得意技は窃盗。この世に生を享けて以来、腕を磨いてきた。村の中では披露しないと決めているが、町へ出ればいくらでもカモがいる。
うずうずしてたまらない。
隙だらけのおっさんが女子学生の素足に気をとられていたら、本能的に近寄ってしまう。ナイフでもマスタードでも、ポケットに入れているものなら何だって使う。それらだって店や空き家から盗んだものだ。金は天下の回りもの。チャンスは両の手で掴むもの。
え、あたりまえだよね?
おっさんたちだって、わざわざ奪われるために働いてるわけじゃないんだろ?社会へ出てきている以上は、覚悟してなきゃおかしいよな?
ふしぎではあったが、かまってやる義理は無かった。アンにとっては完璧に整合性がとれているのだ。その物理法則が成立する世界の中で、これまでは生きてきた。自由を謳歌していた。
ただ、昨年からはちょいと複雑な世界へ転生してきたわけだ。
いろいろめんどくさいんだが、郷に入ったなら郷に従おう。できる範囲で。
アルバリーでは、マリラもカスバートも、盗みをしてはいかんという。
理由は、聖書が戒めているからだ。
忌々しい宗教だなとアンは舌打ちするのだが、あたたかい寝床とトレードだと思い、尊重することにした。
さてそうなると最大の特技を封じられた状態でお金を手に入れなくちゃならんわけだ。
どうするよ。
家の手伝いはちょっとずつさせてもらえるようになってきていたが、グリン・ゲイブルズの中でどれだけ働いても収入増に結びつかないことはとっくにわかっていた。
元手もかけたくなかったし、手っ取り早く確実に、金だけ欲しい。盗みをせずに。くう。
できないと思えば余計に空想がほとばしる。いろんな犯罪計画を夢に描く。
もしも聖書が無かったら、すぐミリオネアになれるのに。
冬の間、研究に没頭した。
村へ来たときから始めているラヌンキュラスの濃縮が快調だ。ドビンズの部屋からいただいてきた実験用具がとても役に立っている。
成人男性ひとり殺せる致死量は1/10グレーン程度なので、小瓶がいっぱい欲しい。
量産体制が整えば、売れるんじゃね?と考える。
こんどジェイムズ・シェパードが来たら、歩合を交渉してみよう。
林檎の種についても調べた。
シアンという毒が含まれているらしい。
硬い殻の中に閉じこめられているので、よくすりつぶして精製する必要がある。また、人間の体はシアンをすぐ分解してしまうので、処理能力を上回る速さで、できれば血管に直接注入してやらないと殺せない。なかなかハードルが高い兵器である。
ただ、この村には林檎並木もあるし、人気の品種を本格的に栽培している家もいくつかあって、原料を集めるのがとても容易い。ならばついでにつくっておくかと、アンの夢はどんどん膨らむ。
ジョセフ・ベルおじさんは、形の無いものに値段をつけることが性格的に苦手である。
アンはこんな精神疾患に触れたことがなかったので、軽く興味を掻き立てられている。
この症例を反転させてみると、「無形物に価格をつけて商品化し稼ぐことは可能だし、すでに広く行われている」という逆説に辿りつく。
さらに、書物から得た知識と、化学結合させてみよう。
本自体は有形であるが、それを読んで頭の中に生まれたイデアは無形である。
しかもこれ、マチルダと語らう時いつも実感するのだが、同じ本について話しているのに解釈も印象も十人十色。
ひとりで読んでどれだけ感動しようとも、そのあと同好の士と意見交換することで得られる再発見と反芻は、さらに何倍も面白くなり刺激的なものとなる。
アンは、この無形物を売れないかしらと考えた。
まずは、とりあえず自分が思ったままの感想を文章化してみる。第一段階の、叩き台だ。
次は、マチルダの視点になりきって書いてみる。実際に本人が話した通りでよい。ただし伝聞調にはしない。あくまでマチルダ自身が書いているかのごとく、でっちあげるのだ。でないと空間に奥行きが生まれない。
調子づいてくると、三番目はダイアナになりきる。さらに悪ノリして、ミセス・マクドナルドやマリラ、マシュウなどにも意見を述べさせてみる。
架空の大座談会が誕生だ。
参加者の一部は、話題にしているオリジナルの結末に不満を抱いている。私だったらこう書くのに、とパラレルワールドを創造したりする。
別の者が更にそれをいじくりたおす。
原作の面影は、余韻すら、どこへやらだ。
いいかげん飽きてきたら、夢オチで締める。
巡礼ごっこはたのしいなあ。次はどこの市へ行こうか。
アンは、たっぷり書き散らしたノートをシェパードへ預けるつもりである。買い手がついたら、おれに執筆料をくれ。
本を買って読む人種がなにを望んでいるかは知らないが、読者の好みなんて千差万別だろうと思ってる。
ちなみにこれ、400年前の大ヒット作をお手本にしたパスティーシュだ。博識者にはそのくらいわかって当然だろう。だから一定数は面白がるやつが必ずいると踏んでいる。
もし反応が乏しければ、そいつらは古典を読んじゃいないってことだ。
浅学者はお呼びじゃない。
おれは、対話が成立するやつとだけ、ともだちになりたい。