シェパード扮する謎の紳士「これは、書評なのか?小説か?それとも、エッセイの練習帖か」
アン「とくに決めてない。
乙女の妄想たれながし日記とでも名付けて並べときゃ、買う物好きもいるんじゃないかな。清楚な田舎娘のイラストを表紙にしとけば、バカがほいほいひっかかるだろ」
紳士「ひっかかるような男たちが古典文学の素養など持っているわけないだろう。
この作者は頭の良さをひけらかして自分たちをバカにしているぞ、と余計な怨みを買うだけだ。妄想の発散させ方を知らないストーカー集団から逃げ切る自信があるつもりか?」
アン「そこまで考えなかったな。
たしかにマチルダやダイアナやら、知り合いを生々しく描きすぎたかもしれない。アルバリーの住民が読んだら、作者はおれだと特定するやつも出かねないか。
ありがとう、おじさん。今のヒントを参考に、もっと毒を薄めて書きなおしてみるよ」
紳士「懲りないやつだ。
ところでアコチニンやシアナイドの方は薄めないでくれ。そちらは、濃ければ濃いほどよく売れる」
アン「わかった。じゃあ次は、教団の動きについて教えてくれ」
紳士「ダンスタンス大聖堂が標的に選ばれたのは、19年ぶりだそうだ。プレスビテリアン教団側は、昨年調子に乗りすぎたカトリックへきついお灸をすえてやったと歓喜に沸いている。
これでおあいこだと矛を納めるか、余熱があるうちに追撃をかけておくかは、まだ議論の最中だな」
アン「ぬるすぎる連中だねえ。
12月にあんたが仕掛けた捕虜奪還劇はガチの攻撃だったろ。あんなのされた後なのに、釣り合ってなくないか」
紳士「え?知らないのか。マクドナルド夫妻は、あれを本部へ報告していないよ。
黒衣の男を捕まえたところから、一切伝えていない。最終的には失態で終わる話だから。
むしろその後、より慎重になった。今日も事件なし、自分たちが来たおかげでアルバリーは平和になりましたという日報を積み重ねて収束させるつもりのようだ」
アン「あほくさ。
だからジョセフ・ベルへもわざわざちょっかいを出そうなんて思わない理屈か」
紳士「余計な戦いを挑んで怪我でもしたら大変だろ。必要なければ静観あるのみさ。
ただベル氏の戦闘力は低いから、いずれマクドナルド夫妻の都合悪い物事ぜんぶ抱えこまされて消される可能性は高い。その日までキープされているという見方もできる」
アン「調べてくれたんだね。
戦闘力以外に、なにか面白いエピソードあった?」
紳士「ドクター・ベルは実に味わい深い生涯を送ってきた人だったよ。
今の名前はもちろん偽名なんだが、彼はかつて評判の探偵コンサルタントだった。
ロンドンのメリルボーン区で開業し有名になったが、裏街道の犯罪組織につけ狙われ、元締めをやっていた数学教授との一騎打ちに及ぶ。650フィートの滝壺に落下し、そこで死んだと報道され、現地では今も献花が絶えないそうだ。
ファンの夢を壊すのは無粋だから、と彼は復活を望まなかった。
それでこんな村までやって来て、隠遁生活を送っている次第さ。不器用な生き方だよねえ。特技まで封印することはないだろうに」
アン「おじさん。その話はもちろん、ベルさん本人には知られないようにして、調べたんだよね?」
紳士「当然だろ」
アン「こええなあ。おれが本なんか書いたら、ストーカーがすぐに素性をつきとめるぞって、あれ、ガチか」
紳士「隠す気があるのかってむしろ警戒したぞ。
ガチ勢なら、手懸りが足りなきゃネットで餌を撒くよ。ターゲットのいそうな地域に名物をつくって、一般観光客に画像や動画をたくさん撮らせ、アップロードさせる。それらに痕跡をのこさず生きていく自信が、ベル氏ならともかく、君にあるかい?」
アンの気まずい沈黙は、ヘレンがお昼寝から目覚めたために破られた。
今日はブリュエット邸に来ている。
ミス・サリヴァンに、遊びにおいでよと招かれたのだ。
たまたま彼女の恩師だという紳士も訪れていて、アンはひとしきりヘレンと遊んで疲れたあと、お茶をいただきながら彼と世間話を弾ませた。そういう趣向だ。
もうすぐ春だが、まだ屋外は寒いので、こんな風にセッティングされた。ガチ勢が束になると、不可能なんて、なくなるものさ。
サリヴァン「ヘレンは、言葉を知ってまだ半年なの。過度の期待はしないで。
今は、手当たり次第に覚えた単語を投げつけて相手を従わせようとしている、厄介な猛獣。伝わらないから起きてる間はひたすら癇癪を爆発させているしね。質問攻撃もやむ気配がないけど、やっぱり伝わらないから双方ほとほと疲れ果てるの。
でもね、アン。あなたもいつか母親になるだろうから言っておくわ。
ここで逃げた大人は、生涯、親だと思ってもらえない。わがままを言ってるのは本人だってわかってるのよ。そんな自分に、とことん真剣につきあってくれた人を、師だと子供は心に刻むの。今は、その段階。
さあ!ヘレン、かかっていらっしゃい!」