メアリ・マーサ・ルシラ・ムーア・ボール・ヴァンス。
これまでに呼ばれてきた名前から、比較的気に入っているものを6つ並べて、フルネームとしている。
どれで呼んでもらってもいいが、他の子とかぶりにくいヴァンスがお薦めかな。それって女の子の名前じゃないよ、と必ず言われるんだが、いいんだよ識別符になりさえすりゃ。
それに番号で呼ばれるよりは、ずっとあたたかみを感じるだろ。
アンもたいがいフリーダムだと言われるけれど、ヴァンスの破天荒さには負ける。
言葉と態度の端々から、補導や矯正の軛を幾度もくぐり抜けてきた歴史を感じさせる。
もうすぐ12歳になるアンよりも、ほんの少し背が低いけれど、年齢はヴァンスの方が上みたいだ。
ちなみに男も知っているとさ。
じゃあ確定でいいよ。姐さんと呼ばせてくださいまし。
ヴァンス「へえ、あの秘密基地、あんたが最初につくったのかい。
身を隠すにゃ絶好なんだが、拠点がひとつだけじゃ逃げ切れないだろ?夜だって、まだ寒くてさ。
廃屠殺場の他にも、もういくつか別荘をあつらえてある。
この村は意外に住みやすそうだから、林檎の収穫期くらいまでは、いてやろうかなって思ってるんだ。
頼りにさせてもらうぜ、相棒」
距離を瞬時に詰めてくる。これがヴァンスの戦法か。
アンは、自分には真似のできないスキルだと思った。
ヴァンスに苦手なタイプっているんだろうか。感情の起伏は激しそうだから、冷静でいられなくさせて追いこんでいけば、仕留められそうだが……犠牲も覚悟の上でだな。
アンはプロファイリングの上書きに夢中だ。
ヴァンスの方も、アンを只者ではないと認めたようで、積極的に親睦を深めようとしてくれた。
廃屠殺場のアジトへも招待する。出入口にしている隙間にはトラップが仕掛けてあって、這って潜りこんだあとすぐ脇へ移動しないと穴に落ちて手足に釘が突き刺さる。常に新鮮な糞尿で満たしてあるから傷口がたちまち化膿すると思うよ、とかレクチャーが懇切丁寧。
事務所の一角が掃除されて、リビングルームになっていた。リーダ・マーシュの長靴はじめ、あちこちから盗んだと思われる衣裳が並んでいる。派手めな色彩が多い。
「これ着て外を歩いたら目立っちゃうだろ?」とアンは思ったままを口にする。
ヴァンス「もちろん着ないよ。ここで眺めて楽しむだけのコレクション。外では実用第一さ。
でもねえ。アタシもまだ一応、女の子ではあるつもりなんで、こういうの揃えてないと心の安定を保てなくなることがあったりするんだよね。わかる?
なんか、納得できない顔してるけど」
アン「いや、なんとなくはわかるよ。おれだって女の子のハシクレだ。
でもなあ、ほら、この顔じゃん。かわいい服が似合わないんだよ。だからおれの場合は、持ってると逆に落ち着かなくなる。
実用品だけ隙間なく並べていられたら満足かな。
うん、おれはそういう性格だね」
ヴァンス「その発想は無かったな。
なるほど。アンは強いね。精神力がとてつもなくシャープでストロングだ。こんどアンの部屋も見せてよ」
アン「そのうち招待するよ。保護者がきれい好きなおばあちゃんなんで、そのときはせいいっぱいのおめかしをして、そうだ、これを着てきてくれ。たまにはいいんだろ?」
ヴァンス「面白いね。じゃあ、その日は良家の子女になりきって、一世一代の大芝居をしてみせるかな。
日取りを決めたら早めに教えてくれ。やりなれてない役は心の準備に少し時間がかかるんだ」
アン「はは……そういえば、ジュディス・ロスタフばあさんにやりこめられたっての、あれ、ヴァンスなの?
少年のフリして強盗に入ったけれど、見破られて逃げ出したって」
ヴァンス「そういう噂にして広めてんのか、あのババア。
いや、武器も持っちゃいなかったし、普通に道を尋ねたんだよ。服は当時アレしか持ってなかったから、少年になりすましてた方が怪しく見えなかろうと思っただけのことで」
アン「あのばあさん、サイコスリラーの読み過ぎだからな。そこはわかった。
ところでさ。ヴァンスって、その場限りで通行人や、その家の子供に擬態することってよくあるの?おれ、そういう経験が思い浮かばないんだけど」
ヴァンス「ああ、わかるよ。アンは、スリ・カッパライ・空き巣狙い、そういう実働が得意で、そればかりやってきたタイプだ。
殺しも、きっと経験豊富だね。ためらわなさそう。瞬時に決断ができる。
もしチームを組むとしたら、アタシは陽動とか、前後処理をして回る担当だ。善良な通行人を装って、ポリに嘘の証言してみせたりとかさ。だから、演技力っつうの?
ずっとこの家で暮らしてた子供ですが、なにか?
って雰囲気を身にまとうスキルを磨いてきたっていえるのかな。
あれぇ、もしかしてアタシたち、黄金コンビになれんじゃね?」
アン「気が早いよ。その距離の詰め方、おれちょっと苦手だな。
それに、チームならリーダーが必要だ。全員をコントロールできる現場監督がな。
ま、ゆっくり詰めていくとしようぜ、姐さん」