マリラ「掃除してたんだよ。
アンの部屋の前まで来たら、中からカリカリッて音がして、変な匂いもするんだよね。それで、緊急事態だと思って、合鍵をとってきて、開けたんだ。
音の正体はネズミで、穴の向こうで壁を掻きむしっているみたいだった。一匹、腹を上に向けて、床に転がってた。その脇に試験管が転がって、液がこぼれていた。
匂いの元はこれか、と腰をかがめた途端、急に目の前がぐらぐらし始めてさ。
慌てて窓を開けて、よりかかって、外の空気を吸った。
頭痛はガンガンひどくなるし、廊下まで歩ききれる自信も無くて、どうしようどうしようってずうっと深呼吸してるうちに……落ちたみたいだね。
骨が折れてたって?2階の高さからでこれじゃあ、もっと高いところからだったら、まちがいなく死んでたよ。
やれやれ、困ったことになってしまったねえ」
マリラは一命をとりとめた。
アンに発見されてまもなく、マシュウのトラックに載せられ、スタンレーブリッジの病院へ運ばれたのだ。
電気ショックから胃洗浄まで、ありとあらゆる応急処置がとられた。片足を骨折しており、その手当ても必要で、即入院となる。
夜になって、マシュウとアンは、狭くて陰気な会議室へ呼び出される。
そこで当座の治療費と、入院が1ヶ月に及んだ想定での概算を提示された。
カスバート家の日常生活ではお目にかかれない桁数の金額だった。
ふたりは無言で帰宅した。アンは、試験管を蹴り転がした忌々しいネズミの死骸を片付け、今後同種の災難が起こらないようしっかり対策を施してから、窓と扉を全開にしたまま、眠りについた。
緊急事態なので、マリラの許可はあとからとることにして、朝食はアンがつくる。
山賊風で量もたっぷりの食事を終えると、マシュウもアンもなんとか落ちついた気分を取り戻していた。
すかさずアンは議題を提出する。
貯金はいくらありますか。病院への支払いは今日中にも済ませてしまいましょう。それでイニシアティヴを握るんです。早く治させて、とっとと連れて帰るんです。迷ってる余裕はありませんよ。ハリアップ!
マシュウは、通帳や家計簿のある場所も把握してなかった。すべてマリラにまかせっぱなしだったのだ。
埒が明かないので、強引にアンが主導権を奪い、午前中はひとりで探索と分析に専念する。
貯蓄は、呆れるほど、無かった。
マシュウ名義の口座で、一年ほど前から定期積立が行われており、これを解約すれば当座の足しにはなる。なるが、それで終わりだ。
この先収入が増える見込みは皆無。敷地を切り売りするにしても、誰が買うんだこんな土地を。
アンは自分が稼ぐしかないことを、もはやはっきり意識した。
そうと決めたら郵便局へひとっ走りだ。
シェパード商会へ電報を打つ。
戻ってからは、薬品と文筆でこれまで稼いだ額を算定し、それをもとに今後のプランニングを具体的に立てようとした。規模を拡大するとしたら、いまの部屋では限界なので、新しい工場をつくらなくてはならない。メアリ・ヴァンスから廃屋をひとつ譲ってもらうことも検討したが、彼女は製造にも管理にも向いてなさそうだから、単純にアンの仕事量だけが増えることになる。それはオーヴァーワークなので、できれば人材込みでの拡張をしたい……
次々と難関にぶちあたる。
アンが昨日まで手がけてきたことは悉く道楽の延長であり、こづかい稼ぎの感覚しかなかった。つまり、ありあわせの材料で作れるものだけを作り、それが売れたら喜ぼう。こんな気楽さでやってこれていたのだ。
ところが、いざ事業化するとなると投資が必要である。
初手から借金だよ。当然、返済計画が求められる。売れるものを生産せねばならない。
たとえば絶対に枯渇しないラヌンキュラス畑を持っていたとして、そればかり大量に精製して在庫過多になったらどうする。値崩れだって起こすし、廃棄処分にも費用がかかるんだぞ。
登記して税金を納める気なんてさらさら無いが、調査員が来たら煙に巻く準備だってしておかねばならんだろう。
これらすべてに一人で対応するなんて論外だから、人材の育成・維持管理および連帯もまた必要であることへ何度も立ち返る。
次第にへばってきて、金のあるところから奪ってくるのが一番簡単じゃないか。それなら独りでできるし。なんて思考に落ちつく。
よし、じゃあ銀行強盗のプランニングへ切り替えるか。
うわあ、めっちゃ捗るなあ。
たのしくてたまらん。
うひひ、うひひ、うひひ。
夕方、マシュウが畑から帰ってきた。アンは食事の支度をする。
食べ終えてから、定期積立の通帳を開いて見せた。
これを解約してよいかと尋ねる。
マシュウは、アンを睨みつけながら答えた。
「その口座に手をつけてはいけないよ、アン。
マリラがたとえ死んだとしても、それは運命だったとあきらめるべきなんだ。でも、そのお金は、それだけは、だめなんだよ。アン」